4.竜人の里
「カグラ、無事だったか」
里の入り口でカグラを迎え入れたのは、神主が身にまとうような白衣と浅葱色の袴を着た男だった。
背の高さはユウトとそう変わらないが、鍛え上げた分厚い肉体。総髪で、峻厳な岩山を思わせる厳しい表情。
その男にはカグラのような角はなく、ただ、首回りと両手に、白い竜のような鱗が生えていた。
「いえ、兄上。わたくし一人でおめおめと戻ってきてしまいました」
ご苦労だったなと妹を労る男。
その様子を、ユウトは黙って眺めていた。
出会う前に被害者がいたというのは衝撃的な情報ではあったが、この雰囲気に水を差すことはできない。
そのため、カグラを追っていた男たちの姿と、半竜人という言葉。それと、この兄妹の容姿とを考え合わせてしまう。
(ドラゴンに姿が近いほど偉いとか、そんな価値観かな? だから、一部しか竜の特徴が出ていない彼らは、こんな隠れ里みたいな場所に住んでいるのかも)
ユウトの感覚からすると、ここは田舎という言葉も生ぬるい。
穏当な表現をするなら、隠れ里。端的に言えば、秘境だ。
「あやつらは、カグラの護衛として私が派遣したのだ。美事、役目を果たしたのだな。誇ってやれ」
「……はい」
納得したわけではないのだろう。
それでも、彼女は兄の言葉を受け入れた。
「カグラよ。あちらで手持ち無沙汰にしている御仁は、どちらかな」
「あ、あの御方はわたくしのことを助けていただいた、旅の呪い師で……」
「そうか。カグラの兄で、ジンガと申す。愚妹が世話になった」
「ユウトです。まあ、ただの成り行きなんで」
姿勢良く頭を下げるジンガに対し、そんなに感謝されても困るとユウトは言外に伝える。
頭を上げたジンガは、そんな魔術師を無遠慮に睨め付けた。値踏みをされているみたいだなと、ユウトは特に抗議の声も上げない。そんな視線には、ヴァルトルーデの叙爵前後の騒動で慣れてしまった。
「詳しい話は中で」
けれど、そんなユウトの意図は綺麗に無視し、ジンガは無造作に里の中へと招き入れようとする。
「いいんですか? 信用できるかどうかも分からない怪しい人間を」
「本当に怪しい人間は、そのようなことは言わぬであろう」
「ユウト様、どうぞお入りください」
「そういうことなら、まあ」
なんにせよ、落ち着いて話ができる方が良い。それに、ここまで言われて遠慮するのもおかしい。
里の周囲は申し訳程度の柵で区切られ、門扉も無い。ユウトは二人に従って、そんな里へと足を踏み入れた。
外から見た印象と変わらず、里はお世辞にも栄えているとは言えなかった。
立ち並ぶ家々は木造で、比喩ではなく傾いている物も多く、雨露を凌ぐのがやっと。ちょっとした風で倒壊してしまいそうだ。
全体的に煤けたようで、活気が感じられない。
早計かも知れないが、馬を養う余裕があるとも思えなかった。そういえば、あの馬は入り口に繋いだままだったなと、ユウトは思い出す。
「おお、田んぼだ」
しかし、その先に見えた光景に、ユウトは思わず歓声を上げた。
まだ田植えの時期ではないのか水は張られておらず乾いた土が露出しているが、畦で区切られたその一画は、水田で間違いなかった。
狭いが、この山の中にこれだけの水田を作り上げるのに、どれだけの労力が必要だったか。
それを考えれば、里の陰鬱さを吹き飛ばして余りある。
「となると、どっかに川も流れてるのかな?」
「ユウト様は、米作りもご存じなのですか」
「ああ……。そうか」
基本的に、ブルーワーズではリ・クトゥアでしか作られていない。そして、この地の住人は竜人がほとんど。人間や他の亜人種族も存在してはいるが、少数派。
ユウトの名前は、多少リ・クトゥア風だろうが、彼の存在自体が不自然だ。
「説明をすると長くなるので、その辺は後で」
「承知いたしました」
真剣な表情で、カグラが頭を下げた。
そんな彼女とジンガを見つけた里の住人が、一様に道を譲り頭を下げている。
(神職っぽいし、尊敬されているのか。それとも、もっと上の立場なのかな?)
どちらかというと後者のような気がするのだが、どうせ話を聞けば分かることかと、それ以上の推測は控える。
ただ、すれ違う住人の中には、やはり半竜半人といった容姿の者はなく、皆、角や鱗、鈎爪など一部のみ竜の特徴を持つ者ばかりだった。
「こちらが、わたくし共の住居です。汚い場所ですが、どうぞ」
十分も歩き続け、ようやく目的地にたどり着く。
奥には、この里で唯一瓦が葺かれた社があり、その背後に控える森と相まって信心深いとは言えないユウトでも厳かな気分になる。
ただし、案内された社務所に当たるだろう二人の家は、藁葺きになっている分、他よりましといった程度でしか無かったが。
「昔の農家みたいだなぁ」
「なにか不都合がございましたか?」
「いや、独り言です」
家族旅行で立ち寄った、平家の落人の里のような施設を思い出す。土間で足を拭いてから、靴を脱ぎ囲炉裏端へと移動した。
ますます、昔の農家だ。
失礼なのは分かっているが、自然とテンションが上がってしまう。久々に、靴を脱いで家に上がるという体験をしたのも一因だろうか。
しかし、それも長くは続かなかった。
「まず、改めてお礼を申し上げます。ユウト様は命の恩人でございます」
久々のござを感触を楽しんでいたユウトへ、カグラが三つ指を突いて深々と頭を下げる。
反射的に、ユウトまで正座をしてしまった。
「頭を上げてください。ほんと、大したことではないので」
「私からも、礼を――と言いたいところだが、これ以上は控えた方が良さそうであるな」
「是非、そうしてください」
恐縮するユウトの声を耳にし、ようやく、カグラは肩先で切りそろえた黒髪を揺らして頭を上げる。
同時にユウトも足を崩し、話を切りだした。
「最初に、俺のことを話します。そのうえで、そちらもなにをどの程度伝えるべきか判断をしてください」
自分が、他の世界からの来訪者であること。
その世界にも、リ・クトゥアと似た文化を持つ地域があり、その出身であること。
今はこのブルーワーズの西の国で、政治に携わっていること。
そして、魔術を極めた者――大魔術師であること。
包み隠さず、すべてを告げる。
「俺の故郷も主食は、パンじゃなくて米なんです。そこで、ちょっと仕入れにきたんですが、偶然カグラさんを見つけて、お節介を焼いてしまいました」
ユウトは、そう話を締めくくった。
「左様であったか……」
ジンガは面長の顔を撫で、ユウトの言葉を咀嚼する。
「ご覧になられたとおり、竜人には二通りござる。竜の特徴を色濃く残せし者と、我らのように一部に留まるものと」
そう言って、手の甲の鱗を見せた。
「端的に申さば、奴等――真竜人と称しておるが――は支配せし者。我らは、虐げられし者となろう」
「それは、信仰上の理由で? それとも、単純にあいつ等の方が、力が強い?」
「双方で、あろうな」
ゼンガとカグラの兄妹は、竜神バハムートに仕える司祭だが、このリ・クトゥアでは、それ以上に、竜帝――生きながら、ドラゴンへと変じた伝説の英雄――への信仰が強い。
それが下地となり、支配者と被支配者が階層分けされていった。また、多数である半竜人を従えるだけの、力もあった。
「我は、この開陽島の事情しか知らぬ故、他の六島では、また違うかも知れぬが」
概ねユウトの推測通りだった。
「だけど、いくら立場が弱いといっても。いえ、だからこそ彼らはあなたたちを保護すべきなのでは?」
いくら見下していようと、弱者が存在しなくては強者もまた成り立たない。一方的な関係ではいられないはずなのだ。
「然り」
「じゃあ、強引にでも狙われる価値が、この里にあると?」
「この里には数百の民がいるが、あの水田だけではとても賄いきれぬ。だが、幸いにして里の近くには水量豊富な川が流れている。そこで、製紙をして糊口を凌いでいるのだ」
「おお、紙か」
学校が軌道に乗れば、必要になってくる紙。
意外な遭遇に、ユウトのテンションが上がる。
「秘伝故、多くを語ることはできぬが……」
「もしかして、ゴジョウという街のヒウキって竜人から、その秘伝を明かすように強要された?」
「いかにも。ただ、命じたのはヒウキの主である、トガ・ダンジュであろうが」
トガ・ダンジュは、この一帯を支配する豪族だと、ジンガは補足した。
「なるほど……ね」
筋は通っているが、釈然としない。
そんな感想を抱いたユウトは、ずっと黙ったままだったカグラに視線を向ける。
「…………」
彼女の唇は震え、ぎゅっと拳を握って、なにかに耐えるかのようにしていた。
今、語られた以上の裏がある。
それは確実だろう。
しかし、ユウトに話してもどうにもならないと思っているのか、それとも妹の命の恩人を巻き込まないようにしているのか。どちらかは分からないが、すべては語られていない。
「事情は分かりました。乗りかかった船です、なにかできることがあれば、遠慮なく仰ってください。それから、仲間と別行動を取っているので、合流のためにも宿を貸していただきたいのですが」
「左様か。ならば、なにももてなしはできぬが、今宵は当家へお泊まりくだされ。――カグラ」
「はい。お部屋を準備いたします」
若干、明るい声で返事をしたカグラは、緋袴を翻して囲炉裏端から移動する。
「勤めがある故、これにて失礼させていただく。ゆるりと、くつろがれよ」
そんな妹を暖かな苦笑で見送ったジンガも、頭を下げて辞去する。
後には、ローブと制服姿で囲炉裏端に座るユウトと、その囲炉裏でくすぶる熾火だけが残された。
案内された客間に畳はなく板張りで、ござが敷かれているだけ。それでも、懐かしい和室で、ユウトとしてはそれだけで満足だった。
白い魔術師のローブを着たまま、ごろりと横になる。
田舎の家としか言いようがない、天井。
それにも風情が感じられた。
「ホームシックなんて関係ないと思ってたけど……」
日本に帰ったわけではない。
ただ、似たような環境にいるだけ。
それなのに、ここまで心を動かされるとは、自分でも意外だった。
「ファルヴに日本家屋でも作ってみるかなぁ。いや、でも俺と朱音しか喜ばねえ。なら、忍者屋敷風のアトラクションにして、ラーシアに運営を……って、それじゃ意味ねえし」
どうも、思考がまとまらない。
「まあ、それはそれとして、どうするかな……」
ユウトは目を閉じて、これからのことを考える。
隠し事に対してあっさり身を引いたのは、ラーシアからの情報に期待しているから。最悪、ヒウキやトガ・ダンジュという竜人に正義があるという展開も考慮に入れておけば、だいたいの事態に対応できるだろう。
外部から来たユウトたちには、彼らに対する偏見はない。
同時に、弱い方に肩入れすれば、稲の苗を分けてもらったり、みそや紙などの製法を教えてもらえるかも……という程度の下心もあった。
そんな風に打算で考える自分に、思わず苦笑する。
「ヴァル子がいれば、話は簡単だったんだけどなぁ……」
彼女がいれば、なんの迷いもなく弱きものに味方し、ユウトたちはそれをフォローすれば良かった。問題はあるが、リーダーとして、得難い素質を持っているのだ。
無意識に無限貯蔵のバッグをまさぐりながら、婚約者――ということになっている――の輝くような相貌を脳裏に浮かべる。
想像の中のヴァルトルーデは、烈火のごとく怒っていた。
再会するときには、軟化してくれていると良いなとユウトは思う。そして、彼女とこんなに長い時間顔を合わせないのは初めてだな、とも。
「二重のホームシックとか、俺はどうすれば良いんだ」
苦笑を浮かべユウトは起きあがる。
そうすると、どこからか懐かしい匂いが漂ってきた。
「これは……」
「ユウト様、夕餉の準備が整いました」
「今、行きます」
ローブは脱ぎ、囲炉裏端へと足音を立てて移動する。
囲炉裏には鉄の鍋がかけられていて、ユウトにとっては香しい匂いを立てぐつぐつと煮込まれていた。
「ただの雑炊ですが」
やけに鬼気迫るユウトの様子を訝しく感じつつも、カグラは木の椀に雑炊――少量の米と野菜、茸を味噌で煮込んだもの――を盛って、恩人へと手渡した。
「いただきます」
砂漠でオアシスを見つけた旅人のように、ユウトは雑炊をかき込んだ。
米はほとんどなく、煮込まれているため触感もあまりない。
野菜や茸も、お世辞にも質が良いとは言えない。
みその味も、ユウトの好みからするとしょっぱすぎた。
「ああ……」
それでも、ユウトにとってはこの上ないごちそうだった。まだラーシアと合流していないことも、ジンガが同席していないことも、一時忘れた。
美味しいという言葉では、言い表せない感動。
もし、この世のすべてを見通す者がいたならば、こう言っていたかもしれない。
この竜人の里が救われる未来は、今、この瞬間に確定した――と。




