4.トリプル・ブッキング(後)
「クリスタル・アイアン・キャッスルって、名前長すぎるよな……」
「ユウトが現実逃避とは、珍し……くもないのか?」
薄暗い船内。
カットラスを握ったヴァルトルーデが、横を歩くユウトの言葉にあきれたように、けれど晴れ晴れとした笑顔で言った。
グリム・ディが隠れ家として使用していたキャラック船。それを接収したラーシアがアカネから聞いた話を元に改造を行い、船倉から侵入して海賊に囚われたお姫さまを救うという設定で船内を探検する体験型の施設に作り替えたようだ。
「なかなか悪くない」
「う~ん。こういうのを作るんだったら、余暇を推進するような政策も打った方が……」
襲いかかってくる海賊役の男たち――ラーシアの手下なのだろう――を木製のカットラスで軽く排除しながら、楽しそうに笑う。
先ほどまでと違って他人の目をあまり気にしなくて良いし、なにより動きやすい。
また、彼らは革鎧を身につけているほか、木製のカットラスで斬りつける場所を示す標的もくっつけているので、危険はあまりなさそうだ。
「でも、調子に乗って叩きのめそうとするヤツは出てきそうだよなぁ」
お互いに、安全対策は重要だ。
それから、倒す時に当てた部位によって得点が違うとか、タイムトライアル要素があるとか、そんなゲーム的な要素を取り入れるべきだろう。
射幸心を煽りすぎるのも良くないし、このブルーワーズでは時間を計るのは難しいが。
「それは確かに大事だが、もう少し歯ごたえは欲しいな」
「無茶言うなよ」
やられ役のラーシアの手下たちも、陰でうなずいている。
特に役作りをしなくても海賊に見えるという逸材たちだが、いくらなんでも相手が悪かった。
「でも、サプライズでボスをエグザイルのおっさんにするとかは可能か? どんな嫌がらせだよ」
「それは燃えるな」
「喜ぶのは、ヴァルとアルサス王子ぐらいだろ」
そんな雑談をしながらも、順調に船底から上がっていく二人。最後は、甲板で大立ち回りらしい。
「しかし、私ばかり楽しんでいるな」
「とんでもない。ヴァル子を見ている俺は楽しい」
ヴァルトルーデに帽子をかぶせたアカネは天才ではないかと、ユウトはしみじみ思う。
いつものように動こうとして、ベレー帽がずれ落ちそうになるのをあわてて押さえる様など言葉にできないほど可愛らしい。
「そ、そうか……」
「あ、ああ……」
こうもはっきり言われるとは思っていなかったヴァルトルーデは赤面し、その反応に直面したユウトも、自分がどれだけ恥ずかしいことを言ったのか、今更ながら自覚する。
薄闇の船内で向き合い、けれどうつむき合う二人。
そう言い含められでもしていたのか、やられ役の男たちは、せわしなくシーンから退場していった。
二人きりになる。
「そ、そういえば一応、ユウトに言っておかなくてはならない話があったのだ」
「そうなのか」
「そうなのだ。他人には、聞かれたくないのだが……」
ある意味で、今が好機だった。
意を決してヴァルトルーデが口を開く。
「実は、アルサス王子を見送る時に言われたのだがな」
「あの時か」
ユウトも少しだけ気にしていた、アルサス王子の耳打ち。
あの後、特になにも言ってこないし、ヴェルガ関係でいっぱいいっぱいになってしまったのだが……。
「その、なんだ。アルサス王子の息子と、私たちの娘は結婚しなくちゃいけないらしい」
「……また、翻訳がおかしくなっているのかな?」
世界移動と共に、自動的に付与された擬似的な魔法能力。勝手についてきただけに、トラブルが起こった場合、対処方法が分からない。
最近も、ヴェルガにプロポーズされた時に不調をきたし……
「壊れてなかった……」
「どうする? 王位継承的には当然なのかも知れないが、狙って娘など産めるものなのか?」
「いや、あの……」
産めるわけが無いとか、どこの嫁姑問題だとか、ユウトの頭の中で狂狂狂狂と形にならない言葉が回り続ける。
「そもそも、子供産むのが確定してるんだけど……」
「はっ!」
赤面を隠すように、ヴァルトルーデが両手で顔を隠す。木製のカットラスが転がる乾いた音が響き渡った。
沈黙が世界を満たす。
数十秒か。それとも、数分か。
様々な思いが、周り、交差し、絡み合う。
「ちょ、ちょっと外へ出てくるからな!」
そして、オーバーフローした。
素手で甲板を目指すヴァルトルーデの後ろ姿を呆然と眺めたユウトは、アルサス王子から持ちかけられた話の重要性とか政治的な意味とか。
そんなことを考えて現実逃避をしていた。
「なんか、ヴァルがもの凄い勢いで戻ってきたんだけど、なにがあったの?」
「そっとしといてくれ」
玻璃鉄城に戻ってきたユウトを出迎えたのは、制服姿のアカネ。
変わらず様子の幼なじみに、こっちは何事も無かったんだなとほっとする。
「楽しんでくれた?」
「ああ。でも、今度改善案のレポートを送りつけてやるからな」
「受けて立つよ!」
その時のラーシアはある意味自信満々だったが、後で送られてきた数十ページに渡る提案書を前に、大きなため息をつくことになる。
「それにしても、結構凄いな」
初めて中に入ったユウトは、周囲を仰ぎ見て感嘆の声を上げた。
入ってすぐホールのような空間になっており、テーブルと複数の椅子が十組ほど並べられている。植物も植えられ、水路もあり、雰囲気は悪くない。席数が少ないような気もするが、晴れの日は外に席を追加するのも良いだろう。
そして、アルシア・ヨナ・アカネにエグザイル・スアルムに分かれて座り、軽食を口にしていた。
「ハンバーガーとか、再現したのか」
「頑張ったよ」
「ラーシアの部下がな」
「それはボクの功績さ」
まったく悪びれること無くラーシアが胸を張るが、その正しさはユウトも認めざるをえない。
なお、一人テーブルに突っ伏して身もだえしているヴァルトルーデを見て見ぬ振りする優しさを、皆持ち合わせていたのは幸いなことだろう。
「それで、他はどんなのがあるんだ?」
「そうだ。アルシアさんと行ってきたら?」
ユウトの問いには直接答えず、アカネがそんな提案をしてくる。
「さっきは、私には意味ありませんねって行かなかったじゃない」
「私に、そんな配慮は不要ですよ」
ヨナの口元をハンカチで拭いてやりながらアルシアはそんなことを言うが、もちろん聞き入れられるはずもない。
強引に背中を押され、二階の東側へと強引に案内される。
「それで、この部屋がなんだって……」
「入れば分かるよ」
その通りだった。
ユウトとアルシアが二人して連れ込まれたのは、一面鏡張りの部屋。空間を仕切る壁もすべて玻璃鉄の鏡で構成されている。
燈火を使用しているのだろう。足下から仄かな光が立ち上り、迷路を幻想的に演出していた。
「ミラーハウスか」
なんとなく話には聞いたことがある、昔の遊園地にあったという施設。所々歪んで映る鏡や、鏡ではなくガラスを設置していて、見ているだけで平衡感覚が失われそうになる。
「確かに、アルシア姐さんには意味ないか」
「そうね。細かく仕切られた、ただの部屋ね」
紅の眼帯で擬似的な視覚を得ている彼女には、なんの意味も無い空間だ。
「だけど、二人きりになれたのは僥倖ね」
「アルシア姐さん……」
「ヴァルが、あんなことになった理由。教えてくれるわよね?」
「そうなるよね」
色気のある話になるはずも無いのだ。
ユウトは、初めてだが懐かしいアトラクションを眺めつつ、重たい口を開いた。
「あの船の中でさ、ヴァルがアルサス王子から、お互いの子供を結婚させようって言われたって言い出して……」
「意外と策士ね」
「それは同感。でも、都合良く娘が産めるか分からないなんてヴァルが言い出すもんだから、子供産むのは確定なのかよって指摘したら……」
「ああ、なったのね」
仕方がない娘だと、アルシアは苦笑する。それは、トラス=シンクの愛娘という称号にふさわしい慈母の微笑み。
ヨナに向けるものと、一緒だったが。
「それにしても、婚約者は二人ってことにして正解だったわね」
「そうなの? って、いたッ」
会話に集中していたからか、ユウトが鏡に頭をぶつけた。
「玻璃鉄だから割れないけど、結構痛えな……」
恨めしそうな目で鏡をにらみつけ、あまりの目つきの悪さにショックを受ける。
「ユウトくん」
名前だけ呼んで、アルシアがユウトの手を握る。
「どうも」
「構わないわ。それより、婚約者は二人いないと、家を継ぐ人がいなくなるでしょう?」
「んん?」
分かっていないユウトへ、アルシアが更にかみ砕いて説明をする。
「ヴァルとユウトくんの子供がイスタス伯爵家、そして、アカネさんとの子供がアマクサ家の後継者になるのよ」
「天草家なんて、そんな大層なもんじゃ……」
そう否定しかけて、ようやくアルシアが言った意味に気がついた。
「それを大義名分に、またお見合いが発生する可能性があるのか」
「可能性じゃないわ。絶対にそうなるわね」
「どうしようもない……」
アルシアの先導を受けながら、ユウトは鏡の迷宮を進んでいく。
ひんやりとした彼女の手の感覚が気持ちいい。
「でも、そうなるとアルシア姐さんの立場は?」
「私は、ヴァルたちの子供を抱ければそれで充分よ。本神殿のご老人方の意向なんて、どうでもいいわ」
「つかぬことを聞くけど、他に好きな男がいるとか……」
「いるわけないでしょう。だいたい、私なんかを――」
「いや、アルシア姐さん美人じゃん」
「……なん……ですって……?」
呆然と愕然と唖然と。
とにかく、予想外だとアルシアは歩みを止めた。
「別に、二人の時までそんなお世辞なんか要らないのよ?」
「わりと普通に、その格好とか目に毒なんですけど」
弾かれたように、アルシアはユウトと繋いでいた手を離した。そして、じりじりと距離を取る。
「ユウトくん、その、本気なの?」
「嘘じゃないけど」
「そう。分かったわ」
アルシアはわざとらしく咳払いをして、意味も無く服のしわを伸ばし――しわなど寄っていないが――二度三度とうなずいた。
「じゃ、私は先に戻るわ」
「うん……って、え?」
冷静な仮面は脱がず。
けれども、脇目も振らずにアルシアはミラーハウスから脱出した。
「またかよ」
アルシアはストレートに誉められると弱いらしい。
というよりは、今まで冗談やお世辞だと思っていたのに本気だと知って狼狽したのだろう。
「どれだけ自己評価が低かった……って、そうか。目が見えないんだもんな」
それで真っ当な把握ができるとは思えない。初めて会った時から普通にしていたので、まったく気付かなかった。
「というか、どうしようかこれ……」
とりあえず、鏡の迷宮から出るしか無い。一人で。
入り口に戻った方が早いかと、少しだけ足を止める。けれど、ユウトはそのまま前へ進んでいった。
デートだか日帰り旅行だか分からないが、今日はここまでだろうなと玻璃鉄城のホールに戻ってきたユウトは判断する。
ヴァルトルーデだけではなく、アルシアまで使い物にならない状態。
これはさすがに予想外だったようで、ヨナですら意外そうな表情を浮かべていた。
ラーシアだけは、こっちを見てニヤニヤしていたが。
「そろそろ帰るよ。後で、レポートを送ってやるからな」
「望むところだよ」
「仲良いわよね、ほんと……」
人相の悪い笑顔を浮かべる二人を前に、アカネがあきれたように言う。
「さて、エグザイル。ヴァルたちを任せてもいい?」
「構わんが、ユウトはどうするんだ?」
「朱音とお出かけ」
そう言って、問答無用でアカネの手を取った。
「なに?」
がばっとヴァルトルーデが立ち上がるが――手遅れ。
「《瞬間移動》」
呪文は発動し、ユウトとアカネの二人は虚空に消えた。
「一言あっても良かったんじゃない?」
「いや、今回やられっぱなしだったからさ」
制服を着た男女が、空高く浮かんでいる。それも、ユウトがアカネを抱きかかえる格好で。そうしないと、地面へ落下してしまうのだから仕方ないが。
「それに、二人になりたかったっていうのもある」
「その割には、こっから見える光景がロマンチックじゃないんだけど……」
二人は、戦場にいた。
北の塔壁。
ヴェルガ帝国とロートシルト王国。光と闇の勢力が、相争う地。
恒常的に争っているわけではないが、回収しきれなかった人やモンスターの遺物、風化した骸などが、至る所に散乱している。
「朱音からのプロポーズを、俺も真剣に応えなくちゃいけないから」
「勇人……」
それが、なぜこの場所につながるのか。
ぼんやりとは理解しつつあったが――アカネはユウトの言葉を待つ。
「俺は、日本に帰る。もちろん、朱音のこともあるけど、それだけじゃなく、俺の意志として」
けれど、それはあくまでも前提だとユウトは一度深呼吸をして、改めてアカネを見つめた。
「でも、それは一時的なものになる。どういう形に落ち着くかは分からないけど、俺はこの世界で生きるつもりだ」
最終的にどうなるかは、分からないけどな。
そう付け足したが、結論は揺るがないようだった。
「そういうわけで、普通に高校を卒業して大学を出て――なんて青春は送れそうにない」
「おじさんとおばさんは、どうするの?」
「説得する」
ユウトだって、それを考えなかったわけではないだろう。
それ故の即答。
アカネは、ユウトの両親がいかに心配していたか語ろうとして――止めた。
伝えたところで、ユウトがやることは変わらないだろうし、結論も同じになるだろう。
それが分かる程度には、深い関係であるつもりだった。
「だから、俺は逆に朱音に聞きたい」
ずっと見つめていたアカネから、視線を眼下の戦場へと移動させる。
「この世界は不便だし、危険がいっぱいだ。水道も電気もガスも電車も車もネットも携帯もない。地球の友達とだって会えない。それなのに、戦争は起こってるし、この前の吸血鬼みたいなのに、突然襲われたりもする」
その言葉をずっと、朱音は幼なじみの少年に抱かれながら聞いていた。
「俺と一緒にいるっていうことは、そういうことなんだ」
それでも、俺の婚約者になるか――?
ユウトはそう問いかける。
いや、諦めさせようとする。
「あのねえ……」
それに気付いたアカネは、すっと目を細めた。
「あたしは、勇人を探すために持ち物をほとんど売り払ったし、熊野の霊能者なんかにまで会おうとしてたのよ?」
ついに言った。言ってしまった。
「うあ……」
聞いたユウトの方も、痛々しい……と同情の視線を向けている。
「悪いのは、あんたでしょ」
「言葉も無い」
素直に認めたので、アカネは耳たぶをちょっと引っ張るだけで釈放することにする。
「なんだろうな。なんか、ほっとした」
「なによ、あたしに諦めるようなことを言っといて」
「今でもその方が良いとは思ってるんだけど、拒絶されなくて良かったとも思ってるんだ」
「バカね」
「その通りだな」
二人は目を合わせて笑った。
「ところで……」
アカネが控えめに口を開く。
「ここは、指輪とか出てくる場面じゃないの?」
「うん。忘れてたから、それは無い」
もう一度、二人は目を合わせて笑った。
「……二度目は無いわよ?」
「はい。気をつけます」
そうしてまた、二人は笑いあった。




