助けを求めて 1
「しつこいな」
迫りくる脅威は一定の距離を保ったまま縮まることは無い。
森の中に入ってからも、魔物の気配は変わらずアデルを追いかけてきている。
落ちてきたヒル型の魔物だろうか?と疑問が頭を過ったが、のたうち回り雪を巻き込みながら蠢いていた姿からは到底想像もつかない程の速度と威圧感を感じていたため一度後ろを振り返り確認した。
「あれは……」
後方に豆粒よりもやや大きいシルエットが2つ。
どうやら雪原平野の魔物が追いかけてきているようだ。
雪原平野はブルーノ森林地区と人里の間に位置する広大な平野の名称で、大型から小型、環境潜伏型から純粋な強さを誇示する種まで多様な魔物が生息している。
今追いかけてきているのは、雪原平野の中でも比較的穏やかな種類と言われている羊型の魔物バフォメエメ、ウサギ型ロップポップだ。
中型から小型に位置する大きさの2種だが、その身からはぎ取れる素材は高品質なものが多く、バフォメエメの羊毛は王室御用達の高級品、ロップポップの尻尾は幸運をもたらすお守りとして討伐時にはぎ取られ高値で取引されている。
人と敵対する魔物が多い中、この2種は人間を見ても無差別に襲ってくることは無い。むしろ臆病な部類だ。雪と同色の毛皮は隠れられると発見し辛く、人間の脚では到底追いつけない程の脚力を持っているため逃げられたら確実に見失ってしまう。
縄張りに入らなければ攻撃される事のない、どちらかというと人間の生活と寄り添うことの出来ている魔物と言われている。
そんな、人を見れば逃げる習性を持つバフォメエメとロップポップが、見たことのない恐ろしい形相でアデルに殺意を向けていた。
通常であるなら既に追いつかれていてもおかしくは無い脚力を持つ魔物。
それだけの殺意を向けている獲物に対し距離を縮めないのは何故か。
光を頼りによくよく目を凝らして気付く。恐らくはあの巨大な蝙蝠の魔物に上から落とされた生き残りなのだろう、2匹は血まみれだった。
むき出しの歯、口の端から泡に混じった血が呼吸と共に吐き出されていく。体は所々変形し見るからに痛々しく、焦点も定まっていないのに鼻先がアデルの背中を正面に捕らえ揺るがない。
角を曲がる時には体が振り子のように大きく揺れ、頭部に体が引っ張られているように走っている様はあまりにも不気味だ。
尋常ならざる執着に、自分の意志ではないのだろうと直感的に理解する。
恐らく魔族に起因する力が働いているのだろう。
何百と眷属を生み出すだけではない、得体の知れない恐ろしさがそこにはあった。
「その赤い目、魔族のせいなのか?!」
「ブギョロロ、ブベエェ—―ッ」
「何故おれを追いかける?おれが何をしようとしているのか分かってるのか?!」
「ギュイッギュイッ」
「それとも魔族が追いかけるように指示を出しているのか?!」
「ンベエエエエッ」
「このまま着いてきても、死が待っているだけだぞ!!」
シルエットへ向け声を張り上げても、いつもの鳴き声とは違う汚く醜い音が返ってくるだけ。
それも反射的なものなのか、何か別の意志の働きによるものなのか分からない。
時折上空から聞こえてくる悲鳴も、肉が潰れた音を響かせた後すぐに消えてしまう。
恐らく未だに巨大な蝙蝠の魔物が捕獲した魔物を落としアデルの進行を阻害するため追いかけてきているのだろう。上空からの獲物を狙う威圧感が剥がれない。しかし分厚い木の枝の天井を突破できずにいるようだ。
状況はあまり芳しくない。
だがこの森の中を走り続ける限り上空からの攻撃は防ぐことが出来るし、走力が落ちなければ追いつかれる事もないだろう。そう結論付け背後を気にかけつつ、少年の体は2本の光の下をただひたすらに走り続ける。
ブルーノ森林地区第3拠点までの距離は他の拠点よりもアドネル騎士団領に近い。
と言っても、普段は馬等を使い行軍しているため、人の脚、それも子どもの歩幅となるとそれなりの時間がかかってしまうだろうことは覚悟していた。
森に入ってから恐らく5分の1程度の距離を走ったと思うが、安心するにはまだ早い道のりだ。
今はまだ通常通り動いている脚もいつ何時動かなくなるか分からない。
素早く、しかし出来るだけ疲労を蓄積せず、うねる巨大な木の根の下を走り続けている。
ブルーノ森林地区はまるで境界線を引かれたかのように雪原平野の途中から突然始まっている。
500年前の戦いで地形は変わってしまったものの、アメジストパレスを中心に緩やかな傾斜となった波打つような大地の上、ヒュド山脈を囲むようにして、普通の人間は立ち入ることの出来ない特別な森は今も昔も変わらず広がっていた。
この森の特徴として上げられる項目はいくつかある。
特定の場所から侵入しないと真っすぐ進んでいるのにも関わらず元の場所に戻ってきてしまうこと。
木の根の下から侵入できたとしても道を大きく外れてしまうと、これもまた森の外に出てしまうこと。
ただこれは運が良かった場合の話であり、悪ければ森の外に出ることも敵わず行方不明になるか、得体の知れない森の魔物にやられるか。どちらにせよ不幸になる未来が待っている。
不思議な力が働いている森であることは明白だったが、体験ではなく一見で説明するならば、特異な植物や木々についてだろう。
同じ国であるのに他の地域の森とはまったく違う植物形態が多く、例えば北国特有の真っすぐ上へ伸びていく丈夫な木、スノー王国の代表的な針葉常緑樹ともいえる灰色の【フロイドの木】とは違い、【ウルネルラの木】、通称魔女の木と呼ばれる茶色い大木は、ブルーノ森林地区にしか自生していない最たるものだ。
このウルネルラの木の根はのたうち捻じれたように太くうねって地上に飛び出しており、互いの根と強固に絡み合って無尽蔵に伸びている。
枝も同様、空を隠しているのは木の枝が湾曲して互いの枝と絡み合い密集し、葉を茂らせているからに他ならなかった。
フロイドの木を筆頭にスノー王国に群生する常緑樹の特徴として針が沢山突き刺さっているような針葉が上げられるが、このウルネルラの木はどちらかと言うと広葉樹に似ており、木の葉は楕円の先が少し尖っているような形で分厚くどれも瑞々しい。
時々枝ごと雪が落ちてくることはあってもそれは本当に極稀な事で、雪を拒んでいるかのように侵入を許さず木の上に積もっていく。
遠目からは雪原が山のふもとまで変わらず続いているように見えるほど見分けがつかない。
森の中の地上に雪が積もっていないのは、北国の森とは思えない光景だった。
幹は太く、背も高い。所々膨らんだり伸びたり曲がったり、見ているとだんだん不安になってくるような歪さがある。
ごつごつした見た目であるのに茶色の皮はソフトな手触りで柔らかく、しかし裂けはしない程の弾力と柔軟さは唯一無二の国の特産物として広く親しまれている。
地上に草が全くないのかと問われれば、そうではない。
これもまた他の地域とは違い、年中青々と生い茂っている。
木の根の隙間から無理やり枝を広げたような低木に沢山の木の実、生い茂る細長い草や蔓、分厚い大きな葉に沢山の切れ込みのような模様の入った植物、渦を巻く花等、他の地域では見たことのない草花が沢山自生しているが、やはり一番目立つのはそこかしこに生えた苔と多種多様のカラフルなキノコだった。
森へ入ると真っ先にじめっとした青臭い土のような、通常の森とはまた違う独特な匂いが鼻につく。
茶色く、暗く、にぎやかだけどどこか寂しい。
それがこのブルーノ森林地区に初めて入った時の印象だった。
アデルは駆ける足をそのままに槍で時々ランプを揺らしながら、初めてブルーノ森林地区へ入った時のことを思い出していた。




