番外編 次男の生活
お久しぶりです!
新作『月の仙人、異世界に降り立つ』が連載中。読んでいただけると嬉しいです!
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自我を持つ生命体には必ず譲れないこだわりが最低でも一つはある。美食のこだわり、出世欲のこだわり、左右のバランスのこだわり。はたまた金儲けのこだわり等々多岐にわたる。
一歩も妥協しない信念は、神の血を半分受け継いだ子供も例外ではない。
それじゃ僕の譲れないこだわりを訊きたい?構わないけど、別に尖ったモンじゃないぞ。
う~ん。なら特別に教えよう、それは――。
薄手のカーテン越しに、柔らかい朝陽が差し込んで瞼を撫でる。僕の意識がゆっくりと浮上する中、肌に触れる最高級のシルクシーツ。雲のような弾力を持つ特注のマットレス。駄々をこねて作ってもらった僕専用のベッドは毎晩、極上の寝心地をもたらしてくれる。
「んぅ…ふぁあ~、最高の朝だ」
バルコニーで羽根を休めた鳥の囀りが窓を揺らす、まるで聖域を満たす賛美歌。
壁掛け時計へ視線を向ければ、時計の針はまだ早い。ならば…このまま意識をもう一度度深く潜り込むことこそ、僕に許された至高の贅沢。譲れない美学。
重力に従うように再び瞼がゆっくりと閉じ、心地よい暗闇が戻ってきた。まさに二度寝にはピッタリの日だ。だだいま僕の二度寝。
――そう、確信した瞬間だった。
視界の裏側、僕だけの聖域に突如パッと幾何学的な光が弾けた。
馴染み深い魔力の流れ。『チリリ』という空間の軋み。僕の鼻先に展開されたのは、淡く輝く白色の魔法陣。
「え、ちょっ!」
反射的に目を見開いた僕の視界に飛び込んできたのは、天井の壁紙ではなく革底の縫い目だった。
「お寝坊退散キーック!」
擬音で表現すると『ドゴォォォォン!』と、凄まじい衝撃が僕の腹部を直撃する。一瞬で肺から空気が搾り出され、「グエ゙ェ」と潰れた蛙のような濁声が口から漏れる。極上のマットレスがその衝撃を吸収しきれずに悲鳴を上げた。
座標指定の瞬間移動で寸分の狂いなく、僕の睡眠を妨げる無礼者。犯人を探すまでもない。凶悪次女のアンリ姉。
「あら?急に不名誉な呼び方をされた気がするわ。メイド長に調査をお願いしようかしら」
おっと、それは非常に困る。それはもう非常に!
「ご機嫌麗しゅうございます、慈愛に満ちたアンリお姉様。ノックも無く急にどうしましたか?僕も丁度起きようと思ってたところでしたのに」
「サボリ魔の愚弟が呑気に二度寝しないよう私が直々に起こしに来たのよ。…退屈だったのもあるけど」
後半の部分は小声で呟いたようだけど僕には全て聞こえているぞ。この猿大将!
「…今、心の中で失礼な二つ名を連呼しなかったかしら?優しい姉がメイド長に頼んで弟の訓練量を三倍に――」
アンリ姉が僕の腹部に乗ったまま、形の良い眉をピクリと動かした。マズイ…怒ってる証拠だ。五段階評価に例えると三よりの四。
家族ながら吸い込まれるような美貌の持ち主だが、瞳の奥には獲物をいたぶる肉食獣の輝きが宿り僕を射抜く。
有言実行をモットーに掲げる姉は本気で殺戮メイド長に告げ口するつもりだ。これ以上怒らせたら僕の命が危ない!
「滅相もございません。お姉様の慈悲深さに堕落した僕が涙しているところです」
水魔法で目尻から雫を流す技術も披露する。どうだっ、万が一のために練習した高等テクニックに騙されろ!
「ふーん。ならいいけど。じゃあさっさと身支度を整えて食堂へ向かうわよ。一分待ってあげる」
そう言った姉は空間魔法のアポーツを唱え、クローゼットに仕舞っていた僕の服を勝手に呼び寄せた。なんたる横暴っ…!プライバシーを尊重しない山姥に今日こそ僕の鉄槌を‼
「はい、三秒以内に起きないと新魔法の実験相手になってもらうよ」
「直ちに起きます、…起きました!いや~優しい姉を持つ僕は 果報者だなぁ。あ、ハハハ」
嬉しそうに笑う僕だけど、未練がましくシーツの感触を指先でなぞる。
ああ、僕の聖域。さようなら僕の安眠。
半神半人だろうが、眼先の凶悪次女という天災の前では、二度寝のこだわりなんて朝露のように儚く消え去る運命らしい。トホホ…神は居ないのか。そこ!父と暴君メイド長は無関係だぞ!
「またねー」
満足げに頷いたアンリ姉は手を振ってこの場から消えた。人の世界において伝説の魔法と謳われる空間魔法は習得は勿論、構成に必要な膨大な魔力と精密な計算を要して初めて発動する。きょうだいでも気楽に扱えるのは次女アンリだけ。
世界を管理する父でさえ無限の魔力にスキルの力技。魔方陣をゼロから構築、魔力消費の最小限に抑えた神業を平然と使えるのは鬼メイドのナビリスぐらいのものだろう。
ナビリスの正体は、善神の一柱ではなく邪神の部類じゃないかと時折思う…。
「おはようございます、若様。今日はお早い起床ですね」
「…解ってて言ってるだろう?暴君姉に無理矢理起こされたんだよ」
廊下へ出ると屋敷で働くメイドが驚いた様子で声を掛けられた。一般人からは目視できない透明の翼を揺らしながら。
屋敷で働く使用人は全員、メイド長が召喚した天使で構成されている。人外魔境が跋扈する集団が常識外れた力や技能をポンポン披露する邸宅だ、常識人の人族には刺激が強すぎる。
そういう訳で、地上に降り立つだけで奇跡と崇められる天使がここでは白いエプロンドレスを着用して、埃一つ見逃さない眼光で廊下を磨き上げている。
「アンリ様のお寝坊退散キックの音は、我々の詰所まで心地よく響いておりましたから」
クスクスと上品に笑うメイドに僕はすました顔で沈黙を貫く。神の血を引いていようと性格がひどい天使に容赦の二文字は存在しない。
「心地よいって…。オーガを爆裂させる蹴りを食らう僕の腹筋の身にもなってくれよ」
「お陰様で腹筋が鍛えられ、より成長した肉体へと近づけます。アンリ様の慈愛には頭が下がりませんね」
「…慈愛の定義、一度辞書で引き直したほうがいいと思うよ」
「オヨヨヨ…お労しや若様」
透明な翼をパタパタと小刻みに揺らし、わざとらしくハンカチで目元を押さえた使用人は一礼して去っていった。天使にまでからかわれる始末、屋敷に僕の味方は二人しかいないようだ。
食堂の大きな扉が近づくにつれ、香ばしいパンの匂いと、芳醇なスープの香りが漂ってきた。本来なら食欲をそそる最高の演出だが、扉の向こうには家族一同が控えているかもしれない。
「っよし!行くか」
頬に一度叩いて気合を入れた僕は豪華な彫刻が施された扉を押し開けた。
視界に広がる豪奢な大食堂。そこには世界の理を体現するような家の面々が勢揃いしていた。
「おはようグレイブ。今日もアンリに景気良く腹を鳴らされていたようだな」
上座で悠然と新聞を広げて僕を揶揄うのは、僕の父にして万能を司る神、ショウ。
「グレイブの怠け癖が残っていますね。アンリ、母が許可します、もっとやりなさい」
父の隣で優雅に紅茶を傾けているのは母エレニール。僕たちが暮らすランキャスター王国の王家から降嫁された元王女であり、人族最強の実力を持った真の支配者。
「おはようグレイブ。痛かったでしょう?後で治してあげるね」
兄弟でたった一人、僕を甘やかす長女のマリアンヌ姉上。彼女は『あらゆる動物に愛される』特異体質の持ち主。今も彼女の足元には、どこから紛れ込んだ神獣フェンリルが、誇りを忘れて大型犬のように尻尾を振って甘えている。
姉上の背後に佇むのは、我が家には欠かせないメイドのリリィだ。父が昔、人族の略奪者から救い出したサキュバス族の生き残りである。
種族譲りの美貌は、見る者の魂を根こそぎ奪い去るほどに扇情的。だが、本人は至って真面目で献身的だ。本来、その特性ゆえに古今東西で狩りの対象となってきたサキュバス族は、精霊の結界に守られた秘境で、人里から隔絶されてひっそりと暮らしていると彼女から聞いたことがある。
ゆったりとした作りのメイド服の上からでも、その自己主張の激しい双丘を隠し通すことはできていない。所作の端々から無自覚に溢れる妖艶さに、好意を寄せる者は後を絶たない。
何を隠そう…僕の初恋の相手が彼女なのだ。
もちろん、この恋を諦めるつもりなんて毛頭ない。成人したその日に、真っ赤なバラでも抱えてプロポーズする気満々なのだ。
コホン、話がズレた。
「姿勢が悪いぞグレイブ。神子たるもの、不意の攻撃、例え身内による理不尽な急襲であっても、瞬時に受け身を取り、そのままカウンターを狙えるだけの気概を持つべきだ」
「あ、おはようございます兄上。朝から要求レベルが高すぎませんか」
マリアンヌ姉上の隣の席で一分の隙もない完璧な作法で食事を進めているのは長男のロシウス兄上。母上譲りの赤色の髪と父の神力を最も色濃く継承した理想的な半神半人。非の打ち所がなさすぎて、弟の僕としてはたまに眩暈がする。
シンカイ公爵家の家訓には、王国が運営する王立学園には高等部から通うというルールが存在する。理由は単純、人の理の外側に立つ僕たちが所持した圧倒的な強さをコントロールするため。
鬼メイド長の許しが出るまでは、敷地の外へ出ることさえ叶わない。にもかかわらずロシウス兄上は齢十の時にして神力制御を完璧にマスターしてみせた。…僕は今でもコントロールできないのに!
「………」
そしてその斜め向かいでは、僕の二度寝を邪魔したの横暴な姉アンリが、何食わぬ顔でトーストを齧っている。
「ウマウマウマ」
最後に末席で、まだ夢の中に半分足を突っ込んでいるような顔をしてフォークを宙に浮かばせている三女のソンニャ。まだ幼女の可愛い妹だが、不機嫌になれば魔力が共鳴して屋敷の結界にヒビを入れる、別名歩く戦略兵器。
万能神の父、元王女の母、神獣に慕われる長女、完璧な長男、凶暴な次女、そして爆弾娘の三女。
そんな連中が囲む食卓に、神の血を半分引いただけで器用貧乏の僕ことグレイブが混ざった一家。
今日も我が家の朝は、平穏とは程遠い規格外の輝きに満ち溢れていた。
あぁ、のんびりした自堕落な生活は何処に。そんな僕の切実な願いを嘲笑うかのように、騒がしい一日が幕を開けるのであった。




