表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
12/30

第12話 月明かりのバルコニーと、心を溶かす『ロイヤルミルクティー』

 嵐のような騒ぎが過ぎ去り、将軍たちが退室した後。

 執務室には、深海のような静寂が訪れていた。


 窓の外には、冴え冴えとした月が浮かび、帝都の街並みを青白く照らしている。

 祭りの後のような、心地よい疲労感。

 カイル陛下は、革張りのソファに深く体を沈め、天井を仰いで小さく息を吐いた。


「……ようやく静かになったな」


「ふふ、皆様とても賑やかな方たちでしたね。……お疲れではありませんか、カイル様」


 私が声をかけると、彼はゆっくりと首を横に振った。

 その表情は、いつもの厳しい覇王の仮面を外し、どこか無防備な青年の素顔を覗かせている。


「いや……不思議と、悪い気分ではない。今まで、食事の時間といえばただの『栄養補給』であり、無言で済ませる作業だった。あんなふうに笑いながら、味を語り合いながら食卓を囲む日が来るとは……想像もしていなかった」


 彼の言葉には、長い間抱えてきた孤独が滲んでいた。

 皇帝という立場。圧倒的な武力を持つ覇王。

 誰もが彼を恐れ、崇め、あるいは利用しようとする。

 彼にとって「心を許せる場所」など、この広い城のどこにもなかったのかもしれない。


(……私と同じだわ)


 私もまた、公爵家の中で「無能」と疎まれ、誰にも理解されずに生きてきた。

 けれど今、私たちはこうして出会い、美味しいものを共有することで繋がっている。


「カイル様。少し、夜風に当たりませんか?」


「ああ、そうだな」


 私たちはソファを立ち、執務室に続く広いバルコニーへと出た。

 冷ややかな夜風が、火照った頬を優しく撫でていく。

 手すりに寄りかかり、二人並んで月を見上げる。

 言葉はいらない。ただ隣に誰かがいるという体温だけが、心地よかった。


「……少し、肌寒くなってきましたね」


 私が身震いすると、すぐにカイル陛下が自身の漆黒のマントを脱ぎ、私の肩にかけてくれた。

 ふわりと包まれる、彼の体温と、微かな残り香。


「風邪をひくな。……貴様が倒れたら、俺は明日から何を糧に生きればいいか分からん」


「もう。すぐそうやって大袈裟なことをおっしゃるんですから」


 私はクスリと笑い、お礼に「温かい飲み物」を用意することにした。

 こんな静かな夜には、刺激的なコーヒーや甘いジュースではなく、もっと心に染み渡るものがいい。


 私はウィンドウを開き、手鍋と茶葉、そして濃厚な牛乳を取り出した。

 小鍋に少量の水を沸かし、たっぷりの茶葉を投入して煮出す。

 茶葉が開き、芳醇な香りが立ったところで、牛乳を注ぎ入れる。

 

 ふつふつ、と小さな泡が立つ音。

 紅茶の琥珀色と牛乳の白が混ざり合い、優しいベージュ色へと変わっていく。

 仕上げに、蜂蜜をひとさじ垂らし、生姜の薄切りをひとかけら。


「どうぞ。特製の『ジンジャー・ロイヤルミルクティー』です」


 湯気を立てるマグカップを手渡すと、カイル陛下は両手でそれを包み込むように持った。


「……ミルクティーか。貴族の茶会で出るような薄い紅茶とは、色が違うな」


「ええ。牛乳で煮出していますから、とても濃厚でコクがあるんです。蜂蜜と生姜が入っているので、体の芯から温まりますよ」


 彼が一口、そっと口をつける。

 温かい液体が喉を通り、胃袋へと落ちていく。

 その瞬間、彼の強張っていた肩の力が、魔法のように抜けていくのが分かった。


「……ああ、温かい」


 彼は深く、深く息を吐いた。

「甘くて、優しい香りだ。……まるで、冷え切っていた体の中に、小さな灯火が灯ったようだ」


 月明かりの下、白い湯気の向こうで微笑む彼の横顔は、今まで見たどの表情よりも美しく、穏やかだった。


「リリアーヌ」


「はい」


「先ほど、執務室で言ったことは……本気だぞ」


 彼はマグカップから視線を外し、真っ直ぐに私を見た。

 その瞳には、揺るぎない意志と、不器用な誠実さが宿っていた。


「俺は戦うことしか知らん。血と鉄の匂いの中で生きてきた。……だが、貴様が作る料理は、俺に『生きる喜び』を教えてくれた。貴様が隣にいるだけで、この灰色の城が色鮮やかに見えるのだ」


 彼の手が伸び、私の頬をそっと撫でる。

 その指先は、戦人のものとは思えないほど優しかった。


「だから、行かないでくれ。たとえ祖国の連中が何を言ってこようと、俺が全て斬り伏せる。……貴様はただ、俺の傍で笑っていてくれればいい」


 それは、覇王としての命令ではなく、一人の男としての懇願だった。

 私の胸の奥が、熱く締め付けられる。

 ああ、この人は、私が思っていたよりもずっと寂しがり屋で、そしてずっと温かい人なんだ。


 私は彼の手を両手で包み込み、頬を寄せた。


「……はい。どこへも行きません」


 私は誓った。

 この不器用で愛おしい覇王様を、世界一幸せな「食卓」で満たしてあげよう、と。

 もう二度と、彼に冷たいスープや、一人きりの食事なんてさせない。


「貴方の胃袋も、心も、私が責任を持って幸せにしてみせます」


「……ふ。それは頼もしいな」


 カイル陛下が小さく笑い、そしてゆっくりと顔を近づけてきた。

 触れ合う直前、甘いミルクティーの香りがふわりと漂う。

 重ねられた唇は、蜂蜜のように甘く、そしてとても温かかった。


 遠くで夜鷹が鳴いている。

 こうして、波乱に満ちた私たちの一日は、甘く穏やかな口づけと共に幕を閉じた。


 ――ここから始まるのは、帝国での騒がしくも美味しい、幸せな日々の物語だ。


最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!

そして、ここまでお付き合いいただき感謝いたします。

第2章【出会いと決着編】はこれにて完結です!

少しでも良いなと思っていただけたら、

ページ下の【☆☆☆☆☆】から評価いただけると、とても嬉しいです!


次回、第3章スタート!

甘い夜から一転、帝国の抱える「深刻な野菜不足」と、リリアーヌによる「城下町グルメ改革」が始まります。

お楽しみに!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ