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コウモリとは暗い洞窟のイメージと結び付けられるものだが、実際のところ、多くのコウモリは洞窟の出口に近い場所に生息している。いつでも外に飛べるように。ある日洞窟が崩れると、コウモリの群れは外に飛び、新しい棲み処を捜し求める。時には人間の住む場所にもコウモリが見られるが、彼らを見た人間は大抵驚かされる。コウモリからすれば、人間の声、窓辺のヤモリの声、畑の中のカエルの声、どれも聞き慣れたものだから、初めて出遭った時の驚きを忘れた者も多い。田舎の民家には、夜中でコウモリが舞う光景を見慣れている人もそれなりにいて、彼らもまた子供の頃初めてコウモリを見た時の気持ちをもう思い出したりしないのかもしれない。世界を探索すれば探索するほど、コウモリも人間も多くの驚きに触れて、多くの物事に驚かなくなって、やがて新しいものを見つけたときのワクワクを思い出せなくなる。この不治の忘却には、見たことも無い、新しいよりも新しい物事を緩和剤として次から次へと投与することで、未知を探索する心が死ぬ前に出来るだけ生き長らえさせる他は無い。


「お母さーん!お化けが出たよ……!」


リビングに入るや否や、彼女はニュースを観てる母の懐に飛び込んでいった。


「びしょびしょだからシャワー浴びてきなさい!私の服まで濡れちゃうじゃないの」


「でも……お母さん……!お化けを見たの!バスの中にいっぱい……ポンっていきなり出てきたの!バスで死ぬとこだったよ!」


母の反応はタメ息だった。


「そう……?ニュース観て」


画面の中に、ニュースキャスターがデカい四角い顔をしたメガネの人をインタビューしてる。デスクの上に名札が二つ置いてあって、左はキャスター、右は「冥界広報官」と書いてある。ニュースタイトルは、「冥界より緊急避難要請」。


「しかしまあ、今回はビックリしましたよね」と苦笑したキャスター。「いきなり幽霊がたくさん出ましたからね、ニュース観てない方々は大変怖かったんでしょうね」


「観ていても怖いんじゃないかと。幽霊の一般的イメージはそういうものですからね」と広報官。「大至急この度の危機を解決し、全員無事帰らせる方向に努力しますので、それまでは宣伝をよろしくお願い致しますね。宣伝をしないと本当に死ぬほど怖いんでしょうから」


「はい。現在冥界の情勢は好転する様子を見せていませんので、皆様はもし夜お外でお化けさんに出会ってしまったとしても、どうか怯えないで下さい。彼らも避難のために止む得ず上がってきたんですから、決して皆様に危害を加えるようなことはしません」と、10分前の台詞を繰り返すキャスター。どうやら10分毎に宣伝をするつもりらしい。


「それにですね、むしろ今の方が、もしかするとあなた方にとって安全なのかもしれないかと思いますね」と、メガネを押さえる広報官。「お化けが悪さをするのってそこそこあるんじゃないですか。こちらも検挙は勿論しておりますが、キリが無いってのが正直の所ですね。今なら、地上に一般人が多いんですから、そういう犯罪者も迂闊には動かないんじゃないでしょうか」


「でも一般の幽霊が悪さをするケースはどうなんでしょうか」


「こちらは警備を強化しておりますので、まず起こらないと思いますが、もしそういう犯罪が発生した場合は必ず対処します。向こうに警備が要らなくなっている現状ですから、全力で一般の生者の方々を守ることに集中できると思われます」


テレビの中の二人――左の人は今のキャスターで、右の人は冥界の広報官で数年前亡くなったキャスター――が、さらりと幽霊の話をしている。あまりにも不自然な光景だ。


「な……なんなのこれ?」彼女はテレビ画面にガン見している。二人の話がまったく頭に入ってこない。「ありったけのお化けが出てきてるってこと?」


「地獄に火山噴火が起きたらしいの」と、母は10分前にテレビでやってた話を大雑把にまとめた。「お化けの王様が怒ったから火山が噴火しちゃって、お化けたちが避難しに来たんだって」


「アホな」彼女はたった三文字で感想を述べた。


「だって現に出たじゃん。右の人、八年前に死んでるし。しかも太ってるぞ。地獄ってそんなにいいとこなの?」


彼女はやはりテレビの話が受け入れられないけど、確実に地獄とは言ってなかった。


「……つまり、太陽の光は幽霊に悪いので、彼らは昼間では屋内に宿りますが、姿を見えなくしますので、ジャマになったりはしません。夜になるとなるべく屋外で活動をしますので、ご安心ください」と、また説明し直すキャスター。


「見てらんない。シャワー浴びとく」と、彼女は立ち上がってすぐ上の階に行った。


「さっきは抱きついてくるほど怯えてたくせに……」と嘆く母。


秋初め、夜、眉月、風なし。外の闇は、家の中へと蔓延る。


彼女は疲れきった身体(と、びしょ濡れで三倍重くなった制服)を引きつって、二階に上がった。ドアを開けて電気付けようとしたら、部屋の中に人影がいると気づいた。暗くて顔がよく見えないけど、髪の毛が長く、ふわふわした服を着てる。そしてドデカい円筒形の帽子を被ってる。姿はボンヤリしてるけど、本を読んでいるように見える。彼女の本棚の本を。


彼女は踏み込めずに、ドアの前に留まった。


躊躇った末に、彼女はノックすることにした。


「……幽霊さんですか?」


相手がビックリして、手を滑って本を落とした。彼女もビックリした。見つめ合う人間と幽霊。


「お……驚かせちゃいました?すいません、ごめんなさい」幽霊がしゃがんで、さっき落としたカフカの『変身』を慌てて拾って、本棚にぶち込む。そして本棚に背を向けて、その本を全然読んでなかったフリをする。


「だいじょうぶです、こ、こちらこそ驚かせちゃいました?」と真似て聞き返す彼女。


「いえいえぜんぜん!どうぞどうぞいらしゃって、自分の家だと思って!」


「自分の家です」


「あっ。ごもっとも!」幽霊は叫んだ。「どうぞ!あたしのことは気にしないで!すぐ消えますから!」


幽霊は音一つ立てずに、一瞬で消えた。


「……まだいます?隠れてるだけですよね?」彼女は探ってみた。


すると幽霊はまた現れた。音一つ立てずに。彼女は二回とも「ぽん」って音がするのを期待した。せめて「すっ」くらいでも。小説で読んだような。


「すごい、なんでわかったんですか?」と感心してる幽霊。


「あの……あなた方の広報官がテレビで言ってました。姿を隠せるとか」しかもこの私が死ぬほどたくさんの(死んでるけど)幽霊と一緒にバス乗ってたんですよ!と、までは言わない彼女。


「おお、ごもっとも!」幽霊はまた感心した。「誰だか知りませんけど、あの広報官って人、ごもっともですね」


「あなたはどういう幽霊なんですか?」彼女は話題を変えた。「外国人みたいですけど」


「移民です!」と大きな声で答える幽霊。「あの――どこだっけ――とにかく遠い国で生まれたんです」


「生まれた場所も覚えてないなんて」


「2才の時、家族そろって別の国に引っ越したんです。そして引っ越して、引っ越して、引っ越してました。結局わたくし、死んじゃったんですけど」幽霊の話からすると、引っ越し続けた理由は、彼女の死を防ぐためだった。


「病気でもあったんですか?」


「うん。すごい病気。血を吐くほど、失神するほど咳をするの。父上はわたくしの病気を治すために、いろんな国に連れていって、名医を探してました。わたくしは、たくさんの薬を飲んで、毎日飲んで、できるだけ生き長らえようとしました。でも、まあ、今はこの通り死んでおります。もう何百年も前のことですから、病気じゃなかったとしても死んでたってパパが言ってました」


「ええ、人はみんな死ぬんですから」彼女は少しホッとした。自分もいつか幽霊になりに行くから、なにも怖くはないと、目の前にいる幽霊のおかげで思い出した。


「それに、そんなに生きようとしなくてもいいんじゃないでしょうか。わたくしは見ての通り死んでおりますが、生きてもおります。ここで」と、襟を正しながら語る幽霊。よく見たら、彼女はゆったりとした白っぽいローブを着ている。


「冥界って楽しい?」


「ぜんぜん。とても退屈でした。ずっと前から遊びに来たいと思ってました」と答える幽霊。


「そうですね。生きていればずっとここで遊んでいられるけど、死んだら退屈な場所に行くから、人は頑張って生きようとするってことですね」


「おお……」幽霊の目がキラリと光った。「ごもっとも!なんだか納得しちゃいました!」


「あはは、ありがとう」


人間と幽霊が、電気の付いてない部屋の中でいっぱい話した。幽霊のことを、いっぱい話した。そして、下の階から母の声が聞こえた。「ごはんだよ――」


彼女は現実に引き戻されたような気がした。つまり、今までは幻想の中にいたような気がするほどアンリアルな気分だった。幽霊、もう一つの世界、異国、そして白いローブと丸い帽子の少女のある幻想から、母の声で現実に戻されたのである。ご飯の時間なのにまだびしょ濡れの服を着てる上に、部屋の中の招かれざる客とお喋りを続けたい渇望感が拭い去れないという現実に。――しかも明日は期末テスト。


秋初め、夜、眉月、風なし。天気は、悪化する一方。

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