二月二十三日・富士山の日
夫が、雑草を渡してきた。
黄色い花の咲いている雑草。
青々とした茎にぽつんと咲いている小さい花。
今日の夜中のことだった。そう思い時計を見ると、時刻は既に日を跨ぎ、昨日のことだ。
忙しい締切間近の漫画家を呼び止めて、雑草を渡す夫。
訳が分からない。いや、もともと訳の分からない人間ではあった。
特に昨日、いや、失礼。一昨日からは特にそうだった。
スマートフォンに向かって何やらずっとぶつぶつ言っていた。
そしてつがいであるこの変人は、雑草を渡し、目の前にいる。
何なんだこいつは。
「なにこれ、今忙しいんだけど」
不愛想に私が言うと、変人は照れながらまた何か言っている。
今日は忙しいしこんな奴にかまっている暇はない。仕事に戻る。
「ま、待って、」
待って?突然話した変人に多少苛立ちを覚えながらも反応する。
「何?」
こっちが苛立っているのが見えないのか、はたまた見えていてそうなのかは分からない。しかしまたもぶつぶつつぶやき始めた変人にかまっている暇も神経もない。一つ故意に溜息をつき、パソコンを閉じ、防寒具とケーブル、財布を持って家を出ることにした。この時間でも都市部に行けばネットカフェは開いている。こんなところで時間を無駄にする暇はない、と家を出る。勿論、鍵を閉めて。
「ま、待って」
これ以上の問答は無意味。二月の寒い中早足で歩きだした。
「それ、どんな花だったんです?」
今日は二月の二十三日の昼間。つまり私は昨晩、いや今朝にネットカフェで原稿を仕上げ、コンビニで印刷して、無事に担当に届けたのだ。軽く編集室で仮眠をとった、もといとってしまった後、近くのファミリーレストランに担当の発言で行くことになった。その担当は目の前で旨そうにコーヒーを飲んでいる。
「どんな花も何も、ただの雑草よ。どこにでも生えていそうなやつ」
「それでもそれでも、なんか意味はあったんじゃないですか?」
確かに、何らかの意味はあるだろう。しかしそれはいくら考えても分からないことであったし分かろうとする気力はなかった。
「暇だったんじゃない?」
不愛想に答えたが、さしもの担当は気を悪くはしなかった。私のこの不愛想も編集部の中ではお決まりのようで、他の担当などは私を怖がっていることは知っている。この担当に聞いたことではあったが、生まれつきの顔の悪さにそれに伴ったような態度。直らないことではあったし直そうともしなかったので、今更どうということはない、
「えー、でもこんな冬に暇だからって雑草摘みします?普通。私だったらしないなぁ」
「あいつは変人なんだよ。結婚する前からそう。本質的なもんだからな」
私が生まれついてこの方怖がられているのなら、あいつは変だと思われている。どちらも直らない。持論だった。
「なんか花の特徴とか覚えてないですか?私花には詳しいんですよ。花言葉とか考えながら彼氏とかにプレゼントするんです!まぁ、大体オトコは考えてませんけどね」
花言葉、か。しかしあいつはそんなこと考えることなんてあるのだろうか。ない。考えて、そう断言できた。なぜなら結婚するその昔、あいつに胡蝶蘭を渡したことがある。胡蝶蘭の花言葉は「あなたを愛しています」
しかしあいつは次の日も普通に接してきた。何の因果で恋人になったかは覚えていないが、一世一代の隠れプロポーズは気付かれることなくスルーされた。もしあいつが花言葉なんて洒落たものを理解していたのならあのプロポーズには気づいて当然だった。だが、気にはなることなので、思い出して特徴は言った。
「黄色い花だ。小さくて、イヌフグリに似ていたかもしれない。あとはあまり覚えていない」
「んー、情報少ないですねーそれでも夫婦ですかまったく!そんな時には、これです。電子辞書ー!これのですね、植物図鑑で画像から検索できまして、ジャンルで選べるんですよ。花の色、から黄色、ですね、根気よく探していきましょう!」
正直、乗り気ではなかったが、担当がやけに乗り気なのと、ほんの少しの興味で探すことにした。
五十音順で探すこと二十分。
「これですか、ね。多分月見草ですよそれ。でも、なんで月見草なんでしょうね」
月見草、思い当たる節はない。第一、初めて聞いた名前だった。しかし、これ以上不毛な時間を過ごす必要はないと感じた。
「花言葉はないと思うぞ」
先ほど考えていた過去の話をすると、担当は、それじゃあないか、と言って当の本人より真剣に考えていた。
「あぁ、わかった!」
突然のことに驚いた。こういう当然なところはあいつにそっくりだ。
「富士には月見草がよく似合う。ですよ!知りません?太宰治の富嶽百景に出てくる表現なんですけどね、今日って二月二十三日じゃないですか、今日って富士山の日なんですよねー。それに掛けたんじゃないですか?」
聞いていて、分からない話ではなかった。しかし、やる意味は分からない。しかもあいつがそれを考えたかどうかさえも分からない。可能性はずいぶんと低いだろうな。それがこの見解への感想だった。
「お済のお皿、片付けさせていただきます」
ファミリーレストランの従業員が一声かけた。作り笑いではあったが、これも客を入れるための経営努力でしかもアルバイトの彼ら彼女らにマニュアル以外の対応をさせてしまうのは気の毒であったので退席した。
「ま、なんか分かったら教えてくださいね」
軽やかに担当はそう言うと、伝票を持って受け付けまで早歩きで行った。こういうとこともあいつに似ていた。
帰り道、公園、肉まん。コンビニで買った150円、明らかにコスト・バイ・パフォーマンスの悪い食品を食べながら、公園のベンチでその太宰治の富嶽百景について調べた。
私とはまるで無縁そうな難解の文字列は私を悩ませたが、まとめのサイトには粗筋が書かれていた。
要約すると、気の合わない俗な富士山に立派に相対峙している月見草はすごい。と言うものだ。
正直、よく分からなかった。富嶽百景がではない。月見草を渡した理由が。
いい加減帰るか、そう思ったとき、画面の隅にあるメッセージアプリに通知があることに気づく。いつも仕事の邪魔はされたくないのでマナーモードにしている。故に、忘れていた。
今日は珍しく通知が多かった。しかし、山ほどの通知が同じく意味していたのは、
「誕生日おめでとう。」
だった。忙しさに感けて自分の誕生日を忘れていた。そうか、皆覚えてくれていたんだな。とスクロールしていると、0時ちょうどに連絡をくれた人がいた。中学以来の友人で、よく覚えてくれていたんだ、と感動さえした。
「久しぶり。誕生日おめでとう。だよね?昔いつも誕生日の話になると私は富士山だ!とか言ってたけどまだ富士山やってますか?夫婦仲良くやってる?また連絡するね。」
そのメッセージは昔の記憶を鮮明に蘇らせた。
あいつにも話したことだ。あいつは隠匿に私を詰っていたのか。私が富士だとしても月見草がなんだ。素晴らしくないとでも言いたいのか。私が素晴らしいとは言っていない。だが、屈辱だった。人に悪口を言われるのには慣れていた。が隠れて、しかもよりによってあいつに。怒りだ。苛立ちを通り越して怒りの情があった。帰ったら何を言おうか。頭の中では至極冷静に、しかし私の本質的な部分は、沸騰して留めようがなかった。
また妻を怒らせてしまった。
勿論今回も悪いのは自分である。タイミングが悪かった。
妻は集中していた。しかし何よりも先に、自分はお祝いを言いたかった。二月二十三日は妻の誕生日であった。しかし、怒らせてしまってはいけなかった。溜息が出る。
自分が誕生日のお祝いに月見草を上げたのは理由があった。月見草の花言葉だ。
「無言の愛情」
普段自分は感謝すら言えていない。怖いわけではない。妻は自分が怖がられることがコンプレックスなようだが、決して思っていない。いつも無言な自分でも、愛情を持っていることを伝えたかった。
手紙でもよかった。しかしことさらに月見草を選んだわけは花言葉にあった。
その昔、まだ妻と交際を始める前、妻から胡蝶蘭をもらった。嬉しかった。いや、単純に嬉しかっただけでなく、いろいろな感情がごちゃ混ぜになり、結果として嬉しかった、という誠に残念な感想であった。このことを高校以来の友人に話した。もらってしばらくはただただ飾り眺めていた。しかし、ふとなぜ胡蝶蘭なのか気になった。理由はもらってから数日後、妻の機嫌があからさまに悪くなったからである。花屋を営んでいた友人に話を聞いたところ、花言葉なるものがあり、胡蝶蘭の花言葉の意味を知った。もらった時に気づけばよかったのだろう。しかしそれからも妻とはなかなか時間が取れなかった。今思うと避けられていたのかもしれない。住む場所まで押し入って告白したのだ。そして今回、同じ轍は踏むまい、と準備したのだが、自分と態度が、煮え切らないその態度がいけなかった。
帰ってきたらしっかり言おう。同じ轍はもう二度と踏むまい。
玄関のドアから開錠の音がした。もう逃げない。
本日二月二十三日は富士山の日。
今回は太宰治の富嶽百景を参考に、書かせていただきました。著作権は切れていますので安心してください。
二月二十三日の2,2,3の語呂合わせで今日は富士山の日になりました。単純ですね。
それでは、今日も一日頑張っていきましょう!