10.闇の公子(ダークロード)
「ああ……。この瞬間は、いつ味わっても甘美だ」
ユウトたちが気付いた時には、既に終わっていた。
ロートシルト王国の王都セジュールで不死の怪物を生みだし、混乱を引き起こす。
それにユウトたちの注目を集めたところで、その領内にある腐肉の公主テュェラ・ズ・ラニュズの封印を解く。
ああ、嘘だ。大嘘だ。
この無垢な王子を、穢したかっただけなのだ。
首筋に牙を突き立てられ血液を吸い尽くされたアルサス王子は、地に伏し、一滴の血も流れてはいない。一滴もだ。
それとは対照的に唇の端から鮮血を零しながら、青白き美貌の吸血鬼が歓喜に満ちた声を上げる。
男の血など、吸いたくはない。これは、本音だ。
だが、どうだろう。
品行方正に生きてきた聖堂騎士を、呪いに満ちた身に堕とすその愉悦は筆舌に尽くしがたいではないか!
年代物のワインよりも甘美で、月光よりも熱く、処女の生き血より純粋だ。
もう、この王子は王位に就くことはできない。
それどころか、陽光の下を生きることはできず、流れ水を渡ることはできず、他の生き物から生き血をすすらねば生きられないのだ。
「嗚呼! なんておぞましい存在だろうか!」
遠からず、善の神から見放され、悪の相の神からの恩寵を得るはずだ。
ジーグアルトは用済みとなった眷属の魔術師の生首を握りつぶし、口直しとしてその生き血を嚥下した。
「最高の気分だ。けれど、同意は得られないようだね」
「貴様ッッ」
突撃をかわされた格好のヴァルトルーデが、自らの無力さに歯がみする。
「さあ、我が子アルサスよ。新たなる闇の公子よ。立ち上がり、その刃を振るうが良い」
その声に応えてか、地に伏していた王子がゆっくりと立ち上がる。
白皙の美少年だった面影は、既に無い。
目は爛々と赤く輝き、肌の色は病的なまでに白い。また、牙も生えている。
それでも、美しさは変わらない。
妖艶とすら言える、なまめかしい美しさ。
「聖堂騎士と元聖堂騎士の対戦だ。存分に――」
「そうはならぬさ」
「な――にっ」
ジーグアルト・クリューウィング。強大なる吸血鬼の胸から、刀身が生えていた。
悪の相を持つ者を拒絶する、宝剣トレイター。見れば、柄を握るアルサスの両手からは白煙が立ち上っていた。
「迷い晴れた矢先にこれとは、ままならぬものだが……」
そう自嘲しながらアルサスはトレイターを引き抜き、亜神でもある女帝ヴェルガから侯爵位を授けられた吸血鬼の首をはねる。
ヘレノニアの分神体から証を受け取ったからかも知れない。あるいは、肉体は変わっても精神までは屈しなかったの知れない。
真相は、それこそ神託で確かめる他ないだろうが、心までは悪の相に穢されていないのは確かなことだった。
「親殺しをさせてもらう」
「バカなァッ」
首をはね飛ばされても、なお怨嗟の声を上げるジーグアルト。
「《ルミナス・ワールド》」
「《光輝襲撃》」
そこにヨナの超能力とアルシアの神術魔法が放たれる。異なる源から放たれた光が、吸血鬼を霧へと変えた。
それを見届けたアルサスは、ユウトたちを見回して自らの意志を伝える。
「安心して良い。あの吸血鬼の後釜に座るつもりなど無い。こうなっては、死ぬしかないのであろうがな」
「殿下――」
「いや、何も言わずとも良い」
堂々と。
王者の風格すら漂わせたアルサス王子は、微笑を浮かべてユウトの言葉を遮った。
「ようやく自分が進むべき道を見つけたのだが、まあ、思えば二十年も前に失われていたはずの命だ。仕方あるまいよ」
潔さを通り越し、すでに幽世の住人となっているかのような佇まい。
「ただ許されるのであれば……。ヴァルトルーデ卿、あなたと戦って果てたい」
「ユウト」
ヴァルトルーデの応諾は、その一言。誰にも口を挟ませぬと、足早に祭壇へと急ぐ。
もちろん、ユウトにも止めるつもりはない。
「ヨナ」
「ん~。あと三分ぐらいなら」
「ヴァル、一分で終わらせてくれ」
「承知した」
アルサス王子が、待ちきれぬとばかりに祭壇を降りてヴァルトルーデを待ち受ける。
数歩の距離を空けて対峙する、聖堂騎士と元聖堂騎士。
「殿下……」
「もう、殿下ではないがな」
苦笑と共に、アルサス王子から牙が覗く。それですべてを振り切ったのか、白煙を上げながらなお愛剣トレイターを構える。
「征くぞ」
移動のため、軽く体を前に倒した。予備動作はそれだけ。
次の瞬間には、数歩の距離を踏破しあっさりと間合いに入り込む。さしものヴァルトルーデも、盾を掲げ防御するのがやっと。
魔法銀同士が打ち合わされ、澄んだ音が空間に反響する。
アルサス王子はトレイターで押し潰さんとし、ヴァルトルーデは小手と一体化した盾で押し返す。
「終わらせます」
「まだまだ楽しんでいたいのだがな」
「残り時間がありませんから」
ぐんと一歩踏み込み、ヴァルトルーデが左腕の盾へ更に力を込める。
「なんとっ」
甘く見ていたわけではない。
だが、天使もかくやという女騎士の膂力とは思えぬ圧力に、吸血鬼化したアルサス王子も体勢を崩される。
「聖撃業打」
同時に、聖なる光をまとった討魔神剣が頭上から振り下ろされる。
避けられぬ。
なら、受け止めれば良い。
そう単純な話ではないが、これこそアルサスが待っていた瞬間だった。
「応えろ、トレイター!」
吸血鬼と成り果て、その肉体は善の相を失っても、トレイターはアルサス王子を持ち主と認めた。
トレイター ――即ち、反逆者。
王家の宝剣にふさわしからぬその銘は、その特質に由来する。
その呼びかけに応じ、まるで剣自体が意志を持っているかのように、あり得ない軌道を描いて討魔神剣を受け止めた。
「これが、我が生涯最後の一撃だ!」
反逆。
トレイターは死の運命に逆らい、討魔神剣を弾くと、流れるような軌跡を描いて刀身をヴァルトルーデの肩口へと振り下ろした。
致命の一撃。
これこそ、ヴァルトルーデが待っていた瞬間だった。
聖堂騎士は、一歩も引かない。否、討魔神剣を手放すと、逆に踏み込んで肩からアルサス王子へぶつかっていく。
それで切っ先がぶれ、トレイターの一撃は魔法銀の鎧を貫くには至らない。
「私の勝ちだ!」
アルサス王子の言葉は正しい。
武器を捨てたヴァルトルーデに負けるはずがない。このまま距離を取って態勢を整え――
「聖撃連舞――虎撲」
そう確信した瞬間、衝撃が顎から脳に突き抜けた。
聖なる光を纏った拳――しかも、ガントレットを装備した――で、下から突き上げるように殴られ、吸血鬼化した肉体が宙に浮く。
更に肝臓の辺りに二撃目を食らい、もう内臓など機能していないはずなのに、思わず体がくの字に曲がった。
「まだ――」
それでも体を引き起こし、ヴァルトルーデへ攻撃をしようとしたのは美事としか言いようがない。
最後は、籠手と一体化した魔法銀の盾で打ち抜かれ、地面に倒れ伏す結果となったとしても。
「ははははは。予想外の結末だが、これも私らしいのかも知れないな」
すぐに起き上がったアルサス王子はトレイターを放り出し、地面にあぐらをかいて清々したとさわやかに笑う。
そんなアルサス王子を前にして、ヴァルトルーデは、なにも言えない。
「ああ、そうだ。済まないが、ユーディットに感謝の言葉を伝えてくれないか。謝ったら、あの娘は逆に怒りそうだからね」
「それは、ご自分でお伝えください。あの方に恨まれるのは、ごめんです」
全力で。絶対に嫌だ。
そう全身でアピールしつつ、ユウトは温存していた切り札を出してもらうことにする。
「ヨナ、頼むよ」
振り返ると、アルビノの幼女がしっかりうなずくところが見えた。
アルサスを指差しながら、超能力を発動させる。無礼極まりないが、許してもらう他ない。
「《リウィンド》」
王子の姿に、霞がかかる。同時に、キュルキュルという擦過音が王子から流れ出た。
「これは、どういうことだ?」
「見てれば分かるけど……巻き戻し、かな」
傷が治った――だけではない。
「つかれた……」
ヨナが疲労困憊と倒れかけた時には、その赤い瞳も牙も病的なまでに白い肌も。すべてが元に戻っていた。
「よくやってくれた」
「ハンバーガーのため」
そんなヨナを受け止めながら、ユウトはどう頼もうかと頭を悩ませる。
「朱音には、迷惑かけてばっかりだな……」
「私は、どうなったのだ……」
けれど、ユウトの悩みなどアルサス王子の困惑に比べれば大したことではない。
「超能力で、時間を巻き戻しました。10分ぐらい」
「時間を……?」
「今の王子は、吸血鬼になる前の王子」
「ヨナ、王子様よ」
アルシアがこつんとヨナの頭を叩き、ユウトから引き取る。
それで自由になったユウトは、詳しい説明をすることにした。
「と言っても、これ以上は別に無いのですが……。個体を指定することで、最大で10分程度、その存在の時間を過去に戻す超能力です」
通常は、重傷者や死者を救うときに使います。燃費は悪いですが……と、ユウトは続ける。
「つまり、助かったのか……」
言葉にすれば、それだけ。
先ほどまで覚悟を決めていただけに、すぐには受け入れられない。
「ユウト、もしかして最初から分かっていたのではないだろうな?」
「最初がいつかは分からないけど、もしかしたら俺たちが考えている目的とは違うんじゃないかとは思っていたよ」
だからこそ、戦闘ではヨナを温存したのだ。
「元に戻せるのであれば、もっと早く説明を……」
「する暇なんてなかっただろ? させようともしなかったし」
「ま、まあな……」
だが、分かっていなかったのは自分だけではないかと不安になったところでラーシアとエグザイルを見ると、先ほどの一騎打ちの感想を言い合っていた。
「格好良かったねー。『これが、我が生涯最後の一撃だ!』って」
「ああ。オレも、果てるときはあんな覚悟で武器を振るいたいものだ」
「勘弁してくれぬか……」
まだ事態を受け入れきれないアルサス王子が、整った顔を困ったように歪めた。
生きられる。
そう思ったら、途端に羞恥心が湧いてきた。
「これで、とりあえず一件落着かな」
ユウト言葉に、皆がうなずきを返す。
結局、取り逃がしてはいるのだが、しばらくはなにもできないだろう。その間、まずは、ヴェルガ帝国に意趣返しをしよう。
そう決心したユウトの足下に、穴が空いた。
虹のように輝き、不定形に揺れる時空の穴だ。
「え?」
突然の事態に、思考が固まる。
そして、それはユウト一人ではなく、全員の足下――要するに、この部屋全体に時空の穴が広がっていた。
なにか呪文を使用すれば、魔法具を起動させられたなら、避けられたかも知れない。
しかし、それは完全に不意打ちで。
抵抗する間もなく、全員が飲み込まれてしまった。




