第18話 傲慢な外交官
秋の味覚狩りから数日後。
帝国の皇城に、招かれざる客が訪れていた。
謁見の間。
カイル陛下が座る玉座の前に、一人の男が立っていた。
派手なフリルのついた服に、香水のきつい香り。そして、隠しきれない軽蔑の色を浮かべた目。
隣国サンクレール王国の外交官、ヴァルダー伯爵だ。
「……して、皇帝陛下。我が国との通商条約を結びたいとのことですが」
ヴァルダー伯爵は、扇子で鼻を覆いながら大袈裟にため息をついた。
「正直、困りますなぁ。我が国は『美食と芸術』の国。貴国のような、年中血なまぐさく、泥のようなスープを啜っている野蛮な国と対等に付き合っては、我が国の品位に関わりますので」
ピキッ。
カイル陛下のこめかみに青筋が浮かぶ音が聞こえた気がした。
周りに控えるガルド将軍たちも、今にも剣を抜きそうなほど殺気立っている。
「……ヴァルダー殿。言葉には気をつけられよ。我が国は今、食糧事情の改善に努めている」
カイル陛下が低い声で抑えるが、伯爵は鼻で笑った。
「改善? どうせ、芋の煮っ転がしか何かでしょう? ……はぁ、この城も陰気臭い。食事もどうせ、石のように硬い黒パンと、塩辛いだけの干し肉なのでしょう? そんなものを食べさせられては、私の繊細な胃袋が壊れてしまいますよ」
言いたい放題だ。
このサンクレール王国は、大陸でも有数の穀倉地帯を持つ豊かな国だ。
だが、その豊かさを鼻にかけ、食糧難の帝国を見下して、足元を見た不平等な取引ばかりを持ちかけてくることで有名だった。
(……許せないわね)
玉座の脇に控えていた私は、静かに一歩前に出た。
カイル陛下の手が、剣の柄にかかるのを制止するように。
「お言葉ですが、伯爵。……貴方はまだ、帝国の『本気』をご存じないようですわ」
「ほう? どなたかな、その可愛らしいお嬢さんは。皇帝の愛人か何かかな?」
「皇帝の伴侶、リリアーヌです。……伯爵。もし私が、貴国の料理よりも美味で、洗練された料理をお出ししたら……その腐った性根……いえ、その認識を改めていただけますか?」
私がニッコリと微笑むと、伯爵は「ハッ!」と嘲笑した。
「面白い! この不毛の大地で、美食の国より優れた料理だと? できるものならやってみたまえ。もし私の舌を満足させられたなら、この条約、帝国の有利な条件で結んでやろうじゃないか!」
「約束しましたわよ?」
私は踵を返し、厨房へと向かった。
あの男の鼻をへし折るには、ただ美味しいだけでは駄目だ。
「野蛮」「暗い」「硬い」という帝国のイメージを、根底から覆す料理が必要だ。
私が選んだのは――冬の訪れを告げる、純白の『クリームシチュー』。
厨房に入ると、私はすぐにガント料理長に指示を飛ばした。
「ガント! 最高級の鶏モモ肉と、先日収穫したカブ、ニンジン、ブロッコリーを用意して!」
まずは下ごしらえだ。
鶏肉は一口大に切り、野菜もゴロゴロとした大きさにカットする。
厚手の鍋にバターを熱し、具材を炒める。
ここまでは普通だ。重要なのはここから。
「見ていてください。これが『魔法の粉』の使い方です」
私は別のフライパンにバターを溶かし、そこへ小麦粉を投入した。
弱火でじっくりと炒める。
焦がさないように、丁寧に、丁寧に。
バターと小麦粉が混ざり合い、黄金色のペースト状になっていく。これが『ルー』だ。
そこへ、温めた牛乳を少しずつ加えていく。
ダマにならないよう、泡立て器で手早く混ぜる。
「おお……! 黄色い粉が、真っ白なトロトロの液体に変わっていく!」
料理人たちが感嘆の声を上げる。
滑らかで、艶やかなホワイトソース(ベシャメルソース)の完成だ。
これを、先ほど煮込んでおいた具材の鍋に投入する。
お玉でゆっくりとかき混ぜると、透明だったスープが、一瞬にして濃厚な乳白色へと染まった。
仕上げに生クリームを回しかけ、彩りのブロッコリーを散らす。
そしてもう一つ。
帝国の「硬い黒パン」のイメージを払拭するための秘密兵器。
私はウィンドウから、『焼き立てホテルブレッド(丸型)』を取り出した。
赤ちゃんのほっぺのように白く、柔らかいパンだ。
その中身をくり抜き、器の形にする。
「完成よ。……名付けて、『丸ごとパンの特製クリームシチュー』!」
* * *
再び、謁見の間。
私がワゴンを押して戻ると、ヴァルダー伯爵は退屈そうにあくびをしていた。
「遅いなぁ。どうせ豚の丸焼きか何か……」
「お待たせいたしました」
私は彼の目の前に、銀のトレイを置いた。
そこに乗っているのは、湯気を立てる丸いパンの器。
その中には、雪のように白く、とろりとしたシチューが波打っている。
「……なんだこれは? スープか? それに、この器は……パンか?」
「ええ。器ごと食べられる『パンスープ』です。冷めないうちにどうぞ」
伯爵は疑わしげにスプーンを手に取った。
そして、白濁したスープをすくい、口へ運ぶ。
「ふん、どうせ牛乳臭いだけ……」
パクッ。
「…………っ!?」
伯爵の動きが止まった。
扇子が手から滑り落ち、カランと床に音を立てる。
「な……なんだ、この滑らかさは……!」
彼は目を見開き、震える声で呟いた。
「牛乳の臭みなど微塵もない! バターの芳醇な香りと、野菜の甘みが溶け合い、まるで絹のように舌の上を滑っていく! 濃厚なのに、後味は驚くほど優しい……!」
彼は夢中で二口目を運ぶ。今度は、中に入っていた鶏肉と共に。
「柔らかい! この鶏肉、口の中で解けたぞ! それにこの白い根菜もだ! トロトロに煮込まれているのに、形が崩れていない!」
止まらないスプーン。
そして、シチューが少なくなったところで、私はアドバイスをした。
「伯爵。周りのパンをちぎって、ソースにつけて召し上がってみてください」
「パンを? しかし、帝国のパンなど硬くて……」
彼はパンの縁に手をかけた。
その瞬間。
ふわっ。
指が沈み込むほどの柔らかさに、彼は「ひっ!?」と声を上げた。
「や、柔らかい!? なんだこのパンは! 綿菓子か!?」
彼はちぎった白いパンに、残った濃厚なソースをたっぷりと絡め、口に放り込んだ。
「う、うおおおぉぉぉッ!!」
美食の国から来たはずの伯爵が、獣のように吠えた。
「パンの小麦の甘みと、ソースの塩気が奇跡の融合を果たしている! 美味い! 美味すぎる! 我が国の宮廷料理人が作るスープなど、これに比べればお湯だ!」
彼は器であるパンの底まで綺麗に食べ尽くし、最後には指についたソースまで舐めとっていた。
完全に、陥落である。
呆然とする彼を見下ろし、カイル陛下がニヤリと笑った。
「……どうだ、ヴァルダー殿。これが我が国の『野蛮な料理』だが?」
伯爵はハッと我に返り、真っ赤な顔で咳払いをした。
だが、その瞳からは侮蔑の色は消え失せ、代わりに畏怖と敬意が宿っていた。
「……完敗です。まさか、このような洗練された料理技術をお持ちだとは。……前言を撤回し、謝罪いたします」
彼は深々と頭を下げた。
「約束通り、条約は貴国の条件で結ばせていただきます。……その代わり!」
彼は顔を上げ、すがるような目で私を見た。
「この『ホワイトソース』の作り方と、この『ふわふわパン』の入手ルートだけは! 何卒、我が国にご教授願いたい! 金ならいくらでも払いますから!」
「ふふ、検討しておきますわ」
私が微笑むと、カイル陛下がすっと私の腰に手を回し、伯爵を睨みつけた。
「おい。あまり俺の伴侶に近づくな。……レシピの提供は、小麦の輸入関税を撤廃してからだ」
「ぐぬぬ……! 承知しました! すぐに本国へ連絡します!」
こうして、リリアーヌのクリームシチューは、一人の傲慢な外交官を黙らせただけでなく、帝国の貿易問題までも解決してしまったのだった。




