3.私にできること(後)
「そんなに酷いかな?」
ファルヴの城塞へと戻り、厨房を見回しながらユウトはそんなことを言う。
「勇人が慣れたのか。それとも味音痴なのかは知らないけど、日本とは比べものにならないわよ」
「う~ん……」
納得がいかないというユウトの様子を見て、本格的に頭を抱えそうになるアカネ。
「しかも、下手したら王子様と婚約者しか来ないかも知れないとか、どういうことよ。最悪、一緒に来る料理人の人にレシピだけ伝えて、調理をお願いしようと思ってたのに」
「グルメ漫画方式か」
その手もあったかと感心しかけたが、今回はどうしようもない。
「それで、ここは使えそうか?」
「できなくはないけど、手際良くとなると……」
「そりゃそうか」
ファルヴの城塞は、城である以上当然だが、厨房が複数存在している。便宜上、第一厨房はユウトたち領主の側近専用。それ以外は、城塞で働く人々のための賄いどころとなっていた。
ただし、この第一厨房は今の今まで放置されていたのだが。
「しかし、台所を使わないで一年経ってるって。どうやって生きてたのよ」
「朝ご飯は、だいたいアルシア姐さんの《祝宴》だろ? あれを食べると、その後もあんまりおなか空かないんだよな」
「確かに、そうだったわね……」
言われてみると、こちらに来てから食事量は減っていた。コンビニで気軽に買い物ができるわけでも無いのだから逆に好都合だったのだが、こんな裏があったとは。
アカネは、自らの経験を思い返しながら、微妙な表情を浮かべる。
「なんて理想的なダイエット食品」
「後は、欲しければ自分でなんとかしたし」
小腹が空いた場合はヨナのように買い食いに行くか、そのヨナにお土産を頼むか。あるいは、携帯食料や干し肉といった保存食をかじるか。
「参考にならなすぎるわ……」
ユウトのことは諦めて、アカネは改めて厨房を見回す。
蛇口をひねれば水が出る――とはいかないが、水を貯め置く大きな瓶はあるし、井戸も近くにある。調理台の広さは充分だし、包丁や鍋などの台所用品は好きに買っていいという言質もとってある。
その他、かまどもいくつかあり、奥にはパンも焼ける石窯のようなものも設置されていた。
設備としては、そろっている。
やってやれなくはない。
「でも、薪で調理なんてキャンプでもそうそうやらないわよ」
「ユウト、あの野営用の魔法具が使えるんじゃない?」
「わっ」
突然会話に入ってきた三人目の声に、アカネが犬に吠えられた猫のように毛を逆立てた。
「びっくりした……」
「いたのかよ、ラーシア」
いつの間に入ってきていたのか。
厨房の扉を背に、草原の種族がしてやったりと笑顔を見せる。
「うん。ずっと」
「怖いこと言うなよ」
「はっはっはっ。婚約者を二人も作ったユウトせんせーに、怖いものなんてあるわけないじゃないかー」
「それは死亡フラグよ……」
「もう聞いてたのかよ」
「人が真面目に単身赴任してる間にさー。仲間、ううん、親友に裏切られるとは思わなかったなー」
「うぜぇ……」
心底嫌そうに、苦々しい声を絞り出す。
「見えるなー。どっちかの子供を抱きながら嬉しそうに微笑むアルシアの姿が」
「怖いこと言うなよ……」
げんなりとした様子でユウトが胃を押さえた。ストレスで胃薬が必要になるなど、数週間前までは想像すらしていなかった。
「まあ、おかえりラーシア」
「ただいまー」
ひょこひょことラーシアが近づき、ハイタッチをかわす二人。仲が良いのか違うのか、傍目にはよく分からない関係だ。
「ところで、アカネは凄い格好をしてるね。ユウトの趣味?」
「趣味だけど、俺が着せたわけじゃない」
「趣味なんだ……」
恥ずかしそうに、アカネが体をくねらせる。
それの動作で胸が寄せられ、豊かなそれが否応なく強調された。
「ああ、もうやってられないな」
自分で話を振っておきながら、途端にやさぐれる。
どうでも良さそうに、しかし、衝撃的な報告を口にした。
「とりあえず、ハーデントゥルムの裏社会を統一してきたよ」
「ああ、それはおつかれ……え? なんだって?」
「ハーデントゥルムで非合法な商売をやってる連中をまとめて、そのトップに立っちゃった」
てへっと笑ってごまかそうとするラーシアだが、もちろん聞き流されるはずも無い。
「特別監察官という制度を作ったって言ったよな?」
「うん。バッジ持ってるよ」
「現地の官憲を動かしてもいいって言ったよな?」
「ボク一人の方が身軽とも言った気がするな」
「要するに……どういうこと? というか、私が聞いていい話?」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ。ユウトの婚約者なら、ボクらの身内だからね。なんの問題も無いよ」
「俺の胃は大丈夫じゃないんだが?」
予想外というか、予想以上というか、想像もしていなかったと言うべきか。
「どうすんだよ、裏社会と連んじゃったよ。ちなみに、冗談とかじゃ……」
「ないよ!」
「知ってたよ!」
「まあ、ほら。別に表沙汰にするわけじゃないし、効率は良いと思わない?」
「思うから困ってるんだろ」
横で見ていたアカネは、この二人は仲良しだと結論を下す。
だが、話の内容を理解するにつれ、ひとつの懸念が浮かび上がってきた。
「でも、ヴァルに話しても平気な話?」
「最終的に納得はしてくれるだろうが……」
それはつまり、納得させるまでかなり困難な道のりが待ち受けているということでもあった。
激高し、反発するヴァルトルーデ。説得の言葉に理解を示し、不承不承受け入れるが本心では認めていないヴァルトルーデ。
どれも、容易に想像できた。
「あははー。それは、考えてなかったね! ヴァルが留守中で良かった」
今、ヴァルトルーデはエグザイルやヨナと共に、岩巨人の里を訪問しているはずだった。
《テレポーテーション》があるので日帰りだろうが、すぐに戻ってくるとも思えない。
「……草原の種族って、みんなラーシアみたいなの?」
「おっと。アカネにまで、けなされてる気配がするよ。だけど、ボクはまだマシな方だからね」
「わりと事実だから困る……」
「それに、やっちゃったもんは、仕方ないしね」
「犯人が言うなよ」
とはいえ、ラーシアが言うとおり。ここは、前向きに考えるべきなのだろう。
「とりあえず、ヴァルには秘密にしよう。ラーシアもあんま派手に動くなよ」
「連中は、ちゃんと統制してるから。当分は治安も安定すると思うよ。積極的に、街の掃除とかやらせてるし」
「すっかり、ラーシアと愉快な仲間たちじゃねーか」
「次は、ファルヴとメインツにも支部を作ろうかなー」
「分かった。そこは任せる」
「あれ? 話がつながってないんじゃない?」
「いいんだよ。釘を刺してはおくけど、ラーシアは基本自由にやらせた方が良い」
「そうそう」
さっきは仲良しだと思ったが、やはりそんな言葉じゃ表せないのだろう。
これがいつもユウトたちが言う『仲間』というものなのか。
自分は、みんなが知らない天草勇人を知っている。それでも、うらやましくなってしまうのは止められないとアカネはため息を吐いてしまった。
「それで、聞いておいた方が良いのはそれだけ?」
「そうだったら良かったんだけどさぁ。結構ヤバイ話もあるんだよね。これは後でちゃんと報告する」
「分かった」
途端に深刻な表情を見せる二人に、アカネはついていけなくなる。
だが、それも一瞬。
「それで、さっきの話だけどさ」
「確か、野営用の魔法具って……」
「そう、それそれ」
うんうんと大げさに頷いてから、芝居がかった口調でラーシアが言う。
「昔、野営の時に火を熾したりするのがめんどうだって、携帯用のかまどみたいなの買ったじゃん」
「ああ……。あれか」
最初は、確かに使っていた。そのうち、《飛行》で移動するようになったため、野営自体しなくなってどこかでほこりをかぶる羽目になっていた。
売っても大した金額にはならないし、珍しい魔法具には違いないので取っておいている。探せば、どこかにあるはずだ。
「あれ、火の強さが調整できないから、改造して強火しか出せないのとか造ったよな」
「火力が弱・中・強と三種類、エグザイルに背負わせてたね」
「一日に50リットルぐらい水が出せる水差しとか、食材が腐らなくなる箱とかもあったな」
一時期、そんな生活関係の魔法具を買い漁っていた記憶が蘇る。
便利は便利だった。
だが、今ならやりすぎだと白い目を向けていたヴァルトルーデの気持ちが分かる。当時は、聖堂騎士だからストイックなんだなと深く考えようとはしていなかった。
「なんか、やたら妙なテンションで買ってた気がするねー」
「深夜の通販番組みたいなノリだったな」
あの頃は若かったとでも言いそうな雰囲気で、ユウトが腕を組む。反省の色は、まったくない。
「分かってるわよー。そんな衝動買いした魔法具が、またやたら高い物なんでしょう? いい加減、パターンが読めてきたわよ」
「そんなこと無いよね、ユウト」
「ああ。ほとんど三桁だったもんな、ラーシア」
つまり、金貨数百枚――日本で言えば、車を数台考え無しに買ったというところか。
「ほんとに成金みたいなもんじゃない」
「で、この魔法具は要らない?」
「欲しいわ。ものすごく」
特に、薪が必要ないというかまど。ガスコンロとまでは言わないが、調理は楽になるはずだ。それから、今回、石窯は諦める。使ってみたい気持ちはあるが、時間が足りない。
少しずつ、できることとできないことが区別されていく。
それにともなって、段々と光が見えてきた。朝はかなり絶望的だったが、それが嘘のようだ。
「残る問題は、メニューよね……」
「そうだな。そっちでオリジナリティを出して、材料の問題からは目を背けよう」
「どういうこと?」
当然ながら話の流れが掴めていないラーシアへ、アカネがアルサス王子を歓迎する夕餐会などで腕を振るうことになったこと。
しかし、領内で採れる材料では質の問題があることなどを説明する。
「まあ、王族相手と考えると、質の良いものをよそから手に入れた方が良いかもね」
「ほら。やっぱりそうじゃない」
「う~ん。そうか……」
完全には納得はしていない様子だったが、ユウトは非を認めた。単純に、多数決に従おうというだけだったかも知れない。
「それなら、アルシアに朝ご飯を毎回使ってもらうのは? うちじゃないと、絶対にできないよ?」
「今回をしのぐだけなら、別に良いんだけどな」
将来、他に要人が訪れたとき、同じ対応をするのか。それができなかった場合、非礼に当たらないか。特に、隣国の教国とは交易協定の策定中で、国外要人の訪問は現実味が課題だ。
「めんどくさいねー。ふむふむ。そこでアカネってことは、ユウトたちの故郷の料理を出すつもりなんだ?」
「私なんて所詮、素人だもの。珍しさで勝負するしかないと思ってはいるけど……」
だが、それにも問題がある。
「でも、地球の料理を作ってみるっていっても、こっちじゃ見かけない素材がいっぱいあるし、結局、美味しいものって食べ慣れたものじゃない?」
「ファミレスで、いつもと同じメニューを頼んじゃうのと同じだな。たまに他のを食べると、微妙に損した気分になる」
「勇人はいつも、目玉焼きハンバーグとライスとドリングバーだったわね」
「懐かしいなぁ」
部活帰りに学生御用達のファミレスで、よく注文していたものだ。
ほんの数年前の話なのに、随分と昔のように思える。それだけ、こちらの生活が濃厚だったのだろうが、思い出すと無性に食べたくなってしまう。
「そういえば、こっちに来てからハンバーグなんて食べてないな」
「はんばーぐ? なにそれ? 美味しいの?」
「あ、ハンバーグも無いの?」
「聞いたこと無いよ。どんな料理?」
「なんて言ったら良いんだ? ひき肉をこねて焼いてソースをかけた……」
「少なくとも、この国にはないんじゃないかなぁ?」
「ハンバーグが知られていない……」
「そうなると、俺たちが知ってる洋食って、結構こっちじゃ珍しいうえに通用しそうな気がするな」
「洋食って言っても、結構日本で魔改造された物が多いけど、発想のベースにはなるわね……」
この世界の料理の延長線上にありそうなメニューを選べば、食べ慣れた味の問題もクリアできるだろう。
「それなら、変に難しい物にチャレンジしなくて良いし、格式も関係ない……?」
「だな。カツ丼を、地球の最高級おもてなし料理ですと言っても、バレない」
「お米が無いけどね」
否定しつつも、アカネの声は軽い。
本格的に希望が見えてきた……ような気がする。
「よし。方針が決まれば、後は試作ね!」
「アカネがやる気だ」
「ユウト、ラーシア。みんなにも試食してもらうからね」
「それは、任せて」
「参考にならない意見は要らないわよ。ちゃんとした感想をちょうだいね」
「う、いきなり悪い予感が……」
「覚悟してくれよ、ラーシア。あいつは、凝り性で諦めの悪い完璧主義者なんだ」
「それは、本格的に性質が悪いね!」
妙に凄味のある笑顔で、必要な材料をリストアップしていくアカネ。
そのメモ帳に書き付けていく姿に、二人は揃って戦慄を覚えていた。
次回は、一部で需要があったエグザイルのメイン回です。




