第二十一話
自分は母さんとは喧嘩をしたことはない。母さんを傷つけると父さんがかなり怖いからという理由もあるが、母さんと話していると喧嘩することがバカらしくなってくる。感情を素直に前に出す母さんは、表情に変な含みがない。自分は表情の中に色々な考えを含めてしまう。こういう表情をした方がいいとか考えてしまう。クレーム対応なんかがいい例だろう。自分でも思う。自分の笑顔には裏がある。自分は単純に母さんに弱い。母さんのその表情に憧れと、苦手意識があるから。
「ほら見てみてよ。この結ちゃんの笑顔。あんたの数倍は可愛いわよ。」
不意をつかれたのか、結さんの顔に一瞬緊張が走る。しかし、言われたことの意味を理解したのか顔が赤くなっていく。
「ほら母さんいいから。お腹空いてたんじゃないの?」
「そうだった。ごはん、ごはん。早くしろ。」
「今から作ってもかなり遅くの時間にしかできないから今日は食べに行こう。」
「うん?仕事放棄かな?これはパパに連絡かな。」
「いいじゃない。たまには外で食べようよ。」
仕方ないなと言わんばかりの顔をし、何かを思い出したかのように、
「仕方ない。いいよ。ただし今度、結ちゃんと結ちゃんのお父さんをうちに招くからもてなすように。」
結さんも聞いていなかったようで少し驚いていた。今思いついたばかりの案なのだろう。母さんは得意げな顔をしているのが腹たつ。
「わかったけどいつにするの?結さんと結さんのお父さんの予定もあるでしょ。結さんのお父さんは特に忙しい方なんだから無理は言えないよ?」
「そこは心配ない。もともと、日向先生だけは呼ぶ予定だったからスケジュールは確保済み。結ちゃんが1人増えても問題ないでしょ。あっ、あと中村先生も呼んじゃおうかしら。久々に会いたいわ。」
「それも初めて聞いたんだけど。中村先生も予定あるかもしれないじゃん。」
母は一瞬考えるような格好を取るが、こっちを見て
「まあそこらへんはあんたに任せるわ。どうせ職場は同じ敷地内なんだから。」
やっぱりというか、予想通りというか。今回は自分に頼んだ方がいい理由があるから仕方ないが、自分の思いつきでは始まるのだから面倒なことも自分で責任持ってやってほしいものだ。
「わかったけど、いつにするの?できるだけ早く予定抑えないといけないけど?」
「いつって、今週の土曜日だけど。もともとその日に日向先生来る予定だったから。」
まじか。母さんのお願いなら自分が断れないことを知っている中村先生なら無理にでも予定を空けてくれるだろう。年頃の独身男性、もし彼女がいてデートの予定でもあったら大変申し訳ない。
「急すぎるよ。一応聞いてみるけどさ。」
「ありがとね。無理はしないでって言っておいてね。結ちゃんはどうかしら?予定とかある?」
結さんは戸惑って入る様子だったが、母さんの笑顔を見ると、
「大丈夫です。本当にお邪魔しても大丈夫でしょうか?」
「大丈夫大丈夫。何にも問題ないわよ。寛の負担が増えるだけだから。何にも考えないで楽しみにしておいて。」
結さんは、自分の顔を見て「どうしよう」と困ったような顔だった。別に自分的には1人増えようが2人増えようが関係ない。笑顔で「大丈夫ですよ」と返すと少し悩んだ末に、
「ではお願いします。父が迷惑をかけないように監視しないと。」
「そんなのいいのいいの。楽しんでもらえた方が寛も嬉しいから。」
「では、土曜日に待ってますね。母さんそろそろ帰ろう。もうそろそろ、お店も閉まっちゃうから。母さんも話に夢中で忘れてるかもしれないけどお腹空いてるでしょ。」
「そうだった。話に夢中で忘れてた。早くご飯。」
話に夢中になりすぎて気づけば9時を回っていた。流石に自分もお腹がすいてきた。この時間で空いている店になると、ファミレスくらいだろう。ファミレスであれば母さんの要望であるトンカツもあるだろう。しかも、揚げ物の後の嫌な片付けもない。
「では、また明日ということで。メニューのことで色々聞くので何か食べたいもの考えておいてくださいね。母さん、すぐに着替えてくるから待ってて。」
そういって自分はその場を後にした。