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第10話 断罪と、覇王の所有宣言

「……リリアーヌ! 迎えに来てやったぞ!」


 衛兵に取り押さえられ、床に這いつくばったまま、セドリック殿下――いえ、この薄汚れた男は叫んだ。

 執務室の空気が凍りついている。

 カイル陛下は私を背にかばうように立ち、紅い瞳で侵入者を冷酷に見下ろしている。


「貴様、何者だ。帝国の城に土足で踏み込むとは、命が惜しくないらしい」


 覇王の放つ圧倒的な殺気に、セドリックはヒィッと情けない声を上げて縮こまった。

 しかし、彼の視線はカイル陛下ではなく、テーブルに残されたカレーの空き皿に釘付けだ。


「あぁ、いい匂いだ……! リリアーヌ、貴様、こんなところで何を作っている! その茶色いソースを私にも寄越せ!」


 彼は涎を垂らしながら、這いつくばって近づこうとする。

 その姿は、かつて私を「不快だ」と罵り、夜会で婚約破棄を宣言した傲慢な王子の面影など微塵もない。ただの飢えた獣だ。


「……あら? どこの浮浪者かと思えば、セドリック殿下ではありませんか」


 私が冷ややかに声をかけると、彼はギョロリと私を見た。


「浮浪者だと!? 不敬な! 私は王太子だぞ! ……ええい、そんなことはどうでもいい! 今すぐ国へ戻れ! 私のために料理を作れ!」


 謝罪ではない。命令だ。

 相変わらずの思考回路に、私は呆れを通り越して乾いた笑いが出た。


「なぜ、私が戻らねばなりませんの?」


「決まっているだろう! 王宮の食事が酷いことになっているんだ! 料理長は腐った野菜しか出してこないし、エレナの『祈り』は味を甘くするだけで、腹が痛くなる! あの腐った甘いスープと石のようなパンは、もうこりごりなんだよ!」


 彼は自ら暴露した。

 エレナ様の力が万能ではなく、私の懸念が正しかったことを。


「……自業自得ですわね。貴方様がおっしゃったではありませんか。『無能な美食家』は不要だと」


「くっ……! だから迎えに来てやったと言っているだろう! 今なら特別に許してやる。公爵令嬢の地位も戻してやろう。だから――」


「お断りします」


 私は彼の言葉を遮り、きっぱりと告げた。


「私は今、世界一味覚の優れた、尊敬すべきお方のために料理を作っておりますので」


 私は背前に立つカイル陛下の広い背中を見つめた。

 セドリックは信じられないものを見るように口を開けた。


「なっ……!? まさか私より、その野蛮な国の男を選ぼうというのか!?」


 その瞬間。

 室内温度が氷点下まで下がったかのような、鋭利な殺気が空間を支配した。


「……おい、ドブネズミ」


 カイル陛下が一歩、前に出た。

 その手にはスプーンではなく、抜き身の魔剣が握られている。刀身が赤く脈打ち、低い唸り声を上げている。


「ひぃっ……!?」


「俺の至宝リリアーヌに、その汚い口で気安く話しかけるな。……それと、俺のカレーの残り香を嗅ぐことすら、貴様には許さん」


 覇王の威圧感に、セドリックは腰を抜かし、床に水たまりを作った(失禁したようだ)。

 カイル陛下は、汚物を見るような目で彼を見下ろす。


「彼女を『無能』と呼び、追放したのは貴様だ。その結果、貴様の国は飢え、私の国は満たされた」


 カイル陛下は魔剣の切っ先を、セドリックの鼻先に突きつけた。


「感謝するぞ、愚か者。おかげで私は、最高の『伴侶』を手に入れたのだからな」


「は、伴侶……だと……?」

「えっ」


 セドリックだけでなく、私の心臓も跳ねた。

 伴侶? 今、さらっとすごいことを言いませんでしたか、陛下?


「衛兵! この薄汚い男をつまみ出せ。国境の外へ捨ててこい。二度と帝国の敷居を跨がせるな!」


「はっ!」


 屈強な衛兵たちが、セドリックの両脇を抱えて引きずっていく。


「ま、待ってくれ! リリアーヌ! せめて一口! そのカレーの皿を一口だけ舐めさせてくれぇぇぇ!!」


 情けない悲鳴が遠ざかっていく。

 私は最後の一瞥をくれ、静かにため息をついた。

 ……胸がすくような思いはなかった。ただ、哀れだった。


 嵐が去った後、静寂が戻った部屋で、カイル陛下が魔剣を納め、私に向き直った。

 その紅い瞳が、熱っぽく私を捉える。


「……興が削がれたな。リリアーヌ、大丈夫か?」


「ええ、平気ですわ。ただの害虫が迷い込んだだけですから」


 私が気丈に微笑むと、彼は不意に真剣な表情で、私の両肩を掴んだ。


「リリアーヌ。先ほどの言葉は、彼奴を追い払うための方便ではないぞ」


「……え?」


「伴侶だ。……私はもう、貴様の料理以外で生きていける気がしない。いや、貴様がいない食卓など、味気なくて耐えられん」


 彼は私の手を、熱い掌で包み込んだ。

 その瞳には、戦場での冷酷さはなく、燃えるような情熱と、少しの不器用な照れくささが揺れている。


「貴様を、ガルア帝国の皇后として迎える。……この国の全ての食材と、私の全ての愛を貴様に捧げよう。だから――」


 彼は少し顔を赤らめて、こう続けた。


「――毎日、俺に『あーん』をしてくれないか?」


 私は驚きに目を丸くし、それから吹き出してしまった。

 冷徹な覇王様が、プロポーズの言葉に、まさかそんな可愛いお願いをしてくるなんて。

 でも、その不器用な愛が、何よりも「美味しい」と感じてしまったのだから仕方がない。


「ふふ、仕方がありませんね。……はい、カイル様。喜んでお引き受けいたしますわ」


 こうして、無能と呼ばれて追放された美食家は、隣国で最も愛される皇后となる未来が確定したのだった。


最後までお読みいただき、本当にありがとうございます!

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