表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
627/627

The Last Run(後)

 北米の大都市に、夜の帳が降りる。

 人工の光によって闇を駆逐しても、悪事が行われるのは影の中であることに変わりない。


 白亜のアーコロジーは夜でも、威容はそのまま。


 そのピラミッドのような壁面を走り抜ける影があった。


 白いローブ。

 手には魔道書。


 理術呪文を使用し、身体能力を強化。さらに、重力も操作して一目散に最上階を目指す。


 飛行をしなければ、警戒網に触れない。


 そう目論んでの行動だったが、アーコロジーの警備も一筋縄ではいかなかった。


 光を限りなく100%近く吸収する特殊塗料でコーディングされた警備用のドローンが、白い影を取り囲もうとしていた。


 万一のことを考え、アーコロジー本体とは独立した経路で制御されているドローン部隊だ。


 さしものマキナも、短時間では把握しきれなかったのだろうか。


 ドローンからアーコロジーへ飛ばした警告はカットされていたが、ドローン自体の動きは止まらない。


「This is private land. Please leave now」


 規定通りの警告。


 それを聞いても白い影は止まらない。


 であれば、次の段階に映るだけ。


 カナダに本拠地を置く、最も新しい格付けSSSのメガコーポであるナイトコーポレーション。

 新進気鋭の企業が自信を持って送り出したのが、この警備用ドローンシャドウホークだ。


 もちろん、警告を発するだけではない。テイザーのような非殺傷用の武器だけではなく、小口径のミサイルやレーザー兵器も備えている。


 アーコロジーから電力が無線で供給され稼働時間も実質無限。

 ドローンととしてはという但し書きはつくものの、防御能力も高い。


 対テロを想定するにしても、かなり高性能。戦場に出したとしても、相当な活躍をするだろう。


 そんな高性能機が、白い影へと殺到していく。


 さすがに人間が生身で昇ってくるなど想定していなかっただろうが、やることは変わらない。


 そして、結果も想定の範囲に収まるはずだった。


「――今頃、そんなことになっているんだろうな」


 意識下で幻影を操りながら、ユウトは目の前のエレベーターを興味深げに見やる。


 維持しているのは、赤外線知覚はおろかドラゴンが持つ超感覚すら欺く幻影だ。各種センサーでモニタリングしているドローンも、しっかりと騙されてくれるに違いない。


「今まで見てきたアーコロジーのあれこれとは、ちょっと様子が違うな」

「建設時の設備に、そこまで気を使う必要性はなかったのでしょう。現在は非常用に残しているだけですから」


 マキナがクラッキングして入手した設計データ。

 ユウトたちは、それに従い地下の搬出路からの侵入していた。


「まったく、手慣れているというかなんと言うべきか……」


 あっという間に計画をまとめてしまった二人に、麻衣那は言葉も出ない。


 素晴らしい手腕だ。

 頼りになる。


 そう思っているのは間違いないのだが、素直に賞賛できない。

 これは、麻衣那の頭が固すぎるというわけではない……はずだ。


「エレベーターの動作を掌握しました。セルフチェックの結果も問題なし。安全です」


 マキナのお墨付きが出た。


 しかし、ユウトも麻衣那もエレベーターには乗らない。

 扉が閉まると、空気だけを乗せて昇っていく。


 そう。こちらもダミーだ。


「じゃあ、計画通り行こうか。《精神結合(マインド・ボンド)》」


 本命は、呪文を使用した正面突破。


 同名のサイオニック能力と同じく、精神をテレパシーでつなぐ理術呪文《精神結合》。

 祖父と孫の心が、麗しい意味ではなく純然たる事実としてひとつになる。


「――行きます、《透視(クレアボワイヤンス)》」


 麻衣那も切り替え、事前に言われたとおりの呪文を使用する。

 体が疲労感に苛まれるが、大丈夫。血を吐くほどではない。


 麻衣那の視覚が肉体から離れ、十数メートル先に伸びる。


「さて、マキナ頼んだ」

「お任せください」


 地下からでは、なにが起こったのか分からない。

 だが、アーコロジーに住む数万の人々は驚愕した。


 絶対に起きない。実際、今まで一度も起きたことのない停電が発生したのだ。

 しかも、一向に復旧しない。


 不夜城に闇が訪れた。

 例外は、人命に影響する部分だけ。


 何重ものセキュリティが瞬時に破られ、人間がそれを認識するよりも早く電力がカットされたのだ。


 後に、アーコロジー・シャットダウンと語られる大事件。


 それはとても、軽く決行された。


「《大魔術師の縮地ステップス・オブ・アークメイジ》」


 最後に、ユウトが発動したのは持続時間中であれば、何度でも視界内(・・・)の一点へ瞬間移動を行える理術呪文。


 それと同時に、ユウトは麻衣那の腰をぐっと引き寄せた。


「麻衣那、行くぞ」

「は、はい」

「上だけを見ていてくれ」


 麻衣那の視界の先にあるのは、天井――ではない。

 その先。すぐ上のフロアだ。


 麻衣那のサイバーアイには、低光量補正機能が備わっている。

 つまり、停電中でも問題ない。


 その光景を強く心に思い浮かべれば、ユウトにもそれが伝わる。


 まるで、自分の目で見ているかのように。


 地下から、二人の姿がかき消えた。


 次の瞬間、そうとは見えない祖父と孫は上のフロアに出現する。


 あとは、同じことを繰り返すだけ。


 機械の目は塞がれ、人の目は届かない。


 そのまま、最上階まで一気に駆け抜ける。


 ――かと思われたが、その一歩手前。下の階で、ストップした。


「どうせ、《瞬間移動》対策はしてあるだろうからな」

「最後はお任せを」


 麻衣那はユウトの腕から解放され、ほっと一息。

 そのタイミングで、頭上から爆音が轟いた。


 見れば、《透視》の呪文を使用するでもなく上のフロアが見える。


「空調を暴走させました」

「それだけで、こんな爆発が起きるわけがないでしょう……」


 人には言えない方法で、惨事を起こしたに違いない。


 やりたい放題のマキナに、麻衣那は頭を抱えた。

 最悪なのは、状況が状況だけに認めるどころか感謝しなくてはならないところだ。


「……麻衣那、驚くだろうけど抵抗しないように」

「今度は、一体なんですか!?」


 ユウトは答えない。

 結果はすぐに出るのだから。


「どうやら、招待を受けたようですね」


 次の瞬間、二人と超AIはガラス張りの空間にいた。

 満月と地上の星に照らされた空中の楼閣。


 そこに、他を圧する半神がいた。


「ヴェルガ……」


 つい先ほど。20年後に出会った時と変わらない。

 闇よりも濃いドレスに身を包んだ赤毛の女帝。


 麻衣那がまなじりを釣り上げにらみつけるが、意に介した様子もない。


 ヴェルガは、ただ一人の男だけを見ていた。


「妾が用意したダンジョンは、お気に召したかの?」

「悪いが、魔道具(マジックアイテム)も出ないダンジョンは素通りするのが家訓なんだ」

「なるほど。一番の財宝である妾を目がけて一直線ということだの」

「一面の真実なのが困ったもんだ」


 まるで宿敵同士とは思えない、和やかな会話。


 瞬間移動を禁じておきながら、自ら引き寄せるという矛盾も。

 それをあっさりと実現させた魔術の妙技も。


 すべて、なかったかのよう。


 地上1000メートルの上空に張り出したガラスで覆われた部屋であることすら、目の前で乙女のように(かんばせ)をほころばす淫靡な半神とは比ぶべくもない。


「婿殿が妾の城を訪れたのは、何度目かの」

「それ、夢で洗脳されそうになったときのこともカウントするのか?」

「はてさて。とまれ、果報は寝て待てとはよく言ったものよの」

「そりゃ、ビルそのものをぶっ壊したほうが早いのは分かっているけどな」


 シカゴ市民が聞いたら。いや、常人が耳にしたら正気を疑う言葉。

 実際、隣にいる麻衣那はぎょっとして祖父には見えない祖父の横顔を見上げていた。


「そんなことをしたら、強引に儀式を完成させてどこかへ消えるだろ?」

「そう婿殿が考えるであろうから、妾はここで待っていたわけでもあるの」


 完全なる相互理解。

 それを寿ぐように、悪の半神は淫靡に微笑んだ。


 足下には、ガラス越しにシカゴの夜景が広がっている。

 まるで、大都市がすべて女帝に頭を垂れているかのよう。


「それでいて、余人が関わっては不確定要素が多すぎると」

「ああ。だから、マキナにシャットダウンしてもらった」


 人質にされても、巻き込んでも厄介だ。

 であれば、不便を掛けるが大人しくしてもらうに限る。怪我をしたり死んだりするよりは増しだろう。


「そこまでして逢瀬を求められるとは、女冥利に尽きるの」


 ユウトは答えず、ただ肩をすくめた。

 対照的に、ヴェルガはにんまりと淫猥に笑う。


「さて、此度はどのような愛の言葉をささやいてくれるのかの」

「前にやったことがあるかのような捏造は止めてもらおうか」

「なに、受け手次第よ」


 なにを言っても、好意的に解釈する。

 ユウトはすっかり慣れていたが、麻衣那には狂っているようにしか思えない。


「正確には、交渉しに来たかな?」

「これは異なことを。妾は言葉だけで止まるような女だったかの?」

「うちのヴァルでも、ちゃんと注意すれば止まるけどな」

「さすがに、その比較は妾への侮辱であろう」


 だが、言葉ほどには怒っていないようだ。ヴェルガが淫猥に微笑む。

 ユウトがどんな顔をしているのかは、麻衣那からは見えない。


 ただ、少し前までいた英霊の残滓が反応したような気がした。


「本気でやり合うと、被害が大きくなりそうだからな」

「ふむ。妾を倒すのと儀式を止めること。双方を同時に達するのは難しいと踏んだわけかの」

「そんなところだ。なにしろ、へんてこなモンスターを放たれたら、こっちの負けだ」

「かといって、妾を打倒せねばいずれ同じことが起こるであろうと」


 ぽんぽんと言葉が飛び交い、止めるどころか言葉を挟む間もなく話が進んでいく。


「なるほどのぅ……」


 形の良い唇を半月状にし、悪の半神が鋭く淫猥な瞳でユウトを射貫く。


「その分霊体(ブランチ)、残された力はわずかなようだの」

「誰かさんに時間旅行を強要されて、がたが来たんじゃないか?」

「え? なんの話を……?」


 元々、分身のようなものだとは理解していた。

 いずれ、別れがやってくるというのも薄々分かっていた。


 とはいえ、それを確定事項のように扱われるのはまた別の話。麻衣那は、あからさまに狼狽してしまう。


 けれど、そんな彼女を置き去りにユウトが言うところの交渉は進む。


「崩壊間際の分霊体を妾のものとする。さて、どのような利益があるのかの?」

「さあ? それをどう活かすかはヴェルガ次第だろ?」

「くふふふふ……。確かに、その通りだのぅ」


 紅く長い舌がちろりと、覗く。淫靡で、見ているだけで心臓が早鐘のように暴れる。


「いささか、物足りぬが贅沢も良くなかろう。その申し出――」

「――嫌です」


 反射的に、声に出ていた。


「それは、やってはいけないこと……だと思います」

「ほう……。世界の安寧よりも、個人の権利を優先するとな?」

「個人を無視した平和は、偽りです」


 正論。同時に、理想論。

 現実は異なることを、麻衣那は知っている。


 でも、感情が言うことを聞かない。


 嫌だ。


 ユウトが、この女のものになるのは――どうしても受け入れがたかった。


「未だかつて、正論が人類を救った例はないと思うがの」

「言葉が届かないのであれば、実力でなんとかします」


 まだ、異界の神をこの身に下ろした感覚は残っている。

 蛮勇だろうが、気圧されることはない……はずだ。


「ほう……。だが、いくら嫌だと駄々を捏ねても婿殿の意思次第であるぞ?」


 ヴェルガと麻衣那。

 すべての視線が、ユウトへと集まる。


 特に重圧を受けた様子もなく、ユウトは決断を下す。


「孫が頑張ろうとしてるのに、おじいちゃんが諦めるわけにはいかないだろ」

「これは意外な。否、そうでもないかの……」

「教授は、基本的にも応用的にも甘い(・・)人ですからね」

「それは良いが、勝算はあるのかの?」

「なにを言っているのですか。教授は、勝算のない戦いなどしませんよ」

「期待が重たいな」


 最先端の兵器と神秘を融合させても、追い詰めることしかできなかった。

 ヴァルトルーデの力をもってしても、致命傷には至らなかった。


 それでも、ユウトは重圧をものともしない。呪文書を携えるその姿はいつも通りだ。


「まあ、今回は勝利条件が特殊だからな」

「ふむ。果たして、それで妾が満足するかの?」

「してもらいたいな」


 ユウトが、呪文書から9ページ切り裂き周囲に展開した。


「《本質直感(サードアイ)》」


 この第九階梯の理術呪文は、術者に理屈を超えて正解を悟る能力を与える。

 つまり、無理矢理正解を導き出す呪文。


「麻衣那、サポートする。やりたいようにやれ」

「……信じますっ」


 まだ、《精神結合》の持続時間は残っている。


 ユウトの意図は、言葉にせずとも分かった。


「今度こそ、止めます」

「借り物の力は、もういらぬのかえ?」


 サイバー日本刀クリカラを構え、麻衣那がヴェルガへと肉薄する。

 赤毛の女帝は、淫猥な微笑を浮かべたまま動かない。


 サイバーウェアにより強化された反射神経で、白い喉へと日本刀の切っ先を突き出し。


 ――そのまま、貫いた。


「相変わらず、人を小馬鹿にしてっ」


 もちろんと言うべきか、貫いたのは幻覚だ。

 クリカラを引き、ユウトが《本質直感》で察知した地点。背後へと横薙ぎに振るう。


「《理力の短矢(フォースボルト)》」


 さらに、ユウトから牽制の呪文が飛んだ。階梯と威力は低いが、正確無比。


「なかなかだの」


 結果、ヴェルガが虚空から大鎌を取りだしてクリカラを受け止め。《理力の短矢》は、もう片方の手で握りつぶした。


「武器を抜かせて、一歩前進かな」

「歩き続ければ、必ずたどり着きます!」

「殊勝なことよの」


 滅びをもたらす赤の大鎌が輝き、つばぜり合いをしていた麻衣那を弾き飛ばす。


「大丈夫……ですっ!」


 ガラスの壁にぶつかる前になんとか勢いを殺し、体勢を立て直す。幸い、ガラスの展望室も無事。見たところ、亀裂なども入っていないようだ。


「《理力の短矢》」

「さすがの婿殿も、慎重にならざるを得ぬか」

「スカイダイビングの趣味はないんでな」


 ユウトが第一階梯の呪文を連発し、ヴェルガの足を止める。

 並の術者の倍近い速度で繰り出されるものの、決め手にはならない。赤毛の女帝からしたら、鼠に噛まれる程度だろう。


「やはり、足手まといがいると全力が出せぬようだの」

「私はっ」


 麻衣那が反論するよりも早く、ヴェルガが目の前にいた。

 無造作に赤い大鎌を振り下ろし、麻衣那を両断しようとする。


「《大魔術師の縮地》」


 そこに割り込む影。

 短距離の瞬間移動を駆使し、麻衣那をさらうようにヴェルガと距離を取った。


「そう来ることは、知っていたさ」

「秘術呪文になど頼らずとも、妾と婿殿は以心伝心というわけだの」

「狙いが分かりやすいだけでしょう!」


 ユウトの腕から抜け出して、麻衣那がさらに神経を加速させる。

 それを援護するため、ユウトも果敢にヴェルガへと呪文を放った。


 精神で理解し合った二人が、代わる代わる赤毛の女帝へと迫る。


 ガラスの部屋で繰り広げられる剣戟は、まるで輪舞のように艶やかで美しい。


「《縛炎(ブラスト)》」

「《対呪抗魔 (カウンターディスペル)》」


 呪文のように体系化されてはいない。神の行いと意思の具現化たる秘跡(サクラメント)

 幾条もの炎の鞭を、人が発展させた秘術呪文で吹き散らす。その隙に、麻衣那が再びヴェルガへとクリカラを突き出した。


 マキナのサポートを受け、最も成功率の高い軌道で最も効率の良い動きを見せる。


「回避率は5%以下のはずですが……」


 けれど、技術の粋を集めて打たれたサイバー日本刀は悪の半神まで届かない。

 確率も効率も無視して、絶対不可侵を貫いていた。


「これはこれで楽しいが、時間稼ぎが目的かの?」


 過去に絶滅した生命群を蘇らせる。

 いかに悪の半神とはいえ、儀式にはいくつかの条件を揃える必要があるのではないか。


 星辰。星の並び。つまり、時間。


 それが過ぎれば、儀式は行えない。とりあえずではあるが、世界が救われる。


「楽しくなかったか?」

「どうせなら、妾に夢中になって欲しいからの」


 赤毛の女帝は笑った。

 童女のようで淫靡に。

 淫猥のようで無邪気に。


「《荒魔(デッドマジック)》」

「くっ、《対呪抗魔》」

「否、これは突き通させてもらう」


 ヴェルガが、さらに魔力を込める。

 破魔の魔術が、はじき返された。


「魔の無き荒野を現出す」


 赤毛の女帝を中心に、世界が書き換えられた。

 ネガとポジが反転。色調が狂い、ノイズが走り、心臓が締め上げられる。


「魔力活動の抑圧……いえ、完全なる終焉。魔道具の動作及び、呪文の行使が世界から拒絶されます」

「そんなことが……」


 因果の反動(バックラッシュ)どころではない。

 神秘の廃絶だ。


 一切の魔力が、この空間から消え去った。


 つまり、ユウトの強みがすべて失われる。


「でも、それならばっ!」

「麻衣那っっ!」

「《雷光連鎖ライトニング・チェイン)》」 


 ヴェルガがかざした指輪から、雷鳴の奔流があふれ出た。

 白い雷光が幾条も殺到する。


 条件は同じはず。

 なのに、神の秘跡は別だというのか。


 ヴェルガの指先から放たれた半神の雷が、人の身を打ちすえた。


「なん……で……っ?」


 魔力が死に絶え、ユウトとのつながりは消え去った。


 だから、それに気付かず。


「どうして……か」


 ユウトにかばわれ、おめおめと生き延びている。


「それは、出力が違うからだ……な」


 ユウトは微笑み、麻衣那の言葉に答える。


 かつて、ヴァイナマリネンを相手にしたときと同じだ。

 《絶魔領域アンティマジック・スフィア》で魔術を抑止されても、神力解放。より強い力で、弾き飛ばした。


 それと同じことをやられたわけだ。


 ユウトがやるよりも、先に。


「そうじゃ、そうじゃありません!」

「いいんだよ、それ……で」

「折を見て、婿殿が同じように魔術の使えぬ領域を作る。そうして、機械で肉体を強化した娘がとどめを刺す。そういった目論見だったのであろう?」

「ああ……。強みは活かすべき、だろ?」


 雷を受けて膝をついていたユウトが、よろよろと立ち上がった。

 麻衣那は安心しかけるが、違和感を憶える。


 覇気がないと言うべきか。儚く感じる。


 今にも、消えてしまいそうだった。


「そのように弱々しい婿殿の姿は、初めてかもしれぬの」

「そうか? 俺なんて、いつも足手まといみたいなもんだ」

「くくく……。韜晦しながら、とんだ役を出してくるのであろう?」

「まあ、配られたカードでやるさ」

「おお、怖い。どんな手札を揃えておるのか」


 それは、この分霊体を造ったときに決まっていた。

 ユウト本人もまさか使うことになるとは思っていなかっただろうが、だからこそ鬼札(ジョーカー)になり得る。


「麻衣那」

「下がっていてください。ここは私が――」

「俺を、殺せ」


 赤毛の女帝が、柳眉を逆立てた。


「妾の手に落ちるくらいならば、いっそ……。否、婿殿らしくなさ過ぎる。失望させることで孫娘の安全だけは確保を――」

「黙ってください!」

「ああ、いいな。そういうところは、真名によく似ている」

「……勝つために必要なんですね?」


 こくりと、ユウトがうなずいた。


「これは、家族の問題です」


 ヴェルガがなにか言うよりも早く。

 口出しはさせないと、麻衣那はクリカラをユウトの胸に押し当てた。


 それでも完全に覚悟ができたわけではなく。


「お手伝いします」


 マキナのサポートを受けながら、ぐっと押し込んだ。


 目を背けたかった。

 直視して。


 悲鳴を上げたかった。

 奥歯が砕けるほどかみしめて。


 クリカラを、貫き通した。


「ああ、こいつは痛えな……。エグザイルのおっさんとか、いつも傷だらけでよく普通に戦えるもんだ……」

「ごめんなさい……。私の力が、足りなくて……。ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「いや……、謝るのも、礼を言うのも……俺のほうだ」


 白いローブが血に染まる。

 日本刀が体から抜けていく激痛にも笑顔を見せ、ユウトが麻衣那の手にそっと触れる。


 そのまま、視線をヴェルガへ向けた。


 笑っていない。

 なにが起こるのか確かめるように、じっと真剣な表情で見つめていた。いや、見守っていた。


神力解放(パージ)


 神の階を昇ったことを表し、只人にはない力を発揮する。

 やりたくはなかったが、やれないとは言っていない。


条件付け(コンティンジェンシー)かの。婿殿の……分霊体の死を代償に……。否、神力解放だけならばそこまですることでもあるまい?」

「悪いな、ヴェルガ。交渉するつもりはあったんだが――」


 無理に、絶魔領域を正常化させようとはしない。


「――殺せる手札はちゃんと準備しているんだ」


 すべては、そのため。


「《運命創出フォルト・フォルトゥナ》」


 ヴェルガの父。悪神ダクストゥムが、絶望の螺旋(レリウーリア)に対して使用した秘跡。


 自らが滅であるゆえに滅びぬ絶望の螺旋に対して、死の運命を強制する。


 急所を突くのではなく突いた場所が急所だったという、因果の逆転にも似た。しかし、それを遙かに超える運命改変。


 魔力なき空間で、ささやかな規模で、条件付きではあるが、ユウトはそれを再現(コピー)した。


「これが、妾の死か」


 自慢の赤い髪に、黒い線が走っていた。

 ちょうど、首筋の長さ。


 これこそ、ヴェルガの死の運命。


 絶望の螺旋を滅ぼす切り札となった秘跡は、神力解放により荒魔領域(デッドマジックエリア)を超克して悪の半神へ死の運命を刻み込んだのだ。


 それが発動する条件は――


「麻衣那、後は任せた」

「任されました」


 ――ヴァルガの赤毛に走った黒い線を、術者(ユウト)の血縁者が切り裂くこと。


「マキナ、サポートを頼みます」

「全身全霊を以て、お助けします」


 すでに、《精神結合》の効果は消え失せている。

 だが、やるべきことは理解していた。


「下半身の制御権を取得。ご主人様は、刀を振ることだけに集中を」


 承諾を得ず――というよりは、反対など考慮せず。

 全身を走る強化反射神経コンバットリフレックスを通じて、マキナが麻衣那の体を動かした。


 動作の起こりのない、完全にフラットな状態からの加速。


 黒い線を愛おしそうに撫でていたヴェルガが、虚を突かれる。


「なんと無粋な」

「最後まで言っていなさい!」


 クリカラを横に振り、反応が遅れたヴェルガの指先を刃がかすめる。

 一滴、血がガラス張りの空間に舞った。


 赤い。


 人と、ユウトと変わらぬ血が。


 悪の半身とて、生きている。


「私と同じ……。殺せば、死ぬ生き物ではないですか!」


 麻衣那が吼えた。


 マキナが、人間にはない発想で麻衣那を動かしヴェルガを追う。


「俺しか見ていなかっただろ、ヴェルガ。あとは、辛うじてヴァルぐらいか?」


 それは、女帝の驕り。

 同時に、ヴェルガをヴェルガたらしめるもの。


 であれば、この展開は最初から決まっていたのかもしれない。


「マキナ、まだ加減しているでしょう? やりなさい」

「承知しました」


 麻衣那の姿が揺らいだ。

 蜃気楼のように世界との境界が揺らぎ、ヴェルガとの間合いを一瞬で詰めた。まるで、瞬間移動したかのよう


「先ほどから、器用なことよ」


 麻衣那が無言でクリカラを袈裟懸けに振り下ろし、ガラス張りの空間がぶるぶると震える。


 ヴェルガを捉えるのも、時間の問題。


「だが、長くは持たぬのであろう?」

「2秒で決めます」


 一閃。

 クリカラの刀身を、ヴェルガが漆黒のドレスを翻してかわす。


 二閃。

 ガラスの床を蹴って麻衣那が追いすがり、剣先がヴェルガの赤毛をかすめる。


 そうしながら、マキナが制御する麻衣那自身はヴェルガの背後に回る。


 赤毛に描かれた、運命の黒い線は目の前。


「まっすぐ過ぎる。まるで、あの女(・・・)のようだの」


 ヴェルガが虚空から赤い大鎌を取り出し、クリカラと衝突した。


 神秘と科学の衝突。


 ヴェルガが口を半月状にして笑った。


 勝てるはずがない。

 結果は、最初から決まっていた。


 きらきらと、破片が夜景のようにきらめき落下していく。


 現代技術の粋を集めて打たれた刃が、粉々に砕け散った。


「これで、詰みよ」

「まだ終わっていません!」


 分かっていた。

 こうなることは、分かっていた。


 ヴァルトルーデの力を受けて放ったとき、すでに限界を迎えていた。


 そして、限界を超えなければヴェルガには届かない。


「――受諾。《火炎剣ブレイジング・ウェポン》を行使します」


 炎がクリカラの柄から吹き出て、刃と生す。

 秘術呪文という叡智の結晶が、智慧の利剣に不動明王の象徴たる炎を纏わせる。


「機械が荒魔領域で秘術を操るとは!」

「は? マキナも、神の子ですが?」

「また、適当なことを言って!」


 AIと神に、どんな関係があるというのか。

 同世代にしか見えない祖父母だけで、充分に驚いた。


 麻衣那は、マキナの戯言になど心動かされはしない。


 ただ、マキナなら。あるいはユウトなら、なんとかしてくれるだろうという信頼だけ。


 一意専心。

 その愚直さこそが、勝利の鍵。


「《雷光連鎖ライトニング・チェイン)》」

「神力解放――《対呪抗魔》」


 血を流すユウトが、にやりと笑った。


 してやったりと、ではない。誇らしげに、麻衣那の後ろ姿を見ている。


 三閃。

 人機一体の三連撃スリーラウンドバーストが、ついに悪の半神を捉えた。


 ヴェルガの動きに合わせて踊る赤毛に、炎の刃が触れる。


 躊躇も、戸惑いも。好機への焦りもない。


 マキナとひとつになった麻衣那が、《火炎剣》よりもなお赤い髪を斬り裂いた。


 ガラス張りの空間に、艶やかで淫靡な赤毛が広がっていく。


「くくっ、くくくくく。一度ならず二度までも」


 ばっさりと髪を切られたヴェルガが、淫蕩な哄笑をあげた。


 終わりを告げる合図。


「完全にしてやられたわ。誇るが良い、ヴァルトルーデ・イスタスにすら果たせぬ偉業をの」

「はぁ、はぁ、はぁ……」


 強化反射神経の酷使により、麻衣那がその場で跪いた。呼吸は荒く、ガラスの床でもはっきり分かるほど汗が垂れ落ちている。


 これでは、どちらが勝者か分からない。


「俺たちの勝ちだな」


 ユウトが顔をしかめつつ笑顔を浮かべ、よろよろと麻衣那の元へと向かう。


「うむ。重畳重畳。此度は、なかなか楽しかったのぅ」


 負けを認めても、悲壮感はない。

 ショートカットになっても、どこまでも淫猥で、縛られず、ヴェルガだった。


「そうかい。こっちは、失望されるんじゃないかとドキドキだったけどな」

「くくく。婿殿も、妾に気があるのではないか」

「興味のなくなったおもちゃは、適当にぶっ壊すタイプだろ?」

「さてのう……」


 違うのか。それとも、つまらないおもちゃの末路など記憶にもないのか。


 確かなのは、否定しなかったという事実だけ。


「では、婿殿。また会おうぞ」

「肯定しても否定しても喜ばれそうで、言葉選びが難しいんだが……」


 それでも、沈黙は選ばなかった。


「次は、もっと人の迷惑にならないところでやれよ」

「婿殿の願い、無碍にはせぬぞ」


 最後に、淫蕩な――つまり、いつも通りの微笑を残し。


 悪の半神は、光の破片となって消え去った。

 シカゴの夜景に溶け入るかのように。


 ひとつの終わり。


 感想も恨み言も口にせず、ユウトは麻衣那へと向き直った。


 血まみれだが、もう傷を気にした樣子もない。


「よくやってくれた。立てるか?」

「大丈夫……です……」


 麻衣那は膝に手を置いて立ち上がり、しっかりとユウトの瞳を見上げた。


「もっと褒めちぎりたいし、いくらでもご褒美をあげたいところなんだが……。悪い、俺たちもお別れだ」

「……そうなるんですね」


 本当にこれで終わったのか。麻衣那に実感はなかった。

 それどころか、ヴェルガにとどめを刺した手応えもない。


 しかし、ユウトが言う以上は事実なのだろう。

 覆りはしないのだろう。


「ええと……」

「なんだい?」


 祖母――真名に、もう一度会って欲しかった。

 その願いは叶わない。


 わがままは、言えない。


「結局、未来はどうなるんでしょうか?」


 それよりも、言いたいこと聞きたいことがあったはず。

 にもかかわらず、真名が口にしたのは気になるけれど、気にしても仕方がないこと。


「そうだな。未来は変わる。ヴェルガによって引き起こされた事件を記憶しているのは、麻衣那と真名だけになるかもしれない」

「全部なかったことに……?」


 パレオゾイック・モンスターはいなくなる。地層に埋もれたまま、再び表舞台に出てくることはない。


 核で焼き払われたシカゴも、存在しない。今足下に広がる街並みが、そのまま未来へ引き継がれる。


 そして、パレオゾイック・モンスターと戦う力であった秘術呪文も裏側にこもったまま。

 世界に魔法などないかのように、歴史は刻まれていくのだ。


「そこは、地球そのもののさじ加減だったりするんだけどな」

「その力で、私も未来――元の時代に戻るということですか……」


 時間の復元力というよりは、地球そのものの抗体反応。

 秘術呪文に因果の反転を起こしたように、この時代に存在してはならない麻衣那という異物を排除――元の場所へと弾き飛ばそうとしているのだ。


「ああ。さすがにもっとひどい未来が待ってるなんてことはないから安心していい。それから、マキナも、いろいろと助かった」

「超AIの本懐です」


 ユウトは、ふっと微笑をこぼし肩から力を抜いた。

 それを目の当たりにし、麻衣那の心臓がとくんと跳ねる。


 ただし、ほんの一瞬のこと。


 他ならないユウトの言葉に、現実へと引き戻される。


「麻衣那、また未来で会おう」

「……未来で?」

「変な事件が起こらなかった未来なら、普通に会いにいけるはずだからな」

「ああ……。それはそう……なりますよね……」


 麻衣那の表情は変わらない。意地でも、笑顔は見せない。

 ただ、背筋は真っ直ぐに伸び声には張りが戻っていた。


「分かりました。文句は、未来でぶつけます」

「利子が怖いな」

「計算なら、お任せを」

「サポートAIの助言には、従わなくてはならないですね。不本意ですが――」


 それが、別れの言葉になった。


 前触れもなにもなく、麻衣那とマキナがかき消える。後に残ったのは、ただただ空虚な空間。


 天空に設えられたガラス張りの空間で、ユウトは思わずため息をついた。


 世界法則が斟酌するはずもない。分かっていても、どうにかならないものかと苦情のひとつも言いたくなる。


 ユウトは天を仰ぎ、どうにかして感情をフラットに戻した。


 どうにもならないことは、どうにもならないのだ。


「まあ、あとは俺に任せよう」


 この個体は、分神体ですらない分霊体。今となっては、天草勇人の残滓のようなもの。


 使命は果たした。これ以上は、対応範囲外。

 未来は、そのときが訪れるまで分からない。


 だから、このユウトに責任はない。あったとしても、ユウト本人が負うべきことなのだ。


 最後の言葉を真に受けて、ヴェルガが次の舞台に選んだのが星の世界だったとしても。

足かけ……何年でしょう?

またしてもヴェルガ様のお陰で伏線回収を逃したりもしましたが、ようやく完結しました。


もう、ネタを見切り発車で続けたりしないよ。


さすがに順番がバラバラなんで、一旦削除して別作品として投稿し直すかもしれません……。


というわけで、お付き合いいただきありがとうございました。


次の番外編は、エグザイルがメインのお話にしたいなと思っています。未定ですが。


【宣伝】

昨日と同じですが、ノベリズムから転載中の使い捨てられ死霊術師のゴーストタウン建国記も、ようやくベーシアが出てきました。

主要キャラも揃って、さらに面白くなってます。

今回は残念な結果に終わってしまいましたが、ヴェルガ様が中立・悪じゃなくて中立・善のアライメントだったら……というコンセプトのメインヒロインが活躍していますので、こちらもよろしくお願いします。


使い捨てられ死霊術師のゴーストタウン建国記

https://ncode.syosetu.com/n8955hk/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 元の時間軸に帰った真衣那はひょっとしたらほとんど面識の無かったはずの母親と暮らしていてギャップに戸惑って居るかもですね。 肉体改造も無かったことになるのかな? あ、ユウトと真名の進展が遅くな…
[一言] エイプリルフール企画らしく最後は無かったことにされたか。 このオチに辿り着くまでに足掛け何年掛かったか。 まぁその分だけ楽しませてもらいましたので読者としては得しかないんですが。作者の藤崎さ…
[一言] どっちも本体じゃないからなあ……一番の被害者は地球さんだったw
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ