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短編とかその他

伝えられなかった気持ち

作者: 透坂雨音



 いつもの放課後。

 通っている高校の図書室に行くと先輩がいた。

 私も先輩もかなりの読書好きだから、毎日の様にここへ通っている。

 私は図書の男の先生に挨拶をした後、先輩にも声をかけて隣の席に座り、一緒に本を読む。

 それがいつもの行動。


 先輩は背が高くて、すらりとしていてとても恰好良い。

 眼鏡がよく似合っている理知的な風貌、知性を窺わせる眼差し、けれど運動が得意そうながっしりとした体格も ギャップがあって、私はとても素敵だと思う。


 けれど通い始めた頃は、こうじゃなかった。

 自慢ではないけど私は、そう積極的な方ではない。

 誰かの隣で、一緒に本を読むんなんて考えられなかった。

 今の状況になる為には、きっかけが必要だった。


 でも、それは些細な事。

 他の人にとってはとるに足らない事だっただろう。

 けれど、だからこそ臆病で読書好きな私にとっては、それで十分だった。


 背の低かった私が高い所にある本を取ろうとして踏み台を使った時、うっかり足を踏み外しそうになって落ちかけたところを助けてもらった。


 その時に義務感でお礼を言って、好奇心で自分が取ろうとしていた本の印象について聞いてしまった。

 よくある推理小説の有名な犯人の動機について。


 大層な事があったわけではない。

 きっかけは、それだけの事なのだ。


 とにかくそういうきっかけがあったから、私は先輩と仲良くなったのだ。

 こうして互いに席を隣にして、本を読むくらいの関係には。


「……」

「……」


 互いに無言で、会話はない。

 ページを手繰る二人分の音だけが、図書室には響いていた。

 室内に他の生徒の姿はない。

 人によっては気まずいとも考えられている、そんな空気の中だけど、私達にとってはひどく居心地の良い時間だった。


 でも、ここ二、三日だけはちょっと事情が違う。

 つい最近、学校で運営資金が盗まれたと言う事件があったため、他の場所にいると空気がピリピリしているような気がして苦手だからだ。


 ようするに元から物静かな図書館はうってつけの避難所だという事だ。


 そうして、互いに無言でページを手繰りながら、しばらく読書の時間を過ごす。

 下校を促す放送が入ると私達は同時にパタンと本を閉じて、一言二言だけ感想を言い合うの。


「君から進めてもらった本、面白かったよ」

「私も、先輩がこの本を素敵だって言うの分かった気がします。良かったら、今度同じ作者さんの本も紹介しますね」

「ありがとう。そういえば今回よんだ本、難しくて顛末が読めなかったな」

「先輩でも分からないことがあるんですね。私はもう読んじゃったので知ってますけど……」

「「ネタバレは厳禁」」

「だね」

「ですよね」


 先輩の呼んでいる本。


『あなたは誰?』


 双子がたくさん出てくるので、犯行が可能な人間を特定するのが困難なのだ。

 探偵は、一人一人のクセをみぬいて推理を進めていかなければならなかった。


 難しそうなミステリの本の表紙を眺めながら笑いあう。


「あの……」


 先輩の一言一言がくすぐったい。

 もっとずっとその声を聞いていたくなる。

 一緒にいたくなる。


 私は、秘めていた思いを口に出そうか迷うけれど、やはり今日も言えなかった。


 携帯を取り出して、スケジュールを確認する素振りで誤魔化した。


「明日の土曜日、待ち合わせは○○駅の前の図書館で良かったですよね」

「ああ、楽しみだね」


 ついにできたお出かけの約束。

 彼からの申し出だけど。

 その前に失恋は悲しい。


 そんな私達にかけられるのは、先生の声だ。


「もうすぐ閉館しますよ」


 この図書室を管理している先生。

 美人で恰好良い、知的な印象を受ける女の人。


 けれど見た目に反して、ちょっとおっとりしていて財布とか、持ち物とかをよくカウンターに置き忘れる事がある。

 最近は良い匂いの香水をつけてたり、アクセサリを身につけたりお洒落に気を使っているらしい。


 私の気持ちなんてお見通し、とばかりに部屋の施錠を待ってくれている図書の先生に、少しだけ申し訳がなくなった。


 私達は行儀よく「はい」と返事をして帰り支度。

 その際に、読み終わた本の表紙を携帯で映しておいた。

 ちょっとした読書記録だ。

 これで45冊目。


 読むのが早い方であるのと、少し前に短い小説をたくさん読んだため、かなりの記録になっていた。


 50冊読んだらお祝いに先輩が、とっておきの本を紹介してくれるらしいので楽しみだ。


 図書室を一緒に出た後で、彼が振り返った。


「まいったな、忘れ物しちゃったよ。じゃあ今日はこれで、またね」

「はい」


 私はまだ来ぬ日に思いをはせながら先輩へと別れを告げた。







 翌週の放課後。


 私はまたいつもの様に図書室へと通う。

 先日の先輩とのお出かけは、楽しかった。普段は行かない図書館に読んだ事のない本がたくさんあって、つい日が暮れるまで先輩と二人で入り浸ってしまったくらいだ。

また行けたら、と思わずにはいられない。


 そんな楽しい気分で図書室へと足を踏み入れるけれど、いつもの見慣れた景色に何故か違和感があった。


 図書の先生に声をかけて、先輩へと声をかけるのだけれど、どこかいつもと様子がおかしく感じられたのだ。

本を選んできて、隣へ座った私は先輩へと声をかける。


「何かあったんですか?」

「そうだね、何があったと思う?」

「……分かりません」

「考えてるんだよ。犯人を」


 先輩はそう言って自らが読んでいた本を示す。この前から読んでいるミステリの本だ。


 けれど、私の中の違和感は消えてくれない。


 隣に座る先輩が何だかいつもと違う様な気がして、その日の私はあまり読書には集中できなかった。


 メモ帳を引っ張り出して気になる事をメモする先輩の手を見て、私は違和感を口にしていた。


「先輩って左利きでしたか?」

「いや、ただの気分転換だよ」


 薬と笑う先輩にまた違和感。

 先輩は冗談なんてほとんど言わないはずだ。


 もしかしたら体調が悪いのかもとも思ったが、先輩はいつもの様に下校の時間までしっかり本を読んでいた。


 一足早く帰った先輩の後姿を見送りながら首をひねっていると、帰りがけに図書の先生から声をかけられた。


「忘れ物よ。今度からは、気をつけてね」


 小さな手提げ鞄だ。

 それは、教科書を入れる袋とは別に、体操着などを入れておくものだった。


 先輩の事を気にし過ぎてうっかりしていたようだ。


 私は先生にお礼を言って、反省しながら家へと帰った。

 今日も私は、先輩にあの事を言えなかった。

 言いたかった事はあったけれど、それどころではなかったからだ。


 だから私は、家に帰るまでいつのまにか携帯を失くしていた事に気が付かなかった。







 次の日。

 学校中を探したけれど、携帯は見つからなかった。

 そのまま何の手がかりもないまま放課後になって、図書室へと足を運ぶ事になってしまった。


 室内へと入った私は、室内の様子を見てやはりまた違和感を覚えた。

 だから、いつも通りに図書の先生に挨拶してから、先輩に声をかける。


「あの、先輩。どこか具合でも悪いんですか。何だか最近、いつもと雰囲気が違うような気がするんです」


 先輩ははっとした様子で、周囲を窺った後、図書室の外に出る様に私を促した。


「外で話そう。こちらからも、君に聞きたい事があるんだ」


 図書の先生からの、応援するようなジェスチャーを受け取りながらも、私は先輩と共に部屋の外へと出て行った。


 けれど、やって来たのはすぐ近くにあった廊下ではなく、図書室の裏手。

 外だった。


 体が強張ってしまっているのが自分でも分かる。

 リラックスしなければと思うけど、やはりままならない。


 緊張するあまり外に出た途端に転びそうになってしまった、先輩はとっさにかけよって力強く受け止めてくれなかったら転んでいただろう。

 それに私が躓く原因となった、誰かがしまい忘れたらしい重そうな掃除道具入れまでどけてもらってしまった。


 今の先輩には迷惑をかけたくない。


 ひょっとして先輩は、私が何か伝えようとしている事に気がついているのかもしれない。

 私はわざわざ先輩をこうして煩わせてしまっているのが心苦しくて、早々に口を開いた。


 やはりどんなに不安でも、自分の気持ちはきちんと伝えなければ、相手にとっても失礼だろう。

 その時は、私の様子がおかしい事に気がついて、先輩もそうなったのかと思っていた。


「ごめんなさい。先輩は分かってたんですね」

「じゃあ、君が?」

「はい。実は私……、先輩の事が好きなんです」

「え?」


 そこで先輩は虚をつかれた顔をする。


「でも、諦めます。ただ先輩が好きだって事を伝えたくて、それだけだったんです。先輩はあの……他の人の事が好きなんですよね」


 それで私からの告白を急がせようとしたのではないだろうかと思ったが、返事は予想外のものだった。


「まさか、違うよ」


 今度は私が驚く番。


「犯人が見つからない? 困ったな、ここのところずっと考えていたのに」

「犯人? 本の中の事ですか」


 何を言われているのか分からずに、私は再びそう尋ね返した。


「探してたんだ、僕を殺した犯人を」


 先輩がその一言を言った瞬間、背後から近づいてくる人影。

 その人物は手に持った鈍器を振り上げようとしていて……。


「先輩っ!」


 私が危ないと伝えるよりも前に、先輩は振り返ってその人を取り抑えてしまった。


 先輩を襲おうとしたその人……、図書の先生は悔しそうな顔をする。


「大方、犯行がバレそうになったから焦って口封じしようとしたってところかな。僕は兄さんと違って、柔道部で大会に出てるし、返り討ちに出来る自信はあったから良かったけど」

「兄さん?」


 先輩は申し訳なさそうな顔で私を見つめた。

 そこで告げられた言葉はとても悲しい内容だった。


「騙していてごめんよ。僕は兄さんのフリをしていたんだ。兄さんを殺した犯人をつきとめる為に」

「そんな」

「先日の夜、兄さんが失踪してしまった。たぶん死んでしまったんだと思う。携帯で、最後のやり取りをしたから分かるんだ。でもその代わり、兄さんは僕に手がかりを残してくれた」

「犯人と会っていたって。残念ながら、名前を言う前に通話が途切れてしまったんだけど」

「だから……」

「そう、兄さんがその日の土曜日に誰と会ったのか調べようと思って、学校に。君の携帯の履歴を調べさせてもらって、それで君が犯人だと思ったんだけど……どうやら違ったみたいだね。そんな風に兄さんを好いている子が、犯人なわけがない」


 先輩は険しい表情で図書の先生へ喋りかけた。


「さあ、兄さんをどこにやったのか吐いてもらおうか。どうして兄さんを殺したのか、その理由も」


 刺々しい先輩の声を、私はどこか他人事の様に聞いていた。

 伝えられたと思っていた気持ちは、伝えられていなかった。

 勇気を出すのがあともう数日早かったらと思うと、涙があふれて止まらなかった。







 事件は解決して、後日。

 先輩の遺体は見つかった。

 やっぱり、先輩は生きてはいなかった。

 人気のない山林で、倒れているのを警察の人が見つけた様だ。


 犯人の方は、当然捕まった。

 今は取り調べを受けている最中だろう。

 動機については、学校のお金を使いこんでしまった事がばれてしまったから、と言う事らしい。

 先輩が殺されたのは、その秘密に気が付いてしまったから。


 自分の物ではな大金を手にした犯人は、必ず金使いが荒くなる。

 そして、それは現金の管理も甘くなると言う事

 先生の身だしなみに目を付けた犯人は、その事を直接問いただしてしまったらしい。


 体力もないけれど頭の良い先輩は、優しくて正義感の強い人だった。

 だから、間違いかもしれない時点で人に相談なんてできなかったのだろう。

 もし推理が違っていたら、先生を傷つけてしまうから。


 犯行が起こった日は、図書室に忘れ物をしたと言って、また部屋に戻ってしまったあの日だった。

 あの時、私が気持ちを伝えていれば、先輩は思いとどまってくれただろうか。

 自分の事を大事にしてくれただろうか。


 いや、やる事は変わらなかったかもしれない。

 先輩が私を好いてくれるんなんて、都合の良いことあるわけがない。

 先輩には好きな人がいたかもしれない。

 いなくても私よりはもっと他の人の方ががお似合いだろう。






 学校の図書館で寂しい時間をすごしていると、窓の外に見知った顔。

 先輩の偽物、じゃなくて弟さんだ。


「ここにいたのか」

 

 そういって彼は、一冊の本を手渡してきた。

 首を傾げていると、彼が説明してくれる。


「50冊記念。珍しく必死に悩んでたから、事情を聴いてしまったんだ」

「そうだったんですか」


 受け取った表紙のタイトルを見て、心臓の鼓動がはねる。


『君が好き』


 何でこれを?

 先輩は私に渡そうと思ったのだろう。

 涙が、溢れてくる。


 どうしよう。

 ただの偶然かもしれない。

 でも、偶数ではなかったとしたら?


「兄さんが人のプレゼントで本をチョイスするのは珍しい事なんだ。そのタイトル通りの気持ちだったのかは知らないけど、たぶん他に人間以上には大切に思われていたんだと思う」


 私は手で顔を覆って、その場で泣き声をあげた。

 涙は後から後から尽きなくて、枯れる時がくるとは思えなかった。



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