第13話 甘い朝食と、帝都の隠された『食糧危機』
カイル陛下と「誓いのキス」を交わした翌朝。
私の目覚めは、これまでの人生で最高に爽やかなものだった。
カーテンの隙間から差し込む朝日。小鳥のさえずり。
そして何より――今日からもう、「いつ追放されるか」と怯える必要がないという安心感。
私は大きく伸びをして、ベッドから飛び起きた。
「さて……今日の朝食は何にしようかしら」
昨夜の彼は、私の料理を「生きる喜び」だと言ってくれた。
ならば、その期待に応えるのが伴侶(仮)としての務めというものだ。
私は鼻歌まじりに身支度を整え、厨房へと向かった。
* * *
「……おはよう、リリアーヌ」
食堂に現れたカイル陛下は、少しだけ眠たげな目をしていたが、私を見ると口元を緩めた。
昨夜のバルコニーでの出来事を思い出したのか、その耳がほんのりと赤い。
「おはようございます、カイル様。……ふふ、少し寝癖がついていますよ?」
「……っ、すまん。朝の鍛錬の後で、急いで整えたのだが」
彼が慌てて髪を直そうとする姿が可愛らしくて、私はつい笑ってしまった。
こんな無防備な覇王様の姿を見られるのは、世界で私だけだろう。
「さあ、お席へどうぞ。今朝は、ちょっと特別な卵料理をご用意しました」
私が合図を送ると、給仕たちが銀のクロッシュ(覆い)を恭しく運んできた。
カイル陛下の前に皿が置かれ、蓋が開けられる。
「これは……? パンの上に、白い卵が乗っているのか?」
「はい。『エッグベネディクト』です」
こんがりと焼いたイングリッシュマフィンの上に、香ばしく焼いたベーコン、そしてプルプルのポーチドエッグ。
その上から、黄金色に輝く特製ソースがたっぷりと掛かっている。
「この黄色いソースは『オランデーズソース』と言って、バターと卵黄、レモン果汁で作った濃厚なソースなんです。……さあ、ナイフを入れてみてください」
彼が言われた通りにナイフを入れると――。
とろぉ~り。
半熟の黄身が溢れ出し、濃厚なソースと絡み合って、皿の上に黄金の泉を作り出した。
「おお……! なんという破壊力だ」
彼はその輝きに目を奪われつつ、一口サイズに切り分けて口へ運んだ。
「……美味い!」
カイル陛下の目がカッと見開かれる。
「濃厚なバターの香りと卵のコク……それだけでも重厚なのに、レモンの酸味が後味を爽やかに引き締めている! そして、このカリカリのベーコンの塩気! 全てが計算され尽くした完璧なバランスだ!」
「気に入っていただけて嬉しいです」
彼があっという間に一皿を平らげ、満足げにコーヒーを啜るのを見届けながら、私は切り出した。
「ところで、カイル様。ご相談があるのですが」
「なんだ? また新しい料理の提案か? それなら大歓迎だが」
「いいえ。……一度、城下町を見て回りたいのです」
私の言葉に、カイル陛下の動きが止まった。
「城下町へ? ……あそこは、王宮ほど安全ではないぞ。粗暴な者も多い」
「存じています。ですが、これから私がこの国の食卓を預かる以上、帝国の市場にどんな食材が並んでいるのか、一般の人々が何を食べているのかを知っておきたいのです」
ウィンドウ(ネットスーパー)を使えば、食材は何でも手に入る。
けれど、それでは根本的な解決にはならない。
私が取り寄せた食材だけで賄っているうちは、帝国はずっと「私のスキル」に依存したままだ。もし私に何かあったら、この国はまたドブ色のスープに逆戻りしてしまう。
それは、真の「革命」ではない。
「……それに、たまにはカイル様と二人で、ゆっくりお出かけしてみたいですし」
私が少し上目遣いで付け加えると、カイル陛下はコホンと咳払いをして視線を逸らした。
「……デート、というやつか」
「はい。お忍びデートです」
「……分かった。許可しよう。いや、俺が案内する」
彼は立ち上がり、私の手を取った。
「ただし、絶対に俺の傍を離れるなよ。……俺の大事な伴侶を、誰にも見せるつもりはないからな」
* * *
一時間後。
私たちは平民風の服に着替え、裏門から城下町へと繰り出していた。
カイル陛下は、漆黒の軍服から、シンプルな麻のシャツと革のベストに着替えている。
それだけなのに、隠しきれない高貴なオーラと鍛え抜かれた肉体美が滲み出ていて、すれ違う町娘たちが「あのイケメン、誰?」「凄く強そう……」と振り返っている。
……変装になっていない気がする。
私はというと、動きやすい生成りのワンピースに、目立たないよう三角巾で髪を覆っていた。
腕をカイル様にガッチリと掴まれ(というか抱き寄せられ)、私たちは中央広場の市場へと向かった。
しかし。
到着した市場の光景を見て、私の浮かれた気分は冷水を浴びせられたように冷え込んだ。
「……これは」
市場とは名ばかりの、閑散とした広場。
並んでいる屋台は数えるほどしかなく、そこに置かれている商品は――あまりにもお粗末だった。
しなしなに萎びた葉野菜。
泥だらけで、小石のように小さなジャガイモ。
カビの生えかけた干し肉。
そして、石のように硬そうな黒パン。
「いらっしゃい……。安いよ……」
店番をしている老婆の声にも覇気がない。
買い物に来ている客たちも、皆どこか顔色が悪く、痩せ細っている。
城の兵士たちは筋肉質で屈強だったが、一般市民は明らかに栄養失調気味だ。
「……ひどい」
私は絶句した。
隣国の豊かな市場とは雲泥の差だ。
カイル様が、苦々しげに顔を歪める。
「……これが帝国の現実だ。土地は痩せ、作物は育ちにくい。近隣諸国からの輸入に頼ろうにも、長年の戦争で国交は断絶状態だ。俺が軍事力を強化し、他国を威圧しているのは、そうでもしなければ国民を食わせていけないからだ」
略奪か、餓死か。
この国は、そんなギリギリの選択を迫られ続けてきたのだ。
カイル様が「食事を楽しんだことがない」と言っていた理由が、痛いほど分かった。
その時。
近くの屋台で、子供の泣き声が聞こえた。
「やだぁ! これ食べたくないぃぃ! 土の味がするぅ!」
「こらっ! 我慢おし! これしかないんだから!」
母親らしき女性が、男の子に泥のついた野菜――おそらくカブの一種だろうか――を無理やり食べさせようとしている。
男の子は泣きじゃくりながら、それを吐き出してしまった。
「……美味しくないよぉ……」
その言葉が、私の胸に突き刺さった。
食べることは、生きることだ。
でも、ただ生き延びるためだけに、不味いものを無理やり詰め込むなんて――それは「食事」じゃない。ただの「給油」だ。
(許せない)
私の心の中で、パチンと何かのスイッチが入った。
かつて「無能な美食家」と呼ばれ、食への執着だけで生きてきた私のプライドが、この惨状を看過できないと叫んでいた。
「……カイル様」
「ん?」
「私、決めました。……この国の市場を、ひっくり返します」
私が拳を握りしめて宣言すると、カイル様は驚いたように目を丸くし、それからニヤリと不敵に笑った。
「市場をひっくり返す、か。……軍隊を使って制圧するか?」
「いいえ。もっと平和的で、もっと残酷な方法ですわ」
私はウィンドウを開き、不敵に微笑み返した。
「私の『お取り寄せ』と『現代知識』で――この国の人々に、ほっぺたが落ちるような『本物の野菜』の味を教えてあげるんです」
まずは、あの泣いている男の子からだ。
私はウィンドウから、とっておきの『甘い野菜』を購入した。
革命の始まりだ。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!
新章・革命編、スタートです!




