インボイス
「ねえ、ユウリ?」
「なに?」
台所で洗い物をしていたカナが話しかけてきた。
俺はそれにゲームをしながら答えた。
「ごめん、10月から出張入った」
「へぇ。場所どこさ?」
「北海道」
「ああ、いいなぁ。美味しいものいっぱいだし。涼しそうじゃん。何泊?」
「3ヵ月」
「は?」
「3ヵ月」
手が止まってしまったため、画面上で自機が大破した。
(今頃カナは空の上、か)
会社でキーボードを打鍵しながらカナの事を考えていた。
社会人になってからはずっと同棲していたので今日帰ってもカナはいないし、待ってても帰ってこない。
その事実がうまく飲み込めずにいる。お互いいるのが当たり前だったもんな。
まあ、でもつまりは今晩遅くまでゲームしても怒られないって事だし。
夕飯は好きなもの食べれるってことか。
そう思うとちょっと楽しくなってきた。
『今から行ってきます』
『無事着いたよ』
『思ったより涼しかった。もう一枚着とけばよかった』
『こっちのマンスリーマンション着いたー』
『荷物開けるのメンドイ……』
『どう羨ましい?今晩の夕食、ちょっと奮発しましたー』
ご飯を食べてマンションに帰り着く頃にはLINEにはカナからのメッセージが写真付きでたくさん届いていた。
『お疲れ様。無事着いたみたいでよかった』
そう返事を返すと、ゲーム機の電源を入れた。
するとスマホが鳴った。
「ユウリ、元気?」
「今朝会ったばっかじゃん。そっちは、……疲れてる?」
少し声に疲労の色が強く出ているように感じた。
「ちょっとね。北海道、やっぱ遠いや。荷物も出さなきゃなんだけど、明日仕事だし全部は無理かなー」
「お疲れ。ま、全部出さなくてもいいんじゃないか?仕事に行ける体勢が整ってれば」
「そっかなー?」
「ヘトヘトな状態で出勤初日迎える方が困るでしょ?」
「そっか。うん、そうだね。ユウリはちゃんとご飯食べた?」
「外食で済ました」
「私も今日はそうしたけど、あんまり好きなものばかり食べちゃダメだよ?野菜も食べないと」
「わかってるよ」
「洗濯はした?」
「一人だし数日溜め込んでも問題ないだろ?」
「うーん、でも、習慣にしてないといつの間にか明日着る服がないって事に」
「大丈夫だって」
「ホントかなー?……ねえ、ユウリ」
「何?」
「寂しいよ」
そのカナの言葉に思わず苦笑いが出てきた。
「まだ一日経ってないってば」
「それでもさ、寂しいものは寂しいよ」
「3ヵ月すれば戻って来れるって」
「それでも、寂しいものは寂しいんだよ。……大好きだよ、ユウリ」
「うん。俺もだ。お休み、カナ」
「え……うん、お休みユウリ」
電話を切ると俺はスタートを選択した。
「……やばい、着るシャツがない」
昨晩も洗濯しないでいたら洗濯済みのシャツを切らしていた。
仕方なく、比較的マシなシャツを選んで袖を通す。
部屋を眺める。服が散乱して、モノがあちこちに移動していた。
実家にいた頃はもう少しマシだったと思うんだが、注意する人が誰もいないと俺はこうなってしまうらしい。
キッチンは綺麗だ。使っていないから。
外食ばかりだからだ。野菜は……一応必ず少しでも食べるようにしている。
スマホを見てみたらカナからのLINEが入っていた。
『ただいま。今帰った。ふー疲れた。ねえ、起きてる?』
『お休み、ユウリ』
日付も回ってだいぶ経った頃だった。俺はそのころすっかり寝ていた。
『おはよう。大変みたいだね。行ってきます』
すぐ返事がきた。
『おはよう。行ってらっしゃい。私も行ってきます』
『お疲れ様。今家帰ってきた。今大丈夫?』
『寝てるみたいだね。お休み。大好きだよ』
『おはよう。お疲れ様。頑張ってね。行ってきます』
『お疲れ様。ようやく帰って来れた。しばらく遅そう。嫌だなー。ねえ、今日は話せる?』
『お休み。大好きだよ』
『おはよう。大変みたいだね。なあ、無理して連絡しなくてもいいんじゃない?仕事が落ち着いてからでよくないか?』
『おはよう。なんでそんな事言うの?』
『カナの負担になるだろ?』
既読はすぐだったが返信までは少し時間がかかった。
『わかった』
数日後の金曜日
『ねえ、別れよっか?』
というLINEが日付が回った頃に届いた。
金曜で夜遅くまでゲームをしていたのでリアルタイムにそのメッセージを読むことができた。
『なんでそうなるんだ?』
『あ、今日は起きてたんだ』
『今電話大丈夫か?』
『もう今日は疲れたから寝るね?また明日話すね。お休み』
その後何度電話してもカナは出なかった。
「……なんでココにいるの?」
チャイムを鳴らした扉の開いた結果が、その第一声だった。
「案外近いな北海道。朝一の飛行機に乗れたらこの時間に着けたわ」
いや、まあ、当日料金の航空券と電車なかったからタクシー使ったので相当懐には大打撃なのだけど。
「そういう事じゃなくって」
「緊急事態だったから。俺は別れたくないからココに来た」
「電話やリモートでよかったじゃん」
「カナの顔がよく見えないし、俺の顔もよく見えないじゃん。大事な話だから」
その言葉にカナが顔を歪ませる。
「ならなんで普段のLINEは素っ気ないのよ!」
「だって普段は特に話すことなんて」
「いいの、それでも私が聞きたいの!そばに居れないんだからせめて身近に感じさせてよ!同じ時間を過ごしてるんだって実感させてよ!
なによ、私ばかり連絡して!報告して!私ばかり好きって伝えて!ユウリってば本当に私の事好きなの!?」
「好きだよ。だからココに来た」
「……それ、ちゃんと毎日言ってよ。離れてるんだから不安にもなっちゃうよ……。あがる?」
「お邪魔します。正直東京との温度差考えずに来たからすごく寒くって」
そこでようやくカナが笑う。
「バカね」
「カナの部屋にあがるのって、そういえば学生の時以来だな。ちょっと懐かしい」
部屋の中を眺めてみる。カナらしく片付いて……というか
「キレイっていうより、そもそもモノがないな。備え付けのエアコンだけじゃ寒くないか?ファンヒーターとかコタツ買わなかったの?」
「だって……」
カナは言いたくなさそうに視線を彷徨わせていたが、諦めたらしい。悔しそうに言った。
「私の家は東京にあるんだもの。モノ、増やしたら帰った時邪魔でしょ?」
「本当は私もユウリが私の事好きだって分かってる。でもね、実感したいの。こうやって一緒にいると、ちゃんと私の事想ってくれてるんだって態度で分かるんだよ?
でもね、離れてたら言葉にしてくれないと全然伝わってこないんだ。不安になって仕方ないんだよ!」
カナは涙目だった。
「うん、ごめん。俺の考えが足りなかった。でも、俺はカナの事好きだから。別れたくないから。だから思い直して欲しい。そういうトコ直すから」
「……条件があります」
「なんなりと」
「毎日、部屋と洗濯カゴと、ご飯と、買い物したレシートの写真を送ること」
「……そんなんでいいのか?」
「私も忙しくてもできるだけ写真とか送るね。同じ時間を過ごしてるんだってお互い思えるように」
「ありがとう。ところでお願いがあるんだが?」
「え、なに?」
「今晩泊まっててイイ?」
「え?……フフ。もう、仕方ないなぁ。お昼どうする?折角だし、外に北海道名物でも食べに行く?」
「いや、できればカナの作った料理が食べたい」
「わかった、いくら丼作るね?」
「え、いや、そこはできればカレーとか普段作ってたものにしてくれないか?」
あれはまだ二人が学生だった時
「あ、あのさ……俺、カナの事がその、好き、なんだ。だから……俺と、付き合ってくれないか?」
初めに好きと言ったのは俺の方だった。
いやー重かった重かった。口にするのも躊躇われた。
それに比べて今はなんと『好き』の言葉が軽い事。当たり前だ。だって、カナも俺の事が好きだって知ってるんだもの。分かってるんだもの。信じ、きることができるもの。
それを口にしていい安心の信頼関係、なんだもの。好きな人に好きだと言っていいんだという幸福感。
じゃ、今俺はどうすればいいか。もっと軽くしていいんだ。だってカナが言って欲しがってるんだもの。もっと思っただけ伝えればいい、ただそれだけの話。
『大好きだよ、カナ』
『ちょっと、それより部屋散らかり過ぎ。あと食費高過ぎなんですけどー?』
軽くなり過ぎたらしい俺の好きという言葉は食費高過ぎ問題にあっさりと負けた。
『ねえ、自炊してとは言わないけど、せめてテイクアウトするなりしてウチで食べてよ?』
と、最近無駄遣いをすると何かと「飛行機代」とボソッと言うのでハイハイと答える。
スーパーで惣菜を買ってきて、扉の鍵を開け、暗い部屋に明かりを点ける。
電子レンジで温め直して、スマホで写真を撮った後、一人「いただきます」と言って箸をつける。
消費税は確かに2%分安い。ただ、この部屋で一人で食べてると、2%安いとかどうでもよくなるぐらい寂しさが込み上げてくるのでずっと外食してきたんだ。
早くカナ、戻ってこないかなーと思いつつ、ひとまず夕食の写真と一緒に「寂しいです。早く戻ってきて」とLINEを送った。
正しくは電話だけではなくWebカメラとか使うんでしょうが、話が煩雑になるため省略しました。