第一話 看板のない怪しい店で
太陽は天頂で燦々と輝き、空は澄み切ったブルーで雲一つ無い。気持ち良い夏の日の昼下がりである。
王都のメインストリートには露店が並び、それを冷やかす家族連れや腰に剣を差した冒険者でごった返している。
そんな活気溢れるメインストリートから一本外れた人気の少ない狭い路地に、その店はひっそりと門を構えていた。といっても、入り口の扉自体は周りの民家と何ら変わった所はなく、何も知らない者は気さえ止めないだろう。
その扉の前で、初老の男性が立ち止まった。
漆黒であったであろうオールバックに固められた頭髪は白髪が混じってグレーになっており、顔に刻まれた無数の皺は深い。が、その漆黒の瞳は老人とは思えないほど炯々と輝いており、年齢を感じさせない筋骨隆々とした肉体は彼を一回りどころか二回りは若く見せている。
彼は店を見上げると、眉間の皺を深くし、ため息をついた。部下の報告が間違えていなければ、彼の主君はこの看板も掲げられないようないかがわしい店に居るからである。
彼は諦めたようにもう一度ため息をつき、店のルールに従いドアを三度、ノックした。すると少しだけドアが開き、年端も行かぬ少女がひょっこりと顔を出す。
「今日は貸切となっておりますのでお引き取りください」
少女がそのままドアを閉じようとしたところを、彼はがっしりとドアを掴んだ。
「わたしは客ではない。王子を連れ戻しに来たのだ。王子を呼んで欲しい」
「それはできません。お引き取りください!」
少女は顔を真っ赤にしてドアを閉めようとノブを引っ張る。が、ドアはびくともしない。少女と男の力の差は歴然である。
「帰って、ください〜!」
「それは出来ぬ相談だ」
男は眉一つ動かさずにドアを力任せに引き開ける。少女がずずずと引きづられた。
「止めてください〜!」
「済まんな」男は苦もなくドアを開き、店の中に侵入した。
「あ〜ん! またお姉さまに叱られる〜!」
後ろの方で少女がべそをかいているが、男にとってはいつものことであるので気にする素振りもない。
と、男の正面に妙齢の美女が立ちはだかる。美女は豊満な胸を強調するように腕を組んだ。
「グレイヴ様。何度お願いいたしましたらお止めくださるのかしら」
「文句はわたしではなく仕事をサボってここに来る王子に言え」
男は憮然とした様子で言い放った。美女は口元を隠して小さく上品に笑う。
「まったく、王子様は困ったお方ね。また一人の可愛い妹が自信を無くしてしまったわ」
「そう思うのなら王子を立ち入り禁止にして欲しい。それより、王子はどこだ?」
「いつもの部屋でお酒を飲んでおられますわ」
美女はそう言って、すっと道を開ける。男は美女に軽く頭を下げてから、店の奥へと歩き出した。
その部屋に近づくに従い、乱痴気騒ぎの余波が初老の男にまで届いてくる。彼のこめかみがひくつく。彼はいつもの部屋の前に立ち、一つ深呼吸をした。
「失礼致しますぞ!」
そう断って、バンと勢い良くドアを開けた。同時に、男は眉間を右手の親指と人差し指で強く抑えた。
王子は女性達の中に埋もれていた。ある女性は王子の脚にしなだれかかり、ある女性は後ろから王子の首に腕を廻して豊満な胸で王子を埋もれさせ、ある女性は無い胸を必死で王子の腕に押し付け、ある女性は王子の膝の上に腰を下ろして正面から抱きついている。
これで困った表情をしているのなら可愛いものなのだが、その表情はまさしくエロオヤジのそれである。女性の尻や胸を触りながら、女性が恥ずかしがる様を眺めて悦に入っているのだ。
初老の男はともすれば血管がブチきれそうな感情を何とかかんとかなだめすかし、きわめて冷静を装って口を開いた。
「王子。大変な事件が発生いたしました。至急、城にお戻り下さいますよう」
王子は男の存在にようやく気づいたように顔を上げる。が、すぐに女性の胸へと視線が戻った。
「じい、それはこの娘のけしからん胸の成長よりも大事なことなのかい?」
王子は背中に取り付いている女性の砲弾のような胸を軽くタッチする。女性はイヤンと体をくねらせるだけで、王子から離れようとしない。満更でもないらしい。
男のこめかみと口元がひくひくとひくつく。男は爆発しそうな怒りを無理矢理押さえ込んで極力いつも通りの調子で王子に答えた。
「そのようなものなど比較対象にすら成り得ません。どうか、御帰還ください」
「え〜? まだ払ったお金分もこの子たちと楽しんでいないのに?」
王子はそう言いながら、頭上の双丘にぐりぐりと頭を埋める動きをする。
「やんっ、王子様のえっちー」
「王子様ぁ、ユナにばっかりじゃなくてあたしにも構ってよぅ〜」
「あ、ズルい! そういうおねだりはしない約束でしょ!」
「ねぇ、うちも〜」
「ちょっ、ちょっと! もう! ………王子様、わたしの胸もなかなかのものなのよ?」
ワイワイと騒ぎ始める女性たち。女三人寄れば姦しいというが、それどころでは無い騒がしさである。
ぶちん。
何かが切れる音が、小さくはあれど確かに、した。
男は一切の表情をその皺の目立ち始めた顔から消し去り、大きく息を吸い込む。
「黙れ淫売共! 貴様らの居住権を取り上げて女に飢えたゴブリン共の群に放り込むことも簡単に出来るのだぞっ!!」
そして一喝。場は瞬時に静まり返る。女性たちは王子にしがみついて、かたかたと震えている。
王子は大きくため息をついた。
「あーあ。じいのせいで遊ぶ雰囲気じゃ無くなったじゃないか。………それで、何が起こったのさ?」
「陛下が、暗殺されました」
男は眉間の皺を深くし、低く響く声を絞り出した。王子は不満そうな表情を変えようともしない。
「そんなこと? 僕には関係の無い話じゃないか。第二王子の僕には、ね。話がそれだけならもう少し遊ばせてよ。今日中には帰るからさ」
「それだけではありません。第一王子のリチャード様は放逐され、殿下に玉座が回って来ました」
王子は男の言葉にピクリと眉を上げる。
「ふぅん……。お飾りなわけね。それじゃ尚更遊んでいても大丈夫じゃないか」
「何を仰る! お飾りとはいえ貴方は王になるのですぞ!」
「あのねぇ、じい」
王子は女達を退かして、立ち上がる。上背は周りの女達より少し高い程度、線が細い体だ。王子は手を広げ、その悪く言えば貧相な体を強調する。
「こんな貧相な体でどうやって老獪な宰相やら大臣やらを操ればいいのさ? 僕は操り人形でいいから、好きにさせてくれよ」
「……貴方のご母堂の悲願ですぞ」
男が躊躇いながらもそう口にした。王子の顔が悲痛に歪む。
「卑怯だぞ、じい。それを言われたら、動かない訳にはいかないじゃないか」
「私は全力を尽くして貴方を王にして差し上げましょうぞ」
男が真っ直ぐ王子の顔を見る。王子はしばらく俯いていたが、やがて顔を上げた。
「……わかった。僕は立派にじいの神輿を務め上げよう。まず、城に帰ろうか」
「御意」
王子の目は先程とは違い、決心と活力で充たされていた。
お久しぶりの方はお久しぶり、初めての方は初めまして。
ファンタジー要素いっぱい詰め込みつつ、全くファンタジーっぽくない作品を目指していきます。
今後ともご贔屓いただけるとうれしいです。