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夢元のレムニスケート  作者: やまだうめた
魔女の国と少年

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一人の魔女 2


 森の中程明るくはないこの場所に目が慣れてきたおかげで、男の影に覆われていた女の姿をようやく捉えた。

 周りの影に溶け込む程、光を吸い込む真っ黒なロングドレス、上半身は華奢なラインを強調するかのようなタイトな造りで肌を覆っているのに、胸元は大胆な程大きく開けられており、ティアドロップ型に見える青白い肌の上には片手程の大きさをした平たく薄い円盤が首の留め具からぶら下がっている。

 鈍色の円盤中央に楕円形のオーバルカットが施された紫色の宝石がはめ込まれ、周囲を囲む12個の同じ色をした石は小粒だが、質の良さを感じさせる輝きを放っている。

 円盤の上に飾り付けられた、というよりも、円盤に空けられた穴に綺麗に収まるようはめ込まれ、石の為に作られた台座のように見えた。

 フレアスリーブの袖口から覗く細い指が男の腕を撫でる仕草がひどく官能的だ。

 スカートの部分も非常にタイトだが膝から大地にかけて花のように広がっていて、よく見るとスリットが入っており艶めかしい脚からつま先が露になっている。

 裸足であることの意味を考えずにはいられない。

 雲が流れ、暗闇のカーテンが目の前で開かれていく。そうして開いた口のまま固まった。

 それは思考さえも許さない圧倒的な美しさ。

 月明かりを浴びて輝く女から目が離せない。

 美しく輝く白銀の髪、閉じられた瞼に長い睫毛、青白い頬、薄く色づく桜色の唇。

 顔に髪がかかっていないせいか、頬に落ちる睫毛の影が尚更色濃く感じられた。

 ポンパドールのようにふくらんだ前髪を頭頂部から後ろにながし、後頭部でまとめ左右へ扇状に髪を広げた、見たことのない髪型。

 扇の中央、団子にした纏め髪の部分には一本の簪が差し込まれ、先端に紫色の石を加工し銀細工で縁取った美しい薔薇が咲き誇る。

 髪型も簪も、この国の文化ではない。

 簪にいたっては素人でも分かる程の一級遺品だ。

 団子と扇の下から伸びた髪はウェーブがかり地面へ広がっている。

 輝いて見えたのは髪の艶がそうさせていたようだ。


 女の横顔から目が離せない。

 否応なしに惹きつけられている。

 心臓が聞いたことのないリズムを刻む。

 もしも月に美の女神がいるのなら、彼女こそが化身なのではないかと思える程の美しさ。

 今まで一体どこに潜んでいたのか分からない、胸の内の感情たちがあふれ出して止められない。

 体の熱が上がる、望んでいる、欲してしまう、胸が締め付けられるような、息が詰まって喉元に何かが迫り上げてくるような。

 アデルはこの感情の名をまだ知らなかった。


「私のドレスを踏みつけながら近づいてくるとは不躾な奴だ」


 女の一声でアデルは現実へと引き戻される。

 気付かぬうちに近くまでふらふらと引き寄せられてきていたようだ。

 足元に視線を落とすと、丁度短い草から水辺の土までの境目に到達していた。

 いや、土ではない。そこに広がっているのは黒い繊維だ。

 自分の腕に巻き付いているものと同じものが、彼女のドレスから大地を覆うようにして伸び広がっている。

 慌てて足をどかし、波の泡のように空いている擦り切れた繊維の途切れた場所へと飛び移った。

 その小動物のような動きを見た女が鼻で笑ったのが空気で分かり、アデルの頬を少しだけ羞恥が掠める。

 のぼせている自覚があった。

 深く頭を下げ女と身動ぎ1つしない男へ顔を向ける。

 表面上の平静を必死に装いながら。


「大変失礼した。おれの名はアデル、アドネル騎士団領より来た訓練生だ。至急ブルーノ森林地区第3拠点まで向かわなければならない、あなた方は道をご存じか?」

「もちろん知っているとも」


 頷く彼女にアデルの表情が明るくなる。


「よかった、感謝する!ご同行願いたい!」

「何故?」

「え?」

「何故お前と共に行かねばならないんだ」


 確かに、事情を知らない彼女からすれば逢瀬の邪魔をされているわけだから、道だけ教えて早急に立ち去ってほしい、と思われて当然だ。

 一瞬言い淀んだものの、アデルは正直に話すことにした。


「信じられないかもしれないが、現在魔族がアドネル騎士団領を襲撃している。魔物も異常な行動を見せており、魔族と共に攻撃をしかけているんだ。岩石内は崩落、連絡手段も途絶えているため、早く拠点へ向かい知らせなければならない。道が分かると言うのなら、どうかおれをそこへ導いてほしい。援軍と共に再び戻らなければならないんだ。そして、あなた方の安全の為にもご同行願いたい。次に危険なのはここブルーノ森林地区だから……すまない、ここはブルーノ森林地区で合っているよな?」


 ふ、と小さく笑う口元を見て頬が熱くなるのを止められず、引きそうになる顎をぐっと堪えた。


「自分がどうやってここへ来たのかもわかっていないのか?」

「恥ずかしながら、そうだ。ここがどこかも、正直分かっていない。光に包まれたと思ったらここにいたんだ。先ほどまでおれの体は動くこともままならない程失血していたのに今はなんの苦痛も無く体が動くし、周りを取り囲んでいた森の紛い物の姿も見えない。光るキノコなんて、さっきまでおれがいた場所には無かった。逢瀬の邪魔をして申し訳ないが、どうか助けてほしい」

「お前にはこれが逢瀬に見えるのか」

「それはどういう、……!?」


 違和感にアデルが聞き返そうと口を開くと、女の瞼が不意に開いた。

 アデルの方へ顔を向ける。

 まるで宝物を勿体つけながら見せびらかされているようなゆっくりとした仕草。

 目が合った。

 紫色。

 彼女の瞳の色を認識した途端、ぶわ、と鳥肌が全身を駆け巡る。

 片目。

 後頭部の団子から伸びる細い糸が緩やかな曲線を描いて額をたどり、糸から連なる黒の薄いベールが左顔面を覆っている。小粒な紫色の宝石が数珠繋ぎとなり遮光のように左目の上を更に覆っているが、隙間から見える瞳に色は無かった。ぱっと見では分からないが、古く深い傷痕が彼女の左側にある、と分かる。

 視線が横へ流れた。つられて目で追ってしまう。

 屈強な男のシルエット。俯きがちに女を見つめ微動だにしていないのは女を深く愛しているからだと思い込んでいた。


 男に顔は無かった。


 土くれだ。月明かりのおかげで見えた皮膚はひび割れており、逞しく鍛え上げられていると思い込んでいたボディラインは彫刻のごとく滑らかで、古傷の痕さえ生々しく精密に形作られているというのに、顔の部分だけが洞のように空いていた。

 違和感が芽吹く。

 

(月明かり?)


 あまりにも自然だったため当たり前のように受け入れてしまっていた。

 何故気付けなかったのだろう。

 ここは深い森の中。

 だというのに、水鏡には月と星、流れる雲まで映されて、光の帯が空から降り注いでいる。

 

(ありえないだろ)


 恐る恐る視線を上げた。

 そこには空があった。

 満天の星空だ。まるでチャチャ岩石群の天辺から見るような、夜の澄んだ空が広がっている。

 本物のように見えるが、暗闇の中でゆらゆらと淵が揺らめいているのが見えた。

 どういう原理かは分からないが、光るキノコがないこの空間にだけ存在する空のようだ。

 本能がアデルの身を引かせ警戒態勢を取らせた。瞬間、土くれの男が動き出す。

 砂の嚙む音と共に太い腕が女の体を横抱きのまま胸へと引き寄せる。

 女もまるで愛おしい相手の胸へ寄り添うように頭を預けた。


「何者だ」


 固く尖る少年の声に女は笑った。

 馬鹿にされている。


「お前が魔族だった場合、」

「あれと同じにするな」


 肌に突き刺さるようなひりつく空気。

 女から放たれる威圧感は魔物の比ではなかった。

 表情も声のトーンも先ほどと変わらないと言うのに、取り巻く空気の重力が一気に変わったかのような感覚。

 それは明らかな怒りだった。

 体が硬直し、肌が粟立つ。

 女はさげすんだ目でアデルを見る。


「真実を見抜くことさえできないのに安易に攻撃をしかけようとする愚かさ」


 彼女の顔から目が離せない。

 ゆっくりと体ごとアデルの方へ傾く。

 失ったのは左目だけではなかった。

 彼女の左手が見えない。長いスリットから覗く足も片方だけ。

 左半身の肘から下、そして膝から下を失っていた。

 その瞳には確かな怒りと、そして悲しみが宿っている。


「相手の力量も図れず挑み結局自分達では何の解決も出来ない脆弱さ」


 アデルはここへきて、ヨギドの言葉と現状から一つの答えを導きだそうとしていた。

 光るキノコ、白銀の美しい髪、紫の瞳、人間嫌い、黒装束、失われた左半身。


「だから人間は嫌いなんだ」


 この言葉を知っている。


「その言い方、まるで人間ではないみたいじゃないか」


 確信めいた予感があった。


「……まさか、そんな」


 大きく目を見開く。


「魔女……?」

「いかにも」


 2m近くある人型が立ち上がり、抱かれた女のドレスが地面から波のような音を立て浮き上がる。

 黒い繊維が女の膝に引っ張られ影の中から姿を現したのだ。

 彼女から離れるにつれて布地は擦り切れた繊維へと変わり黒い糸がまるで泡沫のように影の中を這っていたのが、動き一つでさざ波のように草の上を滑りドレスに収束する。

 アデルの腕に巻き付けていた繊維も名残無くドレスの元へ還っていった。

 黒い繊維は複雑に絡み合いドレスの中で肘から先と膝から下を構築していく。

 フレアスリーブとスリットに重なって、刺繍の入った薄いレースが編み込まれていく。

 男のなりをした土人形にエスコートされ、白い足と黒い足を揃え地に降り立つ。


「原始の魔女の一番弟子……今は孤独の隠居老人だ」


 彼女こそ、語り継がれてきた最後の魔女の生き残り。

 深淵の魔女その人だった。



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