7.地獄の特訓(前)
「少し、彼女と話をさせてもらえますか?」
引き受けるとは言わず、ユウトは先に情報収集の許可を求める。
メルエルは鷹揚にうなずき、場所を空けるためソファから立ち上がり学長席へと移動した。ヴァイナマリネンの肖像画の下から、成り行きを見守るらしい。
「まずは、ここに座って。ええと……」
「ペトラ・チェルノフよ」
名前は憶えていたが、反応を見たかったのでわざと言葉をつまらせる。
ユウトの意図に気づいたアカネとアルシアは、人が悪いわねと微笑を浮かべた。
「ユウト・アマクサ。縁あって、学長にちょっとしたお願いをしに来ていたところだ」
「ふぅん。変わった名前ね」
とぼけているのか、それとも本当に知らないのか。
後者なら好都合だなと思いつつ、ユウトは質問を始める。
「聞いていたと思うけど、学長からキミの更正を仰せつかってしまった。お互いに利用するつもりで、協力しようじゃないか」
「バカじゃないの?」
率直すぎるその言葉に、ヴァルトルーデが色めき立つ。
「ヴァル」
「……分かった」
その一言で引き下がってくれたが、このまま終わるとは思えない。それに、アルシアからも剣呑な雰囲気が感じられた。
正直、そちらの方が厄介だ。
「キミの評価に興味はない。ただし、俺は学長に口添えをしてキミの希望を叶えうる存在である。これを認識してくれ。憶えられないほど、バカじゃないだろう?」
「ふんっ。いいわよ。話だけは聞いてあげる」
どうやったらここまで傲慢なパーソナリティが育つのか。アカネは異世界の神秘に直面し、驚きを隠せない。
「じゃあ、いくつか質問だ。なぜ、百層迷宮に潜る必要がある?」
「話せないわ」
にべもない返答に、再びユウト以外の三人が色めき立つ。
当然だ。愛する男が、こんな小娘にバカにされて平然としていられるはずがない。
それを視線だけで抑えながら、ユウトは『話せない』という返答を心に刻む。
「では、何階を目指しているんだい?」
「……四十五階よ」
「なるほど。代わりに、俺たちが潜ろうか?」
「それはダメよ!」
過剰とも言える反応を見せ、サイドポニーのアッシュブロンドを振り乱して拒絶した。
その豹変ぶりに、ヴァルトルーデたちも驚きの表情を隠せない。だが、ユウトだけは冷静に相手を観察していた。
「絶対にダメ……」
癖なのだろう。ペトラは無意識に親指の爪を噛み、重ねて否定する。
「質問を変えよう。キミは魔法騎士だね? ダンジョンに潜る仲間は何人いる? 構成は?」
「仲間は……三人よ。同じ学院に通う魔術師とフェルミナ神の司祭と、ドワーフだけど盗賊がいるわ」
「よく分かった」
ユウトは微笑みながら言う。
「学長の判断は至極まっとうだ。バカはそちらだね、ペトラ・チェルノフ」
「なんなのよ! あんたは!」
あまりにもあまりな発言に、激昂したペトラは武器を抜こうとし……門番に預けていたことを思い出す。代わりに、かみつくような視線でユウトをにらむ。
「……ユウト。なにをしたいのか分からぬが、これ以上は私が我慢できそうにない」
「同感ですね」
「二人とも、ちょっと冷静に……ね?」
ヴァルトルーデもアルシアも基本的には温厚だが、無礼を笑って看過するほどお人好しでもない。
そのため、アカネが抑えに回るという、事態が発生していた。メルエルも、面白そうにこちらを眺めているだけ。
「実力だけでなく、性格もダンジョンに向いていない。それは自分でも分かっているだろう?」
「まだ、私を侮辱するつもり?」
「正当な評価だよ」
「私は、チェルノフ家の息女よ! その私相手にこれほどの暴言を吐いて。覚悟はできているんでしょうね!?」
恐らく、身分を持ち出すのは我慢していたのだろう。
だが、その自制心は脆くも崩れ、脅しつけるようにユウトへ指を突きつける。
「チェルノフ家?」
けれど、ユウトには通じない。
どこかで聞いたような気がするけど……と、メルエル学長へと視線を向ける。
「彼女、ペトラ・チェルノフは、フォリオ=ファリナに九人しかいない世襲議員の一人、パベル・チェルノフの一人娘。まあ、他国で言う貴族令嬢といったところだね」
(なるほど。それなら、そういうこともあるかな?)
仮説が補強されつつあるなと、ユウトはペトラへ向き直る。
「キミが何者かは、分かった。だけど、それならここにいるヴァルトルーデはロートシルト王国から伯爵の位を賜っているよ」
「嘘よッ!」
「そう思うのはキミの自由だ。あと、俺も近々叙爵予定なんだが……。さあ、国際問題が発生しかねない状態だ。どうしよう?」
「う、嘘よ……」
「そう思うのはキミの自由だ」
無慈悲に繰り返されるユウトの言葉に、ペトラの可憐な唇がわななく。
なにより、ヴァルトルーデ本人は元より、アルシア――黒いローブを着た眼帯の女からも無言のプレッシャーを受けている。その二人を抑えていた奇妙だが魅力的な服装の女――アカネも、鋭い視線でにらみつけている。
「ご、ごめん――」
「まあ、別にそれはどうでもいいんだが」
「はぁっ!?」
「明日、正午に仲間を連れて学院の中庭に来てもらおうか。一週間……いや、三日は過ごせる荷物に、完全武装でだ」
「ど、どういうつもりよ」
「決まっている。更正させるのさ、主にキミを」
「さて、よく集まってくれたね」
翌日、時間ぴったりにペトラ・チェルノフは姿を現した。
古黒竜ダーゲンヴェルスパーの前で待ち受けていたユウトは、四人を笑顔で迎え入れる。
ペトラは愛用の魔法銀の胸甲を装備し、切れ味を鋭くする魔化が施されたロング・スピアを背負っていた。
「よ、よろしくお願いします」
むすっとして挨拶をしようとしないペトラに代わり、頭を下げたのは眼鏡をかけたショートカットの少女だ。
地味な顔立ちだが、クラスの男子からは陰で人気がある。そんな、アカネが同意してくれそうな印象を抱く。
「ネラ・チェルノフと申します。ペトラお嬢様の身の回りのお世話などを仰せつかっています」
「キミが、もう一人の魔術師だね」
「はい。昨日は、お嬢様が大魔術師様にご無礼を働いたようで、本当に、なんとお詫びをしていいものか」
「ネラ、こんな奴に謝らないでいいわよ」
「お嬢様!」
同じ苗字にもかかわらず、この関係。本家と分家なのだろうか? 特に関心も無いので、この推測を事実として扱うことにするユウト。
「そうですよ、ペトラ。貴方の気持ちも分かりますが、礼を失したのはこちらですよ。そもそも、いつも言っているではありませんか。挑発するような物言いは止めなさいと」
こんこんと説教を始めたのは、太陽神フェルミナの聖印を胸に下げた二十代半ばの女性。
アルシアほどではないが黒髪を背中の辺りまで綺麗に伸ばし、白いローブに慎ましやかな肢体を包んでいる。
「ミルシェと申します。以後、お見知りおきを」
「ワシはデガルじゃ。面倒をかけるの」
「とんでもない」
全員、それぞれの武器や鎧といった装備のほかに、背嚢を用意している。ユウトの言うことは、ちゃんと伝えていたらしい。
「迷惑をかけるのは、こちらの方ですからね」
「それは、どういうことでしょう?」
「更生を依頼されましたが、恐らく、目的を達すれば丸くなると思うんですよね」
「はい! お嬢様は、本当はお優しい人で――」
「ネラ! 余計なことは言わないでいいのよ!」
「なので、手っ取り早く、百層迷宮の四十五層を目指せるようにしたいと思います」
そう宣言すると同時に、ユウトは呪文書を取り出し、そのページを八枚切り取ってペトラたちの足下に飛ばした。
「《次元移動》」
四人の足下に、虹色の次元の扉が開く。
抵抗は元より、悲鳴を上げる暇すら無く飲み込まれていった。
「じゃあ、俺も行こうか」
中央塔の頂上。学長室の辺りを仰ぎ見てから、ユウトも次元の扉へ飛び込んだ。
瞬間的な意識の断絶。
次に目に入ったのは、茫然自失とするペトラたちの顔だった。
「あああああ、あんた! ここ、どこなのよ!」
「奈落の表層だけど」
奈落、悪魔の住まう地。
見渡す限りの荒野だが、黒い金属のような物で覆われ、生えている植物もまるで石のようだ。太陽は出ているが暗く、まるで闇に照らされているかのような錯覚を憶える。
風は濁っており、空気はよどみ、呼吸をするだけで吐き気を催す。
これでも、表層ということでブルーワーズとそう変わりは無い。
なにしろ、なんの呪文や魔法具の加護も無しに生きていられるのだから。
「ここで特訓をして、三日でメルエル学長が認めるほど、強くなってもらうから」
ユウトは、注文を伝えるかのように、そう淡々と告げた。
×地獄の特訓
△地獄で特訓
○地獄で地獄のような特訓
 




