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1章 第5 告白

「この間ね、予備校のクラスメートの子とフェルメールの絵画展に行ったんだよ!世界史の資料集とかにも必ず載ってるでしょ?フェルメールの絵って。今回の絵画展には私も知ってる絵があるって聞いて、せっかくの機会だし行こうと思ったんだ。やっぱり生で見るのは違うね。フェルメールってめちゃくちゃ絵上手いよ、なんてね。絵心のない私にフェルメールを褒める資格なんてないけど」

ここまで言った裕子は、山川修と絵画展に行こうと決意したときのことを思い起こした。裕子は、隆彦の苦しむ様子をほんの少しでいいから見てみたいと思ったのだった。隆彦は同じ年頃の大学生と比べると落ち着いた雰囲気で大人びていた。しかし、そんな隆彦も、決して変な意味でなく裕子に対して良い感情を抱いていることは裕子にも感じ取られた。隆彦の表情や言葉の端々から、心底自分のことを慕っているのだという熱意に近い気持ちを裕子は感じていた。それゆえにこそ、隆彦の嫉妬するさまを垣間見たいという好奇心に駆られたのであった。いわば、壁を蹴ると壁から同じ力を足に受け、そこに壁があることを認識できるように、隆彦を痛めつけたその反動の中に、隆彦の自分への真摯な気持ちを確認したいという思いであった。

「誘ってきたのは山川修って子なんだけどね、前からよく私に話しかけてきてたんだ。予備校では席は遠いのに。私だって鈍感じゃないから、何となく気はついてたけど…今回とうとう誘われたってわけ。彼のことは別に嫌いじゃなかったし、良いかなって。今度もまた誘ってくるんじゃないかなぁ」

しゃべっている間、裕子はテーブルの端に立てかけられたメニューやお手拭きに目をやっていた。しかし無機質なそれらを見ていたというよりも、その先のもっと遠いどこかを見るような目で見ていたのであった。

そして、ここまで言い終わると初めて、『さて、私の話を聞いてどうなっちゃったかな?』と様子を窺うように、しかも微笑みながら上目遣いで隆彦の顔を見たのであった。

隆彦は、この目の前で微笑みを投げかけてきた人間の瞳に、悪魔の萌芽を見て取った。『楽しんでやがる。裕子の中の悪魔が微笑んでいるんだ。ああ何てことだ!悪魔が胸を締め付ける!いやそんな甘いもんじゃない。今目の前でバリバリと肉から皮を剥がされ、ジュルジュルと血を抜かれ、ボキボキと骨を折られ、ヌルヌルとはらわたを抜き取られている!あぁ、想像していた悲劇が襲いかかってきたのだ。あぁ、せめてこの断末魔の叫びだけでも裕子に聞かせなければ!この心の叫びを…!』とやや大袈裟に表現すると、隆彦の心の叫びはこんな具合になる。隆彦は、この戯曲的な内心を、日常用語に置き換えて語り始めた。

「佐倉は、いやその山川修って奴は、一体何なんだ?いや、今更何を聞いても仕方がないな。今の話の感想を単刀直入に言うぞ。至って簡単さ。佐倉もその山川とかいう奴も気に食わん!何でなんだ?佐倉は今、目の前にいる惨めな男を見て楽しんでるよな?それが佐倉の趣味なのか?佐倉の皮を被った悪魔なのか?

実はな、こういう事態になってしまうことはもう知っていたも同然なんだよ。夢に見たんだ。佐倉が男と二人でどこかに行く夢を。その夢の中では、こうつまり、怒り狂って自動車も素手で破壊したぐらいなんだよな。夢の中で感じたこの怒りの源は、きっと佐倉に対する感情の裏返しなんだ、とそのときは分析したんだよ。で、その、今佐倉の話を聞いて、まぁ穏やかじゃないんだよな。分かるだろ、言いたいこと。誤解するなよ、焼きもちなんかじゃないんだぞ。自惚れるなよ」


裕子は、文字通りポカンと口を開け目を丸くして隆彦が全てを言い終わるまで聞いていた。『めちゃくちゃ取り乱してる、光井さん…大人な光井さんもここまで乱暴な口をきくなんてびっくり…でも私のことをすごく慕ってくれているんだろうな。私が光井さんのことは慕ってるけど、それ以上だな、こりゃ。でも私もおふざけが過ぎたか。鎮火作業に入らないと…私が放火犯なんですが』

「ちょっとちょっと、悪魔とか自惚れとか、怖いこと言わないでよ。そんなに怒ることないじゃない。そうだよ、そんなに怒らないでよ。光井さんらしくないよ全然。大人が年下の人間にそんな態度とるなんて。ま、私も表現の仕方は悪かったかな。嫌な思いをさせるつもりで言ったんじゃないんだけど、ごめん。一応謝る。さ、我を許せ光井隆彦!」

隆彦はこれを聞くや否や、自分が理性を失いかけていたのに思い至った。自分は今裕子の冗談によって宥められている、という羞恥心も加わり、心を鎮めようと努め始めたのだった。こうして裕子が最後に冗談の口調で締めたことで、またその意味を隆彦が隆彦なりに解釈し理解できたことで、幸い大火事には至らなかったのであった。

いつの間にか注文したコーヒーとアイスティーが置かれており、二人もいつの間にかスプーンやストローで飲み物をかき混ぜていた。隆彦がスプーンでカップをカチャカチャ鳴らす音と裕子がストローで氷をカラカラと鳴らす音が、二人の間で燃え立った炎が徐々に鎮められていくのを象徴した。隆彦がスプーンでカップをカチャカチャ鳴らす音と裕子がストローで氷をカラカラと鳴らす音が、二人の間で燃え立った炎が徐々に鎮められていくのを象徴した。落ち着きを取り戻した隆彦は、鼻で笑うときのように軽く息を吹いたあと、わざと冗談に聞こえる口調でこう切り出したのだった。

「さっきみたいな調子で『男の子と出掛けてた』って言うのは本当にやめてくれよ。そんな移ろいやすい性格じゃないって信じてたんだから。佐倉と仲良くしたい気持ちは自動車をぶっ壊すぐらいに強いんだからな。覚えておけよ。もし次に同じことしたら、破壊した車のパーツを持ってきて見せてやるからな」

「そうだね、もしできるんなら車のワイパーでも持ってきてくれる?ま、そんな勇気も力もないだろうけどね。無理して強がらなくてもいいって、光井さんがひよこちゃんみたいに弱いのはよく知ってるから。ピヨピヨピヨピヨ…」

こう言って裕子は両手を体の左右で小さくパタパタとして見せた。隆彦は、この少し年下の裕子が自分をからかう仕草を見て、嵌められたと思ったのだった。『最初からこれがしたかったのか、この小娘は。憎い奴だな』全てを許し包み込む神のような眼差しを、まだピヨピヨとひよこの仕草を続ける裕子に向けて投げかけた。

「悪魔め」

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