第17話 秋の味覚の王様と、勘違いされた『討伐遠征』
カキ氷で猛暑を乗り切ってから、早二ヶ月。
帝都ガルディナに、実りの秋が訪れようとしていた。
高い空にはうろこ雲が広がり、朝夕の風には少し肌寒いほどの涼しさが混じる。
城の中庭にある木々も、少しずつ赤や黄色へと色づき始めていた。
「……匂うわ」
ある日の午後。
私は執務室の窓を開け放ち、風に乗って運ばれてくる森の香りを胸いっぱいに吸い込んだ。
「匂う? 何がだ? 焦げ臭いか? 敵襲か?」
書類仕事の手を止めたカイル陛下が、鋭い目つきで窓の外を睨む。
相変わらず、彼の思考回路は戦闘モードだ。
私は首を横に振り、うっとりと目を細めた。
「いいえ、カイル様。これは『王様』の香りです」
「王様……? 他国の王が近くに来ているとでも言うのか?」
「ふふ、ある意味では他国の王よりも高貴で、出会うのが難しいお方かもしれません。……カイル様、お願いがあります。明日の朝、北の森へ『狩り』に行きませんか?」
私の提案に、カイル陛下だけでなく、護衛の将軍たちも色めき立った。
「北の森だと!? あそこはSランク魔獣『レッドベア』の縄張りだぞ!」
「皇后陛下(予定)をそんな危険な場所に連れて行けるか!」
猛反対するガルド将軍たちを、私は真剣な眼差しで見つめ返した。
「危険は承知の上です。ですが、今行かねばならないのです。その『王様』は、ほんの数日しか地上に姿を現さない、幻のような存在なのですから……!」
私の鬼気迫る表情(食い意地)に、カイル陛下はため息をつき、そして不敵に笑った。
「よかろう。俺の伴侶がそこまで望む『獲物』だ。俺自ら剣を取ろうじゃないか」
「ありがとうございます、カイル様!」
こうして翌朝、帝国最強の騎士団を引き連れた、大掛かりな「討伐遠征」が結成されることになった。
……まさか、その目的が『キノコ狩り』だとは、誰も夢にも思わずに。
* * *
北の森は、静寂と湿気に包まれていた。
足元には落ち葉が厚く積もり、歩くたびにカサカサと乾いた音が響く。
「総員、警戒せよ! いつ『王』が現れてもいいように陣形を組め!」
ガルド将軍が低い声で指示を飛ばす。
完全武装した騎士たちが、殺気立った様子で周囲を警戒している。
その中心で、カイル陛下は魔剣の柄に手をかけ、私に寄り添うように歩いていた。
「リリアーヌ。その『王』というのは、どれほどの大きさだ? ドラゴン級か?」
「大きさ……ですか? そうですね、手のひらサイズくらいでしょうか」
「手のひら……? 小型種か。ならば猛毒を持っているのか、あるいは精神攻撃を仕掛けてくるタイプか……」
陛下が真剣に分析している横で、私は鼻をヒクヒクさせていた。
間違いない。
湿った土の匂いに混じって、あの独特な、鼻腔をくすぐる芳醇な香りが漂ってきている。
「……あそこです!」
私が指差したのは、樹齢数百年はありそうな、巨大な赤松の根元だった。
「あそこか! 総員、突撃――」
「ストップ! 踏まないで! 絶対に踏まないでください!」
剣を抜いて走り出そうとした騎士たちを、私は悲鳴に近い声で制止した。
そして、スカートが汚れるのも構わず、赤松の根元へと駆け寄り、膝をついた。
湿った落ち葉を、そっと手で払いのける。
すると、そこには――。
茶色く、太く、そして愛らしい傘を被った一本のキノコが、ひっそりと顔を出していた。
「……見つけました。秋の味覚の王様、『マツタケ』です」
「……は?」
カイル陛下が、ポカンと口を開けた。
ガルド将軍に至っては、脱力して剣を取り落としそうになっている。
「キ、キノコ……? リリアーヌ嬢、あんたが探していた『王様』ってのは、その茶色い棒切れのことか!?」
「紛らわしい! 俺たちはてっきり、伝説の魔獣かと!」
将軍たちが呆れたように叫ぶが、私は気にしない。
この香り。土と木々の生命力が凝縮されたような、高貴でスパイシーな香り。
前世の日本でも、高価すぎて滅多に口にできなかった憧れの食材だ。
「笑わないでください。このマツタケは、栽培することができず、自然の山でしか採れない貴重なものなんです。……さあ、採れたてをすぐにいただきましょう!」
私はウィンドウを開き、その場に『調理セット』を展開した。
今回取り出したのは、フライパンでも鍋でもない。
日本の伝統的調理器具――『七輪』だ。
「火を起こしてください、ガルド将軍」
「へ? あ、ああ……」
言われるがままに炭火を起こす将軍。
炭がパチパチと爆ぜ、赤い熱を帯びてくる。
私はマツタケの根元の土を濡れ布巾で丁寧に拭い取り、石づきを削ぐ。
そして、贅沢にも手で縦に裂いた。
プンッ、と弾けるように香りが広がる。
それを、熱くなった金網の上に並べた。
ジジッ……ジュー……。
マツタケから水分が滲み出し、炭火に落ちて白い煙が上がる。
その煙すらもが、ご馳走だった。
森の中に漂う、えも言われぬ香ばしい匂い。
「なんだこの匂いは……! ただのキノコのはずなのに、なぜこんなに食欲をそそる!?」
「森の腐った匂いじゃない……これは、森の恵みの匂いだ!」
先ほどまで「棒切れ」と馬鹿にしていた兵士たちが、喉をゴクリと鳴らして七輪を囲んでいる。
「焼けましたわ。……カイル様、まずは塩と、この『スダチ』という柑橘を絞ってどうぞ」
私は焼きたてのマツタケを小皿に取り、カイル陛下へ差し出した。
表面には汗のような雫が浮かび、熱々の湯気を立てている。
陛下は箸(私が教え込んだ)を器用に使ってマツタケを摘み、口へと運んだ。
シャクッ。
静かな森に、小気味よい歯ごたえの音が響く。
「…………っ!」
カイル陛下が天を仰いだ。
「……凄い。噛んだ瞬間、口の中が秋になった」
「秋に、なりましたか?」
「ああ。濃厚な森の香りが鼻から抜け、舌の上には繊細な旨味が広がる。肉のような脂の旨味とは違う、もっと奥深く、静かで、しかし力強い味だ」
彼はうっとりと目を閉じ、余韻を楽しんでいる。
「だがリリアーヌ。……これだけでは少し、酒が欲しくなるな」
「ふふ、ご安心ください。メインディッシュはこれからです」
私は再びウィンドウを操作し、今度は細長い銀色の魚を取り出した。
秋の味覚のもう一つの主役――『サンマ(秋刀魚)』だ。
「魚か? だが、こんな細い魚、食べる所があるのか?」
「食べてからのお楽しみです。……このサンマを、マツタケを焼いた後の炭火で、じっくりと焼き上げます!」
脂の乗ったサンマを網に乗せる。
皮が焼ける音。
そして、滴り落ちた脂が炭で焼かれ、猛烈な白煙が上がる。
ジュワアアアァァァッ!!
立ち上る煙は、マツタケの上品な香りとは対照的な、暴力的で野性味あふれる「脂と焦げ」の匂いだ。
この匂いだけで、白飯が三杯は食べられる。
「うおおお! なんだこの破壊力のある匂いは!」
「腹が減った! 今すぐ俺の腹に何かを入れないと暴動が起きるぞ!」
兵士たちの理性が崩壊寸前だ。
私は焼き上がったサンマに、大根おろしをたっぷりと添え、さらに醤油を回しかけた。
そして、同時に炊き上げておいた土鍋の蓋を開ける。
パカッ。
湯気と共に現れたのは、薄切りにしたマツタケとお揚げをたっぷり炊き込んだ『マツタケご飯』。
「さあ、皆様! 森の中での『秋の収穫祭』の始まりです!」
そこからは、言葉通りの宴となった。
カイル陛下は、サンマの塩焼きを一口食べ、目を見開いた。
「……この皮のパリパリ感、そして溢れ出す身の脂! 大根おろしと一緒に食べると、脂っこさが消えて無限に食べられるぞ!」
「内臓も美味しいんですよ。少し苦いですが、それが大人の味です」
「……ほう。確かに、この苦味が酒を進ませるな。リリアーヌ、貴様は俺を太らせる気か?」
「幸せ太りなら大歓迎ですわ」
ガルド将軍たちも、茶碗いっぱいのマツタケご飯を掻き込みながら、涙を流している。
「うめぇ……! キノコの出汁が米の一粒一粒に染み込んでやがる!」
「俺、田舎の森にこんな宝物が埋まってたなんて知らなかった……。今まで踏んづけてた自分を殴りたい!」
皆が笑顔で秋の味覚を堪能する中、カイル陛下がふと、私の手元に自分のサンマの身をほぐして乗せてくれた。
「……食え、リリアーヌ。貴様が一番働いたのだ」
「カイル様……」
「貴様が見つけるまで、この国の民にとってマツタケは『腐った匂いのする菌類』でしかなかった。だが、貴様が価値を見出した瞬間、それは『宝』に変わった」
彼は優しい瞳で私を見つめ、そして遠くの空を見上げた。
「俺も同じだ。……『冷酷な暴君』でしかなかった俺を、『伴侶』として見出してくれた。今の俺があるのは、貴様のおかげだ」
秋風が吹き抜け、色づいた木の葉がひらひらと舞い落ちる。
七輪の炭火の温かさと、隣にいる彼の体温。
そして、口の中に広がる秋の味覚。
私は幸せを噛み締めながら、彼がほぐしてくれたサンマを口にした。
少しほろ苦くて、でもとびきり脂が乗っていて――それは間違いなく、私が食べた中で一番美味しい「秋の味」だった。




