プロローグ 女帝と宰相
「これは、久しぶりの客人であるな」
女帝ヴェルガの居城、エボニィサークル。
その謁見の間で、悪の半神は招かれざる客と面会をしていた。
「私は、太陽神フェルミナに仕える剣天使、プレアス。主命により、半神ヴェルガを地上より放逐するため参上した」
輝くような板金鎧から、全身を覆う白い翼が二対生えている。美しい中性的な顔立には、悪を憎み打ち砕かんとする決意がにじみ出てた。
「挨拶、痛み入るのう」
一方、ヴェルガは涼しい顔。
玉座から動くことも、突然の侵入者に戸惑うことも無く、剣天使を迎え入れた。
「半神ヴェルガよ、地上より退去せよ。さすれば、命までは取らぬ」
「ほうほう。それはそれは」
愉快なことを聞いたと、女帝は楽しそうに笑う。
「半神が地上にあり、国を動かすなど、秩序を乱す行為に他ならぬ。奈落で悪魔たちと相争っていれば良い」
「既に数百年経ってから言われてものう」
最初は笑っていたものの、剣天使の真剣すぎる提言を聞いて露骨につまらなそうに言い放った。
そんな言葉でも聞き惚れてしまうのは、淫靡なヴェルガの声音のためだろう。
「返答はいかに」
全身鎧に負けず劣らず太陽のように光り輝く両手剣を突きつけ、剣天使がヴェルガに回答を迫る。
「お断りだの」
答えるのすらめんどうだと、女帝は気怠げに言った。
「そうか。ならば、やむを得まい」
光り輝く両手剣を構えた剣天使から、聖なる霊気が立ち上る。
悪の半神であるとはいえ、問答無用で討ち果たさず、退去を求めるところは太陽神フェルミナに仕える者の真価を発揮していると言えるが……。
「たった一人で妾を害すことができると思う辺り、滑稽すぎてどうにものう」
善と悪の神々の間には様々な牽制があり、神術魔法を除いて地上に影響力を及ぼすのは余程のこと――絶望の螺旋の復活が確定したなど――でなければあり得ない。
故に、地上で生まれ落ちた半神であるヴェルガは、善の神々から直接的な介入を受けたことは無い。
代わりに神の使徒である天使の襲撃を受けたことは枚挙に暇が無く、すでにヴェルガは相手の力量を見切っていた。
「太陽神フェルミナよ! 我が主よ! 我が剣に加護を!」
剣天使が握る両手剣から、閃光が溢れる。
まるで、光そのものが、刃になったかのようだ。
中位の悪魔であれば、近づくことすらできぬ《降魔の一撃》。
だがそれを見ても、ヴェルガは眉ひとつ動かさない。
剣天使が二対の羽根を羽ばたかせ、女帝の頭上へ飛ぶ。
《降魔の一撃》でなくとも巨人を両断しうる一撃が、ヴェルガ目がけて放たれた。
「つまらぬなぁ」
もはやそれを見ようともせず、女帝は王錫から手を離す。
王錫はそのまま床に転がる――ことはなく、独りでに宙へ浮かぶ。そして、《降魔の一撃》をまとった剣天使の両手剣と衝突した。
両手剣から放たれる純白の光。
王錫が発する、紫色の障壁。
王錫・王冠・指輪。
悪の王権を象徴する三位一体の秘宝具が力の一端を示し、紫色の光が半球状に女帝を覆って善の手から守護する。
のみならず、剣天使を玉座の遥か下へ弾き飛ばした。
「ぐぬっ。しかし、この程度で……」
「気散じにもならんわ」
声を出すのも煩わしいという心の底からの侮蔑。
それに喜びを感じる者すら出そうな、淫蕩な声音。
当然、剣天使は怒りをみなぎらせ、再度ヴェルガへと剣を振るおうとするが――それは永劫に叶わぬこととなった。
「《追放》」
羽虫を祓うかのように手を振ると、謁見の間に暴風が巻き起こった。
理術呪文を使用する時のように呪文書を必要とせず。神術呪文のように祈祷もなく。
イル・カンジュアルのように、ただ一言で現実を改変する半神ヴェルガ。
「殺すまでもないわ」
暴風が収まった後、そこには誰もいなかった。叫び声ひとつ残せず、剣天使は追放された。
ただ、不機嫌そうな女帝だけが残される。
好きの反対は無関心である――というのは、必ずしも真実ではないだろうが、剣天使プレアスは、最後の最後まで女帝の興味をひくことは無かった。
「せめて、婿殿ぐらいはやってくれねばのう」
玉座から、ユウトが落とした島を眺めながら陶然とつぶやく。
先ほどまでの無愛想な顔から一変。
恋する乙女と言うには、艶のありすぎる表情でそう感想を口にした。
玉座よりあのモニュメントを眺めるために、わざわざ新しく窓を作らせたのだ。無理難題を持ちかけられた黒ドワーフの職人も感涙にむせんでいることだろう。
「陛下、お済みでしょうか」
近衛兵を従え、ダークエルフの宰相――シェレイロン・ラテタル――が、謁見の間へ現れる。
「つまらぬ」
「これでは、近衛の面目が立ちませぬな」
シェレイロンは苦笑するしかない。
害虫を駆除するよりも簡単に――なにしろ、逃げずに向かってきてくれるのだから――剣天使を排除しただろう、女帝。
しかし、このエボニィサークルに詰める近衛の中に、それと同じことができる者はおるまい。
「妾が相手をするのが、最も効率的であろうよ」
「最強の存在をいかにお守りするか、数百年経った今でも答えが出ませぬ」
この辺り、率先して問題解決に乗り出してしまうユウトと、似ている部分だった。彼の大魔術師は、全力で否定するだろうが。
「そうよの、妾と同格の者を伴侶とし、常に傍らに置く。これで解決であろう?」
「まだ、諦めてはおられなかったのですか」
ダークエルフ特有の細面に、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、主君をいさめる帝国宰相。
「試しに、重鎮の方々に振ってみましたが……」
「誰一人として、賛同者はおらなんだであろ?」
鈴を鳴らしたかのように涼やかな笑い声。
それに反し、シェレイロン・ラテタルの憂慮は深くなる。
「笑い事ではありませんぞ。ボーンノヴォル伯など、怒髪天を衝く勢いでお怒りに」
「あの老人は、それが生きがいであろ。孝行娘じゃの、妾は」
混沌の雷鳴をまとった邪悪なる死巨人族の長、雲をも掴むボーンノヴォル。
ヴェルガを娘と呼んではばからない死巨人へ、女帝の意志を伝えた際に発せられた怒声。思い出しただけでも耳鳴りがし、胃が痛む。
「そもそも、相手は応じていないのでしょう。諦めなさいませ」
もちろん、ヴェルガ帝国の流儀はそんなに穏やかなものではない。
目には目を歯には歯を。欲しければ奪い取れ。奪い返されても不平は言うな。
これが、帝国の民が最初に憶える法だ。
しかし、女帝を説得する材料になるのであればどんな題目でも唱える覚悟が、帝国宰相シェレイロン・ラテタルには存在した。
「そうよのう。それも、問題よ」
思案顔で、女帝が悩みを吐露する。
「いっそ、我が母のように婿殿を監禁でもすれば、いずれ愛が芽生えるのではないか?」
「まあ、一理ありますな」
婿はさておき、敵国の大魔術師を無力化できるのであればシェレイロンに反対する理由は無くなる。もちろん、獅子身中の虫にならなければだが。
「当座のところは、そうよの。離間工作とでも理由をつけておくが良い」
「……承知いたしました」
ヴェルガ帝国――敵国の女王から婚姻を申し込まれている。その噂だけで、相手の立場を危うくする可能性はある。
無ければ、あること無いこと吹き込んでやれば良い。
そう方針を決めると、シェレイロンは一礼して主の前から辞した。
ヴェルガは、再びユウトの置き土産を眺めながらつぶやく。
「とはいえ、婿殿が訪れるのは、しばらく後のことになろうがの」
淫猥な朱唇から漏れ出た言葉は意外なことに殊勝なものであったが――ユウトにとっては残念なことに、続きがあった。
「まあ、それまで妾がおとなしゅうしておるとは限らぬがの……」
それだけで煽情的に見えてしまう手つきで王錫を玩びながら発した言葉は、誰にも聞かれること無く謁見の間に消えた。
こちらにお休みをいただいている間、
昔書いた作品の掲載を行わせていただいていました。
異世界トリップも転生も無い地味なファンタジーですが、
すでに完結まで予約投稿済みです。
よろしければ、目を通してみて下さい。
暗殺者は王女を護る、弑する為に
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