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月光、夜の帳に落ちて  作者: 神奈保 時雨
第一章: 花散らで月は雲らぬよなりせば
4/10

翳る心、希望の光


「最寄駅はどこですか?」

仲社(なかやしろ)の方まで……」

 その地名には馴染みがある。比較的都心に近いが、住宅街や公園が多く落ち着きのある街だ。

「あそこはいい街ですよね。僕もよく行きますよ」

 駅に着き、改札にICカードを通す。続いて礼良が定期券を通し、後ろを控えめに着いてきていた。仲社の方へ向かう電車は、少しだけ遅れているらしい。電光掲示板がちかちかと知らせている。


「失礼なこと言うみたいですけど、」

「はい?」

 しばらくして到着した電車に乗り込む。遅延した電車は、会社や学校から帰る人にあふれていた。隙間に礼良をなんとか押し込み、潰さないように近くに立つ。と同時に聞こえた声に、親晃は礼良を振り向いた。

「電車、慣れてるんですね……イメージ的に、車の送り迎えとか、あるのかなあって」

「黒塗りのですか?」

 ぽつりと呟く礼良に冗談めかして返せば、彼女は少し気まずそうにはにかんだ。良家と呼ばれるものに対する世間のイメージに、親晃は思わず笑ってしまう。

「父が、若いうちは世界を知れ、他の学生と同じように過ごせと言うもので」

「大変なんですね……」

 感心している礼良に、「そうでもないですよ」と返す。そうこうしている間に電車が出発し、大きく揺れる。それに礼良は大人しくポールを握って立ち、親晃は手近な吊り革を握った。

 

「通学まで学校の外に車を横付けするのでは、ずっと箱詰め状態ですから。むしろ、放課後がある程度自由になるので助かります」

 でなければ、自由に外を歩けるのは『歪み』を討伐するときのみになってしまう。

 しかし、親晃の父の教育方針はきっと、コンツェルンの中でも、こと有力な家では考えられないものだろう。親晃と同じ年代の子供がいる家では、送り迎えは当然のようにつく。

 中でも有力な家柄のひとつである上條という家は令嬢だったのも手伝ってか、通学は大変に窮屈そうなものだった。学校を出てすぐ迎えの車、寄り道をすることもなく上條の家に直行するというのだから。

 まさしく「深窓の姫君」とでも言うべき状態だった。上條令嬢は少し前に嫁いだから、昔の話ではあるのだが。同じ状況になったら、親晃にはあまり耐えられる気がしない。


「放課後、遊んだりするんですか?」

「少しはね」

「……じゃあ、ゲーセンとか行きます?」

「たまに、ですが。友人のひとりがよく行くもので、付き合わされますよ」

「へー……」

 珍しげにあれこれと聞いてくる礼良は、どこか可愛らしい。くすりと笑ってから、親晃は「内緒ですよ」と人差し指を口に当てる。

「うちの両親は構わないようですが、帰りにそういうところへ寄るのは校則から言えば反省文モノですので。ここだけの話です」

「あ、はい! もちろんっ」

 わたわたと頷く礼良に笑っていると、電車のアナウンスが鳴った。どうやら次が仲社のようだ。

「……っと、降りましょうか」

 親晃はドアの方に礼良を誘導する。乗り込んだときよりはいくらか空いていて、スムーズに降りることができた。改札を出て、開けた道で一度立ち止まる。


「お家はどちらですか?」

「えっと、こっちです」

 今度は礼良が僅かに前を歩く形になった。

「少し、歩きますけど……」

 その言葉に親晃は「大丈夫ですよ」と頷いてみせる。礼良はほっとしたように歩いていく。少し細めの、人気のない道を通っていくらしい。

「いつもここを通るのですか?」

 女子高生がひとりでこんな道を通っていいのだろうか。

「はい、あんまり遅くならなければ……大通りを通ると回り道になっちゃって」

 そういうことなら、と親晃は安心する。幼馴染や友人にも「甲斐甲斐しい、お節介」と揶揄される自分自身の性格が、ひょっこり顔を出すところだった。


「……ちょっと、急に暗くなってきましたね」

「まだまだ春ですからね。電車が遅れた分、少し急がないといけないかもしれません」

 平静を装って答えながらも、親晃は少しだけ焦りを感じていた。このままでは、礼良が家に着く前に夜になってしまう。

 『雫』を体内に持ち合わせている人間が2人一緒に歩いていては、『歪み』を誘き寄せるようなものだ。

「じゃあ、急ぎましょう――あ」

 そんな親晃の心情を知ってか知らずか、頷いて歩調を速めた礼良が、ふと声を上げる。


「『月の雫』……きれい」

 親晃もつられて顔を上げる。確かに、月が顔を出し――『雫』を振りまき始めている。今日は、上弦の月。これから月の力はどんどん強まっていくだろう。満月になれば、今とは比べ物にならないくらいの雫が降り注ぐはずだ。


「他に見える人がいるなんて」

 感慨深く呟く礼良に、親晃は眼鏡を押し上げながら微かに笑んだ。

「そうですね……中々受け入れがたい話をしてしまったかもしれませんが――」

 ふと、そこで言葉を止める。

「……礼良さん、少し止まってください」

「え?」


 視界の端で何か動いた。


「――ここにいてください!」

 言うが早いか、親晃は彼女の周りに光の壁を作り上げる。『月の雫』を変形させて作った、結界のような壁。盾の役割をするものだ。

「え――」

 驚いたように礼良がそれに触れるのが見える。親晃はそれに構わず、辺り一帯に似たような壁を作り上げた。しかし、これは盾とするためではない。周りから見られないための、そして標的を逃がさないための砦。いわゆる、幻視の結界だ。


「あの……っ」

 状況が読めないでいる礼良に、しかし説明をする時間はなかった。

「……絶対動いては駄目ですよ」

 塀から、アスファルトの地面から、電信柱から。影のようなものがわき出てくる。礼良が息を呑むのが聞こえた。


「どうやら、少し遅かったようです……申し訳ありません。――『歪み』です」


 親晃が呼吸を整えると、どこからか2振りの剣が現れる。それさえ今は礼良を怯えさせる気がして、親晃は一瞬彼女を振り返った。

「けれど、絶対守ります。だから動かないで」

 安心させようと微笑むのは、今日だけで何度目だろう。何となく状況が分かったらしい礼良が、泣きそうになりながらも頷く。それを視界の端に写しつつ、親晃は『歪み』に向き直った。


 長剣を右手に、短剣を左手に握り――それに光を灯す。親晃の手元がほの明るく煌めいた。

 『月の雫』を武器に宿して初めて、『歪み』を刃で貫くことができるのだ。光をそのままぶつけるのでもいいが、それでは力の消耗が激しく長期戦はできない。宇陀が世代を重ねる中で身に着けた知恵だった。


 親晃はざっと『歪み』を見渡す。一人で相手にできない数ではない。


「!」

 力を増幅させた瞬間、脚に締め付けを感じた。影が親晃の脚を捕らえて、引きずり込もうとしている――

「親晃、さんっ」

「大丈夫ですっ」

 ぎこちない呼び声に鋭く返しつつも、親晃は冷静さを保とうと努める。いつもより多く寄ってきているように感じるのは――礼良がいるからか。

 彼の呼び出した月の光が、影の縛めを捉える。

「次――」

 光が弾け、親晃の脚が解放される。それと同時に、彼は走り出した。狙いは、礼良に向かって行っている数体の『歪み』だ。

「きゃあっ」

 『歪み』が光の壁を叩き始め、礼良が悲鳴を上げる。時をほぼ同じくして、親晃は空中を降りてくる『雫』に手を伸ばした。そのまま彼は『雫』に触れ、干渉する。

 『雫』は縄状に姿を変え、『歪み』を捕縛するように張り巡らされた。『歪み』の動きが一斉に止まる。

「すみません。怖かったでしょう」

 光の壁は幸いにもびくともしなかったようだが、たくさんの『歪み』が一度に狙ってきたのだ。怖くないはずがない、と、親晃は礼良に声をかける。

「大丈夫です……後ろっ」

 安心したような声が、一転して悲鳴になる。言われるが早いか、親晃は後ろに短剣を突き出していた。確かな感触とともに、『歪み』が一体弾ける。


「……随分、人気者なようですね。こうなってくると、今まで『歪み』に会わなかったのは奇跡ですよ」

 ほっとした様子の礼良に、親晃は苦笑を浮かべる。 『歪み』のほとんどが、親晃ではなく礼良を狙ってきているようだった。彼には見向きもせず、結界の中の礼良を狙う『歪み』がいくつもいる。

 

 親晃が先程巡らせた縄状の光は、有刺鉄線のように姿を変えている。それが『歪み』たちを捕らえているにも関わらず、『歪み』はまだ礼良に向かってこようとしていた。

 影の手を伸ばしてくるそれらを、親晃は一思いに『雫』ごと浄化する。

「すごい……」

 礼良の呟きに、答えている余裕もなかった。『歪み』はあとからあとから湧いてきて、我先にと礼良の方に進んでくる。

 親晃はそれらに向かって光の針を大量に放った。牽制になればそれでいい。親晃の目論見通り、『歪み』は隊列を崩す。

「……すみません。大量の『歪み』が発生しました。応援をお願いします」

 『歪み』の隙をついて、親晃はようやくインカムを取り出すことができた。宇陀の人間同士が連絡を取り合うためのものだ。必ず誰かしらは受信機をオンにし、これを聞いている。それに向かって、親晃はぽつりと呟いた。


 列を崩した『歪み』たちは、それでもなお進もうとしていた。仲間たちの身体を乗り越え、押しのけ、一体になりそうなほどどろどろと入り乱れながら。

 人間のむき出しの感情、それもネガティブなものから生まれただけあって、礼良に執着するさまは醜悪で欲深い。

 

 息を呑む音に、親晃はそっと礼良を見る。彼女は口元を手で覆い、釘付けにされたように歪みを見ている。親晃は剣で『歪み』を警戒しつつも考えを巡らせた。自分もいるにも関わらず、『歪み』はこの少女にばかり関心を見せている。


 それは戦う術がないことを見抜かれているせいか、それとも――


 彼が思考に気をとられかけた瞬間、『歪み』は一斉に影の手を伸ばす。それを親晃の脳が理解するよりも早く、彼は右手の長剣を振りかぶっていた。

 勢いづいた剣は、影の手を一刀両断して吹き飛ばす。

「いや――」

「絶対守りますから、安心して!」

 怯えたように首を振る礼良に、鋭く声を掛ける。それと同時に親晃は短剣を投擲した。短剣がいくつかの『歪み』を掠め、消滅させる。

 その瞬間。


 ――――お前には、守れない

「っ……!?」

 ――――お前には誰も守れない

 誰かの声が、頭に入り込んでくる。

 いや。それは誰のものでもない――親晃のものだ。

 

「親晃さん!」


 呼び声にはっと我に返った瞬間、鈍い音と共に背中に衝撃が走った。そのまま親晃は倒れこむように、道路に落下する。遅れてやってきた痛みに、彼は遅まきながら状態を理解する。

 どうやら、歪みが親晃の身体を捕まえて投げ飛ばしたらしい。

 ――今の思考は、『歪み』に触れられたせいだ。

 『歪み』のもつ負の感情が親晃に共感を呼び起こし、負の感情を植え付けたのだ。そうして引きずり出した感情を彼らは喰らう。――親晃は長年の経験からそれが理解できたが、礼良には訳が分からないだろう。

 親晃の動きが突然止まり、歪みに攻撃を加えられたように見えるはずだ。


 負の感情による侵食が始まっている――親晃本人は正しくその事態を理解していた。この『歪み』たちを生み出した感情は、きっと「不安」だ。その感情が親晃の精神状態をも左右している。

 目の前の少女を守り切れるか、という不安となって。 

「大丈夫です……」

 呻くように言葉を押し出し、立とうとするが――右脚が動かなかった。落下の瞬間に足首をどうにかしてしまったらしい。先程まで礼良を狙っていた『歪み』たちが、一斉に親晃に群がってくる。

 本能で、獲物が弱ったことを感じ取ったのだろう。彼らに感情以外の生存本能があるのならば。

「くっ――」

 どうにか光の針で『歪み』を牽制しつつ、長剣を頼りに立ち上がる。しかし、足取りがしっかりしていなければ剣は振るえない。

 『雫』そのものでの攻撃を免れた『歪み』たちが、依然親晃に向かってきていた。

「親晃さんっ」

 泣きそうな声に、親晃は呼吸を整える。彼女だけは、どうにか守りきらなければならない。

 せめて、応援が来るまででもいい――

「……守れない、なんて考えは捨てろ」

 声に出して、自分を叱咤する。侵食など糞食らえ、だ。唯一戦える自分が弱っていてどうする。

 同時に、光で波を起こすようにして『歪み』を押し戻した。ほとんどはそれで消滅したものの、いくらかはまだ向かってきている。

 それにどうにか剣を突き出そうとしたとき、視界の隅に礼良が映った。礼良と――それに向かう数体の『歪み』。

「――!」

 親晃は目いっぱい手を伸ばし、『雫』の力を開放する。それが礼良の近くの『歪み』を包み、消滅させた。

 しかし、親晃に向かってくる『歪み』には接近を許すことになってしまった。

「この――」

 覆いかぶさるようにして、『歪み』が親晃を地面に押さえつけてくる。親晃はそれを無事な方の脚で蹴り飛ばす。


 ――取り込まれては駄目だ。


 何度も『歪み』と接触したせいで、親晃の思考には振り払えないほど負の感情が纏わりついてきていた。


「あの……っ」

 遠慮がちに声を掛けようとしてくる少女は、親晃の異変に気付いているのかもしれない。しかし、彼には答える余裕もなかった。目の前の『歪み』を払いのけることに精いっぱいになりながらも、親晃は再び立ち上がる。

「!」

 その瞬間、右手に影が纏わりついた。踏ん張ることができなかった親晃は、そのまま『歪み』の中に埋まるように飛び込んでしまう。

「親晃さんっ!」

 叫び声にも反応できない。離れなくては危険だと分かっているのに、脚に力が入らなかった。『歪み』の持つ負の感情が、それに伴う記憶が、親晃の中に雪崩れ込んでくる。


 やめてくれ。


 思わず叫びそうになって、代わりに歯を食いしばった。『歪み』を引き剥がそうとするたび、逆にそれに取り込まれていく。

 ――僕は、まだ倒れられない。

 負の感情に抵抗するように強く念じて、身体を起こそうともがく。


「やめて――――!!」


 同時に、絶叫が耳に飛び込んできた。光が爆ぜる。

「なっ……」

 ふわりと解放された感覚に、親晃は思わず、動きを一瞬止める。

「痛っ」

 その途端に地面に投げ出され、頭をぶつけてしまう。それでも何とか起き上がり、目を見張った。

「『歪み』が消えた……?」

 あれほど親晃たちを捕食せんとしていた影は、姿かたちもなく消えてしまった。ふと、礼良に目を留める。何が起こったのか分からず、呆然としている彼女の身体は――淡く発光していた。

「礼良さん――」

 今のは、貴女が?

 そう聞きたかったが、叶わなかった。もう身体に力が入らない。礼良が必死に名前を呼ぶ声を聞きながら、親晃はそっと地面に横たわった。


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