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閑話 イタリア製ペーパーナイフ

 翔の葬式から一週間後。彼の恋人であり婚約者だった飛鳥は全てに絶望していた。


 目の前で愛する人があまりにも早く逝ってしまった。あの不幸な出来事は、彼女の心に深い傷を刻んでいた。


 葬式から一週間が経っても、飛鳥は部屋に閉じこもったまま。可愛らしいピンクのクイーンサイズベッドの上に体育座りで、ただぼんやりと天井を見つめる日々。教室が丸ごと入るほど広い部屋が、今はさらに広く感じる。翔がいつも褒めて撫でてくれた黄金のように輝く金髪はボサボサになり、顔は痩せこけ、涙はとうに枯れ、目の下にはくっきりと隈ができていた。


 食欲がない。本能が「何か食べなきゃ」と訴えてくるのに、何も喉を通らない。

 

 ただそこにあるのは、後悔と絶望。


 なぜあの時動けなかったのか。あの日、あの場所に行かなければ。なぜ…? なぜ…?


 何百、何千回と自分に問いかけ、そのたびに心が黒く濁っていく。



 今日も無気力にベッドの上でぼんやりしていると、横に置いていた携帯が振動した。メールだ。


 無心で電源ボタンを押し、フェイスIDでSNSを開き、メールを確認する。差出人は同級生だった。内容は特別なものではない。どうやら私を心配しているらしい。…返信は「ありがとう。私は大丈夫だよ! 心配かけてごめんね?」でいいか。慣れた手つきで画面をタップする。

 

何度同じ内容のメールが届き、何度同じ返信をしたのだろう。こんな安っぽいメールで私が気を許すと思ってるのかしら?そう自問自答する。


 返事を送ると即座に既読がつき、またメールが来た。同じ差出人から。


「……」


 その内容は十分に不快なものだった。ある男性が私に好意を持っていて、差出人の同級生から「一緒に合コンに行かない?」と誘われた。


 深いため息をつき、念のため証拠の会話をスクリーンショットして、彼女をブロックした。相手が同級生だろうが関係ない。この一週間でブロックした人数は50を超える。誰かが私のIDを漏らしたのか、最近は大量のフレンドリクエストと神経を逆撫でするメールが届くようになった。実に汚らわしい。私をそっとしておいてほしい。


 吐き気がするほど気分が悪くなり、元凶の携帯の電源を切って適当に放り投げ、視線をある壁に固定した。そこには翔と一緒に撮った写真が一面に貼られている。幼稚園の頃に公園で遊んだ写真から、最近撮ったものまで。


「翔…なんで…結婚するって約束したのに」


 思わず声が漏れた。自分の声とは思えない、乾いたガラガラの声。一週間ぶりに出した声だ。カラカラだろうが関係ない。翔以外に聞かれても気にしない。視線を下げると、小学生の時に翔が「婚約指輪」と贈ってくれた指輪がネックレスに括り付けられて揺れている。首から外し、両手で包んで胸に当てた。小学生のお小遣いで買った安物の指輪だけど、当時の私はそんなこと気にも留めなかった。彼が顔を真っ赤にしてこの指輪を嵌めてくれた瞬間を、今でも鮮明に覚えている。でも、どんな幸せな記憶を思い出そうとしても、最後に焼き付いた彼が刺されて死ぬ光景が浮かんでしまう。血を止めようとしても流れ続ける感触、血の温かさ、彼の体が冷たくなっていく感覚。全てが鮮明だ。彼の最後の願いすら叶えられていない。


 彼の家族に会うのが怖い。きっと私を憎んでいるだろう。


「………?」


 ふと、遊園地で撮った写真立てが置いてある机を見ると、見慣れない封筒と小さな黒い箱が置いてあった。ベッドから降りて机に近づき、持っていた指輪を置き、高級感溢れる黒い封筒を手に取る。金色の翼が押された封蝋、上品なラメ感のある分厚い紙、華奢なビーズ装飾が施された、まるで宝石箱のような封筒だ。


「(手紙…? でも、いつの間に?)」


 身に覚えがない手紙。封筒を裏返しても何も書かれていない。不気味に感じるが、内容を確認するため引き出しからイタリア製のペーパーナイフを取り出した。しかし、ナイフを手に持った瞬間、あの出来事がフラッシュバックし、吐き気がこみ上げてきた。咄嗟に数メートル先にナイフを投げ捨て、数回深呼吸して気持ちを落ち着けた。仕方なく素手で封を開けることに。慎重に、刃物が入っていないか注意しながら丁寧に開け、中から真っ黒な手紙を取り出した。


「……ふぅー」


 慎重すぎて無意識に息を止めていたらしい。自分の行動に苦笑し、二つ折りの黒い手紙を丁寧に開いた。


「え…な、なんで…あ、なんで翔の…字」


 見覚えのある字を見た瞬間、二粒の涙が瞬きと共にこぼれ落ちた。涙が溢れると、もう止まらなかった。涙は当に枯れたはず。歯の隙間から声が漏れ、号泣する。ありえない、ありえないと自分に言い聞かせながら。


何分経っただろう。頬と目の縁に涙の跡が残っている。深呼吸して、手紙を読み始めた。間違いなく彼の字だ。


『拝啓 橘アシュリー飛鳥


 久しぶり、飛鳥。

 元気じゃ…ないよな。ごめん、お前に辛いな思いをさせて。

 安心してほしい。そっちでは死んだことになってるけど、あの時俺は神界に転移したんだ。小説みたいな話だろ?

 すごいんだぜ。本物の神が住んでる場所だ。ついでに俺も神になった(笑)

 そっちはそんなに時間が経ってないと思うけど、こっちじゃもう10年以上経っちまった。

 神になった今もお前を忘れた日はない。世界を渉るには上級神にならないといけないから、もう少し待っててくれ。地球に戻ったら交わした約束通り結婚しよう。

 それと、お前を守るために俺が作ったマジックアイテムを手紙と一緒に置いといた。似合ってるといいけど…。

 最後に、できれば俺の家族の面倒を見てやってくれ。特に奈々とリリーは飛鳥に懐いてるからな。愛している。


 P.S. 嫁が増えるかもしれないけど、何人増えても飛鳥が一番だ。だから今のうちに海より深く謝っとく。ちょん切るのは勘弁な~。

 ~下級神 鈴木翔~ 』



「…ふ、ふふふ。あ~翔。ありがとう、私も愛してるわよ。でも…嫁が増えるってどういうことかしら?お話し合いが必要ね…ふ、ふふ、いつぶりに笑ったかしら?」

 

 読み終えた手紙を丁寧に畳み、次に封筒の横にあった小さな箱を手に取った。この箱も豪華だ。。ゆっくり開けると、その美しさに目を奪われたシンプルなシルバーリング。中央に一本のラインが走り、一か所で十字に交わり、中心に埋め込まれた宝石が虹色に輝いている。


 箱から取り出し、左手の薬指に嵌めようとしたが、少し小さくて入るか心配だった。でも、それは杞憂で指先に触れた瞬間、指輪が自動的にサイズを調整してくれた。


「わお。流石マジックアイテム」


 なぜか感動してしまい、先ほど投げ捨てたペーパーナイフを拾い、自分の手に刺してみた。自分の手に刺した。だが、刺さる瞬間、体全体に膜のようなものが浮かび、ナイフを弾いた。刺された感覚は感じなかった。


ふふ、ありがとう翔。私、神のお嫁さんにふさわしくなるために頑張るね」


 ついさっきまでの絶望はもうない。今は幸せで一杯。



 後日談だが、いきなり元気になった飛鳥に家族は困惑したものの、ディナーで翔からの手紙を見せると、橘家は神の親戚になったことに感謝したらしい。なんとも寛大な一族だ。

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