空が泣く
とある国に一人の少女がおりました。
少女には父がおらず、母は少女に寂しくないか、とよく尋ねます。それに少女は決まって寂しくない、と答えますが、母はそれを聞いて、我慢しなくていいと言います。本心なのに、と少女は思いました。
何せ、少女は父を知りません。少女の友人たちも、父を知りません。少女の周りの子供たちは皆、父を知りません。少女たちは父という存在がもたらす物を知りません。
その良さを知らないものを、どうして求めることができましょうか?
けれど、その悪さを知らないものは、求めることができるのです。
少女の住む国は、かつて大きな戦争に巻き込まれたことがありました。少女の母は戦争を経験していますが、少女はそうではありません。
世間では戦争賛成か反対か、日夜討論が続けられております。民は戦争の残酷さを知ったため反対するものの、国の政治家たちの多くが賛成をしております。
少女は母に尋ねました。何故、指導者に従わず、戦争に反対するのか、と。母は、戦争は悲しみしか生まない、と答えました。
少女は何故悲しみしか生まないのか、と訊きます。母は黙って首を横に振りました。話したくないのです。母にとって、あれは忌むべき過去なのですから。
けれど、少女はよく分かりませんでした。戦争を知らない彼女は、母の行動が理解できませんでした。
少女はやがて女性になり、結婚をし、子を成しました。母は老い、田舎でのんびりと暮らし始めました。
戦争を知る者は徐々に減り、知らない者が増えてゆきます。
ある日、幾つかの国々が戦争を始めました。それは瞬く間に世界に広がってゆきます。
女性の住む国でも、戦争を行うか、投票が行われることになりました。女性は賛成に入れました。女性の友人たちも賛成に入れました。彼女たちは戦争の悲惨さを知りません。ただ政治家たちが何も暮らしに影響はなく、むしろ利点しかないと言い、それを信じただけでした。
そして女性の国も戦争に参加することになりました。
もちろん、戦争を知っている者たちによる反対運動も起こりました。若者たちに、政治家たちの言っていることは間違いだと唱えます。しかし、彼らの言葉を真剣に聞くものは少なかったのです。
若者たちは戦争を知りません。だからきっと大丈夫だ、と思ったのです。
戦争が始まります。女性の夫も戦地へと旅立ちました。民の多くは、戦争はすぐに終わり、戦地へ行った者も無事に戻ってくるだろう、と信じてました。
けれどそうはなりませんでした。戦地の様子を知らされず、女性たちは帰りを待ち続けました。
やがて空襲が始まります。女性は子を抱いて山の中へ避難しました。多くの女性たちがそうしました。敵国も爆弾を無駄にしたくないのか、大きな街しか襲わないからです。
次に空が常に重たい雲で覆われるようになりました。女性たちは首を傾げます。誰も彼も、今世界がどうなっているのか知りませんでした。
そのうち雨が降り始めるようになりました。真っ黒な、気味の悪い雨です。女性たちは慌てて雨の凌げる洞穴へと入りました。
雨がざあざあと降り続けます。やがて誰かが腹痛を訴え始めました。吐き気を訴える者も、疲労感を訴える者も現れます。女性たちはきっとこの雨のせいだと思いました。それは間違っていませんでした。
何時間、何日経っても雨は止みません。川も真っ黒に染まり、魚が腹を上にしてぷかぷかと浮いております。
女性たちは倒れ始め、徐々に息絶えてゆきます。
女性の子供も動かなくなりました。
女性は空を見ます。重たい雲は真っ黒です。そこから黒い雨が落ち、地に染み込んでゆきます。
ふと、これは戦争のせいだと思いました。いえ、確信しました。きっとこの雨は世界中に降り注ぎ、多くの者たちがそっと事切れていっていることでしょう。
女性は後悔しました。何故戦争を始めてしまったのだろう。ああ、こんなことになると知っていたのならば、絶対に反対したのに。
そう思いながら、女性は涙を流し、ひっそりと息を引き取りました。
ざあざあと、黒い雨が地に降り注ぎます。人々が皆、後悔に涙を流します。それでも雨は降り続きます。
まるで、空も泣いてるようです。