第188話 孤鳥、それは教師
城郭都市ヴァンロンを出発した使節団体はハプニングに遭遇することなく。盗み聞きしていたナビリスから囲い込みに関する小言を右耳から左の耳へと通り過ぎてぼんやりと聞き流していれば、無事に王都へ帰還した。自分を含む冒険者組は城壁東門前で別れ、隊長から手渡された依頼完了書を冒険者ギルドに届ければ、長らく続いた旅に終止符を打った。
そのまま酒場へ直行する他の冒険者たちを尻目に俺は徒歩で屋敷に向かい、武装した門番係の奴隷が帰りの挨拶を一、二言交わして開かれた門扉を潜って進む。
初冬の冷たい風が吹き抜ける中、綺麗に掃除された石畳に足を踏み締めて歩くと、正面の奥に懐かしさを覚える本館の建物が目に入る。屋敷の周囲には手入れの行き届いた庭が広がり、枯れ葉が舞い散る中、冬の花々が色とりどりに咲き誇っている。鳥のさえずりが心地よく響き、穏やかな空気が漂っていた。
…そして。
「お帰りショウ。無事に戻ってきて嬉しいわ」
「何だか久しぶりさかいのぉお兄ぃはん。ウチも元気な姿見れて存分嬉しいのぉ」
「「「お帰りなさいませご主人様」」」
涼しさの欠片を感じさせないメイド姿のナビリスを先頭に、横並びに整列した銀弧、奴隷のメイドたちの声が一斉に響き渡る。一瞥して明らかにメイドの数が増えている。十中八九ナビリスが増員したのだろう。
俺は現人神として表現出来る限りの微笑みを作りながら一歩一歩近づき、彼女たちの顔を見渡す。再び対面した喜びに笑顔を見せるメイドがいれば、初顔合わせのメイドは驚きの色を浮かべている。
「ただいま、みんな元気そうで何より。外は寒いだろう?後ほど旅の土産を配るから仕事場に戻ってくれて構わない」
『はい。ご主人様のご配慮感謝します』
俺の指示に従ったメイドたちは各々の持ち場へ戻っていく。やがてこの場に残ったナビリスと銀弧の胴辺りを引き寄せて抱擁する。心臓の鼓動は聞こえないが、俺の胸に二人の頬を寄せた。無意識の人間だった名残。
「っんん、お疲れショウ。お風呂の準備整っているわ。早く入ってきなさい」
「ありがとうナビリス。そうさせて貰う」
暫く時が経ち、恥ずかしさから腕からすり抜けたナビリスの言葉に従い、屋敷の中へと進んだ。屋敷の中は、暖かい光が差し込み、心地よい香りが漂っていた。本館で働く使用人たちが忙しそうに動き回りながらも、俺と目が合えば微笑みを浮かべ会釈をした。
翌日、王宮から使いの使者が屋敷を訪ねて来た。学園教師に関する申込書を始めた武術指南免許状、委託契約書や諸々携えた軍服を身に纏う騎士だった。扉を叩いた騎士は、王国騎士軍第三番隊副隊長と名乗り、潤いの籠った視線を俺に向けながら話し始めた。
「ショウ殿、王宮からの命を受け、これらの書類をお届けに参りました」
本館のリビングルームへ招き入れ、ナビリスが出した紅茶を口にふくみ喉の奥に送り込んだ騎士が早速、手にした書類をテーブルに広げる。確認すれば、そこには確かな詳細な契約内容と共に、王宮からの期待が込められた。ふむ…自国の実力向上の為なら神だろうと厭わないエレニールが微笑む光景が目に浮かぶ。
それから、とんとん拍子で進み、静けさの空間にカリカリと万年筆を走らせる音が響く。書類に目を通しながら、ぬかりなくサインをしていく。契約書の内容は主に、王立学園での役割や武術を教え導く安全面の責任等が明確に記されていた。――サインを終えた最後の書類を使者に渡す。
「これで全ての手続きが完了しました。後日、改めて指導職員免許状をお届けに参ります。これからのご活躍を期待しております」
深いブラウンの色合いが光沢を放ち、上質な革で作られた鞄に纏めた書類を入れた騎士がランキャスター王国式の一礼を示す。
「今日はご苦労。王女殿下によしなにと伝えてくれ」
「承知しました。では、失礼いたします」
退出した騎士を見届けた俺はそのままリビングに設置されたソファに腰を据えて窓越しに中庭をぼんやり眺めていれば、ノック音も無く扉が開いた。
「ナビリスか」
「玄関まで副隊長を送り届けて来たわ。でも…意外ね」
同じソファに腰を下ろす彼女と肩を寄せてつっくきあう格好になり、支えを失った長い銀髪が服越しの腹筋に触れる。ナビリス自慢の銀髪は、月光のように柔らかく、冷たい。
「教師のことか?」
言葉を仄めかす。全てを把握している賢神ナビリスに隠し事は一切通じない。彼女の言葉には、いつも冷静な判断と深い思慮が感じられる。
「仮に婚約者でも相手は権能を持たない人族なのよ?一個人に過度な肩入れは神の存在を滅ぼす矛に成りかねない。それは承知なのよね?」
…本当に自我を持たないスキルから立派に成長したな。俺を重んじるナビリスの気持ちが、ひそかな悦びに変わる。言い換えれば幾年、人間と接しようと心を許さない。
「それは俺を信じてくれ、としか言い表せない。心配しなくともエレニールが天に還った暁には何も告げず現世から神界へ戻って、星の安定化に尽力するさ。上級に神位するまで大人しく留まる予定だ」
「分かったわ、ショウ。貴方の判断を信じる」
短く返答したナビリスが手を握った。感じない筈の手の温もりが、身体に流れる神の血と同化していく。心臓の有無が必要しない彼女の手は、まるで氷のように冷たいが、その冷たさの中に明白な残火の暖かさを感じる。
「――ショウ先生、一言頂いても?」
時は瞬く間に経過し、俺の姿は壇上に並んだ学園教師の中に居た。
名を呼ばれた俺は一歩前へ進む、義務付けられた教員用のぺリースがはためく。集まった全生徒の視線が一点に集中する。一挙一動に耳を傾けて俺の言葉を待っている。
「学園に通う未来の英雄よ、お初にお目にかかる。剣術指南のショウと言う。本日より高等部の剣術クラスを担当する。剣術は技術だけでなく、心と体を鍛える道だと俺は考える。共に学び、強くなろう。これから、よろしくお願いする」
『はい!!』
この瞬間、講堂に居合わせた生徒の声が揃った。彼らの目には期待と興奮が輝いている。俺はその視線を受け止め、更に言葉を告げる。
「剣術の道は険しい。だが、その先には必ず己の成長が待っている。俺も誠心誠意で指導に当たる。皆で頑張ろう」
その言葉を最後に生徒たちの拍手が講堂に響き渡った。




