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雨物語  作者: 有谷ゆり
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B作戦

「ねえ、明日どこいこっか」

シングルサイズの布団の真ん中に堂々と寝転がり、私の空間を侵食する男は、その手に握られたスマートフォンから目を逸らすことなく「うーん」と返事ともつかぬ返事をしたきりなにも言わなかった。先ほどから機嫌の悪い私は、嫌味たっぷりに深く白いため息を吐き、わざと足音を立て3m先の小さなソファーに移動して、タオルケットを身体に巻き付けるとそれを布団代わりとしそこに籠城する覚悟でいた。奴がこの異変に気付くまで黙っていてやろうと思ったのだ。

だが、決して悪気があって無視をするわけではないことはわかっていた。そんなことをするほど悪知恵が働く男でもないし、そんなことをされる覚えもない。さらに重要なことには、一度集中し出した彼に何かを気付かせるなんてことは、はっきり言って無理だ。震度5弱の地震がきてもパソコン相手に仕事を続け、ディスプレイに表示された地震速報に驚くような奴なのだ。『ここは私の部屋なのに寝床を奪われ、その上明日のデートの話もろくに答えてくれないから不機嫌です、そろそろ明日のプランをたてませんか』、なんて信号をキャッチするはずもなかった。

結局、いつも通り3分後に私が白旗を上げてしまった。布団に擦り寄り、腕を布団と彼の身体の間にはさみこませ、ぐるりと抱きついても気にもとめずにやはりスマートフォンとにらめっこしている。早めに負けを認めてよかったと思った。


ひょんなことから交際が始まって2年が経った。ここまでくるともう近場のデートスポットらしきところは行き尽くしていた。どうしてもデート内容がマンネリ化することは多少仕方の無いことだ。それでも、敢えて外で待ち合わせ、彼のために少しおしゃれをして小奇麗な街を闊歩するのが、私はそこはかとなく好きだった。べつに特別なことがなくても、いつもより丈の短いスカートをはくだけで心が解放されたような気分になれたし、いつもより高いヒールをはくだけで普段見えないものが見えるような気がした。そういうときに見る景色というものはいつも通る道でさえ変わってみえるのだから、ましてや普段通らない道が私に与える感動は筆舌に尽くし難い。その感覚がたまらなく好きなのだ。

だから私はデートには毎回強い思い入れがある。それを察してなのか否かはわからないが、彼もまたデートプランをたてるときはとても乗り気で、毎回『B作戦をたてよう』という。

B作戦と言えば大袈裟に聞こえるかもしれない。要は雨が降ったとき用の代替プランだ。外を歩くのが好きな私にとって、雨はまさしく天敵である。そんなときにB作戦は決行される。といっても大抵B作戦はすなわち映画館か水族館か図書館であり、特に大したことはしない。それに、雨の日のそこは同じようなことを考えたであろう人達で溢れかえり、目的を充分に達せられることは甚だ少なく、B作戦のありがたさは少々感じづらい。

ただ、予定が崩れたと思うのかB作戦が決行されたと思うのかで、心のもちようが大きく違うのもまた事実だ。外を歩くのが好きな私だが、B作戦が決行されるようになってからは雨の日も嫌いではなくなった。なにより本来のA作戦よりもむしろ力をいれて計画したがるB作戦が決行されたときの少し誇らしげな彼の顔は普段のきりりとした顔とうってかわってとても可愛らしく頼もしい。この顔をみるとわたしは雨なんてどうでもよくなるのだった。ああ、早く一緒にプランをたてたい。B作戦を誇らしげに発表してほしい…


やがて彼が顔をあげ、少し端にずれてスペースを作ったかと思うと、私の方に向きなおり、引き寄せ、強く抱きしめた。どぎまぎしながら私も負けじと抱きしめ返す。また強い力が返ってくる。私は諦めて彼の胸に顔を埋めた。私の心臓の音はきっと彼にも聞こえているだろう。そう思うと余計に心臓は速く脈打つようになった。

「明日だけどさ、B作戦はここにしようよ」と言った彼の手にはスマートフォンが握られ、なにやらきらびやかな写真が写されていた。

私がかまってくれないことでいらいらしている間に、彼は明日のプランを一所懸命調べてくれていたようだった。隣の県の期間限定イベントらしく、しかも室内でも楽しめる企画が盛りだくさんだ。正直とてもそそられた。そして彼の顔を盗み見すると、やはりそこにはどこか誇らしげな表情があった。これだけで明日のデートは確実に楽しくなる。理不尽ないらいらを彼にぶつけたことを深く反省し、同時に彼への愛おしさがとまらなかった。「明日、雨降るといいね」心からそう言った。すると彼がにやりと笑うのが感じられた。「B作戦はあくまで予備プランだよ」そう言いつつも彼が内心私と同じことを望み、私の発言を喜んでいることなど、言われなくてもわかった。私は頬をすりあわせ、感謝の意を込めて彼をきつくきつく抱きよせた。彼もまた私の髪をなでては、つぶれるほど強く肩を抱いた。そうして、お互いで暖を取るように、隙のないようにぴったりと寄り添い、そのまま眠った。明日のことなど、誰にもわからない。ただ、今日ほど明日の雨を望んだ日はなかった。

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