14 人生は続く
毎日二話更新。こちら二回目です。
これにて、交通事故から社会復帰までの振り返りは以上となる。こうやって改めて思い返してみると、ちょっとイベントが多すぎるんじゃなかろうかと。特に最後の工場面接。本当、なんでああなったのやら。
それから、やはり忘れてしまった事がずいぶんと多い。病院で治療中の頃や、自宅療養していた時にどんなことをしていたか。あまり思い出せなかった。入院中はたぶんひたすらウェブ小説や電子書籍を読んでいたと思うのだけど、具体的に何を見たのだったか。
忘れてしまった事といえば、もう一つ。実はこの文章、皆さまにお出しする前に友人に読んでもらっている。その彼がこういうのだ。
「治療中何もしなかったことを悔やんでいるようですが。あの頃の貴方はだいぶ参っていらっしゃった覚えがありますよ」
と。そうだったかなぁ? と大いに首をかしげたが、具体的なエピソードを伝えられてやっと思い出した。まあ、具体的な時期については忘れたままなのだが。
あれはたぶん、まだ仕事が決まっていなかったころ。父親から、就職について急ぐようにといわれた……のだと思う。それなりに長い話だったのだろう。足や義足についても言及があったような記憶が朧気にある。私は耐えられなくなった。そして出たのがこの言葉。
「俺は普段、『平気な自分』でいるようにしている。『平気な自分』ではない俺は、足を失った俺なんだ。足を失った俺は、辛いんだ。就職については自分で動いているから、放っておいてくれ!」
これだけ言い捨てて、父親の前から逃げた気がする。このエピソードを、友人に言われるまで本当にすっぱりと忘れていた。
それを踏まえて、改めて事故から社会復帰までの約二年を振り返ってみる。そして出てくる私の結論は、人生に正解などないというありきたりなものだった。
私は事故について、あえて深く嘆かない事を選択した。おかげで周囲にそれほど心配をかけずに済んだ。母もそれについては良かったと言っていた。これ自体は、間違っていなかったと思う。
だが一方で、私の心には暗い影が未だに残っているのだと思う。普段の生活では表に出てこず、感情の爆発を後押しするように現れる。癒えず残る心の傷である。
しかし、その傷が悪いものかといえばまた違う。メンタルには辛い影を落とすが、私のライフワークである創作活動には大きな影響を与えている。怪我の経験も、文章に役立っている。
一つの行動に、複数の意味が発生する。良い面と悪い面、どちらとも言えない面。それらが人生を彩っていく。そして時間が経つと、良い悪いがひっくり返ったりもする。
私の愛する物語。梶島正樹先生の天地無用シリーズの登場人物、宇宙一の天才科学者白眉鷲羽女史はこのような事をおっしゃっている。
思考を硬直させず、常に考え続けなさい。状況が変われば答えも変わるのだから、と。その言葉を元に、私の記憶の物語を思い返す。
事故を起こして治療中の頃と、今の私。多くの事柄で差異がある。年齢、生活、環境、仕事、趣味、なろうでの執筆、書籍化。なるほど、鷲羽先生のお話通りだ。過去と今では、その時の正解がずれるのも当然。良し悪しすらも変化する。
私の人生は、怠惰、失敗、後悔、怒り、恥辱が山のように積み重なっている。そしてそれを見えないように念入りに娯楽でコーティングしようとして失敗している。どうしようもないゴミ山にみえて、実は生ごみである。
生ごみなので、発酵すれば肥料として使える。現在、私の創作畑のこやしとして有効活用している。まだまた使いきれていない。決戦世界のダンジョンマスターという作物は育て終えた。次は新しい苗を植えようと考えている。
今がどうしようもなくても、先は分からない。正しく生きようと務めるのは当然だが、選択が成功か失敗かは後にならないと分からない。さらに言えばそれも変動する。法に触れないのは当然として。マナーも守れた方がいい。
その上で、日々生きることを諦めない。きついからとさぼって投げ出してもいい。でも生きる事だけは止めてはいけない。案外何とかなったりしたりもする。実際、怠け者の私はこうなった。
もちろん、すべての人がこのようになるなどとは口が裂けても言わない。もっと良く生きている人はたくさんいるだろう。私の年齢なら、結婚して子供がいるのが当たり前なのだし。
まあ、上手く生きている人たちはそのように幸せであればいい。怠け者や外れ者も、それなりに生きていくだけである。
このお話はこれまで。怠け者の私は、今日も義足で歩く。