復縁は、御免こうむる!
——何故——
疑問は競り上がってきた熱に邪魔をされ、溢れ出た血に紛れてしまった。
急速に冷えていく手足は、動くこともままならない。
辛うじて上げた視線が、抱き合う男女を捉えた。
幼い頃から、共に育っていた少女だった。
強力な癒しの力を見出され、聖女に祀り上げられても、自分にとっては守るべき妹の様なものだった。
少女を守るため、男は得意であった剣に磨きをかけ続けてきたのだ。
……男は知らなかった。
少女が男に差しだした杯に入れられた毒は、王家に伝わる秘奥であったことを。
……常勝将軍と呼ばれた男は、知らない。
いつの間にか、自分の名声が権力者を脅かす程に、高まっていたことを。
だから、少女は選ばれた。
男が、一番気を許し、疑いもしない人間だったから。
王太子に篭絡され、幼馴染を殺すことも厭わない駒となっていたから。
王太子の腕の中で頬を染める少女を見て、男が胸の中に抱いていた何かが砕けた。
確かにあったはずの輝きが、軒並み色褪せていく。
ゆるゆると広がっていく闇と、絶望に身を沈めながら、男は最後の吐息を吐き出した。
◆◆◆
ライラは、生れるべき子供ではなかった。
自分でもそう思うあたり、割と救われないのかもしれない。
ライラを愛して、彼女の生を望んでくれた母親には悪いが、少なくとも、ライラを生まなければ、母親は不遇な境遇に落とされることはなかったのである。
ライラが、自分が女であることにやっとこ向き合ったのは、初経が来た十二の時だ。
——それまで、ライラは自分が男であると、頑なに言い張っていたのである。
何が悪いかと言えば、何でか生まれ変わっても消去されなかった前世の記憶が悪い。
男として生きた記憶は、生れて間もない赤子の自我を侵食していたのだ。
ライラが生まれたのが、それなりの地位にある貴族の家であったのも、悪かった。
政略結婚の駒となるべき娘が、自分は男だと言い張っていたら、家の大恥だ。
また、前世の記憶が、剣を中心としていたのも、その経験が卓越したものであったことも、悪かった。
十人ほどの曲者を皆殺しに出来る五歳児なんて、客観的に見ても怖すぎる。
——悪魔の子。
魂が廻るこの世界で、前世の記憶持ちは、そう珍しいものでは無い。
ただ、その前世で大きな罪を犯していたり、人を容易く害する技術を極めていたりしていた様な者は、そう呼ばれ、疎まれた。
逆に、前世で人を救う業を有しているものは、奇跡の子として崇められるのだから、人間と言うのはどうしようもなく身勝手だ。
そうして、幼かったライラは、母親共々家を放逐された。
全ての元凶ともいえるライラを、母親が憎まなかった理由は、未だに分からない。
家族を守るために血に塗れたライラを、恐れる父親とは違い、母親はただ抱きしめた。
誰もが汚らしいと眉を顰める灰色の髪を、綺麗だと微笑んだのも、母親だけであった。
放逐された先の森で、ライラが必死に狩猟生活に明け暮れたのは、母親に生きて欲しかったことが大きい。
父親に忌々しがられた前世の記憶は、狩猟生活に大いに役立っていた。
それでも、何度も思ったのだ。
自分は、前世の記憶を持って、生れてくるべきではなかったと。
——冷たくなった母親の手を握りながら、ライラは強く思ったものだ。
……愛している。
母がライラに囁く声は、どこまでも穏やかだった。
それが理由で、母親がライラを見捨ててくれなかったというのなら、愛と言うものは、本当に碌でもないと感じた。
母親が死んでからは、黒歴史だ。
はっきり言おう。
ライラはぐれた。
前世でも今世でも、一番の荒れ具合だった。
今の自分にはもう何もないと感じたから、もういない男の残骸である剣に縋りついたのだ。
前世から母親が死ぬまでの経験で、——恋も愛も知るかっ! とりあえず、最強になってやるっ!! と言う心境になってしまった。
多分、愛する少女(笑)の為に、ひたすら強くなろうとした前世の男の記憶の影響であろう。
兎に角、ボコっても問題ないような犯罪者を探しては狩りまくっていたのは、精神年齢が成人を超えていても、若気の至りとしか言う他ない。
……本当に、自棄になっていたのだ。自棄に。
そんな中、やがて仲間となる傭兵団と巡り合ったのは、亡くなった母親の導きかもしれない。
少なくとも、神とやらではない。
前世で命を落とした時点で、ライラの中の神は死んだ。
現世では寧ろ、神なんぞ糞くらえっ!!! と言う心境である。
団長たる筋肉達磨と熾烈な殺し合いを経た後、ライラは漸く母親の為に泣けたのだ。
——お前、マジで怖かった、と呑気に笑うことが出来る筋肉達磨は、前世今世を通じて一番の大物である、と、ライラは確信している。
……絶賛やさぐれ中のライラは、何度振り返ろうと、コレは無いと遠い目をする様な状態であったのだから。
そうして始まった、傭兵団と共に戦場を渡り歩く生活に、ライラは何の不満も無かった。
今更、ライラが、普通の女の様に恋だの愛だのに夢中になれる筈もないし、自分の為だけに戦えているだけ、前世よりも断然ましであろう。
いつの間にかついていた、『灰色の戦乙女』と言う二つ名は、あまり気にいるものでは無いけれど、まあ、良いかとは思っていた。
のだが。
——会いたかった、と。
蕩けるような笑みを浮かべた王子様(笑)に、ライラは冷めきった目を向けるしかなかった。
お前もか。
今のライラの心境は、これに尽きる。
奇跡の子。
そう崇められる王子の前世は、ライラの前世の男の、幼馴染の少女であった。
……別に、ライラはこんなのと会っても、嬉しくもなんともない。
前世で自分を裏切った少女が、記憶持ちで転生していたことも知らなかったし、知っていたとしても、関わりたくなどなかった
神は死んだっ!!!! と叫んでしまいそうである。
王子曰く。
男が死んだ後、男の故国は隣国に攻め滅ぼされてしまったらしい。
男が死んだことによる、その後釜を狙った足の引っ張り合いからの、内乱の勃発が悪かったそうな。
ここで、裏切った少女は、後悔したと言う。
男が、少女を守るためにどれ程の努力を払ったか、気付いていなかったと。
……だから、何?
今度は、自分がライラを守る。
王子は、そんな馬鹿なことを熱っぽく語った。
——知らんがなっっっっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!!!
周囲に居た邪魔者(騎士達)を千切っては投げ、千切っては投げ、丁度近くにあった断崖絶壁から海に飛び込んで難を逃れたライラは、絶対に悪くない。
——今更復縁なんぞ、御免こうむるっ!!!
因みに、ライラは仲間達の心配をあまりしていなかった。
たかが一国の軍に後れを取るようなら、仲間達は『終末の戦士』などと呼ばれていないのだ。