6 入院生活!
毎日二話更新。こちら二回目です。
ケガに対する大体の処置は終了した。例の足の穴については、塞がるのを待つしかない。そんなわけで、長く暇と戦う日々が続いた。
幸いなことに、何も起きないという事はなく。日数が経過していくうちに、徐々に変化が現れた。まずは、髪の毛を洗う事を許可された。
怪我のせいで、長く風呂に入れていなかった。毎日身体を拭くことはできたけど、やはり風呂のそれとは違った。どうしても、油っぽさが体にまとわりつくのだ。特に髪の毛がよろしくなかった。
なので、洗髪の許可はとてもうれしいものだった。シャンプーと温水で洗うと爽快感が違う。ただ車椅子に乗ったまま、洗面台に頭を下げながら洗うのでなかなか大変だった。その苦労があっても、洗髪を拒む理由にはならなかったが。
正直な話。洗髪の許可がいつ頃だったか細かくは覚えていない。おそらく車椅子移動が許可されれてしばらく後だとは思う。抜糸前だったはずだ。で、抜糸が終わった後に許可されたのが風呂。正確にはシャワーの使用が許された。
これは本当にうれしかった。時間をかけてよいと言われたので、念入りにシャワーを浴びた。案の定、身体は垢まみれだった。お湯を浴び、ボディソープで念入りに体を洗う。お湯で流して、その後体をこする。出るわ出るわ、腕から腹から垢が山ほど。
念入りに体をこすり、お湯で流してさらにボディソープをもう一度使う。さらに洗い流して体をこする。まだ出てくる垢。ひたすら、徹底的に体を洗い続けた。ついでにいえばこの時久しぶりに足の傷の具合を見た。普段は基本的に包帯を巻いていたので自分で見ることはあまりないのだ。
痛々しく傷跡が多く、かさぶたも残っていた。それでも傷はふさがっていて、左足とは全く違う形になっていた。見ていて気分のいいものではない。しかしながら、これがこれからの自分の足なのだと受け入れることはできた。
そうやって約一か月ぶりの風呂を終えた。身体を拭って着替え、外に出た後の感想は爽快の一言に尽きた。まるで脱皮したかのような感覚。実際垢の膜に覆われていたのだろうから割と間違っていない。すっきり爽やか。活力が体からあふれ出てくるようだった。
やはり、人間に風呂は必要なのだ。自作品である決戦世界のダンジョンマスターの一章で主人公に風呂シーンを入れて感想を言わせたが、この時の体験が元にある。長い入院生活で、風呂は楽しみの一つとなった。
風呂に入れるほどに傷が落ち着いてきた頃。いよいよリハビリが始まった。私にとっては誠に喜ばしい話だった。リハビリをこなせば、それだけ退院が早くなる。それを待ちわびている身としては、全力て取り組むべき事柄だった。
最初の項目は、ストレッチだった。私は、傷を塞ぐために一か月以上ベットの上で寝ていた。右脚も、常に伸ばした状態だった。そうすると、膝関節はどうなるか。真っすぐのまま固まってしまうのだ。全力を出しても、ろくに曲がらなくなるのだ。
膝以外も、あちこちの関節が硬くなっていた。なのでリハビリの先生によってそれらをほぐしてもらう。身体がみしみし軋む。傷のそれとは別種の痛みに苛まれる。まあ辛い。特にひざを曲げていくのは二重の意味で痛かった。治ったばかりの皮膚が引っ張られる。とても辛い。
固まっていたのは股関節、肩、背中、腰などなど多方面に及んだ。こんなにもあちこちダメになっていたとは思わず驚いた。当然、一日では終わらなかった。二日に一回、二週間程度はストレッチを行った思う。その甲斐あって体の方は入院前と同じように動くようになった。
しかし、右ひざだけは例外だった。念入りにやってもらったが、最終的に九十度曲がるようになったところで終了となった。普通に生活する分にはこれで十分。正座はできないが義足ではそもそもそれそのものが不可能だ。
なので、それで問題ないはずだった。後でとあることができなくなっていて衝撃を受けたが。
身体のストレッチが終わった後は歩行訓練に移る。まず最初にやったのは、並行に二本伸びた棒に捕まって、それを支えにして歩く事だった。ちなみに、「平行棒 リハビリ」で検索すると具体的にどんなものか画像が出てくる。
その平行棒を支えにして、久方ぶりに立ち上がった。すると、身体に明らかな変化が現れた。血が、下に向かって流れていくのがはっきりと体感できたのだ。サァっと右脚へと流れていく血液。うああ、と悲鳴を上げてしばらくそのままでいた。歩く事など到底できなかった。
幸いなことに、それは一度きり。二度目以降はそういった体感はなかった。平行棒の歩行訓練で、特に苦労したような覚えはない。いや、久しぶりの運動だったのでスムーズにはいかなかったのは間違いない。
だけどできなかったとか、やりたくなかったというイネガティブな記憶も感情も残っていない。ただただ、先生にいわれるままリハビリを続けたはずだ。退院の為に。
平行棒が終われば、松葉杖の訓練。これはこれで、中々に大変だった。松葉杖で良く誤解すると思うのだが、上部にある短い台。あそこに体重をかけて支えにすると考えると思う。実際は違って、あの部分を脇に挟むのが正しい。体重は、取っ手の部分を握って腕力で支えるのである。
当然、寝たきりで衰えた筋力では中々に難しい。鍛え直すほどではないが、身体の使い方を思い出すことはできた。
傷も塞がり、リハビリも続けていたら小部屋から大部屋へと移動する事になった。もはや傷は痛まない。特に問題ないと思ったので、それは了承した。
しかし、やはり他の人と同じ部屋というのは色々と出てくるもの。カーテンで区切っているので姿は見えない。しかし声は聞こえる。
初日などは、延々と看護師に話し続ける老人と相部屋になった。一応、我慢はしたのだ。しかし、流石に二十四時を過ぎてもそれが止まらないのでクレームを入れさせてもらった。翌日移動したのは私だったが。
その次の部屋では、そういったトラブルはなかった。しいて言うなら、朝七時を過ぎると容赦なく部屋の換気をするおじさんがいた事。まだ冬である。寝ていたい時間帯でもある。そういうのは個室でやってくれないかなあ、と思っていた。
入院したのが一月の半ば。気が付けば月日は流れ、三月に入っていた。