5.潜入
ラーシアは、高台に登り眼下の――恐らく、ゴジョウと呼ばれる――街を観察していた。
「うっわ、建物がみんな木でできてるや。この辺は山ばっかりだし、そのせい? でも、すぐ燃えちゃいそうだなー。むしろ、ユウトが燃やすまであるね」
そんな物騒なことを言っているが、問題は別にある。
どんなに視力が良くても、ラーシアのいる位置からでは、ゴジョウの街はただの塊にしか見えないのだ。
それを可能にするのが、第二階梯の理術呪文である《鷹の目》。視力を何倍にも増したラーシアは、潜入することなく詳らかにしていく。
盗賊としての技術に、弓の腕前。加えて、魔術師級程度ではあるが、理術呪文も使いこなす。
ユウトが、信頼して送り出すのも当然だろう。
「街を歩いてるのは、ドラゴン頭よりもちょっとドラゴンの方が多い? でも、武装して威張り散らしてるのはドラゴン頭だなぁ」
気にくわないと、草原の種族が珍しく吐き捨てるように言う。
草原の種族の本質は自由。そして、享楽。
不自由を強い、笑顔を奪うドラゴン頭――真竜人へ、ラーシアが好意的になる理由が、またひとつ消滅した。
「でも、ユウトは証拠とか裏付けとかうるさいんだよなー。まったくなー」
言葉の割には声に喜色をにじませ、ラーシアは行動を開始する。
今のラーシアは完全に装備が整っていた。
草原の種族用の小さく軽い革鎧は、合言葉を唱えることで幻覚の炎が吹き出し、近づく者にダメージを与える。いつも背負っている矢筒は、見た目よりも遥かに多くの矢を収納し、また、望む矢を取り出すことができた。
装着者に駿足を与えるブーツは生来身軽な草原の種族の特性を更に伸ばし、障害物を自動的に避ける魔化がされた弓からは正確無比な一矢が放たれる。
どれも、貴重な品ではあるが、ひとつひとつは特筆すべき性能はない。
ヴァルトルーデのように、神剣を賜ったこともなかった。エグザイルのように、報酬のすべてを装備に注ぎ込み、ただ破壊力を求めたわけではない。
ユウトやアルシア、ヨナのように、奇跡を起こせるわけでもない。
だからこそ、彼は仲間たちの中で唯一の存在となった。
「ほっ、ほいっと」
気の抜けそうなかけ声と共に、ラーシアが丘を下っていく。時折蛇行し、屈み、物陰に隠れながら。けれど、背の低さを感じさせないほど、動きは速い。
誰にも見咎められることなく、ゴジョウの街の外縁に到着する。
こちら側に、スラムが広がっていないことは確認済。
堀を簡単に飛び越え、その勢いのまま数メートルほどの木製の壁を垂直に駆け上がる。
難なく着地もこなし、誰にも見咎められることなく、ゴジョウの街への潜入を果たした。
今回は正攻法で忍び込んだが、他にもやりようはいくらでもある。実際、ラーシアの潜入を防げる都市など、少なくともこの世界には存在しない。
けれど、これはまだスタートラインに立っただけ。物陰に隠れたラーシアは、巻物を取り出し、呪文を唱えた。
「《鏡面変装》」
ラーシアが知る由もないのだが知っている。ユウトとヴァルトルーデがファルヴでデートをした時にも使用した理術呪文だ。
この街の住人から見たラーシアは竜人、それもドラゴン頭と呼んだ真竜人。
堂々と街を歩くラーシアに向かって、すれ違う半竜人と呼ばれる人々が平伏する様からも、それは明らか。
(なんなの、この街。気持ちわるっ)
ブルーワーズでは、制度として奴隷が存在するわけではないが、人身売買が行われていないわけではない。
ヴェルガ帝国の支配地では、被征服者が虐げられているという噂は耳にする。そして、それは事実だ。
そんな例を知っているラーシアでも、いや、だからこそ、この洗脳にも似た従順さに違和感を覚えずにはいられない。
木造の家や商店が建ち並ぶ街並みはラーシアの好奇心を刺激し、風が吹くと砂が舞い上がる舗装されていない道路もおもしろいのに、威張り腐っているドラゴン頭が邪魔だとラーシアは心の中で悪態をついた。
(とりあえず、人が集まりそうな場所へ行こうかな)
残念ながら、《鏡面変装》は声までも補正してはくれない。そのため、交渉して情報を引き出すわけにもいかなかった。
人の流れと街の構造から当たりをつけ、初めてとは思えない堂々とした足取りで方形の広場にたどり着く。
(うわぁ……)
声を出すわけにはいかない。
それは我慢できたが、渋い表情までは抑えられなかった。
広場には、人が集まって……いや、集められていた。
人々の視線の先には、真竜人の男。そして、磔にされた三人の半竜人があった。
(見せしめってやつ? むごいことを)
楽天家、お調子者、トリックスター。
そう呼ばれることをむしろ誇りに思っていたラーシアの胸に、ふつふつと嫌悪感が湧き起こる。今からでも良いから、ヴァルトルーデを呼んでこようかと、半ば本気で考えていた。
「この者らは、紙の作製法を秘伝であるなどとうそぶき、いたずらに秘匿した不届き者である」
羽織に袴を身につけた真竜人が、朗々と罪状を読み上げていく。
「トガ・ダンジュ様は、再三に渡り、領内の発展のためこの者等の里へ秘伝の開示を求めた。当然、代価を用意してだ。にもかかわらず、こやつらは拒絶した。これは、領内の発展を妨げる反逆である」
そう、一方的に罪状を告げる。
勝手な言い分に、情報収集だと自制してはいたが、ラーシアは逆に笑いがこみ上げてきた。
「すでに手打ちにしておるが、このままでは罪は許されぬ。故に、石を打ち、その罪を購うこととす」
広場に、握り拳ほどの大きさの石が運び込まれる。
「さあ、放つのだ」
だが、さすがに誰も動こうとはしない。
それがあからさまに、彼らが無実である証拠となった。
「そうかそうか。貴様らも磔が望みか」
表情が分かりにくい竜人の顔に、確かな嗤いが浮かぶ。
そう念押しされては、逆らいようがない。我先にと争って、投石の危険性を見せつける。
物言わぬ、躯、へと。
鈍い音、跳ね返らずその場に落ちる石、無表情に投げ続ける人々、ほくそ笑む竜人。
不意に、ラーシアの気配が。いや、存在がかき消える。
その場にいるすべてから意識されなくなった草原の種族は、するすると投石の輪に入って石を手に取った。
そして、スナップを利かせて投石した――壇上の真竜人へと。
「ぶべっらぁッ」
そんな不思議な悲鳴を残し、真竜人が仰向けに倒れる。歯でも折れたのか、長い口から血が流れた。
騒然とする広場。
しかし、その時にはもう、ラーシアの姿は広場から消えていた。
その足で、街のさらに奥、やや高台になった地を目指す。
そこには、ゴジョウ周辺を勢力圏とする豪族トガ家。その当代トガ・ダンジュの屋敷があった。
二重の堀に、板塀を張り巡らせた砦に近い物だったが――やはり、ラーシアの潜入を防げるはずもない。
庭を駆け抜け床下に潜み探っていると、悪だくみの声が聞こえてきた。
「“轟炎”のヒウキともあろう者が、よもや取り逃がすとはな」
「面目次第もございませぬ」
「良い。しかし、その二人組、それほどの手練れか」
「準備さえ整いましたならば、必ずや討ち取ってみせまする」
武人としての矜持をのぞかせるヒウキ。
その覚悟は称賛に値した。
(報告の最中とは、ラッキーだね。ボクの日頃の行いのおかげかな)
床下に隠れ潜みつつ、非合法組織の首領とは思えぬ感想をもらす。しかも、最近は実際に良い行いが多いのだから、言葉の定義が揺らいでしまう。
もっとも、帰還したヒウキの報告と、ラーシアの潜入のタイミングが重なっただけで、幸運でも偶然ではない。強いて言うならば、ラーシアの行動が迅速だったお陰だろうか。
「まあ、逃がしたものは仕方あるまい」
「奴らの住処は判明いたしております。山奥故、大軍には不向きでござれば、某が手勢をもって――」
「ならぬ」
声を荒らげたわけではない。
しかし、不思議と心に浸透し、舌が鷲掴みされたかのように反論の言葉は封じられた。
「それはならぬぞ、ヒウキ」
「と、なりますと……」
「全軍をもって反逆者を討ち、武威を満天下に示すのだ」
「では、守備の兵を残した五百をもって――」
「千だ」
「それでは……」
「半端者共をかき集めれば良かろう。兵糧も要らぬわ。だが、略奪は許す」
「……はっ」
兵を率いるものとして、不満はあるのだろう。
だが、それをすべて飲み込み、ヒウキは平伏した。そこには、美学すら感じられる。
「宝珠の在処、必ずや突き止めてご覧に入れましょうぞ」
「そうだ。我はこのような地では終わらぬ。竜帝となって、天下に覇を唱えん」
「――必ずや」
ヒウキが退出する足音がしたため、ラーシアは気取られないよう呼吸を止める。
その甲斐あってか、誰何されることはなかった。
(覇を唱えるねぇ。誇大妄想っぽいけど、その宝珠ってのによっぽど力があるのかな? なんかの秘宝具っていうことなら、可能性はなくもないか)
まあ、細かいことはユウトが考えるでしょ、と結論を下したラーシアは、潜入したときよりも悠々とゴジョウの街から離脱する。
「あっちは、どうなってるかなぁ。まだ、今ひとつふたつ足りない気がするけど、ユウトが無自覚にあのカグラとかいう娘と仲良くなってると楽しいんだけど」
もちろん、ラーシアはヴァルトルーデを応援している。それは間違いない。
けれど、それはそれとしてユウトが苦労するのは、面白い。
そんな意地の悪いことを考えながら、ラーシアはユウトへ《伝言》の呪文を送った。




