悪役令嬢と顔の良い男と求婚
ぱちり、と蒼い瞳が瞬く。深い海のようなその色は、夢の中で見たものとよく似ているが、異なる。きれいだな、と思った。とても綺麗だ。ぼんやりとそう考えて、その瞳に映る自分を見留めた、次の瞬間、その人は飛び退くように離れていく。勢いがつきすぎて座っていたらしい椅子がひっくり返り、盛大に尻餅をついた。え、え?ルナマリアが困惑していると、その人はゆっくりと立ち上がり、椅子を直し、真っ赤な手で口元を押さえながら、更に真っ赤な顔でルナマリアを覗き込んだ。
珈琲色の、少し癖のある髪。あまり濃くはないのに凛々しい眉と、長い睫毛に覆われた切れ長の瞳。すっと通った鼻に、長い指から覗く、薄めだが形の良い唇。美しい男だった。顔が良い。ルナマリアは鏡を覗き込めば美しいものが見れる生活を送ってきて、少々目が肥えているのだが、それでも美しいと思った。顔が良い。美しい。いつまででも見ていられる。
美しい女が美しい男と見つめ合うこと、たっぷり数十秒。我に返ったのは、女の方が先だった。
「……ふぇ?」
か、と顔を赤らめて小さく声を上げる。男は目を瞠り、かわいい、と呟いた。はぇ、と変な声が出て、ますます顔が赤くなる。男も無意識に呟いてしまったらしく、慌てたように口元を押さえる。え、かわいい。ずるい。それははんそくだ。かわいいおとこはつよい。
「お、起き上がるか?」
「はっ!え、あ、はい、あの」
「手を」
すっと男が手を差し出した。その手を借りて、身を起こす。どうやらベッドに寝かされていたらしい。そっと添えられた手の体温に、心臓がどきどきと音を立てて、はいない。あれ、と思った瞬間、はらりとシーツが胸元から落ち、豊かな双丘が露わになった。その頂上にある、小さな蕾も。
「……きゃあああああっっっ!!??」
「っ!!!!!」
慌ててシーツを手繰り寄せる。男は慌てて後ろを向いた。心臓がばくばくとうるさ、くはない。何故か。不思議がる間もなく、シーツの下が全裸であることに気付く。背中に手を添えてくれたこの男は、気付いていたのだろうか。なんと、なんとはしたないことを。嫁入り前の女子が。あわわわわ。脳内の家庭教師が泡を吹いて倒れている。
どうして全裸。ここは一体。頭の中がぐるぐるして、目が回りそうだが、辺りを見回す。そのとき、シーツを握る手がやけに青白いことに気が付いた。それに、手首に縫合したような痕がある。そういえば、胸も青白かったような。
「お目覚めかな?」
「!」
「っ!?」
がちゃりと扉が開いて、白衣の男が顔を覗かせる。ひょろりとした長身に、曇り空のような色をしたぼさぼさの短髪、分厚い眼鏡。が、彼を押しのけて、部屋に入ってきたのは銀髪の少女だった。膝丈のワンピースにシンプルなエプロンを付けたその格好はごくごく普通の町娘といったものであるのだが、狼の耳と手足、尾のように伸びた三匹の蛇は、どう見ても普通ではない。
「どれ、バイタルチェックを」
「ウ」
「だが」
「ウ」
「……分かった。頼んだよ」
「ウウ」
「俺もか?だが「ウ」……分かった」
え、と思っている間に、彼女は白衣の男を押し出し、美しい男も追い出して、しっかりと扉を閉めた。戸惑うルナマリアに、彼女は手にした白い布……ワンピースを差し出す。そうして、くるりと背を向けた。めちゃめちゃ蛇がこっちを見ている。
「ええ……これは……」
「!ウウ!」
べし、と蛇の頭を叩き、蛇にも後ろを向かせる。そういうことじゃなかったのだけれども。ああでも、着ろということか。ルナマリアは困惑しつつも納得して、彼女の背中に礼を言ってから、袖を通した。ワンピースはシンプルだが絹で出来ていて、かなり上質なものだ。
そして、気付く。体が、ものすごく青白い。そしてあちこち縫合の痕がある。これは……これは?
「ええと、終わりました」
少女はちらりとこちらを見て、一つ頷いてから扉を開けに行った。開いた瞬間、あの美しい男が入ってくる。瞳と瞳が合って、男はうっとりと微笑んだ。きれいだ。唇がそう動くのを見てしまい、顔が熱くなる。
「健康そうだな。だが、念のため」
見つめ合っている間に入ってきて傍に来ていた白衣の男は、先の男がひっくり返した椅子に腰かけると、いきなり首を触ってきた。は!?と一瞬驚いたものの、びっくりするほどその触り方には色が無く、思わず黙る。次に肩、手首、足首と触っていき、裾をまくり上げようとしてきたときは流石に悲鳴を上げそうになったが、その前に少女に頭を叩かれ、男に「ゾイ!!」と怒号を上げられたため、未遂に終わった。代わりに、なのだろうか、少女が服の上から足の付け根をぺたぺたと触った。先ほどから見る限り、獣の手だというのに実に器用だ。
白衣の男を見て、少女が一つ頷く。問題ないね、と言いながら、白衣の男は紙にさらさらと何かを書き込んだ。
「さて。自己紹介は…必要かい?」
「必要ですね。お願いします」
「了解。俺はゾイ。この子はフィズだ。以上」
「 」
そうじゃねえ。フィズと呼ばれた少女も呆れたような瞳をしている。ゾイと名乗った白衣の男は、困ったように頭を掻いた。
「もう少し詳しく、かあ……でも俺達よりもこっちだろう。ルス」
「…」
ゾイに促されて、男はゆっくりと瞬いた。真っ直ぐな視線が、ルナマリアを射抜く。
「ルナマリア」
そっと、大切そうに、優しく。彼はルナマリアの名前を呼ぶ。跪き、熱く大きな手で、ルナマリアの手を取った。
「俺は、ルスヴィエート・カエルレウス・ロワモルテ」
ぎゅ、と手を握りしめる。力強いが、ルナマリアを傷付けないよう、優しく。彼の瞳と同じだ。アメジストを見上げるベニトアイトは、強い光を放っているが、どこまでも優しく、ルナマリアの心を照らす。
彼は言った。
「俺と結婚してくれ」