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悠久レムニスケート(仮  作者: やまだうめた
魔女の国と少年
3/6

一人の少年 2

 寮や教室などよりもやや高い天井の洞窟内に、職人街はあった。鍛冶場や炊事場、仕入れた素材の加工やポーション精製所等が街さながらに建てられており、火を扱う所は外に面した場所に配置され、煙を排出するための煙突が外へ飛び出ている。居住区内よりも圧倒的な物量であるにも関わらず、湿気や息苦しさなど感じない。

 促されるままやってきた新人2人は、行き来する人の多さに圧倒されるのも一瞬で、物珍しさに辺りを見回しながら歩き始めた。固い金属の触れ合う音や打ち鳴らす金槌の甲高い音、笑い声に話し声、騒がしさから首都を思い出す。

 洞窟の天井や壁の所々に【発光石】という刺激を与えると光る石の大きな原石が埋まっており、そのままの状態で研磨されているため光が拡散されとても明るい。軒先に大量にぶら下がる手のひら大の不思議な発光物、天井と壁に貼り付いている見たことのない青白い苔、嗅いだことのないひりひりした匂い――興味を惹かれるものばかりである。

 その一角に食堂はあった。

 他の建物より縦も横も広く取られており、湾曲した骨組みが石壁にめり込むような形で建築されている。1階部分の壁はほぼなく、太く立派な柱が支える間に長テーブルが置かれ、食事をとれるようになっていた。2階席は1階とは違いきちんと壁が貼られているため、外側から中を覗くことはできない。店先にも大きなテーブル席が並んでおり、大変混みあっている。


「ここの奥だ。列にならんで、カウンターの所まで来たら木のトレーが積んであるからそれを一枚とる。そんで給仕してもらうだけ」

「すごい……!とても広いですね!」

「一応2階もあるんだが、あっちはお偉いさんとか隊長クラスの方々が食事をとる場所だから絶対行くなよ。俺たちが食事をとる場所はここ1階と外だ」


 3人は流れに沿うように奥へと進んでいった。むき出しの木の梁に発光石の欠片が大量に詰まったランプをぶら下げているため店内は明るい。

 何人かの料理人が調理を終えた大鍋や寸胴をカウンター近くに運び出来立てを木の器に盛りつけ、トレーを手に持ち並ぶ男たちへ片っ端から乗せていた。

 食事の内容はほぼ一緒だが、騎士と訓練生は同じ列に並ばない。カウンターに並ぶ列の内5列が騎士、2列が見習い騎士で1列が訓練生だ。そのため騎士は並んでも比較的すぐに食事へとありつけるが、訓練生はタイミングを間違えると非常に長い時間待たされることになる。

 案の定、少し話し込んでいたせいで長蛇となっていた。最後尾へたどり着いたジーコは内心天を仰いだが、背後に並ぶ新入生の1人はそうではないらしい。


「正直、ここの食事をすごく楽しみにしていたんです」

「ほう?そりゃまたなんで?」

「何か変わった食材とか出るの?」

「ちがうよ。ジーコさんはご存じありませんか?ファビリオさんという方」

「ふぁびりお?誰?」

「数年前ここへ配属になったという噂の、元宮廷料理人の方です」


 5年前のことだった。ポッコルの実家は酒場であるが、酒の肴に提供される食事の人気が高く、下町であるというのに貴族がお忍びでやってくるほど繁盛していたため、社交界の噂話も耳にすることが多かった。その中でもとりわけ興味深い、とある料理人の噂。


 ”料理の総本山で修業を積んだ若き宮廷料理人が、アドネル騎士団の大衆食堂へ志願したらしい”


 宮廷料理人とは、王に認められた者だけが与えられる栄誉。召し抱えられようものなら一族安泰と言われるほど王より寵愛を賜るためお祭り騒ぎとなる。

 王の食事は権力者といえど滅多に口にすることが出来ないため、王族が視察時に下町の料理を口にしただけでとんでもない経済効果となる。故にいつも王の為に食事を作っている宮廷料理人の料理は、とんでもない価値が見出されてしまうのだ。

 それは人生でたった一度、口にできるかどうかと言われるほどに、普通に暮らしている人間にとっては夢のまた夢の食事である。

 

「それが、騎士を目指すだけで食べられるんですよ!?貴族様ですら味わえない美味を!信じられない程の好待遇じゃないですか!」

「わ、わかったから少し落ち着け」


 のけぞるジーコは傍観しているウェイトへ顔を寄せやや声を潜めて尋ねる。


「酒場の息子ってこんなに食に対してうるさいものなのか?」

「それは多分、こいつの好奇心が強いからだと思います」

「ちがいます、これは愛国心からくる知識欲です。だって王が愛した味を知ることが出来れば、もっとおいしいメニューが思い浮かぶかもしれないじゃないですか、それを実家の酒場に持ち帰ることができたらと考えているだけです」

「そんなに実家を思うなら跡を継ぐことも出来たんじゃないか?」

「僕は壊滅的に料理が下手なんです」

「王都からここへ来るまでの間、野宿する時に騎士から『酒場の息子なら料理位作れるだろう』とポッコルに食事を任せたことがあったんです。……本当に嘘偽りなく、壊滅的でした」

「そんなに……!?」


 神妙な面持ちで告白するウェイトの言葉を聞いて、一体何を作ったのか、それはどんなものだったのか興味を引かれたが、問うのはやめた。それよりも別の疑問を口にする。


「ならお前は、料理が下手だから騎士になろうと思ったのか?」

「えっ、なぜですか?」

「実家が太い奴はそのまま家業を継ぐことが多い。今は世界的に平和だと言われているが、他国との戦争は無くとも魔物との戦いは毎日あちこちで起こってる。最悪命を落とすかもしれない場所へなぜ来た?」


 ポッコルから、それまでの楽しい雰囲気が掻き消える。

 思い出すように一度目を伏せると、しっかりとジーコを見据えた。


「3年前、王都が魔物に襲われたからです」


 ジーコの中で3年前の記憶がフラッシュバックする。それは午前の座学中に突然鳴り響いた鐘の音から始まった。

 訓練生全員、教官に連れられ待機場へ向かい、団長より「騎士団領内にいる残りの騎士達と共にこの地の守備を固めよ」という命を受けた。自分たちは見習いにもなれていないため、後方支援を任される。突然のことで動揺する訓練生達を一喝し、現在王都が魔物による大規模攻撃を受けていること、ここから王都へ騎士達が応援に向かっていることを伝えられた。

 何より驚いたのは、魔物が群を成して王都を襲っている、ということだった。魔物は本来干渉しあうのを嫌うため、それぞれ縄張り内で活動している、と伝えられている。しかし王都を襲った魔物は多種多様であるにも関わらず、街を破壊しながら乗り込んできたという。


「突然魔物がやってきたあの日、自分たちがどれだけ平和で安全な世界で生きていたのか、それを守ってくれていたのはどういう方々だったのかようやくわかったんです」


 彼の言葉には重みがあった。瞳に恐れをにじませている。


「建物が崩落して火の手も上がって、逃げる方向すら分からなくなるほど街中はパニックでした。店は逃げ込んできた町の人であふれかえってしまって……逆に魔物の目を引いてしまったんです」


 ポッコルはその時の光景を今でも思い出す。悲鳴と魔物の咆哮、建物が倒壊しガラスが割れ、上がる火の手は次々と別の物質を飲み込んでいく。逃げまどい助けを求める人々が酒場へ集まってきてしまう。そうして魔物に見つかった。

 少し早めの昼食を食べに来ていた年寄りや子連れがほとんどだった。料理人を務める祖父母は鉄鍋にお玉をもって客の前に立つ。父と母はそんな2人と子を守るため更に前へ。黒い猛禽類のようなシルエットの、おぞましい何かは長い鉤爪で石畳を抉りながら近づいてくる。もうだめだと思った。

 体が動いたのは自分の意志ではない。しかし気づけば、店の中に飾られていたなまくら剣片手に酒場から飛び出していた。構えたこともないくせに剣を構え、裏の勝手口から逃げるように叫んだ。両親の叫ぶ声、弟達の悲鳴、そして、カチカチと小さく聞こえる自分の歯が嚙み合わさる音。少しでも時間稼ぎが出来れば。自分がおとりになって皆を逃がすことが出来れば。考えが同時に脳内を駆け巡り思考を支配する。一度目の攻撃は運よくかわすことが出来た。酒場よりなるべく離れた場所へ向かおうと起き上がるより早く、2度目の攻撃がきた。避け切れないと瞬時に悟った。初めて死を意識した。その時、目の前に一人の騎士が降り立ったのだった。


「彼はたった1人で魔物に立ち向かい、戦ってくれました。僕をかばい守りながら傷も負わずに魔物を倒してしまって、……その姿が今でも目に焼き付いてます」


 騎士は集団で戦うものだ。なぜなら生存率が格段に上がるからである。しかし彼の戦い方は騎士の戦い方とは似ても似つかない、孤独なワルツを踊っているような優美な恐ろしさを兼ね備えていた。その後何人かの騎士が合流し避難場所まで誘導してくれたと続けるポッコルの言葉を聞いて、ジーコは当時訓練生たちの間でまことしやかに噂された一つの話を思い出す。

 王都の近衛騎士は魔物の急襲で統率が取れず救助も遅れていた。それを救ったのは、騎馬の隊列移動を無視し全速力で駆け付けた5人の騎士。生き残っている騎士をまとめ上げ、避難場所の確保と避難誘導、魔物の討伐を同時にやってのけたという。そんな芸当が出来る騎士は極一部しかいない。


「弟2人抱えて走る僕の他にも、曾祖父母を背負って走る父や祖父母を支える母、お客として来てたお年寄りや近所の妊婦さんや母子もいたから、本当に絶え間なく狙われ続けたんです。けど号令で隊列を変え守ってくれる騎士達と、一人戦い続ける彼のおかげで、全員無傷で避難所までたどり着くことが出来ました。……ろくにお礼も言えないまま、彼はまた火の手の上がる街中へ戻っていってしまったんでそれきりですが本当に凄かった」


 15歳の青少年は、既に決意しここへやってきた男だった。

 瞳にはしっかりと彼の意志が宿っている。


「戦ったことのない僕が出来ることは少ないかもしれないけど、それでも、彼のように守れる男になりたくて来ました」


 ジーコはポッコルがまぶしかった。自分とは違う覚悟が彼にはある。思わず聞き入ってしまっていたため少し空いた前との距離を詰めながら、短く「そうか」と応えた。片手で軽く鼻下を擦り前を向く。


「俺も、多分同じ騎士の方に助けてもらったんです。手足が長くてあんまり街では見たことない甲冑を着てて、細長い剣をしならせながら次々と魔物を倒していく姿は圧巻でしたよ!」

「僕らを引率してくれた騎士にも同じ話をした時に、それはラバヤンシュの騎士だと教えてもらったんです」


 ラバヤンシュは騎士が憧れるほどの強さを誇り、己を極限まで鍛え上げた者たちが行き着く場所でもある。そこへ所属する人間だというのならこの話に出てくる騎士の強さも納得することができた。


「会いたいのか?」

「そうですね、いつかあの日のお礼をきちんとお伝えしたいです」

「会えるかもしれないぞ」

「え!?」


 騎士の列を目で示す。甲冑着用の者とラフな服装の者が半々くらい並んでおり、同じ甲冑を着ている者の割合が多いが、一部そうではない者も混じっている。

 詳しく話を聞きたかった2人だが、とうとうカウンターまでたどり着いた。ジーコは木のトレーを手にするとボウル皿とパンを置かれすぐさま列からはけていく。残された2人もそれを見習い彼の後に続いた。ポッコルは配膳してくれた料理人へ何事か言いたそうに一度顔を上げたが、後ろからの圧にそれを断念し2人の後を追う。

 食堂内は混みあっていたが、幸い端の方に空きが出来たためそちらに落ち着いた。

 長テーブルの上に木のスプーンが大量に入った食器立てが置かれており、ジーコにならって2人も手に取り食事を始める。あつあつ出来立てのスープをさますウェイトの横でポッコルは一口食べて震えだした。

 具沢山のスープは、今まで味わってきたどのスープよりも濃厚で美味かった。よく見ると旬ではない野菜が入っており、一体どうやって保存されてきたのか分からないが、腐った野菜特有の匂いもなく、噛めば噛むほど甘味とうま味が放出されスープとよく馴染む。そしてごろごろの肉。こんがりと焼かれてからスープに入れられたのだろう、閉じ込められている肉のうまみが染み出し一体感が増している。スパイスの味わいが更に複雑化され舌の上を刺激した。むっちりとした固めのパンをちぎってスープに浸すと、また違った味わい深さが引き出されていて食べる手が止まらない。祖父母の料理が街一番だと思っていたポッコルは、ただただ一口の情報量に圧倒された。

 夢中で食べ進めているポッコルに代わりウェイトが「あの、会えるかもしれないというのは?」とようやく話の続きを促す。


「鎧が違う騎士がいるだろ?あれは現在滞在中の別の騎士団の方々だ。あの軽装型はカホールタハシュ、個性的なのがラバヤンシュ」

「助けてくれた騎士ともまた違った鎧ですね」

「アドネルやカホールタハシュはみんな同じ鎧なのに」

「彼らは強者の中の強者だ。ラバヤンシュに属する者は皆、自分の体と力に見合うよう武器と鎧の特別加工許可がおりている、って話だ。そんでもってこの食堂には居住区内全ての人間が集まってくる。ここしか食糧配給してないからな」

「そもそもどうして別の騎士団の方々がここに?」

「アドネルはラバヤンシュとカホールタハシュから受けた報告を全部まとめて、月に一度国王へ申告するんだ。班から分隊規模で報告と休息を取りにくるみたいで、暫く滞在するんだよ。つまり?」


突然の振りに面食らうウェイトだったが、あっ、と短く声を上げた。


「またあの騎士が、ここへ報告に来るかもしれない?」

「正解!」


大げさな身振りで祝福され、照れくさそうにそばかすだらけの鼻筋を指で掻く。


「座学が終わってからすぐ廊下が混み合ってるのは、みんなここへ来るためだ。午後の訓練はきついから、食休めの時間を確保するためってのももちろんあるが、ここで食事をとる騎士とのコネクション作りのため、ってのが主な理由なんじゃないかな」

「なるほど……」


 説得力があると感じたのは、実際に食堂内を見渡した時いくつか訓練生と騎士が同じテーブルにつき会話している姿が目に付いたからだ。それも上級生が圧倒的で、隣には新品のように真新しい甲冑を身に着けた騎士が年配の騎士へ会話を繋いでいる。訓練生でいる間に上級生と仲良くしておくことも必要なことらしいと2人は理解した。


「だから本人を見つけるのはなかなか難しいかもしれないが、助けてくれた騎士を知ってる人なら見つけられるかもしれん。もちろんここへ滞在する目的は報告と体を休めることだから、あまり邪魔にならないようにな。手短に、丁寧に、敬意を払えば大体は話を聞いてくれる、と思う」

「ありがとうございますジーコ先輩、すごくためになりました」

「いや、そんなに改まらなくてもいいって……」

「なにがありがとうって?」


 いつのまにかアデルがジーコの隣に座っていた。えっ!?と小さな声で驚くウェイトは隣で椅子を引かれる気配に反射的に顔を向ける。フレデリックが丁度腰かけるところだった。発光石の光が彼の髪を更に輝かせ非常にまぶしい。


「少しここの案内をしてやっただけだ」

「相変わらずお前は面倒見がいいな。……先ほどは挨拶もなしに突っかかって悪かった。おれはアデル。そっちの金髪はフレデリックだ」


 唐突にかしこまった挨拶をされ「よろしくおねがいします!」と背筋を伸ばして応える2人に、フレデリックは柔らかく微笑んでいる。この人は絶対に女にモテるだろうとえもいわれぬ感情が胸の内に巣食いはじめていたが、ジーコの咳払いで我に返り、2人も改めて自己紹介を始めた。

 ウェイトは王都出身、商家の3男坊であること、ポッコルも同じく王都出身の平民で下町の大衆酒場の嫡男であることを伝え、3年前の王都襲撃から騎士を目指し始めたことを簡潔に話した。

 アデルは子どもの見た目ながらもどっしりと構え、2人が話をしている間は食事に手を付けず静かに聞き入ってくれていた。話し終わるとそれぞれにしっかりと目を合わせ、力強くうなずく。


「よろしくな。王都を守るための騎士になりたいってことなのか?」

「王都もそうですけど、人の住んでいる場所が魔物に襲われないようにしたいと思い来ました」

「戦ったことのない僕らが本当になれるかどうかもわかんないですけど」


 腑抜けた顔で頭を掻くウェイトの隣でポッコルも肩を落とし小さく頷く。このアドネル訓練所の厳しさは有名で、おそらく王都でもその噂話を耳にしたことがあるのだろう。一体どんな話を聞いたのかは分からないが、少なからず真実も混じっている中で断言できるほどの自信が彼らにはまだなかった。


「……なぜ新入生の受け入れが冬限定なのか知っているか?」


 少し考える素振りを見せたアデルから出た突拍子もない質問に面食らいつつ、ポッコルがおずおずと手を上げる。


「昔からの習わしで…という話を聞きましたが」

「その風習が生まれたのは、初代騎士団長ヨルの時代からなんだ。昔も今もここは変わらず豪雪地帯で、冬の一番厳しい時期に新入生を受け入れるのは、ここへ来るまでの険しい道のりで己の中の覚悟を見定めるためらしい。帰りたいと言えばすぐ帰らせることができると、出立時に言われなかったか?」

「た、確かに言われました……!」


 王都出発の訓練生は自分たち以外にも何十人とおり、事前に知らされた集合場所で引率する騎士よりその話を受けた。「道中少しでも無理だと思ったものはすぐ自分か見習いの騎士へ申し出るように!」と笑顔で告げられ、ヒュド山脈入口へ差し掛かったあたりから帰りたいと申し出る者が何人か出た時も、見習いと別の騎士が引率し王都へ引き返す姿を見て、騎士とはなんて優しいんだと心が震えた覚えがある。だがそれは単なる優しさだけではなかったということらしい。

 驚いた声を上げるウェイトにそうだろう、とまた頷く。


「騎士とは集団で戦うものだ。自分たちが生き残る確率を増やすためでもあるが、もともと騎士は魔女を守るために作られたもの。それ故に一人でも戦いを乱す者がいると、そこから突き崩されて守るべき魔女を危険に晒すことになる。どんな窮地に立たされようとも引くことは許されない。”騎士になる”とはそういうことだと、文献にも残っているくらいだ」


 ジーコは驚いた顔をしてアデルを見た。フレデリックの表情に変化はないが、食べ進めていた手を止めてアデルの話に耳を傾けている。


「ここまでたどり着いてる時点で、ちゃんと覚悟を持った人間だ。必ず騎士になれるさ」


 戦う術はここにいれば教官から嫌でも叩き込まれるからな!

 あまりにも屈託ない少年らしい笑顔を向けられるものだから、どう返事をしたらいいのか分からない。今日知り合ったばかりの相手に、なぜそこまで言ってくれるのだろうと2人はどこか不思議な気持ちでアデルを見つめた。街中で暮らしていた時は人の言葉の裏を読むことが習慣づいていた2人にとって、裏表のないまっすぐな彼の言葉がひどく心に響いてしまう。


「ところでポッコル、アデルなら知ってるかもしれないぞ。何年か前に来たっていう宮廷料理人のこと」

「ファビリオさんのことか?」

「えっごっ……ご存じなんですか!?どなたです?調理場にいますか?やはりここの料理は全てファビリオさんのレシピなんでしょうか!?」


 動揺のあまり前のめりになっている勢いに押され、被害に合わぬよう皿を持ち上げ身を引くウェイトと、少し驚いたようにポッコルの変化を眺めるフレデリック。「なんだどうした!?」と突然の変化に目を見張るアデルへ、ジーコは先ほど聞いた話を伝えた。「聞く暇がなくて……」とばつの悪そうな顔で答えるポッコルの様子に逡巡する。


「そうだな、ファビリオさんは毎日調理場に立ってるから、何か聞きたいことがあれば夕食後がいいだろう。おれの時は大体それくらいの時間帯がいいと言われたから」

「アデル先輩もファビリオさんと話を?」

「まぁ……入所当時色々な兼ね合いもあってな。そもそもお前は何を知りたいんだ?」

「……正直先ほどまでは、元宮廷料理人でこのような過酷な場所へ自ら志願する料理人とは一体どんな方なのか、っていうただの好奇心しかありませんでした。でも今は、……このスープの食材についてお伺いしたいです」


 深いスープボウルを両手でもち覗き込む。夢中で食べ進めたせいでもうほとんど無くなってしまった。底に溜まる残り少ないスープにパンを浸すと、かためのパンがゆっくりと汁気を吸い上げ柔らかくなっていく。フレデリックの瞳がきらりと光った。


「もしかして君、スープの中に夏野菜が入っている事に気づいた?」

「そ、そうです!他にも食べ馴染みのある食材が多いですが、なんだかすごく、味が……濃いというか」

「酒場の息子って舌が肥えてるんだね」


 初めてフレデリックの笑顔を真正面から受けたポッコルは目を見開いた。男も見惚れる男がこの世にはいるのだと、15歳にして彼は学んだ。そして次の瞬間には、えもいわれぬ劣等感と羨望が胸中を渦巻く。褒められているという認識はしているのだが、お礼を告げようと口を開いたのに舌が動かない。ウェイトは友人の惚けた顔を見て慌てて太ももを抓る。痛みで我に返るポッコルが小さく跳ね、手短に礼を述べた。アデルは気にする様子もなく話を続ける。


「おれもファビリオさんの料理を食べて、今まで味わったことのない野菜のうま味や深みを感じて聞いてみたんだ。加工された食べ物ももちろんあるが、保存方法が関係している、という話をしてくれた」

「そのお話ぜひ聞きたいです!」


 身を乗り出すポッコルとウェイトだったが、「食べながらでもいいか?」という短い断りを入れられて、自分達の無遠慮さに恥じ入る。突然かしこまり萎縮しはじめる様子を見てははは!と豪快に笑うアデルは非常に楽しそうであった。

 食事を終えたジーコはいつのまにか席を立ち飲み物を運んできてくれていた。ジョッキ樽に並々と入れられている水を差し「今日は新入生いるから果実水だってさ」と告げる。2人がそれを受け取ると改めて聞く姿勢に入ったので、ゆっくりと話始めた。


「この土地は、狩猟は活発だが家畜や野菜を育てることに向いていないから、王都や農家から直接食材を仕入れなければならない。しかし冬の間は猛吹雪と豪雪でどうしても危険が伴ってしまう。馬橇(ばそり)に乗せて運ぶにしても、領内すべての人間の腹を満たすだけの食料を雪の降る中運び込むのは難しい。よって昔の人々は雪が降る前に大量に食材を仕入れ、チャチャ岩石群の一つを丸ごと雪室にすることで長期保存を可能にしてたんだ。けど何百年も使い続けているうちにカビるようになってしまって、最近まで使えてなかった。それを使えるようにしたのがファビリオさんなんだ」


 雪室とは、端的に言うと自然の冷蔵庫だ。保存方法も時代によって変わっていっているが、伝え聞いたものは壁一面に雪を張り付けるように積み上げて、洞窟の中にかまくらを作る形で保存していた、というものがある。だが何代目かの団長の時にカビが発生して以来、長らく食品の保存は別の場所で行われていた。巨大な岩石をまるまる雪室にしていたおかげで大量の食料を備蓄することができていたのに対し、付け焼刃の備蓄庫では当然足りない。買い付けに行けるような天気の時は大急ぎで馬橇を引き街へと向かうのだが、戻る頃には猛吹雪で足止めを何日も食らう、ということも多かったらしい。それ故にこのアドネル騎士団の越冬は非常に過酷なものだった。

 それを元宮廷料理人がやってくると、すぐさま問題点を見抜き、団長に進言したのだという。フレデリックは「突然領内の一角から煙が上がったのを見て敵襲かと驚いた」と笑った。

 残っていた雪を全て掻き出し岩の中を燻し、所々凍結していた部分も溶かした後もろい部分や問題の部分を削り取り、空気を循環出来るよう確認を行った。直接雪の中に埋め込んで保存した方がうま味の増すものは、改めて積もった綺麗な雪だけを運び込み、巨大な洞窟内の半分を雪山にしてその中に埋めた。食物に合った保存配置をすることで更なる長期保存を可能にし、カビや凍結による痛みを解決することが出来たという。

 そして雪室に入るときは靴の上に藁を履かせるよう徹底させ、室内を清潔に保つため出入りできる人間の制限を設けた。このアドネルでは許可のない者が雪室を開けつまみ食いや食品泥棒をすると懲罰行きとなる。


「他にも工夫を凝らすことでひもじい思いをせず冬を越せるようになった、という話だ。俺たちは丁度ファビリオさんと同じ時期にここへ来たんだが、本当に感謝しかないよ。あたたかい食事を腹いっぱい食べられることの幸運を、忘れてはいけない」


 まるで自分に言い聞かせるような言葉だと思った。同時に、彼が今まで経験してきた複雑な事情を鑑みることが出来たような気がしてしまった。

 「気になる部分は解決したか?」とこちらへさりげなく質問を投げかけてくれる小さな気遣いも、彼の人間性が現れているようだと思った。本当に見た目に騙されてはいけない。ジーコが言っていた言葉の意味を理解できた2人は深々と頭を下げる。


「ご教授頂きありがとうございました、凄く分かりやすかったです」

「大体は伝えられていると思うが、細かい部分は直接聞いてみるといい。料理に関する事なら聞くのも話すのも好きな人だから」

「アデル先輩、もしかして会話の内容ほとんど覚えてらっしゃるんですか?」

「大まかな部分を覚えてるだけだ、普通だよ」

「いやいや、普通だったらもっとざっくりした内容になると思いますよ!」

「確かにアデルって記憶力いいよな」

「単純に賢いんだろ」

「だから早い段階で入団模擬試験クリアすることが出来たんですね!」

「なんで知ってるんだ?」


 何気なしに呟いたフレデリックの一言に、得心がいったとウェイトは手を叩く。

 驚いたアデルは素直に問うも、視界の端でジーコがゆっくりと顔を反らしたことに気づくと溜息を吐き、少々照れくさそうな顔をして答えた。


「あれはまぁ、座学と多少の経験が活きただけだ。それに一番知っておきたい記憶の部分は今でも分からないままだしな」


 しん、と静まり返る面々を気にすることなく豪快に笑うアデルだったが、流石になんと声をかけていいか分からずあたふたしている新入生を代弁し「笑えねーよ」とジーコはこぼした。

 フレデリックはわざとらしくため息を吐きながら悩まし気に額へ指を添える。少しキザたらしく見える仕草も嫌味なく見えてしまうのは彼の相貌のおかげだろう。


「アデルのジョークは昔からズレてる」

「うるさいな。でもまぁ、記憶以外にも知らないことはまだまだ沢山あるというのも本当だ。お前たちは深淵の魔女と騎士の物語を知っているか?」


 動揺していた2人は落ち着くためにジーコが持ってきてくれた果実水を一口飲んだ。爽やかな果実の香りと冷たい水が目論見通りの働きをしてくれる。おかげで問われた内容にすぐさま反応することが出来た。


「もちろんですよ!」

「うちに絵本もありますよ、この国の子どもはみんな深淵の魔女と騎士の絵本を読んで育つって言われる位にはみんな知ってます!」

「俺は知らないんだ」


 たとえ読んでもらっていたとしても、その頃の記憶が無いのであれば無理もない話である。まるく見開いた4つの瞳は若く素直な感情をアデルへと向けた。


「当たり前の常識のなかにこの深淵の魔女と騎士の物語があるだろう?一応訓練所にも図書室なるものがあるんだが、童話というか、絵本等はおいてないんだ」


 だからずっとよく分からなくてな。あっけらかんと言われフレデリックは不満そうだ。「言ってくれたら教えたのに」とつぶやく声はどこか拗ねているようで、なんとなくこの2人の距離感が分かり始めてきたウェイトは「親しい中だと逆に聞けなくなったりってありますよね」とフォローする。


「だからお前たちの知っている深淵の魔女と騎士のはなし、俺に聞かせてほしい」

「……わかりました、それじゃあウェイトと2人で」


 一瞬言葉に詰まる素振りを見せたウェイトだったが、アデルの表情を見て拒否は出来なかった。

 2人は身振り手振りを交えながら、方や幼少期を、方や弟達への寝物語を脳内へと蘇らせていく。

 それは長い間語り継がれてきた、黒い魔女装束に身を包み、真っ黒で大きな鍔広とんがり帽子を被った美しい白銀の髪を持つ魔女と、白金の甲冑に身を包み黄金の髪を持つ博愛と正義の心を宿した王国騎士の物語。


゛昔々のお話です。

 彼女は原始の魔女の一番弟子。

 魔法の力も強く、大きな魔物を一人で倒してしまうほどでしたが、人間が嫌いです。

 「近づくな人間ども!はやく滅んでしまえ!」

 他の魔女達は人間に友好的だったため、小さな村や町を魔物の脅威から守りにきてくれていました。

 でもこの魔女は、とっても強いのに、人間を守ってはくれません。

 ある夜、彼女のもとへ、一人の『騎士』がやってきました。

 「魔物がたくさん攻めてきます。どうか人間をお守りください」

 断り続ける魔女に、騎士があまりにも食い下がるので、ひとつの条件をだしました。

 「ミコレットという花を摘んできてくれ。そうすればお前の望む街を一つ守ってやろう」

 それはスノー王国で一番険しく高い山に住む、とってもこわいおばけが守っているという幻の花。

 魔女は、騎士が絶対に達成できない願いを口にしたのです。

 「必ずあなたへ届けましょう」

 しかしいくつかの朝と夜が過ぎた頃、騎士は本当に魔女のもとへ、ミコレットの花を届けにやって来ました。

 もう2度と会うことはないと思っていた魔女は騎士の勇気と、人々を守りたいという心を称え、彼の願いを叶えることにしました。

 星の降る夜、闇にまぎれた魔物たちがお城を目指しやってきました。

 しかし魔女の強力な魔法で一網打尽です。

 何度も何度も、魔女は約束を守り、そして騎士は彼女に感謝を伝えます。

 いつしか魔女は、騎士のことを愛するようになり、騎士もまた、魔女を愛するようになりました。

 しかし幸せな日々は、長くは続きませんでした。

 沢山の魔物を倒したことで、魔王がやってきてこう言いました。

 「人類はここから終焉を迎える!」

 他国の戦士と騎士、魔女は結託し、人々を守るため戦いました。

 魔王の力は圧倒的で、沢山の命が潰えました。

 残る魔女は、王都を守る原始の魔女の一番弟子ただひとり。

 騎士や戦士も、王都に残っている僅かしかいません。

 人々を守るために彼女は戦いました。いくつもの夜を超え、ついに魔女の力が尽きた時、魔王の手からおそろしい色をした光の柱が放たれました。

 禍々しい光の柱が魔女の目の前までやってきた、その時。

 愛する騎士が魔女を守るためにその身を犠牲にしたのです。

 その瞬間、魔女は不思議な光に包まれました。

 愛した騎士の力が宿った魔女は、遂に魔王を封印することができました。

 人間嫌いの強い魔女は、騎士と紡いだ愛の力により、愛の深淵を覗いた魔女として人類を守ってくれたのです。

 めでたしめでたし。゛


 即興朗読劇は初めてにしては上出来で、つたないながらも役になりきり盛り上げようとしてくる姿は非常に微笑ましい。

 アデルは小さな手を叩いて2人を称えた。ジーコも「いやー懐かし」と感想を述べている。


「こんな感じで大丈夫でしたか?」

「大丈夫だろ、合ってるよ。こんな内容だったなーって懐かしくなったわ」

「ありがとう、聞かせてくれて。……深淵の魔女って、愛の深淵をのぞいたからそう呼ばれるようになったんだな」

「一応絵本にはそうやって書いてありましたけど、時代によってこの最後の部分が変わるらしいですよ」

「というと?」

「うちのひいじ……曾祖父母の時代は『力の深淵を覗いたから深淵の魔女』って書かれていたらしいです。それより前も実は違う深淵の由来があったらしいという話を聞いたことがあります」


 ここでふと疑問が浮かぶ。


「なぜ深淵の魔女という名前になったのかはもしかして、明確に分かっていない、ってことなんだろうか」


 何度も変化するということは、決定的な記述や文献が残っていないのだろう。だが最後の魔女に対し誰かが”深淵の魔女”と名をつけたのは明白で、その名をつけた人物はおそらくある程度の説得力と権力を持っている人物だったのではなかろうか。

 何を見たのだろう、何を知ったのだろう。深淵を覗いた時、彼女は一体何を見てしまったのか。

 気にはなったが考えても答えが分かるわけじゃなし、とアデルは区切りをつけ、スープの残りをパンに吸わせてきれいに食べきると果実水を一気に煽り飲む。


「それじゃ、お前たちも午後は訓練だろう?早めに行って体温めとけよ」


立ち上がるアデルに続いてフレデリックも席を立つ。


「新入生歓迎会の時にまたよろしく」

「え?なんですかそれは」

「あれ、聞いてない?それじゃあ夜のお楽しみ」


 アデルの後に続いてその場を去る彼の言葉に困惑しジーコを見るも、とぼけられて終わってしまった。

 非常に気になる単語ではあるが、時間がたてば分かるだろうと2人もジーコにならって席を立つ。面倒見のいい先輩は彼らを待機場所まで案内してくれた後、「俺は選ばなくていいからな」と謎の言葉を残して立ち去った。選ぶとは一体何のことだろうと首をかしげたが、訓練が終わり、歓迎会が始まってようやくその言葉の意味を理解する。


 昔ながらの習わしが沢山あるこのアドネルだが、その中の一つに上級生と新入生が班を組み1週間規則や訓練所での過ごし方、目的教室までのルートや配給品の使用について細かく指導を受ける、というものがある。

 ただでさえ上級生は入団試験が控えているため鍛錬や勉学に勤しむ必要があるのだが、この1週間だけはそういうわけにもいかなくなる。なにせ同じ班になった新入生がヘマをした場合、連帯責任で上級生もろとも罰を与えられることになるので油断することはできないのだ。

 誰もが新入生の面倒を見る余裕が無いであろう中、しかしアデルはポッコルとウェイトを名指しで面倒みると宣言してくれた。

 停滞する空気の中、自ら率先し請け負い「まあこれも何かの縁だろうから」と笑って告げる姿に2人は心底感動してしまった。気づけばこのアデルという先輩のことを、一人の頼れる男として認識していることに気付く。

 他の新入生達はなかなか上級生が決まらず最終的にくじ引きで決定された。ささやかながらも訓練所生徒が集まり飲食を共にすることで交流を深めるという新入生歓迎会は、ほどよく盛り上がり幕を閉じた。

 寮に戻り、新入生は一つの大部屋で就寝することになっているのだが、「熊みたいな先輩が怖くて……」「うちの先輩蛇みたいにずっと睨んでくる……」等、眠る前声を潜めて話していた内容を盗み聞くに、他の班の上級生はなかなか個性豊かで大変らしい。

 自分達はもしかしたらとてもよい縁に恵まれたのかもしれないと、ポッコルとウェイトは考えながら初日を終えたのだった。



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