9.カイコウ(前)
ユウトが、師テュルティオーネへ学校運営を丸投げして数ヶ月後。ヴァイナマリネン魔術学院付属ファルヴ初等教育院はプレオープンの日を迎えた。
紆余曲折があり、なぜか付属校になっていたが、教師や教授を派遣する関係上、必要であるとメルエル学長から押し切られてしまったのだ。もっとも、教育方針に関してはイスタス伯爵家の意向を最大限尊重するという覚え書きを交わしているため、問題はないだろうとユウトは判断している。
学院からは三名の魔術師、魔導師が派遣された。
自らの才能に限界を感じていた者、幼年期からの魔術教育に興味を示した者、ドワーフの生徒が多いと聞いて同族のために名乗りを上げた者。
動機は様々だが、テルティオーネが面接のうえ、採用となった教師たちだ。能力的には、なんら問題ない。
また、彼らはハーデントゥルムやメインツへ分校を建設する際の責任者でもあった。
目的を達成したペトラも応募してきたのだが、もっと学院で学びなさいと却下した。それが、将来の採用を前提とした言葉だと、ユウトは気づいていない。
このように受け入れ側は着々と準備を整えていたが、保護者側には根深い拒否反応が存在した。子供といえども労働力であり、また、費用負担を考えれば当然のこと。
それはユウトも折り込み済みで、義務教育は無償。それどころか、誰もが耳を疑う条件をつけた。
「学校へ通ったら、子供に給金を支払います。名目は、奨学金ですが」
「は、ぁ……?」
「給食……。つまり、昼食も出します。無料で」
「はあぁ……?」
説明会を行う度、正気を疑われ、『まあ、あの家宰だし』と納得に至ったのも、良い思い出だ。
こうして、ようやくこぎ着けた体験会。
人間年齢で七から十二歳の子供を領内から無作為に選び、三つのグループに分けて、教室で順番に授業が行われる。
日本の小学校しか知らないため、それに準じた作りの校舎。
ユウトはまず、年少クラスの教室に後ろから入り、授業の様子を視察する。
ある意味、見慣れた風景。違うのは、生徒たちの中に、ドワーフやハーフエルフ、岩巨人など、人間以外の種族も含まれていること。
「思ったより、真面目に授業を受けているではないか」
「そうね。もっと騒がしいかと思ったわ」
今日は、アカネとヴァルトルーデが一緒だ。
特に服の広告になる必要はないため、ヴァルトルーデは萌葱色のチュニックにズボンという“普通の”格好。アカネも、控えめにチャコールグレイのセーターとフレアスカートという組み合わせ。
どれだけ試作しているんだ――などと暢気なことを考えているユウトだが、婚約者をお披露目する状態になっていることに気づいていない。
それはヴァルトルーデとアカネも同じで、唯一事態を把握しているアルシアが、あえて指摘するはずもなかった。
「なんか、懐かしいわね」
「そうだな。文字は、全然違うはずだけど」
多元大全で作り方を調べたチョークを用い、黒板ではなく石板で読み書きを教えているのは魔術学院から招聘した中年の女性教師。
魔術よりも、こちらの方が向いていたのだろう。実に楽しそうに子供たちと接している。
その子供たちにも小さな石板とチョークを配布している。紙の生産は将来的な課題だなと、ユウトは次の仕事に思いを巡らせる。
それは、意外なところから解決策がもたらされることになるのだが、現時点では知る由もない。
「私も、あの中に混ざるべきだろうか?」
「それは止めとけ」
「色々、問題ありそうよね」
「俺は、むしろヨナを通わせたい」
「それは……無理だろう」
「だよなぁ……。授業は別として、団体行動に馴染ませたいんだけど」
そんなユウトの気持ちを知ってか知らでか。ヨナは朝から行方不明だった。勘だけは、実に鋭い。
このまま見学しているとヴァルトルーデが本気で授業を受けそうだったので、三人は邪魔をしないように次の教室へ移動する。
そこでは、テュルティオーネが色々と間を飛ばして理術呪文の講義を行なっている真っ最中だった。
「世界は、なんでできているか。おい、そこのお前、分かるか?」
「え? 土?」
「そういう意味じゃないが、まあ、そんなもんだろう。いいか、世界ってのは織物だ」
「織物?」
「そうだ。絵でも、音楽でも構わん」
いきなり飛ばしている師の姿を見て、向いてないなぁとユウトは苦笑してしまう。テュルティオーネと小さな子供という組み合わせが、既に壊滅的だ。
「理術呪文は、織物に糸を加え、絵画に絵筆で色を足し、音楽に音を重ねる。そうすると、どうなる?」
「べ、別物に……なる?」
テュルティオーネから指された別の生徒が、自信なさげに答える。
「そうだ。そして、それが魔法だ」
生徒たちの困惑が、見学をしているユウトたちにも伝わってくる。さらに言えば、ヴァルトルーデやアカネからも。
「彼は、結構筋が良いかも」
「テュルと一応会話が成立している時点で、逸材なのは間違いないな」
「勇人の師匠って、どんだけなの……」
ヴァルトルーデは冗談を言ったつもりはない。純然たる、事実だ。
もっとも、今日は概要を話してイメージを持たせるのが精一杯だろう。なにしろ、他にも授業は予定されている。
例えば、道徳。
この付属院は神殿などと同じ区画に建てられており、その関係からか、神殿からのアプローチも多数存在した。
「いいでありますか? ヘレノニア神は、こう仰せになっているであります。力に善も悪もない。ただ、振るう者によってのみ区別されると」
やり遂げたような顔で神の教えを語るのは、ヘレノニアのファルヴ神殿の副神殿長へと昇進したアレーナ・ノースティン。現場から離れて暇を持て余していた彼女は、計画を知るや真っ先に教師役へ立候補してきた。
「それ故、自分たちは、常に正義を意識せねばならないのであります」
「せんせー。よくわかりません!」
親しみやすさからか、十歳ほどの少年が半分笑いながら質問をする。
「では、例え話をするでありますよ」
そう言って、アレーナ・ノースティンはユウトへ視線を向けた。
生徒たちの視線も、教室の後方で見学するユウトたちへ注がれる。
「きれいなおねえちゃん……」
「うん。どっちもきれい……」
クラスの女子が感嘆の声を上げ、男子たちは照れてなにも言えない。
「自分には、そんな反応無かったでありますよ? まあ、別に構わないでありますが……」
若干、釈然としないアレーナだったが、すぐに気分を入れ替え授業を続ける。
「まず、領主が突然税金を倍にすると言い出したとするであります」
「危ない例だなぁ」
とは言え、それを口にできるというのは健全な証拠でもある。
「領主には、兵士がいて力があるであります。無茶な要求を押し通す力でありますね」
「ひどいー」
「でも、かあちゃんが、去年は税金がただで助かったって。服とか買っちゃったって言ってたぜ」
(良いぞ、少年。その調子だ)
心の中で応援するが、アレーナは「例え話でありますよ」とスルーする。
「それに対抗するには、王様に訴え出るなど方法はありますが――我々も武器を持って、兵士と戦う方法もあるであります」
いきなりの過激な発言に、ユウトは苦笑する。
「ヴァルの神様って、本当にこんなことを言ってるの?」
「分かりやすく極端な話になっているだけだ。肝心なのは、正義と善を意識する心だぞ」
アカネからの問いに、小声で、けれどしっかりとヴァルトルーデは答えた。
「どちらも、戦うための力を持っているであります。この場合、悪いのはどちらでありますか?」
「りょうしゅー」
「その通りであります」
想定通りの流れに、アレーナは満足そうにうなずいた。
「領主は、わがままを通すために暴力を用いようとしたのであります。これは悪であります」
そうならないよう、ヴァルトルーデが言うように、正義とはなにかを常に問い続けねばならない。
ユウトが想定していた道徳教育とは異なるが、他の神殿の授業もある。多様な価値観に触れるのは悪いことではない――と思うことにした。
一通り教室を見て回ったユウトは校舎を出て、校庭へと移動した。
ユウトの肝いりで作られたサッカーフィールドと、その周りを囲む陸上のトラック。ブルーワーズでは体育など存在しないため、とりあえずユウトやアカネの経験からカリキュラムを作成する予定だ。
「登り棒とか雲梯とかも欲しくなるな」
芝生は用意できず、殺風景なグラウンドを見てユウトがつぶやく。
「これが、いつもユウトが言っていたサッカーとやらか」
ヴァルトルーデが、特注して作らせた革のサッカーボールをしげしげと眺める。
「勇人もやるわね……」
その二人から少し離れた場所にいるアカネが、あきれたように言った。
「ちょっと貸して」
感触を確かめるように手でくるくる回してから、おもむろにリフティングを始めた。
片足を浮かせて足の甲で器用にボールを保持し、勢いをつけて肩まで蹴り上げ首の後ろを通して
「おお。器用なものだな」
「このくらい、誰でもできるよ」
実際、サッカー部員であればこの程度は自慢にもならない。
いつも使っていたボールよりも重たく扱いは難しいが、昔取った杵柄といったところ。
その光景を見て中学校時代を思い出し、アカネは泣き笑いのような表情を浮かべてしまう。
「さすが婿殿、器用なものよの」
そんな来訪者たちが郷愁を感じる風景に、淫靡な声が割り込んできた。
燃えるような赤毛。刺激的な瞳。淫蕩な微笑み。
「ヴェル……ガ」
「久しいの、婿殿」
半神ヴェルガが、そこにいた。
ヴェルガたん「来ちゃった」
EP3の第一章は次回で終わります。
また、EP3は全三章の予定です。




