一人の魔女 3
皺などない、美しく張りのある白い肌からは年齢は読み取れないが、確かに不思議な黒い繊維を意のままに操り自分の手足やドレスの一部に戻す能力や木の内側に空を映し出す力など、常人では説明がつかないことが目の前で起こっている。
すべて魔法の力によるものだとしたら、納得することはできた。
だとするなら、一気に疑問が湧いて出る。
魔女の寿命とはこれほどまでに長寿だったろうか?老人にしては見た目が20代から30代のそれだ。見た目すら変えることが出来るのか?本当に魔女の生き残りは彼女だけなのだろうか?隣の土人形は一体何なんだ。
考えれば考えるほどきりがない。
だが今一番重要なことだけははっきりしていた。
「深淵の魔女、どうかお力をお借りしたい!!」
跪いて懇願する。
全ての祈りを込めて叫んだ。
「先ほども申し上げた通り現在この国は魔族による攻撃を受けています!このままいけばアドネルは壊滅し魔族の手がアメジストパレスに届いてしまう、我々で魔王復活を阻止せねばなりません!しかしアドネル騎士団領は現在攻撃と妨害を受け多数の騎士が岩石内で生き埋め状態となっており、おれは援軍を呼びに第3拠点へ向かわねばならないのです!!どうか!!」
切迫した声に応えたのは、氷のように冷ややかな言葉だった。
「自分たちで対処できないのならそれが運命だったということだろう。受け入れよ」
あまりにも素気無く告げられる言葉にアデルは信じられないものを見る目で深淵の魔女を見る。
彼女の表情は変わらない。
視線すら逸らすことなく言ってのける様子に、幻滅と怒りが同時に押し寄せてくる。
「アメジストパレスに魔王を封印したあなたがそれを言うのか?あなたが救ったこの世界で生きている人間を見殺しにすると!?」
「私が魔王を封印してからの500年、お前たちは何をしていた?」
「もちろん、魔物と戦ってきた、ずっと!魔王の封印が解かれぬように沢山の拠点をつくった!」
「では私がおらずとも問題なかろう」
「しかし今は非常事態だ!」
「何が起ころうと対処するための時間は優にあったはずだ」
「魔族がいるんだぞ」
「私はもうお前たちと共に戦うつもりはない」
取り付く島もない無慈悲な声。
しかし突き放す割に、先程疑いをかけた時のような威圧を感じない。
それよりも淡々と告げる割にはアデルの言葉を遮らずに聞き入れ、必ず言葉を返してくれる様子に違和感を覚えた。
冷静になって考えてみると本来、嫌いな人間が述べる口上を律義に聞いてやる義理など彼女にはないのだ。
この違和感はなんなのか。
ポッコルとウェイトが話してくれた深淵の魔女と騎士の物語では、魔女は人々を助けていた。それは彼女が恋におち、騎士との約束を果たしたからだ。
そして今、彼女の隣には騎士も見惚れるほどの鍛え抜かれた体を持つ土の人型。
下肢を覆う服飾は、アドネル騎士団の玄関ホールに飾られていた古い騎士の甲冑の下履きと非常に酷似している。
つまりはこの土の人型のモデルは、昔の騎士で間違い無いのだろう。
そしてあの距離感、愛おしい相手へ触れているかのような官能的な指先、想い人を模していると考えて相違ないはずだ。
深淵の魔女と騎士の物語に出てくる、人間嫌いの魔女を戦場に駆り出し、愛して守って死んだ騎士の土塊。
では何故、これだけ精巧な体が作られていると言うのに、顔は潰されたように洞なのだろうか。
アデルは1つの残酷な答えに辿り着く。
嫌われるだろうな、と思った。
それだけがひどく憂鬱だ。
今から口にする言葉の残酷さと無慈悲さに、アデルはどんどん気が重くなっていく。
それで人の命が助かるのなら自分は何度だって同じことをするだろう。それが任務なら尚更。
だが、彼女には笑顔でいて欲しかったのだと、胸の奥で感情がまた渦を巻いた。
躊躇している時間は無い。
細く長い息を吐き、アデルはゆっくり魔女を見据えた。
「忘れたのか」
少年の静かな声は、確かに魔女に届いたようだ。
大きく見開かれた瞳が美しかった。
「……なに?」
「約束をしただろう、人間を守ると」
絶望と怒りに染まる紫の瞳がアデルを射抜く。
無感情で話をしていた姿からは想像できない程に熱が宿り始める。
「お前は顔だけじゃなく、愛した男と交わした約束すら忘れたのか!!」
「貴様!!」
魔女の感情に呼応するかのようにドレスが波打ち、向けられた左の手のひらから伸びた黒い繊維がアデルを拘束した。
先程まで質感や質量など一切感じなかったのに、彼女の手から伸びたそれにはある。
一瞬で急所を押えた完璧な拘束に成す術もない。
体が浮くほど締め付けられ、首を絞める拘束が顎を持ち上げ口を開くことも出来ない。
それでも両目だけは魔女から反らさなかった。
怒りで揺れる紫の宝石からはアデルに対しての嫌悪で溢れている。
当然だ。自分はこの女の笑顔が見たいのに、手段の為に駆り立てようとしている。
嫌いな人間相手に見せる優しさに付け込もうとしているのだ。
長く語り継がれてきた想い人の騎士も、彼女を戦場に駆り出した時の気持ちは同じだったのだろうか。最後に彼女を助けたのは、愛し合っていたからか、それとも贖罪からなのか。
首を引っ張られたことで喉が伸びペンダントの紐が引かれ繊維から零れ落ちてくる。
月の光を反射させて揺れた淡い桃色の光に目を奪われた魔女はまるで風船がしぼんでいくように毒気が抜けていき、比例して繊維の力も抜けていった。
「忘れるわけない、忘れてない」
こちらに背を向け洞の頬へ触れようとした指先が、怯えたように首筋へと落ちていく。
顔のない土人形の体を何度も確かめるように撫でさする後姿はひどく哀れに見えた。
「まだ、覚えてる」
自分に言い聞かせている。
土人形の胸に顔を埋め小さく肩を震わせ始めた。
体から力が抜けていきついには崩れ落ちてしまった細い体を、人の形をした土の塊が守るように覆いかぶさり抱きしめた。
浮いた体が地に着いたアデルは、目の前にいる魔女がただの女に見えてしまった。
約束を忘れたつもりはないが、隠居しているということはもう彼女には魔法を使う力が無いのかもしれない。
魔法があるなら自分の肉体を癒してもよさそうなのに、ドレスから垣間見える彼女の左側の傷は深く、適切な処理がされたのかと疑問が残るほど痛々しい。
自分の体を癒すことも出来ない程に消耗させられていたとしたら、傷ついた体のまま人目に触れず隠居しているのも納得がいく。
アデルは歩を進めた。
魔女の傍までやってくると、一度躊躇ったが意を決して彼女の右腕に触れた。
「だったら、おれをブルーノ森林地区の第3拠点まで案内してくれ」
土人形の胸から顔を傾けた魔女の瞳は潤んでいる。
綺麗だな、と思う。
「何か理由があって隠居されているんだろう?貴女に戦えとは言わない。ただ、どうにか道を示してもらえないだろうか」
触れた個所から温もりが伝わってくる。
当たり前のことなのに、ちゃんと生きていると感じられることに安心している自分がいる。
「このままではおれの仲間の騎士が使命を果たすことなく死んでしまう」
冷静でどこか優しさすらはらんだ声で魔女に懇々と語り掛ける。
子どもが出していい声ではない。
「死ぬのなら、この国を守って死にたい」
大きなアーモンド色の瞳が魔女の目を射抜く。
強い意志を宿した瞳だ。薄暗闇の中でもわかる程、その決意は揺らぐことが無い。
沈黙が訪れる。
「……お前は卑怯だ」
掠れた声でぽつりとつぶやく魔女は、再び顔を伏せてしまった。
「あの男との約束を口にした後でそれを言うのはあんまりじゃないか」
あの男、とは恐らく、彼女の想い人の騎士のことだろう。
あんまりだ、と言いながらどこか嬉しそうな、寂しそうな彼女にどうしたらいいのか分からない。
触れた手も退け時を見失ってしまった。
不意に、フレデリックの顔が浮かんでくる。
かつて彼の故郷で世話になっていた頃に、泣きじゃくる妹をあやしている時の姿を思い出し、なんとなくそうした方がいい気がして同じように手を背中に回し、優しく撫で始めた。
相手は魔王を封印した伝説の魔女だぞ、と理性が自分の行いを責め立てるが、だからと言って何もせずにただ見てるだけなのかと心の中で自分同士が争っている。
女性とは無縁の場所にいるせいで扱い方と言うのが良くわからなかったが、フレデリックが自分の妹をあやす姿は非常に手馴れており、妹もぐずりながらすぐ落ち着いていったのを見ていたため、この行動が正しいような気がしたのだ。




