8 怠け者の天国と後悔
毎日二話更新。こちら二回目です。
自宅に帰った私は、さっそく己の部屋へと向かった。当然ながら、松葉杖では登れない。なので腕と尻を使った。手順はこうである。
まず、階段の二段目に腰を下ろす。松葉杖はそこに置く。後ろ向きに、上段に手をかけて上半身を腕力で引き上げる。尻が浮くので上段に腰を掛ける。これで一段登れる。これを一番上まで繰り返すのである。
実際は左足も使って重量分散もする。腕力だけで十段以上ある階段を上り切るのは少々辛い。手すりが付くまで、否、手すりが付いた後も義足を得るまで長くこのように階段の上り下りをすることになった。
大変だったが、それ以上ではない。怪我に比べれば、入院生活に比べれば。……この頃というか、もしかしたら今も。限界のハードルがだいぶ上に設定されたように思う。なお、ハードルが上になってもそれに挑むかどうかはまた別の話である。
会社にこそ行っていたが、友人と遊ぶより一人でいることを好む私は引きこもりに近い。自室に戻れた時の喜びは、何よりも代えがたいものだった。誰だって自分の縄張り、巣といえるものがあるだろう。
早速、ネット上の知人に連絡を取りこれまでについて説明をした。入院中ではチェックできない諸々やゲームを堪能した。オタクの喜び、ここに在り。
自宅での生活はまことにありがたいものだった。病院の食事は薄味だ。栄養が整っている事は分かる。だが、正直言って楽しみと喜びが薄い。繰り返して言うが、酢の物の頻度が高いのも辛かった。私はそれが苦手なんだ。
こうして私は自分の生活に帰ってきた。もちろん、会社にはいかない。自宅療養の身である。復帰は無理なのだから止めるべきではないかと思ったが、労災やらなにやらの関係で療養が完全に終わるまではそのままにするものと聞いた。
会社に行かないという事は、ゲームやってアニメ見て映画見てという、オタクの求めるそれだけをする夢の生活を送れるわけである。怠け者の本懐である。実質引きこもりだった。
……今思えば、もっとやれることはあっただろうと思う。社会復帰のための勉強とか、あるいは自作小説の執筆とか。事故の時、現実を直視して徹底的に落ち込めば再起の為に奮起したのだろうか。それが一般的に正しい振る舞いなのだろうか。
そのように動けていれば、今の人生はなかっただろう。正しく勉学に励み、学歴を高めて待遇と給与のよい会社に勤めていたかもしれない。そうであれば、あの事故だってなかったはずだ。右脚も無くすことはなかった。
だが現実はこれである。もしもの話をしても仕方がない。怠け者は、右脚一つ無くした程度では性根が変わらないという話……ではなく。理由としては、もっと別にあると考える。それについてはもうちょっと後で。
さて食っちゃ寝して堕落極まる生活をして過ごしたかった私だが、やることは若干ながらあった。労災と、障害者としての手続きである。具体的には書類作成なのだが、これが非常に大変だった。
専門的な情報を書き込む必要があり、細かかった。特に労災の方は厳しかった。役所へ向かい、どのように書くかを尋ねて戻り。書き込んで提出し、足りない所をその場で指摘されて再度戻り。指摘箇所を埋めて、やっと終わったと思ったら電話が来る。さらに追加記入を求められたが、何度か問答したらそのまま通った。当時はまだ義足が無かった時期。外に出るのも一苦労だった。
保険受け取りに関する手続きもあった。これはまあ、専門家が身内にいたのでそれほどの苦労はなかった。労災のそれもそうだったが、ただ住所名前年齢を書くだけでなくいつ事故を起こしたかだの、警察からの書類がどうたらだの要求される情報の多い事。お金の話なのでしょうがない面があるのはよく分かる。詐欺などあってはならない事だし。でも大変だったのは間違いなかった。
まあ、その甲斐あって今後の人生に金銭面での不安はなくなった。あらかじめ、そういう話は聞いていたので驚きはしなかった。変に気を大きくして浮かれたりもしなかった。人生を支えるものなのだから、遊びで使っていいものではないと理解していた。いい歳した大人でもあるし。
さて、私が変わらなかった最大の理由。このように公的、私的な備えにより生活に不安がないのだ。これで、明日からどうやって生活費を稼ごうとか悩みを抱えていたら、幾ら怠け者の私でも必死になるだろう。義足が無くてもできる仕事を探していただろう。怪我が治り切らないうちから、次の仕事に向けて準備をしていた事だろう。
しかし、そうはならなかった。……人生を必死で生きるならば、そっちの方がよかったかもしれない。ただ、メンタルが立ち直れたかは微妙な所だ。そのまま人生投げていた可能性も否定しきれない。自分がそれほど強い人間であると自惚れてもいないから。
ともあれ。私は国の制度と自分の準備と家族の支えにより、右脚切断という事故を精神的苦痛最小限で乗り越えられた。方々には感謝しかない。
とはいえ。やはりこの時期はもうちょっと何かできたんじゃないかなあ、とこれを書きながら考える私である。