2.東へ
「ボクとしては、どうでもいいんだけどさー」
視界には、空。一面の青空が広がっている。
絨毯に寝そべりながら、ユウトは傍らで横たわるラーシアの言葉を、聞くとはなしに聞いていた。
「ろくに説明も無しに出ていっちゃって、良かったわけ?」
「ベストではないけど、ベターではある」
ユウトとラーシアが乗っているのは、2メートル四方ほどの小さな魔法具の絨毯。いわゆる、空飛ぶ絨毯だ。
これに《増速》を定期的に使用することで、ブルーワーズで最も速い空の旅を実現していた。
「どーいうことよ?」
「王都セジュールには、今頃、ヴェルガが俺への結婚を申し込む使者が来ている頃さ」
「あー。話は聞いてたけど、ほんとにそんなことになってるんだ?」
「ああ。そして、俺への不信感がいっぱいになってるはずだな」
まったく困った様子も無く、途中で立ち寄ったフォリオ=ファリナで買った干した果物を口に運ぶ。
もちろん、世界最大の都市で購入したのはそれだけではない。本命の買い物は、無限貯蔵のバッグの中で、出番を待っていた。
「普通、それって和平の使者も兼ねてるんじゃないの?」
「和平? ヴェルガ帝国が?」
その発想はなかったなと、ユウトは笑う。恐らく、相手も同じだろう。
ヴェルガ帝国の国是は欲しいから奪う。ただ、それだけだ。
「ふ~ん。で、そんな時に、国外へ出て大丈夫なわけ?」
ラーシアも、口にドライフルーツを放り込みながら話を続ける。
「大丈夫じゃないけど、こうするしかないのさ」
「相変わらず、ユウトは話が回りくどいね」
「分かりやすく、順を追って話してるつもりなんだけどな」
ラーシアの文句を軽く受け流し、リラックスした姿勢でユウトは口を開いた。
「こうなると、もちろんうちにも問い合わせは来るよな。それなのに、当事者が行方不明だ。どうなると思う?」
「本当に結婚する気かよって、ならない?」
「ならないさ。本当に結婚することで話がついてるなら、そもそも申し込みをする必要が無い。さっさと、帝都ヴェルガにでもどこでも良いから行って、既成事実を作っちゃえば良い」
自分で言っておきながら、その未来予想図に顔をしかめる。
「あ、なるほど。じゃあ、その問い合わせ自体が邪推になるんだ」
ラーシア相手だと、なぜか話がスムーズに進むからやりやすいよなぁと若干気持ち悪い感想を抱きつつ、ユウトは絨毯の上で身を起こした。
「そうそう。んで、イスタス伯爵家の主立った面子が、本当に俺の居場所を知らない。今頃、大混乱だ」
「やっべー。ゲスの勘ぐりで大魔術師怒らせちゃったよ。うちの領地にドラゴンになって襲ってくるんじゃね? ってなことになるわけね」
「俺の一般に認識されているイメージはそんななのかって抗議をしたいところだが、だいたい、そんなところかな」
説明を終えたユウトは今度は革袋から水を呷った。
適宜休憩は取るつもりだし、地上に降りれば補給もできる。そのため、遠慮なく甘っ怠い口を新鮮な水で洗い流す。
「それで、一応、表の方にはあんまり関わってない、悪の首領であるボクを同行者にしたんだね」
「そういうこと」
「しばらく、ヴァルやアカネやアルシアやヨナから離れたかったとか、そういうことじゃないんだね?」
「当たり前だろ」
強がりでもなんでもなく、ユウトは平然と肯定した。
「うっわー。なんか、覚悟決まっちゃってるね」
「責任はあるけど、まあ、好きな相手だからな」
「気持ち悪いことを言うの、止めてもらっていいですか?」
「うん。真顔で言うな。死ね」
細かく区切って、遠慮なく悪態をつきながら、次の瞬間には、お互い指を指して笑う。ヴァルトルーデやアカネには、理解できない光景だろう。
「まあ、ヴァルとくっつくだの、帰るだの言ってた頃に比べると大した進歩だけどね」
「そうだな。次は、ラーシアの番だな」
「いやぁ、それなんだけどさぁ」
今度は、ラーシアが起き上がって語り始める。
「玻璃鉄城が思った以上に順調でさ。いろんな引き合いも来てるし、事業拡大の波に乗ってるんだよね」
「それで、良い出会いでもあった?」
「いやいや。なんか、それで給料増やしたり収入が安定したらさ、部下が次々結婚していくんだよね」
「そ、そうなんだ……」
「うん。それを見てたら、なんか、こう、満足感? 達成感? そんな気持ちになってきてさ。エグも所帯を持ったし、ユウトもなんだかんだと覚悟決めたし。ボクのことなんか、どうでもいいっていうかさ」
「お、おう……」
これはマズイんじゃないだろうか。
温度も風も調整している魔法の絨毯の上で、背中に嫌な汗が流れてくる。
達観しすぎだ。
「このまま成長を続けると、ハーデントゥルムの評議員に任命されるまであるね」
「民業圧迫してるんじゃねえ」
これは、まずい。
なんとかしなければならないが……。
「でも、この旅じゃ草原の種族に出会える確率は、低いんだよなぁ……」
「当たり前じゃん。なに言ってるのさ、ユウトは」
つぶらな瞳で言い切られると、罪悪感をひしひしと覚えてしまう。
イル・カンジュアルを倒した報酬として得た『女運』。ちゃんと、自分のだって神様へ伝えたか?
そう口にしようとしたところで、ラーシアの瞳が真剣味が帯び武器の準備を始めた。やや遅れて、ユウトも気付く。
「赤竜か」
魔法の絨毯の行く手に、黒い影が見えた。
まだ遠いため、小さな影にしか見えない。いや、この距離で見えているということは、巨大な存在であることは疑いない。
「これは、俺の距離だな」
10メートルを超える緋色の怪物を前にしても、取り乱す様子はない。それどころか、呪文書を取り出しながら、ちょうど良い暇つぶしになりそうだと好戦的な瞳をドラゴンへと向ける。
「《雷神降臨》」
魔法の絨毯の上で立ち上がったユウトは、呪文書から切り取った8枚の紙片で全身を覆った。
同時に青白い光を放ったそれは、術者の体へと吸収され、風の源素と雷光をまとう。
風の源素界より雷を操る権能を迎え入れ、短時間だがその行使を可能にする第八階梯の理術呪文。
見えない壁でも押すかのように両手をつきだすと、その間にプラズマのような光が集まる。
「《雷神の鎚》」
一抱えはありそうな雷光がほとばしり、いまだ数百メートルは離れた赤竜をしたたかに撃ち貫いた。呪いにも似た咆哮が、風に乗って響き渡る。
刺激臭が辺りに立ち込めるが、ユウトはかまわず、二度三度と雷を放っていく。
赤竜は身をよじり、あるいは急加速と減速を行なって雷光の鎚を避けようとするが、巨体ゆえにそれほど器用な飛行ができるはずもなく、次々と紅玉のような鱗は焼け焦げ翼にも綻びが生じていく。
「ガァアァァァァッッッ」
縄張り荒らしに鉄槌を下そうとしたにもかかわらず、一方的になぶられている。
そのいら立ちで、赤竜はまた怨嗟の声を上げた。
ただ耳にしただけで肉体が硬直し、魂が砕け散るような咆哮。
だが――相手が悪すぎた。
「ちょうどいい距離になったね」
魔法の絨毯も進み続けていたため、彼我の距離が詰まり肉薄する。火炎の吐息の射程に入ったため、暴虐なる赤竜は巨大な口を開いた。
「《狙撃手の宴》」
しかし、それはラーシアにとっても同じこと。
待機していた彼はいち早く矢をつがえると、十秒ほどで立て続けに五本も放ち、そのすべてが口腔内や目など急所に突き刺さった。
赤竜の動きが、一瞬止まる。
けれどそこから持ち直すことはできず、錐揉み状態で落下していった。
「おー。粘る粘る」
それでもなんとか半ば破けた翼を懸命に動かし、逃げ出そうとする赤竜。必死に、巣穴へ戻って体を休ませ傷を癒そうとするものの――それは、貯めこんだ財宝の在処を二人に教えるだけの結果に終わる。
ユウトとラーシアは当然のように追いつき、巣穴の洞窟内できっちりとどめを刺し、めぼしい財宝を無限貯蔵のバッグへ詰め込んだ。
「リ・クトゥア行きの前だし、ドラゴンと縁があるね」
「それは、あんまり関係ないと思うけどな」
そんな風に軽口を叩いて、二人はまた空の旅へと戻る。
遙か東の果て、七つの島からなる竜人が住まう地リ・クトゥアを目指して。
その凶悪な赤竜が住み着いたのは、今から十年以上も前のことだった。
当初は領主へ懇願して討伐隊が編成されたものの、それはすべて失敗。その度に振るわれる報復もあって、周辺の住民はあきらめの境地に達していた。
しかし、赤竜は貧しい村から略奪するようなことはせず、財宝への欲望は他の場所で満たしていたようだ(お互いの財宝を巡ってドラゴン同士が相争うのも珍しいことではない)。
周辺の村々に求めたのは、生贄。
それも、ただ食欲を満たすのではなく、要求に屈して隣人を犠牲にする。その苦汁と諦念に喜びを見出していたようだった。
それでも、定期的に生贄を捧げれば、少なくとも生存は許される。
移住する手だても、竜を討つ力も。なにも持たぬ無力な民は、頭を低くして、こびへつらって生きるしかないのだ。
この日も、新たな生贄を輿に乗せ、山中にある巣穴へとゆっくりゆっくり上っていく一団があった。
輿に乗せられた少女は、泣きはらしたのか化粧でも隠せない涙の跡が残っていたが、今の表情は晴れやか。
それだけに輿を運ぶ村人たちにもやるせなさが募ったのだが――そんな湿っぽさは、巣穴に入るまでの話だった。
生贄を捧げに入った巣穴。
そこには、無残にも焼け焦げ、急所を矢で射抜かれた赤竜の骸があった。
現実を受け入れられず。否、現実とは信じられず動きが止まる。
だが、それは歓喜への序章。
生け贄の少女の嗚咽と同時に、歓喜の声が暗く深い巣穴に響き渡った。
長い暴虐に堪え忍び、ついに彼らは救われたのだ。




