第三話 鉄の姫君
いわゆる天才と呼ばれる一人の少女がいた。彼女は幼少のころから軍学を修め、あらゆる武器を手足のように扱えるように鍛錬を積み、政治についてもいかにすれば民衆を従えられるかを学んだ。彼女は12歳で軍学の師を仮想戦とはいえ完膚なきまでに撃破し、15歳にしてあらゆる武器の扱いにおいて軍で五指に入る実力とうたわれ、19歳の現在では王を超える絶大な人気を民衆から得ていた。
彼女は天才だった。世が世であれば、いやどんな世の中においても賢君と慕われ英雄と称えられる器の持ち主であろう。が、世の中はそれを許さなかった。ひとえに、彼女が女であるがゆえに。が、彼女は周囲の雑音などどこ吹く風。ひたすらに学び鍛錬を積み、求道者の道をひたすらに歩み続け、いつしか鉄の姫君という渾名が隣国にも轟くようになっていた。
「で、僕の妃はその鉄の姫君、と?」
「はい、そのようでございます。しかし、如何に家中で疎まれている者とはいえ、かの大国から妃をとることができるとは、これほどの名誉はそう見当たりませんぞ」
老騎士グレイヴは誇らしげに胸を張る。リナレスはそれとは逆に溜息をついた。
リナレス・フェイブルが統治するフェイブル公国は山間部に主な領地をもっており、人口が少なく生産力もない歴史だけが取り柄の、いわゆる小国である。対して、鉄の姫君の出身国であるライナリアス帝国は大陸の母なる川であるユーフラル川の河岸の半分を領し、大穀倉地帯から生産される大量の穀物とユーフフラル川の水運から上がる莫大な資金をバックに領土を広げる大国であった。常識的に考えれば、山間の小国に平原の大国の姫君が嫁いでくることなど考えられない筈である。
「じい、もうぼけてしまったのかい? 遊び人の僕程度にも分かることを分からないとでも?」
リナレスの眼光は珍しく鋭い。この調子が続けば立派な王になれるだろうに、とグレイヴは残念に思いながら口を開いた。
「……宰相が国を売ったということでしょうな。大方、王子が生まれた途端に陛下の首を差し出して、自分は幼王の後見役としてフェイブルの地を牛耳るつもりですな」
「だよね。というわけで、鉄の姫君との縁組はなかったことに。鉄仮面みたいなゴツイ女は僕の守備範囲外だよ」
「左様ですか。宰相がなんと申すか分かりませぬが、断わりま……」
「なんだこの女!? 貴様どうやってここまで、ぐあっ!?」
「貴様っ! ぐおっ!?」
「出遭え出遭えぃ! 賊が城内に侵入したぞ!!」
「何やら、城内が騒がしいですな」
グレイヴが眉をひそめる。リナレスは肩を竦めた。
「賊なんて珍しいね。こんな何も無い城に押し入って何を得ようっていうんだか」
「小国の城だと侮られましたかな? 私が直々に教育した近衛騎士団は大国のそれにも引けを取らない……」
「ば、バカなっ! 一太刀も見舞えないだと!?」
「だ、団長を呼べ! いや、グレイヴ様をお呼びしろ!!」
「ここはもう保たん! 兵をかき集めて、何としても賊を捕らえるのだ! いや、殺してもかまわん!!」
「……何やら押されているようだけれど」
「再指導が必要でしょうな……」
グレイヴは腕を組み、眉間に深く皺を寄せる。
「ここは大丈夫なんだろうね?」
「私がいる限り、陛下は大丈夫です」
グレイヴは答えになっていない答えを返し、剣の柄の先に手を置いた。リナレスは深く腰掛ける。当然のように丸腰である。グレイヴはあきれた表情を作る。
「陛下は、御自分の身は自分で守ろうという気は無いのですかな?」
リナレスは更に腕を組んだ。
「無いね。僕は無駄なことはしない主義なのさ」
「全く」
グレイヴが小さくため息をついたのと同時、王の執務室の扉が勢いよく開く。転げるようにして入ってきたのは一人の近衛兵だった。
「お、お逃げください陛下! 間もなく賊がここまでやってまいります!」
「へぇ、そう」
リナレスはそれだけ返しただけで動こうともしない。兵は焦れるようにもう一度声を上げる。
「陛下っ!」
「良い」
いきり立つ兵をグレイヴが制す。
「しかしグレイヴ様っ!」
「良いというに。それより、攻撃を中止して賊をこの部屋に連れてこい。陛下が興味をお持ちのようだ」
「その必要は無い」
凛と澄んだ女の声。大きな声ではないが、それは鈴の音のように確かにリナレスの鼓膜を震わせた。
「しかし、警備の手薄な城だ。これで自分の身を守っているつもりか、我が伴侶になる可能性のある男よ」
姿を現した女は戦女神であった。少なくともリナレスにはそう見えた。
すっと鼻筋が通った整った輪郭、ともすれば冷たいという印象を与えそうなつり目、きゅっと閉じられた薄めの唇、後ろでまとめられたはちみつ色のロングヘア、純白の鎧と純白の装飾品。人形のような完璧な容姿である。
女は剣を構える。
「さぁ、我が剣、受けられるか!」
女は構えの状態から一瞬でトップスピードに乗る。その勢いのまま、無駄のない流れるような剣筋でリナレスの頭をたたき割らんとする。が、それはグレイヴの剣に阻まれた。
「ふむ、なかなかの剣筋だな。貴殿が噂の鉄の姫君、ソフィア・ライナリアスか」
「貴公こそ、なかなかの剣。老いる前に仕合ってみたかったものだ」
グレイヴが剣を引くと、鉄の姫君ソフィアも同じく剣を引き、鞘に戻した。どっかりと腰を下ろしたままのリナレスが口を開く。
「大国の姫君が賊のまねなんぞして何の用だい? 婚約の日はまだまだ先の筈だけれど」
「我が剣気を間近で受けて眉ひとつ動かさぬか。噂よりも骨はあるようだな」
リナレスは肩を竦める。
「それは良かった。僕は君のお眼鏡にかなったかな?」
「失格ではない、といったところだな。今日は下見だ。我が伴侶が小心者でもブ男でも無くて安心したぞ」
「そりゃどーも」
ソフィアはふっと笑って踵を返す。
「では、婚約式典を楽しみにしているぞ。くれぐれも私を失望させぬようにな」
「もう少しゆっくり……ってもういないし」
リナレスが声をかける前に、すでにソフィアはいなくなっていた。城には静寂が戻ってきている。彼女が来たことなど夢だったかのようだ。
「嵐のような方でしたな」
「ああ。それに落とすのは難しそうだよ。……燃えるね」
リナレスは闘志を燃やすように拳を強く握りしめた。グレイヴはあきれたように溜息をつく。
「それでは、縁談は進んでもよろしいのですね?」
「ふっ、どうやって落としてやろうか……」
グレイヴの声はリナレスに届いていない。いつもの悪い癖だと判断して、グレイヴは放置することに決めた。
「しかし、あれほど剣を使える者を政治の道具に使うとは勿体ない。私だったら外にやることはしないが。何にせよ、彼女が輿入れしてくる日が楽しみであるな」
グレイヴの中では王に権力を取り戻すための新たな方策が構築され、リナレスの中ではあの鉄の姫君を如何にして落とすかの作戦が幾層にも積み重ねられていくのだった。
疲れた……
といってもフツーの作者さん方の更新スピードはこのくらいですよね。僕の筆が遅すぎるんでしょうか。
今回はお姫様登場、の回でした。動きが少なかったので地の文が著しく少ない……。修業しなきゃ。
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