食う
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「能力を吸収出来るって気付いた時には興奮したさ、ああ興奮した興奮だ。こいつはどうしたことか」
奴は目をむき出し、机に大きく身を乗り出した。生暖かい息が届く度、吐き気と恐怖が襲う。取調室に居るはずで、しかも奴は拘束されているのだ。なのに何だ、このアウェイ感は。ここは警察署内ではないのか。
ふとその雰囲気の変化が気になり、注視する。奴が鼻を啜らなくなっていた。勇気を以って目を覗き込むと、充血も収まりつつある。何だ、この目は……。悩む私の思考は、それに気付いたであろう奴の不気味な笑みで吹き飛んだ。裂けるように笑みで広がった口に、大きな牙の存在が。奴は……。
こちらの、動揺する思考に気付いているのであろうが、奴はかまわず勢い込んで話し始めた。
「魚だけか?魚の能力しか身につかないのか?疑問は実験によってしか解決しない。実験は実践だ。まずはネコ。ネコだよ野良ネコ。幾らでもうろついているし、誰も歯牙にも掛けない。気付かれない最適な素材だった、そう最適」
「食ったのか……」
……生きたまま。この台詞が喉の奥につかえて出てこない。
「食ったよぉ、食った食った。食うとき暴れたけどさぁ、捕まえる苦労に比べれば大したことなかったね」
狂ってる。生きたまま食べることに、躊躇がなかったのか!変わったのはおそらく僅かな部分。厚沢慎二は、元よりネジがぶっ飛んでいたのだ。
「結果は見ての通り、俺はしっかりネコの能力も平らげたのさぁ」
ゲラゲラ笑う、奴の瞳が変化した。縦に長い猫の瞳……いや、肉食獣の目に。
「夜目が利くってのは便利だぜぇ。その他にも色々となぁ」
突然、正気を取り戻したように、奴は真顔に戻った。
「なぁ、あんたならどうするよ。生きたまま生物を食べると、ゴキゲンな能力が身についちまう。俺は考えた、考えたさ。これが鯖やネコの能力じゃぁなく、トラやライオン……哺乳類最強の能力が身に着くんなら。その能力ってどんなだ、どんなのだ、どういう能力なんだ。知りたくて知りたくてたまらなくて苦しくなっちまったよ。だから知る努力を始めたのさ」
普通じゃない。普通の思考は、その能力を活用して悪に立ち向かうか、欲望のままに犯罪行為に利用するかだろう。しかし奴はそんなことにはまるで興味がない。生物としての能力というものにしか興味がないのだ。
「俺もさぁ、突然猛獣に手を出す程バカじゃない訳よ。次は犬を食べて確認した。結果は最高。能力は上書きじゃぁない。次々に加算される方式だ。視力の次は嗅覚が身に付いた。ちょいと慣れるまで、この嗅覚ってのは厄介だったがねぇ」
奴は目を細め、鼻を私に突き出した。
「あんたが食べた金目鯛は、かなり新鮮だったようだなぁ。いい店行ってるなぁ」
心臓が縮み上がった。まさか、臭いだけで分かったのか!
「下調べも始めたんだぜ。生物学のゼミに顔出して、それぞれの動物の能力と習性、弱点を調べ上げ……あとは食う。食って食って食って食って食う。とにかく最強の肉食獣と戦える力が欲しかったからなぁ」
動物園は、奴にとっては最高の餌場だったのだ。ファイルにあった動物の名前が、頭の中で一斉に溢れ出した。
「動物園か」
「ああ、あそこはちょど良かった。種類は豊富、警備も雑。食べれば食べるほど侵入も楽になったしなぁ。人間に危害を加えなけりゃ警察も本気になりゃしない。気を付ければいいのはそのくらいよ」
悔しいが、その通りだ。
「動物園の動物はお行儀がいい。殆どが近寄っても暴れやしない。喉に食いつき、牙を食い込ませてやっと気付くんだ。食われてるってなぁ。でも、声が出せねぇように食いつくから、のんびり食べられたぜ。ただなぁ、血が大変なんだよ血が、血が面倒だ。着替え持って行って毎回毎回毎回着替え着替え着替え。金がかかってしょうがねぇ。生臭くて、もう着られないんだぞ。あと草食動物は厄介だった。肉食う前に、ショックで死んじまうんだぜ。許せねぇだろ!それじゃぁ能力が手に入らねぇんだ。別に不味い生肉食いにきた訳じゃねぇのによ」
なんて勝手な言い草だ。奴にはもう、倫理観の欠片も残っていない。
「厄介だったのは猿と象。猿はキーキー煩くてかなわなかった。象はとにかくでけぇから……」
「象も食べたのか!」
「ああ、食べたよ」
その表情から、何を今更訊いてる、という驚きが読み取れた。そうだ。今の奴にとっては、食べることは当たり前なのだ。
「そんな……どうやって」
あの巨体、そう簡単には……。
「ライオンやヒョウに勝つには、あのトラックみたいな突進力だ。あれはいい、実はあれが最強なんじゃないのか、あれが欲しい、欲しいんだよ。やり合う前に、どうしても象が欲しかった。俺は文明人だから、まず象のアキレス腱切ってさぁ、動けなくしたのよ。その後鼻と声帯切って……死ぬ前に一気にかぶりつき。奴には悪いことをしたなぁ。大きすぎて、食べきれなかった。残しちゃいけないよな、うん、残すのは行儀が悪い、最低の行為ってやつだ」
もう、返す言葉は見つからなかった。
「しかも、こいつが期待はずれってもんで、本当に許せねぇ、許されねぇ。突進力は能力じゃないんだ笑えるだろ、あれは能力じゃない。体重があってこそなんだクソ。60kgには60kgなりの物理法則しか働かないんだバカじゃねぇか、そんなことも失念して無駄食らいだ」
私としては、そのことには心底安堵した。そんな突進力が身に付いていたのなら、取調室の壁を突き破ることなど造作もなくやってのけただろう。
「しかもだ、こいつは能力の上書きでしかねぇ。嗅覚だよ嗅覚、鼻だよ鼻。犬の5倍の嗅覚だぜ、全く邪魔なだけだ。それこそ、こいつのせいで捕まっちまったんだからな」
……え?
私は虚を突かれた。しかしそうか、象を襲った翌日の、ヒョウへの襲撃。その直後に現行犯逮捕され、奴はここにいるのだ。
確かに、普通ではこんな生き物を取り押さえるなど人間には不可能ではないのか。




