2.異文化交流
閑話的扱いなので短めです。
(どうしてこうなったのかしら……)
ファルヴの城塞の最上階。
アルサス王子一行が泊まる来賓室でアカネは密かにため息をつく。
夕餐会に使用した部屋に負けず劣らず豪華な内装。どんな仕掛けがあるのか、エアコンでも稼働しているかのように快適な室内。
ついさっき出発したユウトたちを見送ったため、この部屋には三人しかいない。
いくつかの寝室と一続きになった来賓室のリビングで、大賢者ヴァイナマリネンと侯爵家令嬢にしてアルサス王子の婚約者ユーディット・マレミアスと一緒にノートパソコンの起動を待っている。
(ほんと、どういう状況?)
OSのロゴマークを眺めながら、本当に改めて思う。
革張りの豪華なソファの真ん中にアカネが座り、両脇にいるヴァイナマリネンとユーディット・マレミアスは興味津々と起動画面を見ている。
愛する人を、友達を見送ったばかりだというのに。
「これもお主らの国の言葉か?」
「英語……。他の国の言葉で窓って意味です」
「ほう」
幼なじみの少年がいた異世界へ自分もやってきた。ユウトの様に呪文を使って大活躍とか、岩から伝説の剣を抜いて魔王を倒すとか、別にそういうのがしたいわけではない。
(でも、留守番させられた挙げ句、偉い人の接待ってどういうことなのかしらねぇ)
しかも、見せるのは漫画だという。
いくつもの疑問が泡のように生まれ、消えずに溢れ出す。
「これは、異世界――お二人の故郷の魔法具ですか」
「そんなところです。もっとも、誰でも使えるわけではありませんけど」
「なるほど……」
素直に感心する花のような美少女の姿に、アカネの良心が痛む。
しかし、嘘は吐いていない。
ノートパソコンは誰にでも使えるわけではない。事実、アカネの祖父は使えない。正確には、使おうとしたことはあるが、今ではホコリをかぶっている。
(それに、進みすぎた科学は魔法となんちゃらかんちゃらとか言うし)
そういう意味では、この精密機械は異世界の魔法具と言えなくもないだろう。
「それで、漫画というのを早速みせてくれんか」
「あー。はいはい」
重々しいが、待ちきれないと言った大賢者に急かされて、アカネは電子書籍を保存してあるフォルダを開く。
「といっても、どれにすべきか……」
学園物のような、現代を舞台にした作品はいくらなんでも理解できないだろう。かといって、ファンタジーものだと馴染みはあっても退屈かも知れない。
「よし。じゃあ、これで」
マウスをスクロールさせつつたどり着いたのは、源氏物語をモチーフにした作品だった。
歴史物であれば大賢者の好奇心も満たせるだろうし、恋愛ものなのでユーディットの興味も引けるはず。
駄目なら次に行けば良い。候補はいくらでもあるのだ。
「絵が出てきました。しかも、色まで……」
「ごめんなさい。色が付いてるのは表紙だけです」
素直な反応をするユーディットに申し訳なくなる。でも無理なんです。フルカラーとか人間の所行じゃないんですと誰にともなくフォローする。
「なるほど。確かに絵と文字が組み合わさっているな。かなり進んだ表現技法であるわ」
横で見ている大賢者も感心していた。
当初はディスプレイに絵が出るというだけで珍しがられていたが、わりと打算的なチョイスだったにも関わらず内容も案外好評だった。
慣れないためか、ヴァイナマリネンから渡された言語翻訳の眼鏡を気にしていたユーディットも、途中からは食い入るように液晶ディスプレイを見つめていた。
「この男は、クズだな」
などと言いつつも、ヴァイナマリネンにとっても木造の屋敷や独特の風習は興味深かったらしい。
ただし、漫画の読み方を教えるのには苦労させられた。
少なくともアカネにとっては、息をするのと同じぐらい自然な動作なのだ。右上のコマから
こっちに視線をずらして順番に――など説明するのも難しい。歩き方を教えるようなものだ。
「恐れながら、大賢者さま。ゲンジ様は愛情に飢えておいでなのです。お労しいではありませんか」
言語翻訳の眼鏡を丁寧にテーブルの上に置きながら、挑みかかるように言う。
「いや、さすがの儂も嫁幼女育成は引くわい」
「わたくしは、アルサスさまであれば育てられても良いと思います。むしろ、育てられたかったですわ」
「なんだろう……。このやっちゃった感は……」
源氏物語は宮廷文化の極みとも言える作品である。更級日記の作者が、源氏物語読みた過ぎヤバイと書き残しているぐらい上流階級の女性を虜にしたとも言える。
そう考えれば、ユーディットが感情移入するのも当然かもしれないが……。
「アカネさまも、そう思われますよね?」
「私は、どっちかというと勇人に世話を焼きたいかも……? というか、私は様付けなんか……」
「なにを仰っているのです。アマクサ様の婚約者なのでしょう? そのアマクサ様も近々叙爵されるとのこと。当然ではないですか」
「ほう。あの坊主の婚約者か……」
いつのまにか、ディスプレイからアカネへと注目が移っていた。
(これは、良くない流れだわ……)
アカネが心の中で冷や汗を流す。これは、方向を変えなくては。
「でも、ヴァルもいるし……」
「おう、あっちの嬢ちゃんともか。やりおるではないか」
豪快――というには下品な笑い声に、女性陣が顔をしかめる。
「独占したい望み。でも、そうすると失うかも知れない不安。どちらも分かりますわ」
「ユーディットさま?」
「ですが、わたくしから言わせれば、それは贅沢というものですわ」
最愛の男を二十年間失っていたユーディット・マレミアス。
その間、降りかかる困難をすべて叩き潰した少女のように見える彼女。
アカネの曖昧な態度を断じるユーディットの迫力は、本来の年齢相応に見えた。
アカネは、彼女が自分の倍以上の年齢だとは知らなかったが。
「少なくとも拒まれなかったということは、あのヴァルトルーデ様にも劣らぬ部分があるということ。自信を持つべきです」
「私なんて、無駄に付き合いが長いだけで……」
「まあ、それは素敵ではないですか」
二人が幼なじみだと聞いて、ユーディットが顔をほころばせる。
さきほどの厳しい表情はあっさり消えた。
「お二人のなれそめを聞いてみたいですわ」
「なれそめって言われても、気付いたら隣にいたみたいな……」
ヴァイナマリネンはと見れば、勝手にノートパソコンを操作して漫画の続きを読んでいた。アカネが操作をしている所を見て憶えたのだろうが、その吸収力は凄まじい。
「そうだったのですか。それは、アマクサ様のことが心配でしたでしょう」
ユーディットは我が事のように沈み込み、途端に愁いを帯びる。
男であれば、この憂欝を振り払うためになんでもすると決意するだろう。
「心配はしましたけど、帰ってこないんだったら、こっちから迎えに行ってやるっていうぐらいの気持ちで」
「素晴らしい!」
感動したと言わんばかりに、ユーディットはアカネの両手を掴んだ。瞳は潤み、本当に感激で泣き出してしまいそうだ。
激しい感情の起伏に、アカネはペースを乱されっぱなし。
「故郷でも、さぞ色々あったのでしょうね」
「色々って言っても、勇人が怪我をしちゃって、そのリハビリ――治療を見守っていたとか、一緒に勉強をしたりとか……」
「素敵ですわ。アカネ様、あなたも想い、待ち続けていたのですね……」
「そう……なのかな?」
「そうですわ」
言われてみると、そんな気がしてくる。
アカネはずっと、自分のことを"横入り"だと思ってきた。そんな自分を肯定してくれることが、なにより嬉しい。
「まあ、思い続けておるのも良いが、あのアルサスとかいう王子の屈託をどう考えておる?」
そこに、ディスプレイから顔も上げずにヴァイナマリネンが冷や水を浴びせた。
「え? 屈託って?」
「解っておりますわ。アルサス様が、ヴァルトルーデ様方に劣等感を抱いておいでなことぐらい」
「え? え?」
わけがわからない。
話題の切り替わりにもそうだが、内容自体が意味不明だ。
「アルサス様は、王になることを決意されておりますが、その能力があるとの自信までは抱かれていないようです」
そんなアカネにも理解できるよう、ユーディットはヴァイナマリネンへ確認をすると同時に説明をしてくれる。
「そんなところに、坊主どもの成果を見せつけられれば、嫉妬もするか」
くだらんと、大賢者は切り捨てた。
「そのお言葉は大賢者ヴァイナマリネン様といえども容認いたしかねます。撤回を」
「ユーディット……さま?」
すっと気温が下がった。いや、それは錯覚だ。けれど、ユーディットの雰囲気が変わったのは確か。
間に挟まれたアカネは、右往左往するばかり。
「何も彼も違うにもかかわらず嫉妬する。愚かでないというか?」
「それが人間ですので」
「ふむ。では、待つだけで良いのか? 人は愚かだぞ」
「ええ。仰せの通りです」
一転、ユーディットがヴァイナマリネンの主張を認める。
けれどそこには、確かな信念があった。
「ですが、愛する人の成長を待つのも女の甲斐性。そうではありませんか?」
「くっ、ははははははっっ」
アカネにかかっていた重圧が、ふっと無くなる。
「女心まで理解しておったら、儂は大賢者などと呼ばれてはおらぬわ」
話の内容はよく分からなかった。でも、何かがあったのは確か。
(ユウト……! 早く帰ってきて……ッッ!)
心配だ。ユウトが、ヴァルトルーデが、危険な所へ赴いたのであろうみんなが心配だ。
だが、我が身可愛さと言われても仕方ないけれど、自分の胃も心配だ。
昨日からのストレスで、アカネは感情のこもらない笑い声を上げていることに気付かなかった。




