5.交易自由都市ハーデントゥルム(後)
お待たせしました、解決編です。
「ユウト、次はあれが良い、肉。豚肉」
「手にした魚の塩焼きを食べてからにしなさい、食べてからに」
その日の昼過ぎ。
評議会の開催に合わせてハーデントゥルムに戻ってきたユウトとヨナは、寄り道の真っ最中だった。
ハーデントゥルムの中心とも言える市場に軒を連ねる屋台を見て回っては、串焼きや魚の揚げ物、果物や飲み物を好き勝手に食い荒らしている。今も、両手に持ちきれないほどの肉や貝の串焼きを手にしながら。
手のかかる妹ができたようなものだ。
一人っ子だったユウトからすると、それはそれで楽しい経験であり。
「仕方ないな。一本だけだぞ」
つい、対応も甘くなってしまうのだった。
「うむ。肉の旨味は脂の旨味」
普段は無表情な、アルビノの少女の満足そうな声に、ユウトも釣られて微笑を浮かべる。
同じ物――豚のバラ肉を甘辛いタレで焼いた串焼き――を食べながら、ユウトは今までになかった視点から考えをめくらせた。
家畜を越冬させるのは飼料の面で難しい。そのため、冬場の今は豚肉が多く出回る時期でもあった。もう少しすれば、生肉ではなく干し肉や塩漬け肉への加工が主要となる。
この辺も改革したいなとは思っているのものの、村々を下見してもらったアルシアとも相談をしたが、輪栽式農法の普及はまだ先のことになるだろうという結論に至っていた。
導入するだけなら簡単だが、輪栽式農法により人口が増えた場合、その受け入れ先が問題になる。イギリスで輪栽式農法が発明された時は、同じくして産業革命が起こり工業が発達したため就業先は確保できた。待遇は酷いものだったが。
しかし、活版印刷もまだ発明されていないブルーワーズで、さすがにそこまで長期的な展望は抱けない。
それに、今は農業ではなく商業だ。
「あと、野菜も食べなさい、野菜も」
「いらない!」
「力強く断言するんじゃねえ。壊血病と闘う船員に謝れよ」
「ラム酒なら飲んでもいい」
「飲酒なんてさせたら、俺がアルシア姐さんになんて言われるか」
「貴重な犠牲だった……」
「安いなぁ、俺の命」
そんな漫才をしつつ、評議会が開催される五階建ての建物へと到着した。
名目上は、ハーデントゥルム商工会議所本部。
実質的に、この街を支配するランドマークだ。
入り口を守る衛兵にはレジーナに渡したのと同じ書状を提示し、それとは別にユウトが二言三言指示を出す。越権行為だが、内容が内容だけにふたつ返事で頷き、持ち場を離れてくれた。
そのため、案内もなく石造りの立派な建物に入っていく。堂々としているが、実は遅刻だ。
準備に時間がかかったせいもあるし、正確な時計があるわけではないので日本などに比べればあり得ないほどルーズだが、遅刻は遅刻だろう。
「どうも、遅くなりました」
一応は低姿勢で、ユウトが長方形の会議室に入っていった。無言で、ヨナも後に続く。
会議室は、それほど広くない。
円卓についている人数も、十は超えないだろう。それでも、商会の会頭に職人ギルドの代表、交易を司るパリス神殿の責任者など、顔を揃えているのはこの街の重要人物ばかりだ。
それぞれ背後に護衛を従えているが、その威圧感も相まって、やや手狭な印象を受けるほど。
しかし、ユウトは我関せず。
またしても、勧められる前に円卓の空いている席に腰を下ろした。どうも正式な出席者の分しか席がないらしく、ヨナはユウトの背後に立つしかないようだった。
見れば、向かいに座るレジーナの背後にも、セスク老人が控えている。
その視線に気付いたのか、硬い表情を見せていたレジーナの整った顔に微笑が浮かんだ。露骨に安心したような表情を見て、ユウトは罪悪感に苛まれた。
今までの彼女の心境を考えれば、アウェイに一人放り込まれていたようなものだろう。
いくらせがまれたといっても、買い食いなどしている場合ではなかった。
(まあ、仕込みもすべて勝利のためだし、納得してくれるはず)
そんな免罪符を一人で売買し、さあ口火を切ろう――としたところで、先手を打たれた。
「今回の参加者で見知らぬ人間は一人のみ。まずは、自己紹介でもしていただきましょうかなぁ」
尊大。
そう言って構わないだろう。しかし、彼自身はそうは思っていない。へりくだっているとすら感じているはずだ。
なぜなら、この場で最も強い権力を握っているのはこのブルーノ・エクスデロなのだから。
「新領主――イスタス伯ヴァルトルーデの代理人、ユウト・アマクサです。今日は、新領主の下でのこの街のあり方に関して討議に来たと思ってくれて構いません」
暗に、ちゃんと税金払えよと聞こえるようにユウトが言う。
それに対して、即座に反応したのはブルーノ・エクスデロだ。
「残念ながら、それはできませんなぁ」
べったりと脂ぎった顔に下卑た笑顔を浮かべて、湿気の高い声を出す。
なるほど、ヒキガエル。
そう感心しているユウトに対し、ブルーノが更に言葉を重ねた。
「すでにお聞き及びでしょうが、ハーデントゥルムの港湾施設は壊滅的な損害を被っておりましてな。もちろん! もちろん、税を納めるのは義務でしょうが、事情を斟酌していただけるものと信じております」
長広舌を振るった後、軽く指を鳴らすと背後にいた護衛が一礼してユウトの前にきらびやかな宝石箱を置く。
「そのため、これでご容赦頂けないかと」
ゲコゲコと鳴く商人を一瞥してから、ユウトが無言でふたを開けた。
現れたのは大ぶりのルビー。
これだけで、一財産だ。一年は遊んで暮らせるだけの価値はある。
その輝きを見て、一同が驚きの声を上げた。
どちらかと言えば、あのブルーノがここまでの大盤振る舞いをしたことによる驚きだっただろうが。
(これを換金して、税金の一部にしようとか思わないんだろうか? 思わないから、こんなことをしているんだよなぁ)
一人納得したユウトに、ヨナが無邪気な質問をぶつける。
「ユウト、これって結構高い?」
「そうだな。わりと」
「今までで一番?」
「いや、昔ドワーフから贈られた宝石は、この十倍ぐらいの価値があったかな」
「じゃあ、これは凄くない?」
「別に、高ければ受け取るってわけじゃないけどね。……というわけで、珍しい宝石を見せてもらってありがとうございました」
そういう建前にして、ユウトは受け取りを拒否した。
「それから、税に関しては、大丈夫です」
「おお、それでは……」
「きちんと支払ってもらえるように、我々が取りはからいましょう」
「…………は?」
「まず、嵐で被害を受けた港湾の修復。これは公共事業にします。復興資金はうちから出しますから、街に負担は求めません。入札を行いますので、ふるってご参加ください」
地球のアナウンサーのように言って、ユウトがイタズラっぽい笑みを見せる。
「それは、参加資格はありますの?」
「特には。土木工事の経験がある商会が多数あれば、実績優先でも良いかなと思ってますけど」
「ご安心ください。今回のような被害はそうそうあるわけではありませんが、街ぐるみで復旧させておりますので」
「それは良かった」
まるで事前に打ち合わせていたかのようなタイミングで投げかけられたレジーナからの質問に、ユウトが答える。
そのシームレスな話題の移行に、ブルーノも他の参加者も唖然としていた。
「ユウト、超楽しそう」
「人を悪人みたいに言うんじゃない」
「はっ、そ、そうだ。港の海賊船はどうするというのだ。港の入り口に沈んで大型船の出入りはできず、撤去もままならんのだぞ。今は、ワシの所有する大量の小型船で輸送しておるが、これがどうにかならんと――」
「ああ、そっちもどうにかしますよ」
「ど、どうやってだ!」
「呪文で」
それ以上説明する気は無いと、ユウトは短く答えるだけ。
遅かった。
ブルーノ・エクスデロの判断は、すべてが手遅れだった。あるいは、元主人に牙をむくことを決めた時に、この運命は決まっていたか。
「ふんっ。だが、どちらにしろ、海賊の対策費用もあるのだ。ハーデントゥルムに税を払う余裕など無いわ!」
そこに、控えめなノックが鳴り響く。
「いいタイミングだなぁ」
ブルーノなど無視して自ら扉へ近づく。
「ああ、ご苦労様」
「はっ」
建物の入り口でユウトから指令を受けた衛兵が、直立不動で返答する。
「指定された場所に転がされていた者たちを連行しました」
同時に、縄で縛られた男が三人会議室の中に入ってくる。
「はい。海賊の親玉です」
「生け捕り、超めんどくさかった」
「……は?」
レジーナが間の抜けた声を上げる。せっかくの美人が台無しだ。
しかし、これでもましな方で、すでに存在感を失って久しい他の商人たちは声も出せず、ただ事の推移を見守るしかない。
ブルーノ・エクスデロを除いては。
「バカな! ありえん!」
「おや? 喜んでくれると思ったんだけどな」
ユウトが、とても良い笑顔でローブをなびかせ、ブルーノへと近づいてく。まるで、獲物を追い詰める蛇のように。
「ヴァルトルーデには見せられない」
ヨナは、そんなユウトに呆れながらも、警戒を怠ってはいない。
それが分かっているからこそ、ユウトも安心して一芝居打てるというものだ。
「それとも、海賊とつるんでた証拠でも出てこないかと、怯えているのかな?」
「バカな!」
自慢の長広舌もなりを潜め、少ない語彙で反論するしかないブルーノ。拳はぶるぶると震え、顔は紅潮してヒキガエルが茹で蛙になっている。
意外にも、とどめを刺したのは連行された海賊たちだった。
「諦めな、ブルーノさん」
「ああ、すっかり喋っちまったからよ」
「砦にあった書状も押さえられてるから、言い逃れなんざできねえぜ」
「きさまら……ッッ」
興奮に顔を赤くしたり青くしたりしているブルーノに対し、海賊の頭目たちは、いっそ晴々としていた。
朝レジーナと商談をしてから、昼すぎにハーデントゥルムへ戻るまで。ユウトもヨナも、時間を無駄にはしていなかったのだ。
対象の名前などの情報や髪の毛、持ち物などのわずかな手がかりから、その人物の居場所を鏡や水晶球に映し出す《念視》の呪文。
それで本拠地を特定済みだったユウトとヨナが上空から奇襲を仕掛け、海賊たちは這々の体で降伏した。
ヨナの《エレメンタル・バースト》で上空から散々爆撃したところに、ユウトが《重力反転》の呪文で海賊船を空に浮かべて見せたのだ。
心が折れても不思議ではない。
「レジーナさん、申し訳ありません」
「は、はい。なにがでしょう?」
「この男は、王都セジュールに送って厳正な処罰を与えねばなりません。そのため、貴方に仇討ちをさせることはできない」
「仇討ちとは……?」
「あなたのご両親が襲われた海賊。それも、この男の手引きによるものです」
「濡れ衣だ! 冤罪だ!」
レジーナは、ぎゃあぎゃあと喚くブルーノを目の当たりにして、急速に心が冷え込んでいく自分を発見していた。
驚くほど冷淡に、ブルーノの醜態を眺めている。
この男が父と母を殺し、商会を傾けた張本人。
考えたこともない真相だったが、なぜか妙に腑に落ちた。ああ、そうだったのかと。
しかし、復讐心は生まれない。
ただ、このヒキガエルのような男を一刻も早く消し去ってほしかった。
それは、ユウトも同じだったようだ。
「……めんどくさくなった。ヨナ、任せた」
「うん。《ソウル・ウィップ》」
アルビノの少女が頷くと同時に、彼女の背中から数本の鞭が生えた。
透明で触手のような鞭が幾条かブルーノとその護衛に叩きつけられると同時に、その場に崩れ落ちた。
沈黙が会議室を支配する。
その沈黙が、今の行為――殺人――を非難するものであることにようやく気付いたヨナが、誰に言い訳するでもなく言った。
「峰打ちだよ?」
肉体ではなく精神に打撃を与えるパワーだと言いたかったようだ。その言葉よりも、ぴくぴく痙攣するブルーノを見て、周囲も事態を察する。
「そういや、ヴァル子は峰打ちで暗殺者を殺したことがあったよなぁ」
「大丈夫。あんなへまはしない」
現在の状況に不釣り合いな二人の会話だったが、場を収める程度の効果はあったようだ。
衛兵が海賊とブルーノ一味を連れ出していくと、ようやく会議室に落ち着きと秩序が取り戻された。
「というわけで、ブルーノ・エクスデロ自身は、海賊と一緒に王都セジュールへ送ります。まあ、縛り首でしょう。ですが、エクスデロ商会の扱いは、ハーデントゥルムの評議会にお任せします」
こうなると、後はユウトの独擅場だ。
「海賊の被害については、ある程度補償します。財源は海賊の本拠地を潰した時に出てきた財宝ですから、まあ、当然ですね」
慇懃だが事務的な。
仲間たちとかわすのとはまったく違った言葉で、案件を処理していく。
「ちなみに、彼の息子さんは悪事には関わっていないみたいですよ。こんなヒキガエルみたいな顔をしても子供は可愛かったんでしょうかね。なので、取りつぶしよりは、息子さんへの平和的な引き継ぎを望みます」
強制ではない。命令でもない。
しかし、それを無視できる者は、この場にはいなかった。
「ああ、そうそう。忘れるところだった」
最後に税率の案――街単位ではなく、各商会の利益の三割を納める――を一方的に提案し、ヨナを連れて会議室を出ようとしたその時。
振り返りながら、恥ずかしそうに言った。
「港をどうにかするんで、道案内を誰かお願いします」
当たり前と言えば当たり前で、それだけに誰も反応できない。
「私でよろしければ」
結局、レジーナが手を挙げるまで視線を交わすだけの譲り合いが続いたのだった。
「残らなくて良かったんですか?」
商工会議所の建物を出て、港をぐるっと半周する道を行きながら、ユウトは数歩後ろを歩くレジーナに声をかけた。
別に、そこまで気にしていたわけではない。
ただ、街並みを見るのも、意外なほど無残な護岸の姿を眺めるのにも飽き、沈黙が気になっただけだ。
「セスクに任せておけば問題ありません。顔なじみも多いですから」
「なるほど。俺を案内することで、評議会の方々に恩も売れますしね」
レジーナにそんなつもりは無かったのだが、そう言っても信じてもらえないだろう。だから、別のもっと重要な思いを口にした。
「あの。それよりも、敬語は結構ですので」
「気にしないで、ユウトは人見知りなだけ」
「あっ、バラすなよ」
「ふふっ。やはり、素の方が魅力的ですわ」
「じゃあ、まあ、そういうことで」
潮風が、三人の間を取り抜けていく。
寒い。
だが、潮風の香りは嫌いではなかった。地球にいた頃の記憶を呼び覚まされるけれど。
「ユウト、照れてる?」
「あーもー。俺の威厳も考えろ」
「本当に、あのブルーノをやり込めた方とは同一人物とは思えませんわ」
「いや、あれは俺もやりすぎたって言うか」
「最初から、すべてご存じだったのですか」
空を飛ぶ海鳥を見ながら、ユウトが静かに答える。
「ああ。俺は冒険者だから、下調べは手を抜かない。有効活用する気――下心もあった」
「それでも、私は父の敵を知れました。そして、誰も下すことができなかった罰をあの男に与えてくれました」
その言葉は、偽悪的な気分になっていたユウトを撃ち貫いた。
「深く感謝いたします」
そのうえ、深々とお辞儀などされたら、もう、いたたまれない。
「お、おう」
ユウトは返事とも言えない言葉を返し、すたすたと先に進んでしまった。
「それ以上、いけない。ヴァルに浮気報告しないと」
「浮気じゃねえよ。っていうか、ヴァル子とはそういうんじゃねえから」
どう見ても、そういうのを感じさせる様子でユウトは言った。
なお、本題の沈没船の除去は、ほんの一瞬で終わった。
港の突端に位置取ったユウトが呪文書を取りだし、6ページ分引き裂いたかと思うと海に放り投げる。
「《潮汐》」
六芒星を描いた呪文書のページが輝きを増し、その範囲内だけ水位がみるみる下がっていった。まるで、見えざる巨人の手で押し出されるかのように。
あわてて魚が逃げ出し、後に残るのは朽ちた海賊船の残骸だけ。港の入り口を完全に塞いでいるわけではないが、喫水が深い船の通行を邪魔するのは確かだった。
そこへ向けて、ヨナが表情を変えずに指を突き出す。
「《ディスインテグレータ》」
細い、緑色の光線が放たれた。
すーっと線を描くかのように光線が船の残骸を走り、次の瞬間には跡形もなく消え去る。文字通り、塵も残さず海賊船は消え去ったのだ。
「物を壊すのは簡単だね」
それをやり遂げたヨナはけろっと言い放ったが、一部始終を目撃していたレジーナは呆然とするほか無かった。
それでも、ユウトは安堵を覚えていた。
ヨナは、本当はこう言おうとしていたのだ。
「物を壊すのは簡単だね、生き物に比べたら」
ヨナは成長したなぁと目頭が熱くなるユウトだった。
活動報告にも書きましたが、累計10,000PVを突破しました。
いつもご愛読いただき、お気に入り登録・評価をしていただいている皆さんのおかげです。
これからも、よろしくお願いします。