いざ、舞台の上(1)
「……この辺りって言ってたよね」
電話からさらに1日。礼良は親晃に教えられた住所を頼りに、宇陀家を訪れようとしていた。メモに走り書きした住所は、都心から少し外れた辺りを指している。礼良が住んでいる仲社からは、都心を通って少し東に向かった場所になる。
時刻は午後2時。習い事を終えた礼良は、最寄駅から電車とバスを乗り継ぎ都心へと移動する。ビル群が並ぶ通りが見えたところでバスを降り、徒歩に切り替えた。
村田コンツェルンのビルは、都心に群生したかのようにそびえ立っている。このビルを持ってる家に訪問するんだ、と考えると、どうにも変な気持ちになった。会社を経営する傍ら、その資金をもってして、人助けを行う――これが日本の話だろうか。その設定自体はアメリカのコミックにでもありそうな話だし、それでいて人助けの中身は魔法じみたファンタジーだ。自身の視力と正気を疑うしかなかった、先週までの自分がこの話を聞いたら、何と思うだろう。
今日は土曜日。部活帰りの学生やビジネスマン、家族連れなどで道はにぎわっている。礼良は思考を巡らせながら、それを縫うように歩いた。しかし、しばらく歩くと人もまばらになってくる。それとともに、景色もビル群から落ち着いた林道へと変わっていった。自然に囲まれた閑静な住宅地が礼良を迎える。
その辺りで礼良は立ち止まり、首を捻った。スマートフォンに入っている地図アプリと住所を見比べるが、どうにも土地勘がなくて分かりにくい。
そのうえ、細い林道はマップに表示されていたりいなかったりで、どこを通ればいいのか分からなかった。所謂ストリートビューというものもなく、礼良は眉を寄せて地図を眺める。考え事をやめ、その場でスマートフォンを持ったまま360度回転した。しかし、GPSがうまく作動していないのか、そもそも自分が向いている方向が理解できない。
「親晃先輩のおうち、どこだろう……?」
そこで、そういえば、と思い出す。「道がわからなくなったら、連絡してくださいね」と言われていたっけ。
礼良は一旦アプリを閉じ、親晃の電話番号を呼び出す。親晃はメールやメッセージがあまり得意でないようで、何回目かのやりとりで電話番号が教えられた。
彼はどうにもマメすぎるのだと思う。普通なら返さないメッセージも、律儀に返したくなって疲れてしまうらしい。礼良の返事が早いのもそれを助長している気はするが、それはそれで礼良の癖である。破滅的にペースがかみ合っていなかった。
だから、彼にとっては電話の方が気楽かな――と耳に機械を押し当てた瞬間、電話が通じた。
『はい。親晃です』
「あ、先輩! あの――迷いましたっ」
突然のことに慌てて、単刀直入に切り出してしまう。間髪入れずに笑い声が聞こえて、礼良は思わず顔が熱くなるのを感じた。
『そろそろ、そんな電話が来るかと思いました。すみません、分かりにくい道でしょう』
「いえ……あのぅ」
どうにも恥ずかしくて口ごもるが、親晃はお構いなしに笑っていた。
『迎えに行きますから、少し待っていてくださいね』
「え? でも」
脚は治ったのだろうか。親晃はこの前の戦いで、脚を怪我していたように見えた。
『ただ捻っただけですから、もうすっかり』
不安を口にすると、穏やかに返される。それに安心して、しかし、ふと疑問が生じた。
「あれ――っていうか、わたしがいる場所が分かるんですか?」
「ええ、まあ。この通り」
肉声と機械音が重なった。礼良はばっと振り返り、目を瞬かせる。
「親晃先輩っ」
少し離れた辺りで、耳にスマートフォンを当てた親晃が手を振っている。どうして、と問いかけると、彼は柔らかく微笑んだ。
「そろそろ来るかと思ったもので――という答えでは、きっと期待に沿うものではありませんね」
親晃が礼良の方に歩いてくる。同時に、通話が切れた無機質な音が電話機から聞こえた。
「その前にまずは、お久しぶりです。礼良さん。その節はご心配おかけしました」
微笑む彼の足取りはしっかりしていて、改めて礼良はほっとする。
「えと、お久しぶりです……」
「素直でいい子ですね」
挨拶を返した礼良に、親晃はくすくすと笑う。まるで子供扱いだ。
「はぐらかさないでください……」
直接会うのはまだ3度目だというのに、礼良はもう彼のペースに巻き込まれている気がする。彼はマメで生真面目のように思えるのに、その実するりするりと逃げて捉えようがない。まるで飛び回る蝶のように、思った通りにならないのだ。普段は優しいし、紳士に見えるからなお性質が悪い。
「すみません。簡単なことです……『雫』の気配を辿ったら、礼良さんがいました」
『雫』には独特の気配があるという。自分たちにとっては普遍的にあるものだから、気を付けないと分からないだけだと親晃は教えてくれた。
「そんなこともできるんですね……」
礼良の方といえば、そんなものはさっぱり感知できない。分かるのならば、10年以上悩まずとも、あっさり親晃と会えていたかもしれないし。
「はい。その方法もお教えしますよ。まずは、うちに向かいましょうか」
春の陽気で成長した蔦を掻き分けて、親晃は先導するように歩き出した。
「はい……っとと」
礼良はその後を追おうとしたが、慣れない道に一瞬よろけてしまう。
「道が悪いところがありますから、気をつけて」
途端、何でもない事のように手が握られた。
「ふえっ」
間抜けな声が出てしまったが、親晃はお構いなしに手を引いていく。礼良の顔が再び熱くなった。しかし、意思と関係なしに引っ張られているというのに、一人で歩くより歩きやすい。
これが、エスコートされるってものなのかな。
礼良は思わず感心してしまう。こうした行動を何気なくできる辺り、彼にはレディファーストが染みついているらしい。やはり、育ちが違うのだろう。親しみやすい人ではあるのだけれど。
「そろそろ着きますよ」
振り返って微笑む親晃に、礼良はただこくこくと頷いた。それに、親晃は思わずといったふうに吹き出している。
何だか親晃の意地悪が過ぎる気もするが――偏に、自分がいじられキャラなだけなのだろうか。
くすくす笑う親晃に手を引かれたまま、礼良はぎくしゃくと辺りを見渡した。
「あ、」
ふと、シンプルな作りながら存在感のある門を見つけて声を上げる。
「あれ、ですか?」
まさか、大企業を経営するおうちだからと言って、あんな門はないだろう。そう思って冗談交じりに言ったつもりだったのだが。
「そうですよ」
さらりと返されてしまった。
「……ほんとに?」
「本当に」
笑うと同時に、親晃がカードキーのようなものを、門の隣の機械に通した。
「はい、どうぞ」
にこりとしてみせる彼の後ろで滑らかに開く門は、壮観だった。
「……ハイテクですね」
「宇陀の事業は機械特化ですから」
『歪み』討伐にも、技術は必要ですからね。そんなことを言いながら、親晃は再び礼良の手を取って歩き出した。