8.圧倒
「受けて立とう」
討魔神剣を構え直したヴァルトルーデが、堂々とその挑戦を受ける。
「だが、たった四人で足りるのか?」
挑発でも驕りでもなく、ただ事実としてヴァルトルーデが問うた。
その言葉を受けて、ユウトは素早く計算する。
数の上では、これで6対5。こちらが一人多いが、ヨナは最悪の事態を考えて温存したい。そうなれば、数の上では互角になる。
数の上では。
「もう勝ったつもりかね?」
「私は、“常勝”ヘレノニアの聖堂騎士だぞ」
ヴァルトルーデが、獣頭人身の男へ目がけて突撃する。
それに素早く反応した人狼は四足になって疾駆し、ヴァルトルーデを迎え撃った。
美女と野獣が交錯する。
獣身病の男は、後ろ足に力を溜めてヴァルトルーデの頭上高く飛び上がり爪を振るう――ようなことはしない。
地を這うような低い姿勢のまま、不倶戴天の敵である聖堂騎士の右足目がけて牙を伸ばす。
足に食らいつき、アキレス腱を食い千切り、引き倒した後にゆっくりと嬲るのだ。
初見ではまず対応できない、野生の動き。
それに対して、ヴァルトルーデは逆に足の裏を見せる蹴りを放った。
「グギャァッ」
飛行の軍靴が人狼の喉の奥までめり込み、捕食者であったはずの人狼が家畜のような悲鳴を上げる。
ヴァルトルーデはただの聖堂騎士ではない。オズリック村で生まれた彼女にとって、狼の相手など慣れている。群れでない分だけ、楽なぐらいだ。
「やあぁッ」
討魔神剣を一閃。
苦しむ獣身病の男の頭頂部に生えた耳から脳、口蓋、顎を貫いて、地面に頭を縫い止める。
「今一度問うぞ、人数はそれで足りるのか?」
「当然ですわ」
主に代わって答えたのは、人皮の呪文書を手にした魔術師の女。その露出の高い服装に気付き、ヴァルトルーデは眉をひそめる。
けれど、その余裕も完成した呪文の名を聞くまでだった。
「《魔力爆破》」
第五階梯の魔導師級呪文。
呪文書から切り離されたページがヴァルトルーデの周囲を囲もうとするのを、反射的に後ろへ下がって避ける。
呪文の効果を消去するという意味では、《魔力解体》にも似ているが、一番の特徴は、効果が相手次第で変わること。
身に纏っている魔法具数や力。さらに、付与されている呪文の強さに応じて爆発を起こすのだ。
戦闘準備を整えたヴァルトルーデたちは、このブルーワーズでも最も効き目のある対象だろう。ラーシアは露骨に嫌そうな顔をし、エグザイルでさえ焦りを見せる。
冷静だったのは、ユウト一人。
「《対呪抗魔》」
ヴァルトルーデ目がけて追尾する呪文書のページが、白い魔力光を受けて消え失せる。
難を逃れた聖堂騎士は、思わず安堵の息を吐いた。心臓に悪い。
「敵に魔術師がいるんだ。警戒していないわけがないだろう」
「ふんっ。それはお互いに言えることではなくて?」
「目のやり場に困る格好で言われてもな」
そう、ユウトがぼやく。真剣味に欠ける受け答えだ。
「あら、可愛い反応ね」
だが、ジーグアルトの眷属である吸血鬼の魔導師は満更ではないようだ。蠱惑的な笑顔を振りまきながら、誘惑するようにユウトを見つめる。
「だが、好みじゃない」
「魅了してしまえば、そんなことは関係なくなるわ」
「まあ、呪文が打ち消されるのがお互い様だとしてだ。さらに、百歩譲って俺と互角だったとしてだ」
これ以上は関わっていられないと、強引に話を戻す。
「どうして、俺の仲間とそっちの有象無象が同格だと思ったんだ?」
そして、残酷すぎる現実を突きつけた。
「ラァァッッ」
闇色の騎士へ向けて、エグザイルがスパイク・フレイルを振り下ろす。
まるで壁でも打ち砕こうとでもいうかのように。
何度も何度も何度も。
しかし、それは金属塊のような両手剣で、あるいは分厚い金属の鎧で受け止める。
さしもの岩巨人も、永遠に攻撃し続けることはできない。六連撃を受けきった闇色の騎士が、エグザイルを討ち果たすべく機械のように一歩踏み出す。
「そこだッ!」
敵を打ち砕くという役目を果たせず、持ち手のもとへと引き戻されようとしていたスパイク・フレイル。
エグザイルは全身の力を使って、それを強引に釣り竿のように振るった。錨に等しい打撃部が、闇色の騎士の足を強かに打ち据えて進行を妨げる。
それだけではない。
バランスを崩したタイミングで更に、宙空を舞っていたスパイク・フレイルを両手で叩き付けるように振り下ろし、闇色の騎士の背を地面につける。
後は、一方的な蹂躙だ。
エグザイル本人は、「攻撃する度、反動があるからオレもダメージを受けるんだが……」と言い訳をしそうだが、もちろん、誰も取り合うことはないだろう。
「《魔力爆破》」
「《対呪抗魔》」
相手も見ているだけではないが、人狼は未だ回復途上で、理術呪文はユウトに封じ込められている。
全身を棘のついた鎖で巻き付けた女はジーグアルトの側に侍って動くことなく、その吸血侯爵は興味深いと観察しているだけ。
「ボクも仕事をしないとね!」
そのジーグアルトに対し、どこからか放たれた《理力の弾丸》が三本、互いに絡まりあいながら迫った。
「死は忌むべきものに非ず。死後の安寧を約束する慈悲深き御方よ。さまよえる魂を救い給え」
同時に、アルシアが聖句を読み上げる。
「――退散」
不死の怪物を浄化する、聖なる波動。
しかし、ここに来るまでに出てきた屍生人や塚人、食屍鬼とは格が違う。
消滅させることはできず、動きを止めるだけで精一杯。
アルシアにも、それくらい分かっていた。その程度で、充分だということも。
狙いを過たず、ラーシアからの攻撃がジーグアルトを直撃する――その寸前、ひとつの影が割って入った。
棘のついた鎖をその身に巻き付けた女吸血鬼が、主に代わって理術呪文の攻撃をその身に受ける。
いくら吸血鬼とはいえ、純粋魔力の矢をまともに三本も受けて無傷ではいられない。
衝撃に吹き飛ばされた分は、器用に空中で回転して足から着地したため、さしたる損傷ではなかったようだが、全身は焼け焦げ、直撃した部分は無惨にへこんでいる。
それでも、幽鬼のように不気味に移動し、再び主の側へ戻った。
「うふふ」
長い波打った黒髪で隠れ、表情は分からない。
笑い声だって、そう聞こえるだけで、ただのうめきかも知れない。
だが、分かった。分かってしまった。
この女吸血鬼は、喜んでいるのだ――と。
「彼女は、少し変わっていてね」
ジーグアルト・クリューウィングが、初めて己が眷属を解説した。
「痛覚が快感と直結しているのだ。まあ、血を流せば流すほど喜ぶとでも考えると分かりやすいね」
「ろくでもない……」
アルシアが、真紅の眼帯を押さえて頭を振る。ヨナの教育に悪すぎる。
倫理的に最も反発しそうなヴァルトルーデが無言なのは、単純に理解できなかったから。
「マゾ吸血鬼とか、世界広すぎ……」
一方、ユウトはあきれかえっていた。
そもそも、棘がついた鎖により我が身を痛めつけているのだ。出てきた時点で気付くべきだった。気付きたくなどない。
「そして、血を流せば流すほど、強くなる」
ジーグアルトが、ぱちりと指を鳴らす。
それを合図に、主から解き放たれた被虐の女吸血鬼は、ヴァルトルーデやエグザイルを無視してその奥へと飛んだ。
ヴァルトルーデは《魔力爆破》から逃れるために無理な移動をしたため、エグザイルは闇色の騎士を倒した直後のため、それに反応できない。
「《ディスインテグレータ》」
緑色の光が走り、被虐の女吸血鬼の足を灼く。
その痛み――快楽に、空中でバランスを崩して前衛と後衛の間に落下した。
「とりあえず、気持ち悪いから撃った」
「うん。これくらいなら、許容範囲内……かな?」
温存を指示したユウトも、寿命が迫った蝉のように地上をもぞもぞと這い回る女吸血鬼を見ては、これは例外とするしかない。
だが、被虐の女吸血鬼はそんな視線など気にも止めない。
なにしろ、《ディスインテグレータ》は、存在自体を破壊する超能力。 彼女にとっても、再生のできない痛みは初めてだ。初めての快楽に、涎を流さんばかりに享受する。
「まあ、普通の相手だったら、圧勝だったかも知れないけどさ」
あっという間に半壊した敵。
それを眺めながら、ユウトは現実を突きつける。
「見通しが甘すぎたのではないですかね、侯爵閣下?」
「これは手厳しい」
穴があったら入りたいとでも言いたげに、背をそらして笑う。
「暇潰しの余興にしても、いささかつまらなすぎたようだ。謝罪しよう」
言葉だけでなく、実際に頭を下げるジークアルト・クリューウィング。
「《魔神の鉄槌よ》」
マントをひるがえしてその手を頭上に掲げると、一抱えほどもある闇が女吸血鬼の頭上に現れた。
そのまま急降下していった闇の球体が、足を失った女吸血鬼の全身を押しつぶす。
「見苦しいものは掃除しておこうか」
最後まで。
その死の間際ですら、本当に嬉しそうに苦痛を受け入れて女吸血鬼は――逝った。
やだ。この人たち、苦戦してくれない……。




