一人の少年 1
「スノー王国。
世界最北端の大陸を統治する一大国家。魔女全盛期より人間、ドワーフ等、様々な種族と共に暮らしている。
現国王ホワイト3世陛下、ベラ王妃陛下、ロイ王太子殿下、最近お生まれになったベルベット姫が、我が国の象徴であらせられると共に我々騎士が守るべき尊いお方である。
かつては【魔女の国】と呼ばれていたスノー王国だが、500年前起こった魔王との戦い【ヒュドの大血戦】により魔女はほぼ絶滅。ヒュド山脈を境に国土の三分の一を消失することで世界に平和をもたらした。後に深淵の魔女と呼ばれる原始の魔女の一番弟子は消息不明、その後一切の記述がないため何もわかっていない。
大陸の一部を失ったこと、そして魔女を失ったことによる国損は非常に大きかったが、他国との復興支援条約により西の貿易大国とも劣らぬほどに復興、そして発展することができた。これは条約が終了した現在も、他国との外交関係において非常に大きな影響を与えている。
現在この国を支えているのは騎士の武力である!世界最大級であり最古でもあるアドネル騎士団、領海を守護するカホールタハシュ騎士団、騎士の中の精鋭だけを集めたラバヤンシュ騎士団の3つを保有しており、その歴史は非常に長く魔女と縁深い。
騎士とは【錬気】の使い手でもある!初代アドネル騎士団団長ヨルが編み出したとされるこの錬気を5年の訓練期間を経て習得し、騎士団入団試験に全て合格することで晴れて騎士見習いとなれる。どの騎士団へ配属されるかはお前たちの能力次第、団長より指名制となるので入りたい騎士団があるならその騎士団に合った能力を磨くように。
さて。この国の騎士には重要な任務がある!
ひとつ!封印状態の魔王を毎日確認、視察すること。
ふたつ!封印している周辺地区の見回りと資源確保。
みっつ!封印場所に近付く魔物たちを蹴散らすこと。
その魔物は一体どこからやってくる?分かるものはいるか?」
「はい!」
「おう答えてみろ!」
「ダンジョンや自然繁殖で生まれることが確認されています!」
「正解!生息域を逸脱し異常行動を取りながら魔王の元へ向かおうとする場合がある。他には?!」
「【黒渦】と呼ばれる魔素の淀みから生まれることも確認されています!」
「正解!黒渦から発生した魔物はやや特殊で非常に警戒しなければならない。他には!?」
「はい!直接海を渡りこのスノー王国へやってくる魔物の群れも脅威となります!」
「なぜ海を渡りやってくる魔物の存在が脅威になるのか!?」
「陸より海の魔物が強く、海より空を飛ぶ魔物の方が強いからです!」
「そうだな!そして厳しい環境に適応した魔物はさらに強い!この国の魔物のランクは!?」
「最高ランクのS級です!」
「そうだこの国へやってきたとしても現地の魔物に狩られる可能性が高い!が!そいつらを蹴散らしてやってくる魔物こそが真の脅威となる!それらを討伐し【アメジストパレス】と呼ばれる魔王を封印している紫色の氷の城を守り抜くことが我ら騎士団の使命だ!」
野太い声が室内を揺らし、黒板を叩く武骨で大きな手のひらから砕け散ったチョークの粉が飛散する。
同時に建物全体へ鳴り響く鐘の音が、深緑色の制服に身を包み姿勢よく黒板へ向き合っていた青少年達へ、この授業の終わりを知らせた。
教壇に立つしわくちゃ顔でスキンヘッドの屈強な教官は、シンプルだが質の良さそうな暗めの赤い色をした制服に身を包み、立派な白髭を鼻息でそよがせ手についた粉を払い落としながら教室の外へと歩き始めた。声高らかに宣言する。
「本日の座学はここまで、午後は実践訓練!昼食後は訓練場待機!」
「はい!ありがとうございました!」
教官が教室を出ると共に緊張感に包まれていた室内は緩和し、長机から席を立ち各々動き始めた。
ここはアドネル騎士団領内にある騎士訓練所。石の上に家を建てるのがこの国での伝統建築だが、特に珍しいのがこの【チャチャ岩石群】に作られた居住区だ。形は様々だが一律して巨大な岩の中を、まるでアリの巣のごとくくりぬいたような洞窟があり、その中に建築物が密集している。
大陸北部より連なるヒュド山脈の南側に伸びた山岳地帯の端が巨大な岩石群となっていて、岩の天辺は非常に平坦であり、雪が積もっているというのに池の水は凍結しておらず常に揺らめいているという。隣に設置されている展望台からは同じ山脈に鎮座しているアメジストパレスを一望することもでき、一体いつから居住区として存在しているのか、詳しい文献が残っていない為謎に包まれている。
山と並列する程の高度を保つ巨大岩石内にはアドネル騎士団本拠点が、その隣のやや高度の低い平たく大きな岩石の中に、見習い用寄宿舎と訓練生寮を兼ね備えた大型居住区があり、その一角に騎士団訓練場は存在している。
築何百年という古めかしい木組み建築の内装ではあるが所々真新しい木目の壁や床もあり、長く丁寧に使われているのが分かる。比較的新しめの調度品と古めかしい構造が共存しているため、なんだかミスマッチな作りとなっているところも、アドネル騎士団領居住区の特色と言えるだろう。
木製の扉を開き廊下に出るとそこは長い石畳となっており、小窓から見る外の景色は大荒れで猛吹雪だ。これだけ風が強いと窓が音を立て廊下中騒音が響き渡りそうなものなのに、そのような事は一切なく、あるのは行き交う人の足音と控えめな話し声だけである。
更に不思議なのが、室内共々適度な温度を保っており非常に快適だということ。昨日到着したばかりの新入生たちは、ここへたどり着くまでの過酷な旅路を思い出す。雪に苦戦し氷に苛立ち、凍えるほどの寒さに苦しんだおかげで、戸惑いながらもこの快適で過ごしやすい環境に順応し始めていた。
氷点下を超える吹雪の中を出たがる者などいないだろう。
たった一人を除いて。
「アデル待て!今日も外へ行く気か!?」
「当たり前だ!毎日やってこその鍛錬だろうが」
「凍死してしまうぞ!」
「引き際くらいわきまえてる。ええいついてこなくていいフレデリック!」
威勢のいい子どもの声と甘いテノールが廊下にこだまする。一人は高身長と端正な顔立ちの男。色素の薄い金色の髪は軽くウェーブがかり後ろへなでつけられ、ヘーゼルの瞳が困惑の色を浮かべ前を歩く人物を必死に追いかけている。
もう一人は彼の腰程の身長しかない少年だ。黒髪を後ろで縛り剛毛なのか毛先が四方八方へ広がっている。あどけない顔をしているが意志の強そうな眉とアーモンド色の大きな瞳はまっすぐ前を見据えたまま揺るがない。
2人とも同じ群青色の制服に身を包んでいる為訓練生だとわかるが、群青色は最上級生の色だ。違和感を覚えると同時に、少年の首からぶら下がっている不思議な形のペンダントに目を引かれた。なんの金属でできているのかわからないが、平たい歪な形の円形に沢山の穴が開いており、その内のやや大きめの穴にピンク色の透き通った石がはめ込まれていることで、更に違和感を与えている。正直に言ってあまりにも彼の雰囲気と似つかわしくない、かわいらしい装飾品だ。
「なぜこんなところに少年が?」
「誰かの弟?」
初日の座学で知識を披露した2人の新人訓練生が、廊下の隅に固まってひそひそと言葉を交わす。彼らは王都生まれ王都育ちという生粋の都会っ子で面識もなかったのだが、同じ出発地点、同じ目的地という過酷な冬の旅路を共に歩んだことで戦友となった仲だ。
一人はウェイトという名の細身の青少年で、茶色の髪は刈り込まれそばかすの目立つおぼこい顔をしている。深緑色の制服は新入生の証だが既にしわが刻まれており、着崩れボタンも掛け違えていることからかなりズボラな性格であることが伺えた。
もう一人はポッコルという名の中肉中背の青少年で、しっかりと身支度を整えられているため真面目な男なのだろうと推察できる。赤茶色のきのこのようなまるみを帯びた髪型と丸眼鏡をかけていることから全体的にやわらかい印象を受けるが、レンズの奥の瞳は鋭い。
2人が疑問に思うのも無理はなかった。なにせここは騎士団訓練所、守るべき対象が制服を着てここにいるのは非常に奇妙だ。それにこの訓練所へ入れるのは15歳からである。そもそも既定の年齢に達しているようには見えなかった。
「お前ら新人か?よーこそ騎士訓練所へ!」
突然近くを通りがかった上級生が声をかけてきた。驚き跳ねる細い肩へがっちりとした太い腕を回し、少年のほうへ半ば強引に向き直ると、頼んでもいないのに話始める。
「あいつはアデル。俺と同じ上級生で入団模擬試験をクリアしたエリートだ」
「え!?歴史や学問もですか!?」
「基礎魔法学もばっちりだ」
「で、ですがそもそもまだ訓練生にもなれないのでは、……!」
素直に驚きから出た言葉だったが、アデルの耳に入ってしまった。くるりと顔を向けものすごい勢いで近づいてくる。ウェイトとポッコルは言葉を飲み込みアデルの気迫に震えあがった。目の前までやってきて立ち止まる彼を見下ろしているというのに、気圧され逆に足がすくむ。ただの少年から発せられる威圧感ではなかった。
「訓練所には正規の手続きを持って入所している。何か文句があるのか!?」
「と、とんでもない!!少し気になってしまっただけなのです!」
「青年となったあかつきにはかつてないほどの優秀なラバヤンシュの英雄となることでしょう!」
一瞬で辺りが水を打ったように静まり返った。突然肌がびりびりするような緊張感に包まれ更に困惑してしまう。騎士を目指す者にとっての最大級の世辞を発したつもりだっただけに、予想外の空気である。
誰もが少年の様子を伺っているようだった。視線を一身に集めたまま、アデルはにっかりと笑う。
「そうだろう?」
さわやかな笑顔だった。
その様子に胸を撫でおろす2人だったが、周りに佇む上級生の表情を見て思いとどまった。アデルは何事もなかったかのようにその場を後にする。少し遅れてフレデリックと呼ばれていた金髪美青年も一度新入生2人を伺い見たが肩に腕を回している上級生へ目を向けた。
「ジーコ」
「分かってるよフレデリック」
短い言葉のやり取りを残し、フレデリックと呼ばれた男は少年を追っていった。肩にのしかかっていた上級生、ジーコは体を起こして2人へ向き直る。薄茶色の短い髪を片手で搔きむしりながら、なんとも言えない表情を浮かべて。
「まぁ、知らない者からしてみれば無理もない、ということも分かる。だからこそあいつは何も言わなかったわけだし」
「も、申し訳ありません、もう、何がなんだか……」
「そうだよな。うーん……アデルは何歳に見える?」
気安く肩を組んできていた上級生は真剣な顔をして新入生を見た。先ほどまでの気さくな雰囲気とは打って変わった空気の変化に戸惑いながらも、ポッコルは年齢を考える。
「うちの弟と同じくらいの年頃に見えましたので……10……いや12歳くらいでしょうか?」
「20歳だ」
えっ、と驚く声が無意識にこぼれた。「推定だけどな」と付け加えられた一言に、まさかご冗談を、と表情を伺うも真剣そのもので沈黙が続く。立ち止まり野次馬していた上級生達も皆、神妙な面持ちでうなずいていた。だとするならとんでもなく失礼な発言をしてしまったことになる。ようやく事の重大さが理解出来てきたおかげで冷や汗が止まらない。しかしそんなことが起こりえるのだろうか?
「十数年前、国から迷い人のおふれが出た話を知っているか?」
「そ、そういえば……」
「うちの両親からそんな話を聞いた覚えがあります」
今から13年前の夏頃、国内全土に迷い人のおふれが出された。それは似顔絵と一緒に役場や人目の付きやすい場所に一斉に貼られていたが、数日経たずして全て回収された、という奇妙な話だった。
張り紙にはこう書かれていたという。
” 短く刈り上げられた黒髪の少年、アーモンド色の目、身長145cmで身元の分かるものは不思議な形のペンダントのみ。
記憶喪失となっているため、思い当たる人物を知っている者、血縁関係の者は至急役所まで知らせるように。 ”
同時に奇妙な噂話まで広がった。
アメジストパレスの麓にある【ブルーノ森林地区】にて、巡回中の騎士が発見した記憶喪失の少年が、実はおふれの少年である、ということ。
その日は【原始の魔女生誕祭】というこの国において特別な日でもあり、星降りが重なった夜でもあった。深淵の魔女が魔王を封印して以降アメジストパレス周辺は500年もの間、騎士以外の人間の立ち入りを禁止していたため大問題となっている、という話。
黒髪とアーモンド色の瞳という見た目の特徴から、国外より流れ着いたのではと外交間でひと悶着あった、という話も聞いたことがあった。
最初はおふれの彼を知っている人間が現れたから、すぐに撤去されたのだと思っていたがどうやら違うらしい、と何とも言えない表情をしながら呟いた母の顔を覚えている。
「詳しいな」
「俺たち王都出身なんです。町中色んな噂でもちきりだったと両親から聞いたことがあります」
「うちは実家が酒場なのでそういった類の不思議な話をよく耳にしていたのですが、やれその少年はいっさい年を取らないとか、とんでもない怪力の持ち主だとか、今まで見たことのない程の身体能力の持ち主だとか……信じがたいようなものがたくさんありましたので、酔っ払いの戯言として気にも留めていませんでした」
「少なくともその噂話の一つは真実だったということだ」
「……はい。とんでもないことを言ってしまいました」
未だ動揺を隠せないウェイトと、落ち込んでいるポッコルの肩を力強く一度叩くと、ジーコは困ったように笑った。
「まぁ、なんだ……時に現実ってやつは、見たままの情報とは異なる真実が隠れていたりするもんだ。お前たちが気に病む必要はないし、アデルに変な気を使う必要もない。訓練所にいるもの全て皆、騎士を目指す男に変わりはないんだ。この経験を次へ活かせばいい」
「は、はい……」
「よし、時間取らせて悪かったな!昼飯これからか?食堂へ案内する。あと返事は元気よく!」
「「はい!」」
ジーコに連れられて廊下を歩く。野次馬していた上級生たちはいつのまにかその場を離れ各々目的地へ向かっていたらしい。先を歩く先輩の背を追いながら、歩幅を合わせ、ひそひそと再び声を潜めウェイトは疑問を口にした。
「なぁ、でもさ……もし本当に、ブルーノ森林地区で発見された少年があのアデル先輩ならさ」
「うん……どうやってあそこまでたどり着いたかだよな」
「アメジストパレスへ近づく魔物はのきなみ普通の魔物よりも強いって話だろ?そんな場所まで子どもが一人でいけるはずがない」
「そもそも記憶喪失というのも謎が深まるよな。物理的な衝撃で記憶が失われているのか、それとも精神的なものなのか」
「おふれもすぐに撤去されてしまったっていうのも気になる」
「それにあのペンダント、明らかに異質だよな」
「全然似合ってないってこと?」
「ちがうよ、あんな形のデザイン王都で見たことない。本当にこの国のものなのかな?」
「やっぱり別の国からやってきたってこと?」
「謎が深まるよな。これってミステリー小説みたいだ……!」
つぶらな瞳を輝かせ興奮気味ながらも声を潜めて会話する2人のやり取りを肩越しに見やった後、少しだけ肩を落とし前を歩く。食堂まであと少し、きっと今日の昼も具沢山のスープにパンだろう。暖かい食事を腹いっぱい食べられるのも、訓練所とアドネル拠点が併設されていることによる恩恵だ。
窓の外では上半身裸になったアデルが猛吹雪の中で乾布摩擦を行っている。心なしか周りから湯気が出ているようにも見えるその姿は元気そのものだ。
「青年となったあかつきには、か……」
本人が一番それを望んでいるということを知っている。なにせ5年間同じ釜の飯を食ってきた仲間だ。様々な事情がある男だと知っているが、性格は真面目で大らかで、豪快に笑う気持ちのいい奴に代わりはない。それに、こんなに努力している男の実力を、小さな体で磨き上げてきた技を、激戦区で戦い続ける男たちが見抜けない筈は無いだろう。
だが、努力だけではどうにも出来ない現実の厳しさもよくわかっているつもりだ。
窓の外で服を着こみ晴れやかな顔をしたアデルが顔を上げた。目が合うと、得意気な顔で親指を立てている。後ろに控えているフレデリックはげっそりした表情ながらも前を歩くアデルに続いて親指を立てた。思わず笑って、ジーコは手を上げ応える。どんなに辛い逆境でも、腐らず自分のやれることから始めるアデルは、幼い姿からはとても想像できない程タフで男らしい。
長い廊下を歩き階段を下りた先の玄関ホールは非常に広く吹き抜けであるため天井も高い。他の居住区とは違い、ここだけは繊細な彫刻が施され空気が変わる。発光石の欠片を装飾された使い古しの巨大なシャンデリア、花と剣を象徴とした紋章入りのアドネル騎士団の旗、初期の甲冑が装飾品として置かれている為か、荘厳でクラシカルな雰囲気を醸し出している。その中でもとりわけ頑丈で大きな扉が一つ。
「この先だ」
解放されている潜り戸の先へ、ジーコは2人を促した。