赤薔薇姫 4
上空から降ってきたアデルの声にすぐ反応したフレデリックは、すぐさま位置を特定し勢い良く顔を上げた
先ほどまでの形相が一変、大きく見開かれた瞳が安堵で緩み始める。
まるで花が咲き乱れるかのような華やかさ。
赤薔薇姫はその表情を見て瞬いた。
「アデル?アデルだな!?信じてたぞ!!」
「え、アデル!?あの黒いのが!?」
ジーコも声に気付き顔を上げ、飛び込んできた光景に困惑する。
魔女は彼らの再会に気を配ることも無く、寝そべった状態でゆっくりと片手を下から上へ、まるで撫で上げるように動かした。
地鳴りが響き渡り、大地が揺れる。
大広場の中央で雪が勝手に盛り始めた。いや、周囲の雪がひとりでに中央へと地面を滑って集まっている。器用に人の隙間をすり抜け、まるでなめらかな流動体のように一点へ向かって集約し、そして集まった雪玉は大きく膨らみ形を変えていく。
出来上がったのは巨大な雪の巨人だった。不思議な事に白い雪は薄紫色に色づいている。
雪で出来た巨人は飛び回る魔物に対しコバエを払うように手を振った。
魔物達は粉々に砕け散って跡形も無く消し飛んでいく。
上空の魔物がいなくなると、今度は前線で盾に押されている魔物達を上から手のひらで押しつぶしていった。
場は混乱を極めた。突然理解の範疇を超えた存在が立て続けに表れたせいで、強靭な精神力を持つ騎士達も平静を保つので精一杯だ。
大盾を構え同時に多数の魔物の攻撃を跳ね返していたラバヤンシュの盾騎士は、空から降ってきた巨大な雪の塊を目で追いかけ動向を見守った。
「雪の巨人!?」
「敵か!?」
「魔物を狙ってる、陣形崩すな!」
ラバヤンシュの号令で大手門前の盾騎士達が一斉に構える。
しっかりとした作りの分厚く大きな盾を地面に着け体全体で抑えた直後、雪の巨人が再び動き出した。
着いた両手に重心を置きゆっくりと魔物達の上に影を落としていく。その光景に、騎士達は息をのむ。
雪の巨人は逆立ちをして、魔物の上に倒れ込んだ。
重く鈍い轟音と共に押し寄せる魔物達の上へ巨大な雪の塊が落下し、大手門ごと侵入経路をふさいだ。
完全に地上の魔物と人とが分断される。
物見の騎士が状況を把握するべく目を凝らす。半数以上は分厚い雪の下敷きになっているようだったが、難を逃れた魔物もいるようだ。
狂ったように薄紫の雪山を攻撃し始めるが、触れた個所から凍結し粉々に砕け散っていく姿を目にする。
「雪に触れるな!退避!!」
物見の号令にぬかるむ土の上を陣形を維持したまま前線の騎士が下がっていった。
「は?」
赤薔薇姫の視線がフレデリックから大手門へ、そして魔女へ向けられた。
意に介さず薄い膜の中で怠惰な姿勢のまま、魔女は岩石群へ向けて大きく手のひらを向けて振った。
すると岩石群が小さく揺れ始める。
内部では非常におかしなことが起きていた。
「なんだ!?」
「い、石が勝手に動いてる!!」
「落石した石が浮いてる!!」
「離れろ!出来るだけ瓦礫から離れるんだ!!」
道をふさいでいた瓦礫の山は吸い込まれるように元の場所へ戻っていき、そして一体化した。
ポッコルとウェイトが驚いて巨大な岩が吸い付いた壁を手で触れて確かめてみるが、元から破壊などなかったかのように表面はなめらかで亀裂一つ残っていない。
一体何が起こっているのか分からず一時混乱を極めたが、通路が繋がったと言うことは人が自由に行き来できるようになったと言う事。
天辺に続く扉を開け、医療隊数名と軽症の騎士が援軍として駆けつけた。
状況を把握し的確な指示を飛ばす騎士達をよそに、赤薔薇姫の興味はすっかりと上空で優雅に寝そべる魔女へと向けられる。
「アンタ魔女?もう絶滅したと聞いてたのになんで生きてんの?!」
「失礼な小娘だ」
「けど好都合、アンタを倒せば魔王様の封印も解けるんでしょ!?手柄はアタシがもらう!」
初耳だとアデルがギョッとする。
びりびりと痺れるような風が吹き抜けていった。
それは純粋な殺意。
赤薔薇姫がその場で上空に飛び上がると、踊っているようなゆったりとした動きでくるくると回り始める。
勢いづき数多に伸びるアンキデスが放物線を描き束になって魔女が佇む一帯を狙う。同時に、回転を利用した赤薔薇姫の爪が膜を切り裂こうと攻撃を仕掛けてきた。
しかし魔女は動じない。避ける気配すらない様子に、アデルの体は勝手に魔女の前へと飛び出していた。
爪が膜に触れる。
「はあ!?アタシの爪!!」
赤薔薇姫の悲鳴にも似た叫び声で恐る恐る目を開けると、薄い膜には傷一つついていなかった。
逆に赤薔薇姫の爪が鋭利な刃物で切断されたかのように不自然な形で先端が消滅していた。
きょとんと瞬くアデルは、黒い繊維越しに伝わる柔らかいものに気付く。
後ろを振り返り、魔女と目が合った。
胸元に頭を預ける形で着地していた事に気付き動揺するアデルを、大きなため息を吐きながら魔女はどかした。
「白百合の娘にしてはお粗末だな」
「なんですって!?」
「では、次は私の番だ」
魔女は変わらず寝そべったまま、リラックスした体制でただ指を振った。
「ブオート」
ソファを包む膜が波立ち、表面から小さな泡が分離し始める。
虹色の泡は風に乗って散っていき、そうして魔物に触れた。
「はぁ!?」
触れた個所から消滅していく。
ブルーノ森林地区上空で見た景色のままだ。泡に触れると干からび一瞬で消えていく。
目の前で消えていった魔物を見て何が起こったのか理解できていない赤薔薇姫は慌てて自分の眷属を生み出したが、生まれた傍から泡が集まり消えていった。
波立が激しくなり、泡の量が増えていく。
アンキデスで泡を直接潰そうと考え仕掛けたものの、赤い線は薄い膜に触れた瞬間例にもれず消滅した。一瞬にして赤いリングは回転を失い、ただの血となり落ちていく。
「いっ!?」
不意に指先に痛みが走り視線を落とす。
爪に泡が付着しゆっくりと手の方へ近づいてきており、泡の大きさ分指先が抉られていた。
触れた個所から自分の魔素が大量に吸われている事に気付き、赤薔薇姫の変身が解けてしまう。
振り払おうと勢いに任せて振るが意味をなさない、逆に振った分だけ泡の大きさ分爪が削られていった。
付着した泡は消えない。赤薔薇姫は泡の付いた指を切断した。
宙を舞う指は途端に干からび消滅していく。
この泡を破壊する術が分からない。
ありとあらゆるものが触れた瞬間に消滅していく。
敵わない。
赤薔薇姫の中に恐怖が芽生えた。
触れないように身を翻して風を作り出すが、何度吹き飛ばしても赤薔薇姫へ向かってくる泡に考えが追い付かない。
先程までの余裕は消え失せていた。
「なに、なんなの!?」
「魔女の魔法を見るのは初めてか?礼はいらない、泡沫のごとく儚く散っていけ」
魔女の声は酷く穏やかで、悪意も敵意も感じない。
だからこそ恐ろしかった。
感情を向けられる程の脅威と思われていない。自分もそうであったために、理解できてしまった現実に平静さを失っていく。
泡は消えず増える一方で、大きなシャボンも小さなシャボンもゆったりと近づいてくる。
風を起こして追い払おうと眷属を生み出し羽ばたく攻撃を繰り出すが、同時に引き込む力も発生してしまい、するりと入り込んだ小さな泡たちが眷属を消滅させながら赤薔薇姫の体目掛けて近づいてきていた。
何より恐ろしかったのは、一度発動させた魔法を魔女が操っているようには見えないと言うことだった。
魔族と魔物にだけ反応し、誤って人が触れても人の体は無事である。
そんな魔法を生まれてこの方一度も見たことの無かった赤薔薇姫は、悲鳴にも似た声を上げた。
「信じらんない、ババアのくせに全然衰えてないっての?!」
「なんて品のない」
「うるさいうるさい!アタシを守れ!」
恥も外聞もかなぐり捨て叫ぶ赤薔薇姫は身を翻し全力でその場から逃走した。
不意に光が消える。
アデルは突然夜がやってきたのかと身構えたが、そうではなかった。
今までの比ではない、大量の魔物が彼女のスカートの裾と両袖から生み出され、曇天の空を覆いつくしていた。
魔物は自分の意志などないように魔女の方へと向かってくる。
泡に触れた魔物達は瞬時に魔素を吸収され消滅するが、あまりにも量が多く前にも後ろにも進めない。
「目くらましとは……白百合の娘が聞いてあきれる」
ため息交じりに魔女が呟く。
だがここに留まれば確実に死ぬと理解していた赤薔薇姫は一切振り返らず引き返していった。
進行方向すら分からなくなるほどの大量の眷属は、魔女へ向かうのみならず眼下の騎士達へも飛び込んでいく。
膜は安定し飛び込んでくる魔物の重圧にも揺るがないが、視界全てが魔物で埋め尽くされるとんでもない光景にさすがのアデルも不安を露に魔女へ問いかけた。
「策はあるのか?!」
「そうだな……このまま勝手に消滅してくれるのを待つのもいいが、時間がかかりそうだ。さっさと終わらせよう」
魔女がゆっくりと上体を起こす。
気だるげに足をおろし黒いドレスがソファから零れ落ちる。座っていた個所がいつのまにか形を変え、元の箒の姿へと戻っていることに気付いたアデルは、自分がいつの間にか箒の柄からぶら下がっていることに気付いた。
とんでもない上空で箒に吊るされたミノムシ状態であるというのに、黒い繊維の中はここでも安定感があった。
必死に顎を上げ頭上を確認する。
箒と支柱となる黒糸の束を、沢山の幾何学模様が支えていた。
立派な鞍の上に足を揃えて座った魔女が両手を前へ突き出す。
「ニフレット」
瞬間目にした光景に、アデルは魔女の魔法の恐ろしさを改めて知ることとなる。




