3.東の果てリ・クトゥア
「着いたのはいいけど、完全に降りるタイミングを見誤ったな」
「まあ、帰りは《瞬間移動》で一瞬なんだし、気楽に行こうよ」
草原の種族特有の空気の読まなさで軽く言うラーシアに、ユウトは苦笑を返す。
昼夜問わず魔法の絨毯で飛び続け、約一週間。
最初に赤竜と遭遇してからは特にこれといった事件も起こらない。ただ空の旅を続け、いい加減飽きてきた頃にようやく東の果ての島へと到着した。
ファルヴから遠く離れ、もはや《伝言》の呪文も届かないほどの距離。
陸路であれば、その十倍。海路でも一ヶ月以上はかかろうかという距離を踏破したにもかかわらず、ユウトは時間がかかりすぎて不満だった。
帰路はラーシアの言うとおり《瞬間移動》でなんとかできるだろうが、恐らく一度や二度では帰り着かないに違いない。
遠い、東の果て。
それでも、たどり着いたのだ。
リ・クトゥア。
ブルーワーズの遙か東に存在する、まったく文化の異なる島国。
住民の多くは竜人と呼ばれる、なんらかの竜の特徴をその肉体に持つ亜人種族。
数百年来の戦乱は、何度かの小休止を挟みつつも終わることは無い。五つの古竜に認められ、三つの宝珠を集め、ただ一人の竜帝となるべく争いは今もなお続いている。
「ちょっと内陸に行きすぎたよな。ちょっと、戻ろうか?」
「とりあえず、降りてみたら?」
「行き当たりばったりは、止めようぜ」
楽天家のラーシアと慎重派のユウトの意見は、どこまでもかみ合わない。良いコンビとも言えるが、二人だけでは結論も出ない。
「別にいいけどさ。それにしても、山ばっかりだねぇ」
「海を越えたばかりだから新鮮だけど、さすがに区別がつかないのは困るな」
現地住民から簡単には見つからないよう、ユウトたちはかなりの高度を取っていた。
害意はないとはいえ、密入国同然の状態だ。きっちり情報収集するまでは、下手な接触は避けたい。
「このまま上っていったら、絨毯が燃えちゃったりして」
「蝋でできてるわけじゃないから、大丈夫だろ」
そんな軽口を叩きながらも、ユウトはこれからのことを考える。
そもそも、はるばるこんな極東の地へ訪れたのは、個人的な買い物が動機だ。具体的には、米である。
世界最大の交易都市フォリオ=ファリナにも、ほとんど入ってこない米。その産地が、リ・クトゥア地方なのだ。
戦乱が続いているために主食である米が輸出に回されることは少なく、交易自体も限られる。そもそも、珍重されるようなものでもないため、需要自体がほとんど無い。
つまり、存在はするが手に入らない。
そのため、無限貯蔵のバッグを持って買えるだけ買い込もうと旅に出たのである。
また、米だけではなくみそやしょうゆなどの和風の調味料も手に入らないかなという希望もあった。これらに関しては、実際に現地で確認するのが手っ取り早い。
「というか、最初から大きな街を目指して移動すれば良かったんじゃない?」
「いや、なるべくなら緯度は変えたくなかったんだ」
「井戸?」
「違う違う。ファルヴからずっと真東に移動したら、気候が一緒ぐらいかも知れないだろ?」
「そうなると?」
「気候条件が似ていたら、もしかしたらファルヴでも米が栽培できるかも知れない」
「ふうん……」
ユウトの言葉の意味を、ラーシアはゆっくり咀嚼する。
「故郷の食べ物をこっちで育てるって、帰る気ないじゃん」
「無いわけじゃないが、気軽に手に入った方が良いだろ」
ラーシアから視線を外し、眼下の森林を観察しながらユウトは言う。
「それに米は連作障害も無いし、面積当たりの収穫量も優秀なんだぞ。別に主食を変えるつもりは無いけど、普及できたらメリットでかいし」
「まあ、そういうことにしとこっか?」
「ムカつく。とっとと、結婚しろ。でないと、アスカリッドを呼び戻すぞ」
「それは、普通に止めて」
「うん。ごめん……」
アスカリッドは、ラーシアと同じ草原の種族で、アルサス王子捜索の依頼を受けていた冒険者の一人。そのため、知り合う機会があったのだが……とんでもない守銭奴だった。
そして、羽振りの良かったラーシアはその標的になり、ヨナには言えない散々な目にあったのだ。
「おっ、ちゃんとした道みたいなのがあるよ」
そのトラウマを瞬間的に忘却したラーシアが、魔法の絨毯からある一点を指し示す。
どうせ自分の目で見ても分からないだろうと、ユウトは結果だけを聞いた。
「どっちへ続いてる?」
「ん~。南北に延びてるね」
「どっちに行くか……」
「あ、待って。北の方から馬が何頭か走ってきてる」
「それは良いけど、目的地が分からないなぁ。とりあえず、その馬を追って南へ行くか……?」
そう結論を出そうとしたところ、更なる情報がラーシアからもたらされた。
「なんか、誰かが追われてるような感じがするなぁ……って、いきなりスピード出さないでよ」
「落ちても死なないだろ」
「いや、さすがにこの高さは危ないんじゃないかな」
現在の高さは、地上から数十メートルはあるだろう。疑問の余地無く死ぬ。普通は。
そんな状態にもかかわらず、ユウトは魔法の絨毯を操作してラーシアが指し示した騎乗する一団へと向かう。
数分後には大地を叩く馬蹄の音といななきも聞こえるようになり、ユウトの目でもしっかりと状況が判別できるようになっていた。
「ドラゴンみたいな人に、女の子が追われてるように見えるねぇ」
「あれが、竜人なんだろうな」
実際に目の当たりにするのは初めてだが、実に特徴的。
全身はドラゴンのように黒い鱗に覆われ、太い尻尾もある。頭部もドラゴンのそれがスケールダウンしたかのようで、小さな角が生え、目も左右についていた。
翼は持たず、薄片鎧とロング・スピアで武装しているようだ。
一方、追われる女性には、そのような特徴はほとんど見られない。
わずかに、角のようなものが生えている程度。濡れ羽色の髪をショートボブに切り揃え、千早に緋袴という巫女装束で、必死に馬へしがみついている。
「ドラゴンも馬に乗るんだ。まあ、それは良いけど、当然、女の人を助けるんだよね?」
「《炎熱障壁》」
ラーシアの確認には答えず、ユウトは冷静に呪文書から4ページを切り裂き、追われる巫女装束の女と武装する竜人たちの間に設置する。
突如として高さ2メートルほどの炎の壁が現れ、道いっぱいに広がったそれが追う者と追われる者とを分断した。
ユウトはそのまま追われる女性の前へと、魔法の絨毯を進ませる。
「俺はユウト・アマクサという旅の魔術師だ。上空から女性が追われているのを見かけて介入させてもらったが――別に、どちらの味方というわけじゃない」
その発言を聞いて、巫女装束の女は目を丸くする。当然だろう。天佑かと神に感謝しかけたところで、はしごを外されそうになっているのだから。
「ユウトらしいというか、なんというか……」
その対応に、ラーシアも同情を禁じ得ない。
だが、豹の悪魔ドプラゲベルのように、誰かの姿を写し取るようなクリーチャーも存在するのがブルーワーズだ。見た目で判断してはいけないという原則は、しっかりと刷り込まれている。
「どちらに義があるかは知らないが、まず、事情を知りたいな。それによっては、味方をするのも悪くはない」
もちろん、どちらかに味方をすることで米の購入ルートを手に入れられるかも知れないという下心もあったが、ユウトは本音でしか喋っていない。
強者と弱者は明白だが、それが正邪と同一であるとも思ってはいないのだ。
「無関係であれば、早々に立ち去るが良い」
「そうだ。穢れた偽竜人に肩入れをしても、為にならんぞ」
それなのに、燃える壁の向こうから聞こえてくるのは、そんな攻撃的な言葉だけ。
「今は説明もできず、お礼もできませんが、呪い師様、どうぞお助けください。わたくしは、あやつらに捕まるわけにはいかないのです」
「ほうら、結局、こうなるんじゃん」
口ではめんどくさそうに言いながら、それでもラーシアは待ってましたと矢を山なりに放つ。
その矢は――視線が通っていないにもかかわらず――正確に三体の馬の鼻面を掠めて地面へ突き立った。
「今のは、警告だよ。分かるよね?」
「……引くぞ」
「ヒウキ様!」
「引くのだ」
不承不承ではあるが、結局は部下の二人もその命に従った。
「アマクサか。貴様の名、憶えたぞ」
その直後に馬蹄の音が響き、徐々に遠ざかっていく。
「典型的だねぇ」
ラーシアの揶揄も、ヒウキと名乗った男には届かない。
その時点で、ユウトは《炎熱障壁》の呪文を解除し、結果として助けたことになった女性へと視線を移す。
「本当にありがとうございました」
「行きがかりですから」
お互いに乗り物から降り、言葉を交わす。
「とりあえず、どこか大きな街の方向を教えてもらえないでしょうか?」
「え? あの……」
てっきり、事情を聞かれるかと思ったのだろう。ユウトの質問に巫女装束の女は困惑を隠せない
それに加え、その質問自体にも問題があった。
「ゴジョウという街があるのですが、その……」
「あいつらが逃げたのが、そのゴジョウとかいう街なんじゃないの?」
「はい。そのとおりでして……」
これでは、言い淀むのも仕方がない。
「まあ、場所さえ分かればなんとかなるか」
しかし、彼女の困惑はユウトに届かない。
呪文書に準備済みの呪文だけでも、対策はいくつも思いつくのだから、この大魔術師にとっては当然なのかも知れないが。
そんなユウトを見かねて、ラーシアが助け船を出した。
「でも、助けました。はい、終わりーで良いの?」
「それを決めるのは、俺じゃないからなぁ」
ちらりと、巫女装束の女性へと視線を向ける。
「わたくしは、カグラと申します」
「変わった名前だねー。あ、ボクはラーシアね。こっちにいるかは知らないけど、草原の種族だよ」
「はい。この島でも草原の種族の方々は時折お見かけいたします」
丁寧で、育ちの良さを感じさせる物言い。
神社――どこかの神殿の関係者なのだろうかと、ユウトは推測を立てる。同時に、このリ・クトゥアの習俗には謎が多く、多元大全でも調べきれなかったことを思い出す。
「俺は、さっき名乗ったとおりユウト。旅の魔術師だ。もし可能なら、この周辺のことを聞きたいのだけど……」
「実は、すぐに里へ戻らねばならないのです」
「まあ、そうだろうなぁ」
馬を飛ばしていたのは、ヒウキなどという竜人たちから逃げるためだけではないのかも知れない。それが、深入りをためらわせた理由。
会ったばかりで、得体の知れない余所者に話せない事情だってあるだろう。
カグラと名乗った巫女装束の娘にも、ユウトの心配は通じていた。
彼女はうつむき、思案に眉根を寄せたが、それも長くはかからない。
意を決したように顔を上げ、ユウトを真っ正面から見据えて口を開いた。
「お願いがございます、ユウト様」
「内容にもよるけど……」
米を買いに来ただけなのに面倒なことになったと、ため息を吐く。
しかし、これはユウトの認識不足。
同行したラーシアも、行って帰ってくるだけで終わるとは思っていない。
「込み入った事情がございますので、よろしければ里へ同行いただけないでしょうか。お二人には、先ほどのお礼もございますし」
「いいよな、ラーシア」
一応、旅の仲間に確認は取っているが、ユウトはすでに付いていくと決めていた。
どちらにしろ、誰かと交渉は必要なのだ。それなら、既に恩を売っている相手の方がやりやすいだろう。万が一手の込んだ罠だとしても、切り抜ける自信はある。
「いんや。ボクは、そのゴジョウって街へ行ってみるよ。だから、そっちは任すね」
そう言うと、ラーシアはユウトの返事も聞かずに北へ駆けだしていった。
「相変わらず、フリーダムなやつだ」
ユウトも、それだけであっさりと見送る。
「あの、よろしいのでしょうか?」
「連絡を取る方法はありますから。それより、道案内をお願いします」
「は、はい……」
こうして、二人は街道をさらに南下し、途中で脇道に入って森を進み、山を越え、二時間ほどでカグラが里と呼んだ集落へと到着した。
馬と空飛ぶ絨毯が併走するという、世にも珍しい組み合わせで。




