11.真昼の太陽
「どうしてこんなことに……」
今日一日だけで何度目かになる泣き言をもらしつつも、アカネの目は正面を見据え、手は止まらず動き続けていた。
対面には、やや澄まし顔のユーディット。
普段の愛らしい少女の面影を残しながら、少しだけ背伸びをしたという雰囲気を醸し出している美少女。そのまま写し取ることができたなら、画家にとって生涯の作品となることだろう。
「進み具合は、いかがですか?」
「ええ? 順調……です」
ポーズは変えず。口の動きも最小限でアカネに進捗を尋ねたユーディットは、動作ではなくその雰囲気だけで満足感を表現した。
アカネの手には、スケッチブックとデッサン用の鉛筆。
一時間ほど前まで白紙だったそこには、キャプションを貼らずとも一目でお姫様と分かる少女が描かれている。ただし、目の前に座るユーディットとは異なる部分がある。
素描のように写実的ではなく、やや漫画的にデフォルメされているというのもあるが、一番の違いは衣装。
紙の中のユーディットは、ドレスではなく十二単のような和装を身に纏っていた。
これには、深い理由がある。
一度に漫画を読むわけにもいかず、休憩がてら地球のファッション画像をスライドショーで眺めていたところ……。
「あの漫画の中の衣装はありませんの?」
と、キラキラとした瞳で聞いてきたのだ。
「さすがに無理です」
検討するまでもなく、NGだ。浴衣の着付けぐらいしかできないのだから。
「それは残念ですわ……」
そのまま、終わるはずの話だった。
「そういえば、そこの嬢ちゃんは漫画を描けるのでは、なかったか?」
大賢者ヴァイナマリネンが余計なことを言わなければ――
「まあ。そう言われてみれば」
「試しに、絵に描いてみたらどうだ?」
「勇人……ッッ」
さらに幼なじみへのヘイトが高まっていくが、穢れを知らぬ純真な少女――のように見える――ユーディットの期待のまなざしを無視することはできなかった。
そうして描き始めたのだが、すぐに難問が立ち塞がる。
書き出す前は極端に美化するのも、どうだろうかと思っていたのだが、そんな心配はモデルの美しさによって、アカネの技量の問題へとスライドする。
そのうえ、描き慣れない着物が壁となって立ちはだかった。
とはいえ、アカネも伊達に生産型オタクを自認しているわけではない。
まだ未完成だが、それなりの出来ではないかと思える。
(エキゾチックでジャポニズムね……)
よく分からないが、雰囲気は伝わる自己評価。なんとなくゲイシャのように見えなくもないが、分かるのはユウトぐらいのものだろう。
なら、口をふさぐのは簡単だ。
そう思い定めて、再び鉛筆を走らせる。
横を見ると、大きな体を折り曲げた大賢者がノートパソコンをいじくっていた。それは良い。ファイルの消去だけはしないように言い含めている。
それに、関心を示したのが文書作成ソフト。これなら、大きな問題は発生しようがない。
さっきまで人差し指でペチペチ打っていたのに、もうブラインドタッチになっているのは目の錯覚だろう。きっと。
(とりあえず、さっさと描き上げるわよ)
経緯はどうあれ、手を抜くつもりは無い。
アカネは気合いを入れて、鉛筆を握り直すと――不意に、部屋が暗闇に包まれた。
「停電?」
言ってからすぐに、そんな訳がないと思い直す。
では、なにが原因なのか?
せわしなく周囲を見回すが、外からの明かりもおろか液晶ディスプレイの光さえも消えている。
その中で、爛々と輝くふたつの瞳。
「初めまして、来訪者のお嬢さん」
ジーグアルト・クリューウィング。
吸血侯爵が、闇の中で大きく口を開いて笑った。
「ひっ」
本能的な恐怖を感じ、アカネが後退る。
だが、動けたのは一歩だけ。恐怖に足がすくんで動けない。
「アカネ様ッ?」
異常事態にユーディットも声を上げるが、彼女にはなにもできない。ジーグアルトも、はじめから眼中に無かった。
最初からすべてが嘘で、すべてが真実だった。
ロートシルト王国の王都セジュールで不死の怪物を生みだし、混乱を引き起こす。
それにユウトたちの注目を集めたところで、その領内にある腐肉の公主テュェラ・ズ・ラニュズの封印を解く。
ああ、嘘だ。大嘘だ。
無垢な王子を、穢したかっただけなのだ。
それも、一面の真実ではしかない。
ただ単に、別世界からの新たなる来訪者。彼女の血を吸ってみたかっただけなのだ。
「本来ならじっくり味わいたいところなのだがね」
感づいたユウトたちが追ってくるかも知れないし、なにより、無理やり再生させたこの体に、未知の血を入れたくて仕方がない。
「邪魔だな」
その声は、深く闇の中に響き渡った。
「《暁光》」
閃光が走る。
あらゆる闇を打ち消し、魔を祓うという第八階梯の理術呪文。
それはジーグアルト・クリューウィングが広げた闇を確かに打ち払い、その姿を白日の下にさらす。
「ヴァイナマリネンさま!」
「大賢者だと!?」
想像もしていなかった名に、ジーグアルトは浮き足立った。
「ふん」
事情を察したヴァイナマリネンは、つまらなそうに鼻を鳴らす。新しいおもちゃで遊んでいたところを邪魔された子供のような不機嫌さだ。
「儂が、手を下すのも筋違いだな」
ヴァイナマリネンは呪文書を取り出すと、めんどくさそうに9ページ分放り投げた。
「《夢幻転移門》」
それが天井に貼りつき、虹のように輝きゆらゆらと揺れる時空の穴を形成する。
「勇人!?」
「ぬぁっ」
そんな間の抜けた声と共に、ユウトが天井から落ちてきた。大魔術師は、なんとか着地したものの、その時に足をひねったのかバランスを崩して倒れそうになる。
身軽なラーシアはなんの問題もなく、座ったまま転移に巻き込まれたアルサス王子もきちんと床に降り立っていた。
「勇人……だいじょうぶ?」
ユウトが靭帯の怪我を負っていたことを唯一知るアカネが、気遣わしげに聞く。自分の状況など、忘れてしまっていた。
「ああ、なんとか……。って、朱音? いや、ジーグアルト・クリューウィング!?」
「やれやれ、これは驚きだ」
本当についていないと吸血侯爵は息を吐いた。
「先ほど、滅びたはずではないのか」
とっさに討魔神剣を抜き放ちつつ、ヴァルトルーデが当然とも言える疑問の声を上げる。
それを受けてユウトはヴァイナマリネンに視線を向けるが、無視されてしまった。ノートパソコンの安全を確保するのに忙しいらしい。
「つまり……。あの場では滅びていなかったんじゃないか? 死んだ振りをしてあの場を離脱する。そして霧の形態でファルヴに張り巡らせた《悪相排斥の防壁》を、なんらかの手段を用いて乗り越えた」
「大筋で、誤りではないな。あの遺跡にあった同じような結界も解除したのだから、この街に手を出せぬ道理はないさ」
「なるほど。でも、軽い怪我じゃなかったはずだ。それを癒したのは……」
ユーディットをおもんぱかって、アルサスが血を吸われたことは言わない。言わないが、大量に吸ったそれで無理やり再生させたのであろうことは確認が取れた。
「話は終わったな? 自分の女を狙ってきた相手だぞ、最後ぐらい己の手で決着をつけい」
「ジイさん……」
「自分の女って……」
呆れ、照れる異邦人たちの抗議などまったく気にかける様子もなく、ヴァイナマリネンはどっかと椅子に座り直す。
「なにかあったら、穏便になんとかするって言ってたのに」
「めんどくさいのだろう」
「敵も味方も、振り回されっぱなしだね」
どちらにしろ、厄介だ。
「さすがに、血を吸う隙はないか」
ジーグアルトは降参だと言わんばかりに肩をすくめ――そうしながら、体内の血を燃やした。
「《時流の牢獄よ》」
美貌の吸血鬼は、どこまでも狡猾だった。
全身を闇に変貌させると、濁流のようにアカネ目がけて殺到する。そのまま彼女をさらい、この場から離脱。
「勝ち続けている必要はないのだ。最後の瞬間に勝者であれば良い」
それを、誰も否定することは無いだろう。
それができるのであれば。
「《安寧》」
今まで沈黙を守っていたアルシアが、神術呪文を唱える。
神から送られる力の導管となった彼女から放たれる神の息吹。それが来賓室どころかこのファルヴの城塞、ファルヴの街全体を覆い、清浄な力が空気も大地も、精神すらも浄化していく。
「ぐぬっ。なぜだ、動けぬ」
「アルシア、やり過ぎであろう?」
アカネに手をかけようとしたジーグアルト・クリューウィング。その吸血鬼を討ち果たすため動き出そうとしたヴァルトルーデ。
第九階梯の神術呪文により、両者共に動けなくなった。
否、正確には誰かに対して直接的な敵対行動が取れなくなるのだ。
「ユウトくん、任せますよ」
「うう。精神力があれば参加できるのに……」
「《アストラル・ストラクチャ》は止めてやれ」
残念そうにするヨナの頭をぽふっとたたくと、ユウトは前に進み出る。
「最期は、ふさわしい呪文で送ってやるよ」
ユウトは呪文書から、また9ページ分引き裂いて彼の背後に並べる。
それは微かな閃光と共に六振りの剣へと姿を変えた。
「《三対精霊槍》」
地・水・火・風・光・闇。六源素の象徴色で彩られた豪奢な長槍。
それはユウトの周囲を巡りながら辺りを睥睨し、なにかを探している。
その動きが、ぴたりと止まった。
そして、すべてが切っ先をジーグアルト・クリューウィングへと向ける。
「誰かに害意を持てなくなるのではないのか?」
もっともなアルサス王子の問いに、ユウトはあらかじめ用意していた答えを返す。
「ええ。俺は、あの吸血鬼には攻撃できません。俺はね」
悪の相を持つ存在を自動的に発見し、追尾し、貫く《三対精霊槍》。
そこには、術者の、ユウトの意志は介在しない。ただ、自動的に悪を狩り取る源素の刃。
「俺はただ、呪文を発動しただけさ」
「なんたる詐術だ」
「言っただろ? ふさわしいってさ」
「だが、黙ってやられるつもりはない」
獲物を見つけた三対の槍が、吸血鬼に向かって一直線に飛んでいく。それを大きく飛んでかわそうとするが……それが大きな間違いだった。
アカネ――悪の相を持たぬ存在から離れたことで、《三対精霊槍》が真の牙をむく。
水・土・闇の槍がジーグアルトを追尾している間、残りの三槍は虚空に静止した。それは、攻撃を停止したわけでは無い。
赤、紫、白。
火・風・光の槍からそれぞれの色をした閃光が撃ち出され、吸血侯爵の全身を無慈悲に打ち抜く。
更に、青・黄・黒の槍が首を心臓を臓物を食い破るように貫いていった。
「がはッ」
病的なまでに美しい吸血鬼は全身を光と槍に貫かれ、今度こそ、本当に霧となって棺へと戻ろうとする。
だが、それは果たされない。
その霧を純粋な魔力の壁が取り囲み、その場で足止めされた。
「《理力の棺》」
霧となった吸血鬼を前にして、ユウトが切れる札がないと首を振った理由は簡単。使い切ってしまったからだったのだ。
つまり、それを場に出せる人間がいるのならば別。
ヴァイナマリネンが構築した純粋魔力の箱の中、それでもそこから出ようと霧となったジーグアルトはもがくが――無駄だ。
「いやぁ。長いこと地下にいたから、太陽の光を浴びたくなったなぁ」
朝から遺跡に潜っていたため、時刻はまだ昼過ぎ。
ラーシアは、貴賓室の窓を開く。
ファルヴの城塞の最上階。日当たりのいい貴賓室に、陽光の恵みが燦々と降り注いだ。
それは当然、霧となった吸血鬼の身にも平等に与えられ、綺麗に浄化されるまで長い時間はかからなかった。
「びっくりしたなー。ちょっと窓を開けただけなのになー」
そんな言い訳めいた草原の種族の言葉で、騒動はようやく幕を下ろした。
次回からEP2のエピローグです。
それから今後の更新についてですが、次回更新の後、大変申し訳ありませんが、
一週間ほどお休みをいただく予定です。
詳しくは、活動報告にも目を通していただければ幸いです。




