7.本当の望み(前)
切り所の関係でやや短めです。申し訳ありません。
結局、ジンガとの話し合いは翌朝へ持ち越しとなった。
最初に目にした拝殿の奥にある本殿へ籠もってしまったのが主な原因だが、ユウトも課題が山積みだったためちょうど良いと言えばちょうど良い。
「にーちゃんは、ジンガ様のお客さんなのか?」
彼が外へ出てくるまでの間、朝食を済ませたユウトは、里を流れる川のほとりに一人座っていた。
そこに――朝の水くみだろうか――子供たちが数人近づいてきて、屈託無く話しかけてくる。
「えー? おっとうは、カグラ様のいい人じゃないかって」
「やめろ、アッツが寝込んじゃうだろ」
「じゃわないよ!」
あまり子供好きではない――というよりは、どう接して良いのか分からないユウトだったが、話しかけておきながら勝手に盛り上がる子供たちは純真で面白かった。
「俺とカグラさんは、そんな間柄じゃないよ」
「もっと深い仲?」
「…………」
「なんでそこで黙るのかな!」
彼らもまた、一様にドラゴンの特徴は一部しか無い。
どんな経緯でここにたどり着き、どんな生活しているのか。ジンガと話し合う前に、それを知りたくなった。
「ここでの生活は楽しい?」
急な話題の切り替えに、子供たちはきょとんとユウトのことを見つめる。
「まあ、真竜人の連中がいばってないだけマシかな」
そう答えたのは、最初にユウトへ話しかけてきた少年だ。
「あたしはそういうの分からないけど、父ちゃんも母ちゃんも前に住んでた所に比べたら、ここは極楽だって」
「だけど、もうちょっと食べたい……」
「仕方がないと思いますよ。贅沢を言ったら切りがありませんから」
アッツと呼ばれていた少年が、妙に物わかりの良い言葉でまとめる。
不満がないわけではないが、満足している。いや、しなければならない。
なぜなら、他が酷すぎたから。
「そっか。ありがとうな」
無限貯蔵のバッグからドライフルーツの残りを取り出して与えながら、水くみを済ませないと怒られるぞと言って送り出した。
器用に悲鳴と歓声とを上げながら、子供たちが桶に水を汲んで走り去っていく。
「話があるということでしたが」
「お待ちしていました」
太陽が昇り朝靄が完全に消えた頃、ジンガが姿を現した。
昨日会った時と同じ、白衣に浅葱色の袴。峻厳な岩山を思わせる相貌には、やや疲れの色が見える。
「カグラさんから、話を聞きました」
「左様か」
「こうなることは分かっていましたね?」
ユウトの横に並ぼうとしていたジンガの動きが止まる。
彼自身が隠し事――話さない決断をしても、カグラはきっとユウトに助けを求めるだろう。それを分かっていながら、許したのはなぜか。
そんな問いかけに、けれどジンガは答えない。
ユウトもそこにこだわりは無いらしく、単刀直入に最大の疑問を告げた。
「ジンガさん、あなたはなにを望んでいるんです?」
「……カグラだけには生き残ってもらいたい。我が望みは、他には無い」
「それだけで良いんですか?」
「なにを――」
ユウトは、ジンガに最後まで言わせることはなかった。
遠慮なく距離を詰め、真っ正面から睨め付ける。
「偶然にも、そして、幸運にも、あなたはなんでも願いが叶う魔法のランプを手に入れた」
その例えが通じるとは思わなかったが、ユウトは構わず続ける。
「信じる信じないは別にして――俺には、それだけの力があります。ちょっとデモンストレーションしてみましょうか」
一方的に言って、ユウトは少し距離を離してから呪文書から9ページ切り裂き、天に投じる。
「《星石落雨》」
空に裂け目が出来た。
他に表現のしようもない。なぜならば、それが事実だからだ。
朝の空にできた漆黒の裂け目は、周囲の大気を吸い込むと同時に轟音を鳴り響かせ、そして、いくつかの岩塊を吐き出した。
地上からでも見えるほどの、岩塊を。
一斉に、鳥が羽ばたいた。
星の世界から召喚した隕石群は、里の周囲を囲む森林に落下し、大気を震わせ、物理的な衝撃となって周辺を蹂躙する。
里からもどよめきが伝わってくるが、それを気にしている余裕は無かった。
「手加減したんで、特に農地とかに被害はないと思いますが……理解していただけましたか?」
「ユウト殿、そなたはいったい……」
何者なのだ。
旅の呪い師。異邦からの客人。
ヒウキ相手にカグラを助けたというから、それなりの術者なのだろうとは思っていたが、今、目の前で起こった事実は、いったいなんだ。
「現実か?」
夢にしては性質が悪い。現実だとしたら……人知を超えた者の所行としか思えなかった。
それを目の前の、この少年が引き起こしたのだ。
我知らず、ジンガは首の周りの鱗を撫でていた。なにかを考える時の癖。今は亡き父母から矯正されたはずの無意識の動作を繰り返す。
「現実ですよ。そして、ここが起点です」
竜神の化身か、悪魔の使いか。
ジンガは、自分の常識が崩れる音を聞いていた。
「カグラさんを逃がしたい? いいですよ、リ・クトゥアのどこかでも、他の地域にでも連れていきましょう」
微笑みすら浮かべて、ユウトは問う。
「この里に攻め込んでくる、一千の兵を殲滅させましょうか? それとも、トガ・ダンジュを亡き者にしたい? カグラさんと報酬については、話がついていますからね。ジンガさん、あなたの望み通りにしますよ」
アカネが見ていたら、頭を叩いて止めさせているほどの意地悪な問い。
しかし、残念ながら――この場に、ユウトを止められる人間はいない。
「けれど、一人逃げたカグラさんは果たして幸せになれますか? 兵を全滅させて、権力の空白を引き起こした後、いったいこの周辺はどうなりますか?」
自ら提案しておきながら、その解決策を否定する。
すべては、この核心に触れるためだ。
「それとも、自分は死ぬつもりだったから、後のことなど関係ない?」
「私は……」
なにがしたかったのか。
妹の命の恩人とはいえ、ただ一度会っただけの年下の男にここまで言われて、なぜ怒りが湧かないのか。
ジンガは考える。
鱗を撫で、そのことに気付かぬほど深く考える。
そして、悟った。
「私は、捨ててしまいたかったのか」
父母から受け継いだ、宝珠の管理者という役目も。
里の人々を保護せねばならぬという義務も。
妹すらも。
捨てて、自由になりたかったのか。死にたかったのか。
「それが、あなたの望みですか?」
「いや……」
それだけではない。それだけで、あるはずがない。
それほどまでに絶望したのは、つまり……。
「巷間では三つの宝珠を集めし者が竜帝となると言われているが、順序が逆なのだ」
「逆?」
突然話題が変わっても、ユウトに戸惑いはない。ただ受け入れ、先を促した。
「そう。竜帝となるにふさわしき人物が現れたならば、管理者が認めたならば、宝珠は献呈される」
それを手にしたから竜帝なのではない。
それを捧げられるに相応しき人物だからこそ、誰からも竜帝と認められるのだ。
「故に、それが現れぬこの故郷に失望した。捨ててしまいたくなったのだ」
思えば、ジンガの行動はちぐはぐだった。
カグラを大切にしているように思いながら、ヒウキとの交渉の席に彼女を出して危険にさらした。
トガ・ダンジュに目を付けられても、逃げる準備も迎え撃つこともしようとせず、ただ漫然と過ごしている。
里の住民へも、説明をしているかどうか。
表面上は、冷静だった。
それ故に、誰にも気付かれず彼の自暴自棄は進行し――ユウトから現実離れした光景を見せつけられ、それも崩壊した。
「そうだな。私の望み、それはきっと――」
できもしない。
夢のような話を、ユウトへ語った。
「なる……ほど」
虚を突かれたように、大魔術師の少年は驚いた表情を見せる。
これを見られただけで、無茶なことを言った甲斐があった。
そう小さな復讐心を満たしていたジンガだったが、返答を聞いて目を丸くする。
「森の管理とかできます? なら、いいですよ。ただし、説得はお願いしますね」
むしろ渡りに船だと、ユウトは微笑んでいた。




