ある魔眼持ち薬剤師の日常 その四
「ふー、今日も忙しい……」
リュイスさんがアルバイトで来てくれているのですが、やはり忙しいものは忙しい。しかも彼女は週に三日、しかも今日と次回で一応終わりなのです。
うーん、期間延長したいですね。
しかしなぜこんなに突然売れるようになったのでしょうか?
謎ですね。
えっと、棚にはあと何個ありましたっけ。
ひのふの……。うーん、残り十三個ですか。地下倉庫にある回復軟膏も残り三十個ですし、そろそろ午後から素材を採りに行かなきゃいけませんね。
「ねー、そこの可愛いおねーさん」
と、そこへ私を呼ぶまだ舌足らずな男の子っぽい声が聞こえました。
まー、可愛いですって、照れますね。
ご返事しないといけませんね。
「はーい」「はい」
そしてレジにいたリュイスさんも私と同時に返事をしました。
瞬間、私とリュイスさんの間でピシっという嫌な音が鳴り響きます。
(リュイスさん、その男の子は私の事を呼んだのですよ?)
(店長、可愛いという形容詞はあたしの事だと思いますけど)
互いの目から目に見えないけど火花が飛び散っている感じです。
(いえいえ、私以外にこのお店に可愛いおねーさんなんていませんよ)
(あら、店長の目は節穴ですね。可愛い、おねーさんなんてあたしのみハマる言葉ですよ)
(言うようになりましたね。最初はあんなにおどおどしてましたのに)
(店長の教育の賜物です)
「あ、あの……」
私を呼んだ男の子が、困ったように私とリュイスさんを交互に見ています。
(あ、ご本人に聞いてみるのが一番です)
(そうですね。それであたしの正しさが証明されます)
そう目で訴えたあと、私は男の子の視線に合わせてしゃがみました。
……そういえば、いつの間に私とリュイスさんは目で会話できるようになったのでしょうか?
ま、いいか。便利ですし。
と言う事で、男の子の顔をじっと見ます。
……あら、この子可愛いですね。ぱちっとした目、短い髪、邪気のない笑顔を浮かべています。
でも、何か少しだけ不安の色が目に浮かんでいます。
うーん、悩み事でしょうか?
って、そうじゃなく、まずは可愛い、とはどちらの事かを聞く必要があったのです。
「ね、可愛いって私と、あそこに立っている女の子、どっちの子の事かな?」
「あ、あの……顔近い」
「どっちのことかな?」
「え、えっと」
「ど っ ち の こ と か な ?」
「ど、どちらも可愛いおねーさん……です」
ちっ、この世渡り上手ながきんちょめ。
「店長、お客様をいじめてはダメですよ」
「いじめてないですよ? 世間の厳しさを人生の先輩から教えているのです。ところでどうしたのですか? 何かありましたか?」
「あ、えっと、さっきお母さんが病気で倒れて。それでお薬売っていますか?」
なるほど、先ほどこの子の目に浮かんでいた不安の種は、母親でしたか。
それにしても、倒れて、とは穏やかじゃないですね。
でも……。
私は医者ではなく薬剤師なのです。しかも外傷メインの。
多少の怪我くらいならすぐ治せる自身はありますが、さすがに病気は専門外です。
「うちはお医者さんではなく薬剤師なのですよ。病気を治すならお医者さんに診てもらったほうが良いと思いますよ」
「うん、それは分かってるんだけど、お金……なくて……。それにここなら他のお店より少し安いって言ってたから」
あー、お医者さんは高いですからね。
うちの回復軟膏はこの辺りの相場より若干安い銀貨一枚。つまり日本円ですと一万円くらいです。
でもお医者さんにかかると、最低銀貨五枚。何回も通ったりお薬を処方してもらうと、それこそ倍々ゲームになります。
この町には軍が駐屯していて軍人も多いので、それだけ他の町に比べ経済が良く回っています。それでも一般の家庭ですと毎日安心して食べていける程度の余裕しかありません。下手をすると銀貨二十枚や三十枚は軽く飛んでいくお医者さんに診てもらうのは非常に厳しいでしょう。
「店長。一度診てもいいのではないでしょうか?」
「えっと診るのはいいですけど、絶対治るという保障はできませんよ?」
怪我などの外傷は外から見えるのでその分対処がしやすいのですけど、病気などは外からだとわからない部分が多いので、その分難しいんですよね。
「はい、それでも良いと思います」
(それに、大人である店長が行くことで男の子を安心させられますよ。もしかすると、過労かも知れませんし)
リュイスさんがすごく細かいアイコンタクトしてきました。なぜ私は理解できるのでしょうかね。
でもリュイスさんの言う通りかもしれません。
「では少しの間、お店をお任せてもいいですか?」
「はい、お任せください」
「じゃあ可愛いおねーさんと一緒に行こうか? あ、ところでお名前は?」
「ウルドです、おねーさんありがとう!」
「ウルド君だね。か わ い い おねーさんだよ?」
「とっても可愛いおねーさん、ありがとう!」
素直な子は好きです。
「ここだよ!」
ウルド君に連れられてきた場所は、町の北側に位置する市民区画でした。
この町は大きく南側が貴族区画、西側が商業区画、東側が裕福層区画、北側が庶民区画、そして町の中央に重要施設が立ち並ぶ政治区画と分けられています。
ウルド君の家は市民区画の更に北の端にありました。つまりそれだけ時価の低い場所となります。
確かにこの辺りに住んでいる人だと、お金に余裕のある家庭はほぼないでしょう。
……そして、誰かが私たちの後をつけていました。
魔眼の一つ、魔力透視。
これはその名の通り魔力を透視する事が出来ます。ぶっちゃけ言えば魔力の流れを読むって事ですけどね。
そして一人ひとり少しずつ魔力の性質が異なっています。指紋みたいなものですね。
無機質なものを除けば、ほぼ魔力は流れています。そしてさっきから同じ魔力の性質を持った人が私たちの後ろから一定の距離を付かず離れずついてきているんですよね。
でも、誰の後をつけているのでしょうかね。
私自身は身に覚えがありませんし、となるとウルド君しかいないのですけど。
もしかするとウルド君、あるいは彼の母親が実は重要人物で、何らかの秘密を握っているとか?
いえ、それならとっくに何かされているでしょう。
まー、何か問題が出てきましたら私が力で何とかすればいいでしょう。
「早く入って?」
ウルド君は玄関を開けて私の方を見ていました。
余計な心配かけるのもいけませんよね。
「あ、はーい。ごめんね。お邪魔します」
ちなみにこの世界では、靴を脱いであがる習慣はありません。その代わり大抵玄関に泥などを落すためのブラシみたいなものがおいてあります。
わざわざブラシで汚れ落すなら、靴脱いだほうが良いと思うんですけどね。
そしてウルド君の家にはブラシがありませんでした。その代わり、葉っぱが数枚おいてあります。
あー、これで拭けって事ですね。
まあ町を出てすぐの林に行けば葉っぱは何枚も採れますし。でもあそこたまに魔物出るから危険なんですけど。
また今度ブラシでもお土産にもっていこうかしら。
靴裏だけ葉で拭いて待っているウルド君のそばへ行きました。
そして案内された部屋は四畳半程度の広さのある居間っぽい場所。素人が木を組み立てたようなベッドの上に二十代中頃くらいの女性が寝ています。
ただ、かなりやつれていて頬が削げていますね。栄養失調でしょうか。
「おかーさん、お薬作ってくれる人連れてきたよ!」
「ん? あら? あ、わざわざすみません」
「起き上がらないで、そのまま寝ていてください。じゃあ少し診てみますね」
手を翳し、まずは額に当てて熱を測ってみます。
うーん、ちょっとだけ熱があるみたいですね。
次に一度目を閉じてから再び開きます。
魔力透視。
私は魔力の流れしか視えませんが、一時期徹底的に動物の魔力の流れを研究した事があります。回復軟膏を作る際、この魔力透視で動物たちの魔力の流れを視ながら、様々なトライエラーを繰り返しました。
難点は一度も人で確かめた事がなかった点ですが、どちらも血の通う生き物です。自己治癒の基本的な仕組みは似たようなもののはずです。
そしてさっと彼女の身体を視ると、下腹部に魔力溜りがあるのが分かりました。
子宮周りの異常でしょうか?
そこを重点的に視てみます。
うーん、何でしょうか、これ?
魔力溜りというより、何か生き物が中に入って……い……るよ……うな。
………………。
…………。
……。
おめでたっ!?
「あ、あのもしかして、最近すっぱいものとか欲しくなっていませんか?」
「あら、そういえばそうね」
「あとは吐き気や倦怠感、頭痛などはありますか? それと食欲も減ったりしてませんか?」
「嘔吐はよく、頭痛がたまに酷くなるわね。食欲もあまりないわ」
まさしくぴったりな症状です。
というより、一回経験しているはずなんですから分かるんじゃないでしょうか。それか天然さんなのでしょうか。
「あー、おそらくご懐妊かと思います」
「あら? そういえばウルドを産む前もこんな調子だったわね」
「えっと、とりあえず安静にしていてください。あと食欲がなくなる事もあるかと思いますが、さっぱりとして栄養価の高いものを出来るだけ食べてください。おなかにいるお子さんへの栄養も必要ですから」
「あらあら、ありがとうございます」
「おねーさん、何だったの?」
ウルド君に服の裾を引っ張られました。ものすごく心配そうな表情ですね。
「えっとね、お母さんのおなかの中にウルド君の弟か妹がいるのよ」
「マジでっ?!」
「マジですよ」
「僕がお兄ちゃんに……」
先ほどまでの表情はどこかへ飛んでいった模様です。一人で感動しているウルド君。
兄弟(兄妹?)が出来るという事は嬉しいのでしょうね。
さて、あとはこのお母さんに伝える事は。
「お産ですが、さすがに私もお手伝いは無理ですから、ウルド君を産んだときに手伝っていただいた方へお願いできます?」
「ええ。お隣のおばあさんにお願いします。それで治療費は如何ほどかかります?」
「不要です」
私はここまで歩いてきて視ただけですしね。それにこの辺りに住んでいる人からお金を頂くほど私は貧乏ではありません。
「え? でもそれじゃ悪いでしょう?」
「そうですね、では今後怪我などありましたら、当店の回復軟膏をお買い上げお願いします」
「それじゃお言葉に甘えさせていただくわ。ありがとうございます」
「いえ、それでは私は失礼させて頂きます」
「可愛いおねーさん、ありがとう!」
「ウルド君もちゃんとお母さんのお手伝いしてあげてね。お兄ちゃんになるんですから」
「もちろん!」
その日はそれで終わりでした。
あ、後を付いてきていた人は私がウルド君の家から出た途端、ダッシュでどこかへ去っていきました。
何だったのでしょうかね。
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とうとうリュイスさんのアルバイト最終日となりました。そして馬鹿売れしていた回復軟膏が昨日からピタリと売れなくなりました。
あっれー?
何か流行でもあったのでしょうか?
これですとリュイスさんの継続契約の件も不要になりそうですね。彼女かなり有能でしたのに。
……この際ですから将来を見越して正式に雇おうかな。
彼女が来たら相談しましょう。
「ナミル殿はいらっしゃるか?」
とそこへ、アーヴェン様がお供を数名連れていらっしゃいました。しかも大きな馬車まで引いてきています。
お珍しい、いつもはぼっちで来るのに。それより回復軟膏はつい先日千個納品したばかりですし、他に何か用なのでしょうかね。
「あらアーヴェン様、いらっしゃいませ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「ええとだな。少し言いにくい事なのだが……」
何やら歯切れが悪いですね。うーん、嫌なことでもあったのでしょうか。
それが三分ほど続きました。
さっきから「ああ」とか「えっとだな」とか「悪いが……」等しか言いません。
いい加減はっきり言って欲しいものですね。
そろそろ切れそうになった時、馬車の中から聞いた事のある声が飛んできました。
「アーヴェン! いい加減はっきり申しなさい!」
「っ! こ、皇女様……し、しかしナミル殿は大恩ある方で……」
「あたしが直接伝えますっ!」
そして馬車の扉がばーんと開き、中から出てきたのは……。
「リュイスさん?」
そこにいたのはリュイスさんでした。
ただし着ている服はいつもと全く異なり、貴族が着る様な豪華な純白のドレスです。そして纏っている雰囲気も普段とは違う、上に立つ者独特のオーラが漂っています。
そして優雅に馬車から降り立つと、私に一礼をしてきました。
「店長、申し遅れました。妾の本当の名はリネット=リュイスズハルト=フォン=フィスティス。フィスティス帝国の第一皇女です」
「……え? 第一皇女? マジで?」
「マジです」
「ふぇっ?! え? ええぇぇぇぇ!?」
△ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽ △ ▽
何とあのリュイスさん……ではなくリネット皇女が第一皇女、しかも王位継承権第二位という地位の方とは全く知りませんでした。アーヴェンさんも皇族ですが分家の人であり、当然本家であるリュイスさんとは地位が雲泥の差です。
さすがにお店の前で会話など出来ませんので中に入ってもらい、今日は臨時休業とさせていただきました。
「それでリネット皇女は私をスカウトしたいと」
「はい店長。あなたの事はアーヴェンから何度も聞いていたので、一度会ってみたいと思っておりました。まさか直接様子を伺いに行った当日に、無理やりアルバイトさせられるとは予想外の出来事でしたが」
「あ、あはははは……。も、申し訳ございません! ひらにっ! 平にご容赦を!!」
貴族が王家に対して粗相をしたら、よくて身分剥奪、悪ければ国外追放です。平民だったら、よくても悪くても死刑です。
他国の元貴族とはいえ、この帝国での私は平民です。
……人生おわりました。
もちろん死刑になる気はさらさらありません。この国は居心地良かったのですけど、逃亡するしか手はないですね。アーヴェン様を筆頭に騎士が五名いますけど、その程度の戦力では私は止められません。
この町に駐屯している軍が全員束になってかかってきても、逃げ切る自信はありますけどね。
「店長、別にそれを責めている訳ではありません。あたしも楽しかったですし」
頭の中で次はどの国へ行こうか迷っていると、リネット皇女が優しい笑みを浮かべました。
でも私は知っています。
伊達にこの二週間、リネット皇女をアルバイトとして雇っていた訳ではありません。
あれは何か良からぬことを考えている時の目です。
「それと先ほども申し上げましたが、店長を帝都にお連れしたいのです。具体的にはあたし直属の部下として登用したいのです」
「……リネット皇女、何をお考えになっておられますか?」
「店長の能力は素晴らしいの一言です。ここ二週間、店長の仕事を拝見せて頂きましたが、実に上手く店を回しておられます。特に貸借対照表というものを店長から教えていただいたとき、このような紙一枚のみで財政状態が分かるなど、目から魔力が溢れ出すかと思いました」
いや、それは大げさでしょう。
「またアーヴェンは帝国の中でも十本の指に入るほどの強者です。それを軽くあしらうほどの強さをお持ちとか。それに医療面にも明るく、先日の子供の件でもさっと診察して原因を特定しておられる。それに店長の作った回復軟膏の効果も素晴らしい。思わず使いを出して買占めてしまいました」
お前かっ! ここ数日馬鹿売れしていた原因はお前かっ!!
しかも店の様子を見る為に、一度に全て買うのではなく毎日売り切れ寸前まで買っていたのですね。
何と言うか……力を入れるところが違います。
「これほどの人物を放置しておく事は我が国にとっても不幸です。是非あたしと共に帝都へ来て頂きたい」
リネット皇女が手を差し伸べてきました。
でも私はその手を取ることはしませんでした。
「子供の件については、たまたま偶然上手くいっただけにすぎません。それに私はこの暮らしが気に入っております。リネット皇女には悪いとは思いますが、一緒についていくことはお断りいたします」
しかし何故かリネット皇女は、再び何か良からぬことを考えている時の笑みを浮かべてきました。
「店長ならそう言うと思っておりました。ですので悪いとは思いますが、無理やりでもあたしと共に来ていただきます」
「力ずくで私を従えるのですか?」
「まさか。アーヴェンをモノともしない店長に対し、そのような手は使えません」
「ではどのように?」
「このお店はリルリ駐屯軍直轄の土地、即ち帝国の資産です」
……あ。
そういう手できましたか!
「第一皇女の命により、この店の契約を打ち切らせていただきます」
「卑怯なっ!」
「そして、帝国第一皇女のあたしを不当に強制的に働かせた罰として、店長を永久的にあたしの配下と致します」
「大人って下劣ね」
「店長のほうが年上ですが」
私は永遠に子供で居たいです。
「私は単なる薬剤師ですよ? それでもいいのですか?」
「またまたご冗談を。単なる薬剤師が帝国最上級騎士である九剣の一本、アーヴェンより強いなんてことはありません。店長のお仕事はまず帝都で店を開いていただきます。回復軟膏を帝都にいる軍にも安定供給していただきたいのです。もちろんここリルリ駐屯軍にも今までと同等数を卸していただきます」
「私に過労死しろと?!」
「ご安心ください。回復軟膏の材料については、適宜軍を派遣して採取いたしますので店長は作るほうに精力を注いでください」
「飽きます」
「子供ですか店長は」
「それに作るだけなら、わざわざ店を構えなくとも良いのではないでしょうか?」
「帝都市民にも店長の作る回復軟膏を広めたいのですよ。それには店長自ら売っていただく必要があります」
なにそれ。私に名を売れってことですか?
それは結果的に、私の上長になるリネット皇女の名も売れるという事になります。
やっぱり汚い!
「引越し面倒です」
「ご安心ください。リルリ駐屯軍から百名ほどの騎士に引越しさせますので、店長はそのままあたしと共に馬車で帝国へ来ていただければ問題ありません」
「軍を私用で使っていいのですか?」
「あたしは第一皇女です。護衛任務として騎士を百名連れて行くのは私用ではありませんし、あたしの部下の荷物を持つのも私用ではありません」
うぅ……、次々と論破されていきますね。
ここから逃げることは簡単です。
でも逃げた先で、また生活基盤を整えるのは大変です。
はぁ、仕方ありません。
暫くこの皇女に仕えて、嫌になったら逃げましょう。
「分かりました。降参します」
「ありがとうございます、店長」
こうして私は帝都へ行く事になりました。
この先どうなることでしょうか。
これにて一旦、完と致します。
わざわざ短編四本にするより、連載にして四話にした方が良かったかも。
続きについては、別作品が終わったら考えます。