2 怠け者のハンセイ(反省/半生)
毎日二話更新。こちら二回目です。
物語には起承転結が必要だ。事故にあうまで、どんな人生送ってきたのかを軽く語らせていただく。原因というものはやはりあるのだ。
私を一言で表せば怠け者、である。子供のころから楽をしたかった。楽しい事だけしていたかった。面倒事や苦労することは御免だった。そんなわけで勉強には手を抜き、成績も悪かった。
その代償はすぐに求められた。入学した高校は、喫煙で停学者が時折出るような所。卒業後は厳しい肉体労働を求められる会社に入社することになった。勉強していれば良い学校、良い就職先を必ず選べたとは言わない。しかしそれにチャレンジする機会はあったはずだ。私は楽を選んでそれを逃したのである。子供心にそれがなんとなく分かっていても、学業に専念しなかった。当然の結果である。
そんな楽を求める性分だったから、会社も長続きしなかった。二年ほど働き、退社。そして夢を追うなどと言い訳をして、東京にある小説の専門学校へ入学した。学費は貯蓄していた会社の給料を使ったが、生活費は親のすねかじりである。
こうやって思い返すと、よくもまあ親もこんなちゃらんぽらんな息子を見放さなかったものである。……弟が当時はとてもチャラついていたから、比較的にまじめに見えたのだろうか。兄弟そろって酷いものだ。
しかし、学校で学べたことは多かった。当時の自分は基本的な文法すらもあやふやだった。例えば一文の中に「、」は一つしか入れてはいけないといったルールも知らなかったのだ。
まじめな学生とはいいがたかった。怖い講師の授業には出なかった。それでも、あの学校での授業は身になった。今に活かせていると断言できる。むしろ今思えばもっとまじめに通っておけばよかったすら思っている。もう一回入学したいとも。
卒業後は地元に戻りゲームセンターでバイトの日々。まともな社会人には戻らなかった。そもそも会社辞めて小説の学校行った時点で一般的なルートから逸脱したのを自分でも分かっていた。
実家で暮らして親の視線に負い目を感じる日々だった。それはそれとして、ゲームセンターでの経験もやはりいろんな学びはあった。マイクのアナウンス、風営法、UFOキャッチャーの景品の置き方などなど……。
特にお客は面白かった。小学生の頃から学校をさぼって入りびたり、数年でどうしようもない不良になった少年。ゲームセンターに行くと不良になる、を実証した具体例だった。
長距離トラックの運転手で、夏場になると半径一メートル以内を空気汚染結界を作る人。空気が苦い、と感じたのは後にも先にもあの時だけだ。苦情入れたらやたらと不機嫌になったのを覚えている。
自称ヤクザ。本当かどうかは確認していない。しかし、話がいちいち面白かった。兵隊と舎弟の違い? 兵隊はどうなってもいいけど、舎弟は面倒見なきゃいけないから……とかいう話がポンと出てくるのである。怒らせなければ大丈夫。社員が一度怒らせてエラい事になりかけたっけ。
ゲームセンターに関して書けることはまだまだあるがこの辺で。そんな日々も数年で終えて、私は再び就職した。設備の点検業者で、やはり肉体労働だった。……なお、就職後しばらくしてリーマンショックがあった。面接に行った会社の工場が畳むとかいう話が聞こえてきて肝を冷やしたのを覚えている。
楽を求める性分は変わっていないが、ここで止めたら次はない。不景気もあったので、中々過酷な労働環境だったが何とかしがみつき続けた。十年弱は勤めたのだから、私の中では最長である。
働かせてもらっておいて、このような事をいうのもアレなのだが。やはり決して良い環境ではなかった。朝は早く、夜は遅く。休みは少なく、給料もそれほど多くない。従業員の数もギリギリだったので、休みを取るのも一苦労。ブラックとは言わないが、それに近い環境ではあった。
資格を取ればわずかながら給料は上がるが、出世などというものはない。会社が飛びぬけて大きく成長するなどという要素は何処にも見えない。転職したいが、三十超えていてはいいところなどない……探しもせずにそう思っていた。まあ、まだリーマンショックの影響も残っていた頃というのもあるが。
このまま働けば生活はできる。貯金して、親と自分を墓穴に入れることはなんとかできるか。結婚など夢のまた夢、そもそも相手もいない。未来に何の希望も抱けず、ただ日々を過ごしていた。
そしてそんなある冬の日。いつも通り、バイクに乗って出勤した。……私の記憶はそこで一度途切れる。いまだに、事故の前後の記憶は戻っていない。